其の三八 目覚めた意思は誰がために
「あ──ぁ」
何が契機か分からないが、サミハは意識を引き戻す。
吹き荒れる風、頬を焦がす熱気、視界を漂う火の粉、煌々と照らされる琉球の森。
それら全てが彼女の感覚器官に強烈に作用し、サミハは現実に直面させられる。
「うっ……うぅ」
立ち尽くしていた脚に力が入らなくなり、彼女は地べたにへたりと腰を落とす。
呼吸は速くなり、燃焼のせいで薄くなった酸素が原因で再びサミハの意識は朦朧とし出す。
そんな中、彼女の妹たるシンミの声が木々の隙間に轟いた。
「お姉ちゃん!? 気分大丈夫!?」
「ぁ、ぅ」
眠っているような状態の姉に言葉をかけても無駄だと思いつつ、シンミは現状を伝えるために口を開いた。
「森が燃えてる! 中心はちょっと遠いけど、このままだと〈妖技場〉まで炎が来るかも~!」
シンミは自前の妖術で宙を舞って炎の波から逃れ、高い視点から概況を観察する。
「あたしの≪超風≫で消そうにも消えてくれないし、むしろどんどん広がっちゃって……!」
シンミ程の妖術で消えないことからして、この炎には妖力が宿っていると見て間違いない。
その上で他者の妖術をも吸収して勢力を広げてしまうのだから手に負えない。
燃え広がる炎の森を相手に、シンミは手をこまねいていた。
「ぅ」
そんな妹の苦悩をサミハは知ってか知らずか、視線を上げた。
虚ろな視界には、紅く燃え盛る森の姿。
豊かな命が次々と、理不尽に失われてゆく。
火の手、命の焼失、巨大な絶望、手の届かない理不尽……その全てが、彼女が隠していた心の部分を曝け出す。
「ぅぁ」
考えたくもなかった過去だから、彼女は封印していたのに。
自分の半身とも言える命が、力に溺れた自分の手の届かないところで消えていく。
──その恐怖は、無力感は、本人以外軽々しく口にすべきではない。
「ぁ、ぁ」
呼吸は一層速くなり、心臓の鼓動は〈妖技場〉での試合前後とは比べ物にならなくなっていた。
圧迫される視界、徐々に遠くなる聴覚で、彼女は次の情報を得た。
「火の手の中心は、リッパーダさん!」
「──ぇ」
知人、どころか掛け替えのない好敵手であり親友の一人でもある男の名前は、平常時よりも格段に処理が重いサミハの脳に突き刺さった。
親友の名前が契機になり思考能力を取り戻したサミハは、妹の言葉を一言一句聞き逃さない。
「原因も何も分かんないけど、すっごい苦しそう! 話も通じないし、正気じゃない感じがするよ~!」
それはそうだろう。
あのリッパーダが、琉球への思い入れは人一倍の快男児が、自らの手で思い出の森に炎をバラ撒くのはいくら何でも理に反している。
けれど、それを口にするまでは、サミハの身体操作能力は回復していなかった。
ふと気付いた巨大な咆哮紛いの叫び声は、寧ろ今まで何故気付かなかったのか分からないほど悲痛で苦しみに満ちていた。
「グゥウウウァ、ヴァアアガァ、ッ、ッグアァバガァ──!」
怪獣映画のソレ染みた慟哭は、サミハの芯を確かに揺さぶる。
自分の親友が、大切な相手が、またしても炎の中で苦しんで死んでゆく。
けれど、だから……?
「ぅ」
だからといって、彼女に何が出来るというのだろう。
炎に対して、彼女は余りにも無力だ。
昔からそうだ、サミハは他者を傷つける事ばかり達者で、誰かを守るために粉骨砕身するのが異様に苦手。
彼女が誰かを助けようと思った時、既に運命は決まってしまっている。
「ア、ァタシ、には……」
何もできない。
世界が、そう決めている。
無念を抱えることすら、悔しがることすら、伸ばそうとした手を引っ込めることまでも、許されない。
ただ、一匹。
その前提を全て覆す者がいた。
以前の生でも温かな主人の下で楽しい日々のまま命を全うし、次の生命でも優しい友人たちと共に何一つ後悔のない生を終えた存在が。
豆、あるいはアフィラーが。
「豆……?」
忘れもしない、あの温くて湿った命の証が、火の粉舞う森の中でサミハの頬を伝った。
地面から天へと優しく舐めるその舌の主を追おうとしたサミハだが、そこには何者の姿もない。
ただ、満面の笑みを浮かべた子犬の幻影があるばかりだ。
「──」
その温もりが、彼女の寄って立つ瀬となる。
何をすべきか問いかける。
「アタシは、あの時とは」
あの時とは、諸々が違う。
頬に伝った感触には直感で覚えがあったけれど、記憶の中のソレとは全く異なっていた。
中に入っている精神は紆余曲折を経ても根っこで変わっていないけれど、肉体を構成する成分は何から何まで違う上に、妖力などという超越した力を有している始末。
……妖力。
「──そうだ」
今の彼女には、手が届かなくても誰かを救うだけの術がある。
全てを失う運命にあったのも当時の彼女であって、妖怪として第二の生を受けたサミハにその宿命が付いて回っているなんて確証はどこにもない。
手立ては思い浮かばないけれど、それでも一筋の光が彼女の視界に差し込んだ。
燃え盛る森を目の前にして膝に手をつき立ち上がる彼女は、最早無力感に打ちひしがれた彼女ではなく。
「アタシは、あの時とは違う」
〈妖技場〉夏季交流戦の大将を任された[火炎神]でもなく。
「また、助けられるはずのヤツを目の前で失って堪っかよ……ッ!」
此処に、彼女はかつての自分からの超克を宣言した。
<***>
その時、魂の叫びを、一際尊ぶべき勝利を確かに聞き届けた、一振りの《原始怪異》が目を覚ます。
紅葉色から青白く光を放ち始め、焔の如く揺らめくその《原始怪異》の名は《蒼朱雀》。
琉球王国に代々伝わる国宝の一つであり、両端の刃は喜びを表すように燃え盛り流動していた。
「……!」
何も灯りのない宝物庫の一面を青白い光で包み込んだかと思うと、《蒼朱雀》は台座から消失する。
自ら見初めた相手の力となり、あらゆる障害を排除するために。
<***>
「──んぁ?」
「……」
真っ直ぐに森を見据えていたサミハの目の前に、一本の棒切れが舞い降りた。
言葉を発さずとも、何をしてほしいのかが手に取るように分かった彼女は、迷いなくその棒を掴み取った。
「オマエ、一緒に戦ってくれるのか?」
「……」
青白い焔の揺らめきが一際強まり、彼女は自らのパワーアップを確信する。
そして、今の自分ならばきっとリッパーダを助け出せる、と。
「行くぜぇッ!」
サミハは背中から炎の翼を生やして大きく跳躍、そのまま森を見下ろせる位置まで飛び上がる。
炎を押し返さんと画策して風の力を振るっていた妹の元に辿り着き、彼女は一言詫びた。
「悪ぃ、緩んでたみてぇだ」
「お姉ちゃん! もう大丈夫なの!?」
「あぁ。腑抜けててすまんかった」
実の妹相手に深々と頭を下げて、それからサミハは地上の様子を見る。
高度の程百メートルに浮遊する彼女は森どころか島全体を見渡せた。
宝石のようにきらめく波間、優しく戦ぐ草木、営みを色濃く残す家々は、サミハの精神をより一層強固にする。
「で、リダのヤローは」
探し始めてほどなく、彼女は巨大な雲の人影を発見する。
どういう訳か〈朝比奈〉の妖怪であるリッパーダの雲の身体にはまわしのように橙色の炎が巻かれており、何者かによる支配を感じさせる。
〈妖技場〉の副将戦は絹を思わせる真っ白な雲だった巨人は、全身を真っ黒に染めており、瞳からは炎が立ち上っている。
周辺の木々を焼き焦がしている上に、大きさも試合より二回りは大きくなっているようだ。
「──辛ェだろうな」
「足止めだけじゃ厳しくって……!」
「寧ろやくやった。後はアタシが何とかする、シンミちゃんはアタシがリダを止めた後の火消しをやってくれ」
「うん……っ!」
陽動と火事の食い止め、そして炎から逃れるための飛翔という仕事を並行して熟していたシンミの妖力は心もとなくなっており、彼女は姉の言葉に甘えて高度を下ろしていった。
不謹慎だと分かっていたが、シンミは自分のよく知る自信満々で頼れる姉が戻って来た喜びに安堵するの心を止められなかった。
「さぁて──こっちだぜぇ、リダ!」
「グゥウァ……アァガバギュアァッ!」
景気づけに広く炎を飛ばし、リッパーダの意識を引き付けた。
見事に吸い寄せられたリッパーダの巨大な拳が、炎を纏ってサミハを打ち砕かんと迫る。
「フゥッ」
サミハは呼吸を整え、一振りの枝、否、《蒼朱雀》を握る手に力を籠める。
それに呼応して、《蒼朱雀》の両端に付いた蒼白炎の刃の揺らめきは規模を増し、主の一手を待っていた。
「行くぜぇ《蒼朱雀》! ──ダチ、助けんぞ!」
サミハの握る《蒼朱雀》は燃える森の上にあって尚目に留まる輝きを放ち、振り抜かれると同時に空間の切断面を燃焼させる。
鋭い斬撃の音がした次の刹那、リッパーダの燃える拳が彼の親友目掛けて飛んでくる。
赤く燃える炎を纏うその拳が、壁のように揺らめく青白い焔に辿り着くや否や……
蒼白炎は、雲の拳と火炎を呑み込んだ。
<>(^・.・^)<サミハの目覚め
<>(^・.・^)<リッパーダさんがどうしてこうなってるか
<>(^・.・^)<次週をお楽しみに〜!