終幕参 ただの夏休み
温かな、度を越して温かな日差しが差す琉球の砂浜、俺は風を受けて横になっていた。
閉じた瞼の裏側にまで光が届き、眠気があるのに眠れない、不思議な感覚だ。
脳裏に浮かぶのは、今朝本土の《陰陽師》本部へと護送される直前に交わしたシャアラらとの会話。
『礼は言わん。私は私を否定しない』
『そうか。別段礼を言われる記憶なんかないけどな』
『──ただ、一言。貴様にとって命とは……何だ?』
『何、って』
『いや、忘れろ。弟をよろしく頼む』
『は? いや、弟、って』
結局それほど有用な情報が得られないうちに、シャアラとトキリ、それとよく分からない傭兵崩れ二人組は《陰陽師》本部へ連れていかれてしまった。
奴が俺に感じていた恩義とは、問いの意味とは、『弟』という単語の指す人物とは……
諸々考えなきゃいけないことは残っているし、琉球に残った傷跡は未だ消え去った訳ではない。
そういえば、『弟』という言葉について、セルゥは心当たりがあるようだったっけか。
『命、についてはよく分からないけど……弟、っていうのはちょっと分かるかも』
『ほんとかセルゥ』
『えーっと、さっき森でリッパーダさんが暴れさせられた、って話をしたと思うんだけど』
『あぁ、俺と逸れた後大変なことになってたんだってな』
『です。そこで僕考えたんですけど、どうしてリッパーダだったんでしょうか?』
『どうして、って』
『あそこは〈妖技場〉傍、実力者は幾らでもいたはず。外へ出て来た相手を無差別に洗脳したと考えても、あのリッパーダにあそこまで利くとは』
『言われてみれば……あんなに質実剛健、武士、って感じの人がそう易々と罠にかかるとは思えないな、確かに』
『でしょ。だから、僕はシャアラとリッパーダとの間に何かしら因縁があったと思うんだけど……』
其処から先、セルゥは口を閉ざした。
確信がない以上、迂闊にリッパーダさんの中身に迫るような発言は控えなければならなかったのだろう。
今後の琉球王国を盛り立てていく使命を授かったというのだからなおさらだ。
そのあたりの事情は、本人の意思なしに俺たち外部がどうこうすべきじゃない。
センチメンタルな気分に陥っていた俺の瞼が、何かに遮られる。
「トロ?」
「奏」
日差しを遮ったのは、俺の契約相手たる奏の影だった。
逆光になっていて細かいところまでは見えにくいが、薄着になっているから何とも可憐な雰囲気だ。
いや、薄着と言うのはある意味語弊があったな、正しくは水着だ。
お腹を隠すワンピースタイプの水着だが、肩や胸、腰のあたりにフリルがあしらわれていて、可愛らしさと快活さが合わさって最強に見える。
水で湿った髪の毛と水滴が滴る肌が太陽の煌めきを受けて、瑞々しく輝いていた。
「どうしたの、どこか痛い?」
「あー、いや。身体は大丈夫だ。ちょっと考え事をな」
むくりと起き上がると、俺は自分も水着を着ていたのを思い出す。
此処は綿貫家のプライベートビーチ、対抗戦が終わって他の皆はホームに帰った中、俺は綿貫家の別荘に荷物を移していた。
奏におつきの人がぼろぼろの俺を気遣って代わりに運んでくれたのだが、その時に何時の間にか俺の部屋から《透鳳凰》が無くなってしまったという連絡が来ていたと教えてくれた。
メイドさんが長期で外出する俺たちの代わりに、俺と奏が暮らす家の掃除をしてくれることになっていたのだが、その時に判明したらしい。
それについては心配しなくていいと伝えてくれ、と頼んだ後、水着に着替えてビーチで寝そべっていたのだった。
「ふぅん。そういうの、トロらしいけど、いまはあそぼうよ」
「そうだな、ちょっとしたら行くから待ってて──いや、遊んでてくれ」
「わかった、じゃあすぐきてね、すぐだよ、すぐ」
「おう、ちょっと水分補給したら行くよ」
何度か振り返りながら、奏はつるちゃんたちが遊ぶ海へと戻っていった。
……いかんな、ちょっと可愛すぎる。
「う~ん、実に元気で素晴らしい。ワタシも見惚れる思いだよ」
「クリフ!? なんでここに」
「おや、ワタシがいちゃ拙いかい?」
「いや、ここ敷地内」
法的な問題を指摘したが、クリフは日傘の下で不敵な笑みを浮かべたまま余裕を崩そうとしなかった。
パフォーマーとしての矜持か何かだと思うけれど、流石に法的に問題がある行為はしないでもらいたい。
──俺と奏が通報したり追い出したりしないと分かってのことだろうし、実際そんなことはしないけれど。
「まぁまぁ、いいじゃないか。誰も彼も気疲れして元気のないこの島で、これだけはしゃぎまわる声が聞こえたら野次馬もしたくなるだろう?」
「それは、確かに」
一理ある。
被害自体はそこまで酷くはないが、戦い自体は日没から夜明けまで続いた形だ。
その間ずっと自分たちの生活が崩れ去るかもしれないという思いが付きまとえば、休めるものも休めない。
の割にはこの人が割と元気にしているのが不思議だ。
少し気になっていたことがあるので、それも聞いてみることにした。
「でも、クリフさんは結構元気そうですね」
「おや、そう見えるのかい? だったらワタシのハッタリも捨てたものじゃないね」
「あー……ま、俺も似たようなものです。そういえば、ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
「なんだい? タネ以外でワタシが答えられることなんて、そう多くないと思うけど」
「あそこまでローラ先輩と息が合ってたのはなんでなんですか?」
ちょっと踏み込み過ぎたか、と不安に思う俺の斜め後ろにいたクリフが、俺の横まで歩みを進める。
かと思えば、やや前方まで進んで、俺から表情が見えなくなってしまった。
「うーん、キミに話すかどうかは悩んでいたんだけれど。レディと仲良くしてそうだったし打ち明けるかな」
「えっ。いや、別に話したくないならいいですって、話さなくても」
「あぁ、その言葉で覚悟ができたよ。キミになら言っても大丈夫の筈だ」
一つ深呼吸を置いて、クリフは続けた。
「レディが肉体的には男性であることは、気付いているね?」
「え!? マジすか」
「うぅむ、気付いていなかったのか? それなら更に問題は消えるというもの」
マジか……全然気づいていなかった。
よく考えてみれば異性の選手を同じ部屋に宿泊させるはずがないのだから、俺とローラ先輩が肉体的に同じ性を持っているというのは分かる話だ。
けれど、着ている服が女性もので身体のラインを隠すものであったり、柔らかな物腰だったりと、一般的に女性的な特徴が多くて気付かなかった。
まぁぶっちゃけ、性別なんてどうでもいいと言えばどうでもいいのだけど。
「そんなレディにね、ワタシは少しシンパシーを感じたのさ」
「シンパシーですか」
「そう。恥ずかしながら、ワタシは自分の性別に関するアイデンティティが曖昧でね。実家では苦労したものさ」
水平線を見ているのだろうか、クリフは顔をぴくりとも動かさず言う。
……それはそれとして、看過できない発言があったので首を突っ込ませてもらおう。
「恥ずかしくなんかないですよ、そんなの。俺だって、男だの女だの、あんまり気にしたことない」
「その心遣いはありがたく受け取ろう。キミに悪意が無いことも十二分に理解しているつもりだよ」
そこで言葉を切って、クリフはただ、と零す。
「ただ、気にしない、というのはそうする必要が無い、という危険を孕んでいる。ワタシとのやり取りでキミにそれが伝わればいいな」
「──それは」
何も言い返せなかった。
俺は男子トイレに入ることに違和感を覚えず、コンビニエンスストアに薄着の女性が表紙の本があるということを不思議に思わなかった。
それが当たり前だったから、疑う必要すら感じていなかったのかもしれない。
……なんだか、自分の拠って立つ足場が急にぐらついた気分だ、
「んんっ。話が逸れたね。兎も角ワタシはレディにシンパシーを感じて近付いたのさ。向こうもそう思ったのかどうかは本人と神のみぞ知る、といったところだけどね」
「それで、トキリとの戦いでも高いコンビネーションを発揮できたわけですね。先輩から聞きました」
「おや、これは本当に恥ずかしい。キミと契約主との絆には敵わないよ」
それから少しだけ会話を交わしたが、急がせるような奏の声が聞こえて、クリフは去って行った。
一緒に来ればいいのに、と誘ったが、生憎疲れが溜まってそれどころではないということ。
レディによろしく、との言伝だけ預かって、俺はベンチから立ち上がり砂浜を走る。
「うぉぉおおおお!」
勢いをつけて走り、少しだけ風の妖術を使って飛ぶ。
やや深い位置に飛び込んだ俺の身体と水面の間に水飛沫が飛び、耳の周りを覆う雰囲気が一変する。
揺れるような水音、透き通るような視界、冷たすぎずそれでいて心地よく冷える海水の温度。
水草の茂る岩場とそこに群がる小さな魚を見つつ、身体の力を抜いて自然に任せて水面へ浮かぶ。
「ぷは」
波打つ水面に背を付けて、俺は澄み渡る青空を見上げる。
息を吸い込むと、暑くて冷たい、夏の空気が肺一杯に詰め込まれた。
近くに寄ってくる奏が視界の隅に見えたため、其方に向かって手を振る。
俺と奏の夏休みは、まだ始まったばかりだ。
<>(^・.・^)<2月半ばあたりまででびぱちは一旦お休みです
<>(^・.・^)<その間、番外編と称して水遊び回を上げるかもです




