其の三五 手が届かないとしても
「研鑽を積むと良い。さすればそれなりに利用価値のある組み合わせになれよう」
拳を交えた相手にトキリが送る、最大級の賛辞。
自らの下で服従するに足る、と認めるその行為は、受け取る側の意識が朦朧としているせいで殆ど意味をなしていなかった。
だから、トキリにとってその称賛はただの気休めに過ぎず。
「……では、残る輩を仕留めに行くか」
その場を離れるのに何の躊躇もなかった。
(……)
ふわふわと纏まらない思考を、鈍く痛む頭蓋で包みこみ、ローランが意識を漂わせる。
とても文字には表せられないようなとりとめもない感情と、思索と、信念が、幽霊の中で揺れていた。
(……あ)
そんな中で、ふとはっきりした形を持ってローランの頭に立ち上ってきたのは、自分が戦う理由への疑念。
琉球を守りたい、という思い自体は疑いようもなく本物で、まともな考えが纏まらない瀕死の状態でもすぐさま手を伸ばせる位置にある。
でも、その裏側には、あるいは奥深くには、もっと無視できない何かがあるような、そんな警告染みた本能がローランを苛む。
「……」
誰もが通る、自分を構成する起源の部分の直視。
それはどんな状況だろうと一度気になり始めたら他の何を差し置いても優先される儀式であり、その段階にローランは生死を彷徨う状態で辿り着くことになったのだ。
自らの深層意識を、意図的に紐解いていく。
(……まず)
最初に辿り着いた段階は、『自分が何故琉球の為に闘いたいのか』という関門。
ほんの少しだけ思考を巡らして導き出した結論は、自分は琉球が好きだから、というもの。
この風土が、美味しい食事が、白熱した試合の数々が、心優しく温かい人々が、とても好きだから。
けれど、それだけだったら自分にとって命を張る理由にはならず、後方支援的な役割に徹するだけでも問題はない。
(じゃあ)
次にぶつかったのは、『自分が何故命を賭ける判断を下したのか』という壁。
これは体感で少しばかり時間を要し、自分の本能がそう叫んだから、という結論以外に思いが至らなかった。
ならば、次に考えるべきは自分の本能が持つある種の方向性についてだ。
本能、言い換えれば根源的な欲望、と言い換えても良いかもしれない。
(……あ)
その言い換えが脳内で行われた瞬間、ローランは自分の行いを一つのヒントとして見出した。
自分は琉球王国交流戦の選手に選抜された後、現地に到着していの一番にとあることを行った。
宿泊する宿に着いて、目に入ったのは一人の妖怪の姿。
即ち、九本の尾を持つ白い狐の力を宿す少年、トロンである。
彼にローランが聞いたのは、自分に自信を持って、緊張せずに胸を張って戦うための心構え。
(──なぁんだ)
だから、その時からもう自分の腹は決まっていて。
やりたいことも、なりたい自分も想像できていた。
態々意識する機会がなかっただけで、あの日からずっと、ずっと。
……たとえ、どれほど手を伸ばしても届かない相手なんだとしても。
此処で逃げ出すわけには、絶対にいかない。
「──ぅ」
ぴくり、と指が動く。
大丈夫、まだ動ける、まだ戦える。
そう言い聞かせ、震える脚と逃げ出しそうになる弱音を押し殺し、ローランは立ち上がる。
「ん?──! まだ、立つか」
小さな小さな、虫のさざめきほどの呻き声を聞き逃さずに、トキリが足を止めた。
その声音にはやや驚きが混じっていて、その頑丈さ、或いはしぶとさに彼は素直に感心していた。
「……ふ、ふふ」
「余程の思い入れがあるとお見受けする。聞いても?」
「思い入れ、なんて大層なものじゃないです」
ゆらりと、幽霊さながらの立ち姿を月明かりの下に晒すローランが、ゆっくりと語る。
払うべき礼儀の段階を押し上げたトキリにとって、その様はやや恐ろし気に見えてきている。
「ここで立たなきゃ──漢じゃないっ!」
「……違いない」
魂の籠った啖呵に、トキリが口角を上げて応えた。
そうだ、彼はずっと、自分の在り方との戦いを繰り広げて来た。
ずっとずっと、彼は漢になりたかったのだ。
「ふぅ」
深呼吸を一つ、握った拳は右と左に一つずつ。
左の拳は正中線の前、右の拳はそのさらに前。
腰を落とし、顎は引いて、瞳は真っ直ぐに敵を見据える。
「随分と。戦士の顔立ちになったじゃないか」
紫の羽織を身に纏う鬼人は、琉球王国で何度目になるか分からない、評価の見直しを行う。
とはいえ、目の前の幽霊に対する評価の修正は、これまでの比にならないほどの大幅なものになった。
〈妖技場〉の一流選手を始めとする強者特有の、一瞬でも気を許せば首を取られるような狂気染みた気迫が感じられる。
「──行きます」
ローランは構えのままに一歩踏み出し、トキリの腹部を目掛けて拳を叩きこんだ。
先程までクリフと共闘していた時とは打って変わって、速度と重みのギアが数段階上がっている。
寸前、拳を掌で受け止めた鬼人の口角が上がる。
「ほう……!」
闘争の悦びを引き出され、鬼人もまた本能を自覚する。
兄の事情だとか、自分に対する行いだとか、全うするべき責務とか、その他諸々を放り出して戦い抜きたい手合い。
〈妖技場〉決勝での〈火炎神〉と殆ど同じ心境に至っている──或いは、その対戦相手とも共鳴しているかもしれない。
「え……?
あ……!」
ローランは腕を掴まれる可能性を考慮して一歩引き、自分で自分のスピードとパワーの上昇に驚愕する。
しかし、一拍遅れてその理由に思い至った。
「そっか、わたし、幽霊だから!」
彼は他の妖怪とは違い、全身が妖力で構成されている上に実体を持たない。
故に妖力の扱いについては群を抜いており、特別な訓練をせずとも妖力を実体化させて打ち出す妖力弾を習得している。
妖怪の超常的な力の源は妖力であり、トロンがナサニエルとの戦いで無意識に使っていたように、妖力の流れを加速させれば身体能力を飛躍的に向上させられる。
一度今わの際を見て自らの輪郭を強烈に意識したローランは、その手法に目覚めていた。
「だったら……!」
わくわくが留まらず、ローランは自分の身体の外縁をなぞるように意識を走らせる。
そうして集中力を高めている間にも、トキリの太い腕は頬のすぐ傍まで迫っていて。
「どぅらあぁ! ……何!?」
当たり判定の操作によって攻撃を躱されない様に横薙ぎにした腕が、何の感触も得られずに空を切る。
これまでの戦闘でローランが当たり判定の分断が出来ないのは把握しているから、十分な奥行きと高さを持つ横方向の攻撃ならば避けきるのは不可能の筈だ。
なのに手応えが無に等しいのは如何にも異常であり、クリフとの共闘時に隠し玉を残す理由もないため、何らかの強化が施されたと見るのが論理的。
「ふ、ふふふ……」
喉から空気を震わせ、ローランが自らの力に歓喜の吐息を漏らした。
彼が体得した妖術の操作を元より持ち合わせていた当たり判定操作に組み合わせることで、『妖力を用いて当たり判定の存在しない分身を生み出す』ことに成功した。
有り体に言えば、影分身である。
「小癪……!」
台詞だけは高圧的で鬱陶しそうなトキリだが、その実口調はこれ以上ないほどに楽し気である。
それもそのはず、生粋の武人気質の鬼人にとって、全力を出して敗れたものの一層強くなって自らの前に立ちはだかる敵、との戦闘に心躍らない道理が無い。
互いに戦闘への気迫が加速度的に上昇していく様は〈妖技場〉の戦士同士のソレに極めてよく似ているものの、不殺の結界が張られていない点を考慮すれば全く違うモノとも取れる。
少なくとも、狂気の段階が一つ二つ上に存在すると断言して差し支えない。
「楽しい、ですね!」
「あぁ、全く、困ったほどにな!」
心底嬉しそうな幽霊だが、その実思考能力はかつてないほどにフル回転を極めている。
分身を作り出して維持するだけでも並々ならぬ集中力を有するというのに、《侵食霊術》を応用した分身の操作、そして本体の身のこなしも同時に行わなければならない。
脳内物質がとめどなく溢れ、これまでの人生で感じた経験のない高揚感に後押しされて万全のパフォーマンスを披露できているが、ローラン自身も戦闘が長く続かないのは薄々理解していた。
いくら何でも並列思考の重ね掛けは綱渡りが過ぎるし、そもそも一度死の際を彷徨った程度には深刻なダメージを負っている。
実に、実に、実に惜しい。
「ふっ、てぇいっ!」
「……おらァ!」
分身を生み出して撹乱するローランと、その攻撃の一つ一つを見極めて捌くトキリ。
趨勢が早いテンポで入れ替わりながら、両者の攻防は続いて行き。
そのまま戦闘が続いたとしたら、順当に体力の有り余るトキリが勝利を収めるのは確実である。
「──せぇいッ」
だから、ここで幽霊は勝負をかける。
分身の内の一体、本体とは鬼人を挟んで反対方向に存在する一体にトキリが向いた時、ローランはありったけの妖力を込めた妖力弾を右手の平に生み出した。
<>(^・.・^)<いくらなんでも若い男女を同部屋で宿泊させるわけないんだよなぁ……()
※補足
クリフからのローランに向けた「レディ」呼びについて
最初は先鋒戦での呼び方を続けていただけだったクリフですが、短い期間であれど何度か顔を合わせるうちに、持ち前の察し能力で彼の性別を理解します。
とはいえあたかも女性のように振る舞っているのも事実、思い悩んだ末、クリフはローランの素振りを尊重することに決めたのでした。