其の三七 起源の直視
「うっし、そんじゃあやっちまうか」
「やっちまいましょうや!」
チンピラ共が喧しく〈妖技場〉舞台に足を踏み入れ、何やら物騒な言葉を発している。
舞台を取り囲む観客席では、謎の衝撃のせいで体勢を崩してしまった人々のケアに回る選手やスタッフが大半で、何やら企んでいるらしい男たちを気にかけられる人員は少なかった。
けれど、決して誰もいないというわけではなく。
「ちょ~っと、そこのお二人さ~ん?」
「何をやるってんだ、あぁ?」
長い黒髪と短い赤髪の女性二人組が、問答を切り出しながら舞台上に跳び下りる。
着地する頃には既に準備運動を終えていて、それぞれ肩の筋を伸ばしたり指を鳴らしたりしていた。
抵抗する相手が現れたのを理解した男二人組が、拳を突き合わせて答える。
「そんなもん一つや。ここをぶっ壊せーいうお達しなんだよ!」
「おう。邪魔するってんならお前らともども傷つけても文句は言わねぇよな?」
「……あー、どっかで見たと思ったらあの時のチンピラ共か」
交流戦の先鋒戦終了後に会場外でセルゥと子供たちに難癖をつけていた男たちである、と口ぶりから察したサミハが、面倒そうに漏らす。
隣のシンミが、姉に問うた。
「誰?」
「見てなかったっけか。ほら、あの一昨日子供たちに絡んでたしょうもねぇ連中」
「あ~、あのちっさい人たちね~」
姉妹ゆえに感覚が近しいのか、姉の言い分にすんなりとシンミが同調する。
シンミはトロンやサミハがすっ飛んでいった先を遠目で見ていただけで、獣の妖怪がよく持っているずば抜けた視力を有していないから、具体的に何が起きていたのかまでは理解できていなかった。
けれど、何となくの立ち位置や姿勢、表情の記憶と、こと人間への洞察力に関しては信頼のおける姉の台詞から、当時の状況を察したのだった。
「おい、てめぇら何ごちゃごちゃ言ってんだ?」
「ガタガタ言ってっと、ぶっ飛ばして──」
兄貴分の男の隣に立つ舎弟のような振る舞いの男が、言葉を全て発し終わる前に吹き飛ばされる。
下手人は扇を手に持った天狗の妖怪、不敵な笑みを浮かべて男達を見下していた。
「──へぇ。キミたちの生きて来た世界じゃ、オハナシアイで解決するんだ~?」
「なッ、てめッ!」
シンミの挑発に、兄貴分らしき男が食って掛かる。
一応彼も何らかの妖怪のようで、露出した腕から羽毛を生やし、口を徐々にとがらせて嘴のようなものを形成した。
「知らねぇぞ!」
「おいおい、テメェら勘違いしてねぇか? 此処は試合でも何でもねぇ、ただの闘争だろ」
「なッ」
返答に窮した兄貴分の男が、炎を纏った正拳突きで吹っ飛んだ。
下っ端然とした男とその上役らしき男の二人組が、同じ方向で倒れ伏す。
「な~んだ、もー終わり~?」
「骨のねぇ奴らだな……テメェ等、お達しっつーこたぁ傭兵だろ?
崩れかもしれねぇが、傭兵ってのはこうも弱ぇのか?」
何時にも増して口の悪いサミハだが、それは疲労だけでなく傭兵と戦える機会を待ちわびていたことの裏返しである。
普段〈妖技場〉で戦うサミハにとって、戦闘の状況が全く異なる傭兵と言う存在は、ある意味でまだ見ぬ強敵のような幻想と共にあった。
けれど傭兵と言ってもその質は様々、戦闘に長けた者もいれば戦術・戦略に秀でた者もいる。
……尤も、この男二人はそのどちらにも属さない程度の実力しか持ち合わせていないのだが。
「──クッ、ソ。ナメやがってェ!」
「おれたちを敵に回したこと、後悔すんじゃねぇぞ!」
「あー、もう全てが遅いなー」
起き上がった男たちが各々の妖術を発動させて通常の人間からは逸脱した形状や体色へと移行し終える頃には、シンミは次の一手を済ませていた。
頭上に掲げた団扇をくるくると回し、垂直に大きな竜巻を作り上げていく。
大きなスイングでシンミが団扇を男たちに向けると、轟音を響かせながら竜巻が動き始めた。
「ひっ!?」
「なんだこれぇっ!?」
竜巻は勢いを落とす気配を示さず、寧ろ次第に大きさ、太さを増していく。
今まで見たこともない規模の人為的な竜巻を目の前に、男たちはまともな判断力を失ってしまっていた。
シンミにとっても妖力をそれなりに消費しなければ此処までの規模の竜巻は出せないが、幸いにも昨日の試合からきちんと療養したおかげで妖力は満タンまで回復していた。
疲労している姉に出張らせないために、すぐさま処理するだけの余力が残っていることに彼女は内心感謝している。
妹の大技に感心していたサミハだったが、以前二人で練習した技があったのを思い出して傍らのシンミに問うた。
「お? シンミちゃん、ちょっとアレやっていい?」
「あー、確かに助かる~」
「うっし──んじゃ、そらよっと」
右手に纏わせた炎の槍を、打ち水のようにして竜巻へと放り込む。
異なる妖力によって産み落とされた妖術は大抵の場合、接触すると少なくとも何方かが消滅してしまう。
けれど姉妹ゆえの妖力の性質の近さ、サミハの抜群のセンスと観察眼は、シンミの竜巻とサミハの炎を上手く融合させ。
巨大な炎の竜巻となって男たちを巻き上げた。
「ぎゃああ!」
「あっちぃっ!」
男たちは自慢の羽毛付きの腕で抵抗するも虚しく、炙られながら錐揉み回転する。
回転はやがて落ち着き、炎の竜巻は霧散した。
二人の男は舞台の端に墜落、その様子を覗き込みに行ったサミハが呟いた。
「……あーあ、ノビてら」
「随分お粗末なヤツらだったねー」
姉の残念そうな台詞に妹が間延びした台詞で返した。
付き合いの長さ故に姉の心境を殆ど全て理解しているシンミは、侵入者がダウンした事実を姉が残念がっていることに特に疑念を抱かない。
彼女等は看病に回っている選手らに縄を放り投げてもらい、男たちを縛り上げて舞台上から鍵付きの部屋へと放り込むことにしたのだった。
<***>
二対二の戦いがあっけなく幕を下ろしたのを見ていた奏が、ぽつりと漏らす。
「す、すごかったね」
「えぇ。でも、サミハならあれくらいやってくれるって思ってました」
吹き荒れる火の粉に見とれていたセルゥが、奏に返事をして父親の看病に戻る。
タオルで汗を拭き、脇の下に挟んであった氷嚢の中身を入れ替える。
少しだけその横顔が笑顔のように見えた奏が、タオルを受け取り看病を手伝いながらセルゥに話しかけた。
「すきなんだ? サミハさんのこと」
「好き、と言いますか……僕の憧れなんです。ボクがこの〈妖技場〉で初めて見た試合も、サミハと兄様のモノでした」
「へぇ……」
好き、ではなく憧れ、という気持ちは奏も分かるつもりだった。
奏はトロンに対して間違いなく好意を寄せているが、彼女自身はそれを異性へのソレよりは人間としての尊敬に近いものだと認識している。
だから、この状況でセルゥを揶揄うような野暮はしなかった。
看病を受けたルーディ国王の表情がやや和らいだのを察した奏が、意を決してセルゥに聞く。
「セルゥくん。ひとつ、ききたいことがあるんだけど」
「……奏さん、申し訳ありませんが、今のこの状況では──」
「聞いてやれ、セルゥ」
息を掠らせながらも、ルーディ国王が喉を震わせてセルゥに言った。
父が遂に意識を取り戻し、調子を確かめるためにセルゥが顔を近付ける。
「父上! お体は、大丈夫ですか!?」
「あぁ、大義であった。もう落ち着いた……それよりも、其処のお嬢さん」
「は、はいっ」
「倅に何か頼みがあるらしいね。何でも言いなさい、協力は惜しまない」
「その、じつは……」
背筋を正して緊張を抑えながら、奏はルーディ国王に事の経緯と頼みごとの内容を伝えた。
静かに瞼を伏せて話を聞いている国王は穏やかな雰囲気だが、嫌が応でも奏は居住まいを正さざるを得ない。
これまで父親の付き添いで何人かの大物には会ってきたものの、そのどれとも比にならないだけの気迫があった。
弱っていてこれなら、普段はどんなに立派な王様なのだろう、と奏が詮無いことを考える間も無く、国王が口を開く。
「お嬢さんに流れる力、そして琉球王家に伝わる旋律、か。心当たりはあるが」
「……やっぱり、きびしいですか?」
「否、単純に向き不向きの問題よ。其の件は儂よりもセルゥが適任だ」
「ぼ、僕ですか!? そ、そんな大それたこと、僕には到底……!」
その場の注目を浴びたセルゥが、両手を胸の前で左右に振りながら、頭も同じように振る。
彼の自己分析では、琉球王国存亡の危機に立ち上がる、という英雄的な行いをするには勇気が足りていないし、実力もない。
メロディを教えるだけと言えば簡単だが、少しでも間違っていた際は肝心な時に失敗してしまうという可能性を考えると、彼は迂闊に首を縦には振れなかった。
怖気づくセルゥの手を、弱っている筈の父親が力強く握り、息子の瞳を真っ直ぐに覗きながら言った。
「セルゥ。儂はおまえには王たる器が備わっていると見ている」
「父上……?」
「誰よりも優しく、誰よりも他人を考えられる。其れは生まれ落ちた後に身に付けられるものではない、おまえ自身の心の動きと豊かな琉球を想う気持ちの成せる業」
「し、しかし」
「大丈夫、大丈夫だ。おまえにはこの儂と……何より、遥かなるこの琉球の島々が着いておる。おまえはおまえのやるべきこと、為したいことを為せ」
「──」
言いたいことを全て伝えきったルーディ国王は、手を放してせき込んだ。
すぐさま近くにいた奏やその他の付き人が背中を擦ったり飲み水を差し出したりするが、セルゥは一歩たりとも動かない。
彼の頭の中には、ここ数日で交わした会話が浮かび上がっていた。
サミハから聞いた、強いという言葉、性質の意味。
『オマエはオマエがやるべきだと思ったことを最後までやり抜け。それが『強ぇ』ってことだろ?』
そして、トロンから聞いた、自分を肯定できる言葉。
『夢があって、それに向かって頑張っている間くらいは、自分を信じてあげませんか?』
琉球に暮らす皆を、友と共に過ごした思い出の地を、命に溢れる実に美しき島々を守りたいという夢があるのならば。
何も持たないかもしれないけど、何を救うこともできないかもしれないけど。
「──そんなの、動かない理由になんか、ならないよ……!」
インガマヤラブたるセルゥ両の頬が自身の平手で叩かれ、瞳の色が変わる。
それに最初に気が付いたのは、聴力に長けた綿貫家の令嬢で。
「セルゥくん?」
「えぇ。大丈夫です。それじゃ、こっちに来てください。琉球王家秘伝の旋律、貴女に伝授しましょう」
「! ありがとう!」
「……セルゥ」
駆け出したセルゥの背中に、ルーディ国王が声を掛けようと試みた。
けれど彼はもう、己の心が決めた道に従って突っ走っており、届けるべき言葉は既にない。
それに気付いた国王は喜びと安堵の息を深く吐き、再び横になって全身で琉球を感じるのだった。
「──ん」
肌から外界へ繋がるガーナームイの妖術が、琉球の木々が悲鳴を上げているのをルーディに伝えて来る。
その異変を察知するのと同時、〈妖技場〉の外から熱気が立ち上る。
ルーディだけでなく、炎の妖術を扱うものとして、サミハもまた異変に気が付いていた。
「外が……? 出るぞ!」
「お姉ちゃん、ちょっと!?」
疲れを感じさせない足取りで、舞台の出口からサミハが外へと飛び出していく。
一拍遅れてそれに続いたシンミが、外に出た時には。
「何ッ、なにこれ~?」
〈妖技場〉傍の森は既に火が燃え広がり始めていて、夏の蒸し暑さとは異なる熱気が彼女の頬を撫ぜた。
姉の発動させる妖力由来のソレとは微妙に違う肌感触に足踏みするシンミだったが、同じ炎の使い手たる姉ならば何か対処法が思い付くかもしれない、と考えてサミハの姿を探す。
程なくしてその姿は見つかり、薄暗い月明かりの下で顔を炎に照らされながらサミハは立ち尽くしていた。
「あ、あ、あ──」
「お姉ちゃん!? 大丈夫、お姉ちゃんっ!?」
妹に肩をゆすられながらも、サミハは放心したまま返事を返さない。
彼女がずっと蓋をしていた、奥底に眠る記憶が疼き出す。
瞼の裏に焼き付いていた、燃え盛り立ち上る焔の前で無力に立ち尽くす自分の姿がすぐ手の届く先に浮かび上がり。
サミハの意識は、完全に彼女の内側へと入り込んでいった。
<>(^・.・^)<次回、サミハ過去編入ります