其の三二 太陽と月の狭間、並び立つ戦士たち
<>(^・.・^)<タイトルの厨二病感すごくない?()
***
日が沈みつつある琉球王国の、更に陰りの濃い森の中。
空に浮かぶ雲の下半分が橙色に照らされ、上半分は黒く見える黄昏の空を、複雑な感慨を抱えて眺める男が一人。
「──」
紺色と深い桃色の装束に包まれた男の名はトキリ。
メリマツノカワラという、人間と女神との間に生まれたとされる鬼の妖怪である。
マジムンとしての目立つ特殊な能力を有している訳ではなく、ただ単純に鬼としての膂力を活かしてこれまで兄であるシャアラを裏表問わず支えてきた。
そんな彼だが、端正に整った顔立ちは悩ましげである。
「……これで、いいんだ」
何度も何度も、自分一人になった時間に繰り返した言葉。
言葉の意味を、迷いの正体を、彼の境遇を理解できる人間や妖怪は、彼を除けば一人も存在しない。
それこそ、実の兄でさえも。
「?」
〈妖技場〉ほぼ全域が見える位置で待機しているトキリだが、張り巡らせた妖力を感知するシステムに反応があり、出入り口を注視する。
程なくして現れたのは、闘志をみなぎらせた四人の妖怪たち。
身に纏う服装も、妖怪としての種別も妖術も、生まれ育った境遇ですら異なるその四人だが、顔は等しく凛々しさに満ちている。
その様は、何処かトキリとシャアラとの対比のように思われて。
(……俺は今から脱出しようとする輩を阻む。貴様たちは内部に侵入し掻き乱せ)
(了解)
雇った傭兵の二人に念話を飛ばし、自らは深く踏み込んで地を蹴った。
自分の行いが、敬愛する相手にとって最善の結果となると、自らに証明するために。
白九尾:トロン
俺たち四人は、〈妖技場〉の外へと一歩を踏み出した。
辺りはすっかり黄昏れで、すぐ傍にいる三人の顔が辛うじてはっきりと視認できる程度。
腰に提げた《透鳳凰》を何時でも抜けるように、その鞘と柄にそれぞれ手を置いた。
「来る」
ごく短く、それでいて何が起こるか簡潔に伝わる単語をリッパーダさんが発した。
それで察せられない程度の実力の妖怪は、この場には居ない。
人影が何処からか飛んできて両腕と両脚を使って着地したときには、全員が臨戦態勢を取っていた。
「錚々たる顔ぶれだ。だが、たった四人で俺を抜けられると?
俺は鼠一匹通さぬぞ」
屈んだ体勢からトキリが悠然と背筋を伸ばすと、深い青とピンクを基調とする装束の裾や袖が夏風に優しく揺れる。
どういうマジムンなのかは分からないが、少なくとも額の右側にある、怪しい紫と青に光る角はきっと考察をするうえで重要な手掛かりとなるだろう。
俺たち四人の内からリッパーダさんが一歩踏み出し、威厳ある声色で宣言した。
「突破してやるさ。俺は〈入道関〉、琉球王国でいっちゃん強い妖怪だぜ」
「……吠える分には咎めまい」
「なんっ」
「まぁまぁリッパーダ氏。ここでカッカしていても仕方ないさ。実演に移ろうじゃないか」
トキリの挑発的な言葉に沸騰しかけたリッパーダさんを、クリフが腕を伸ばして制止した。
終始冷静なクリフは、こういうところで凄く頼もしい。
「それじゃみんな、先ずは手筈通りに──散開だ!」
クリフの一言で、俺たちはいっせいにその場を離れた。
俺たちは蜘蛛の子を散らすように、トキリから一定の距離を保つように意識して円状に駆け巡る。
リッパーダさんと俺はそれぞれ持ち前の身体能力と風の妖術を用いて高速で移動し、ローラ先輩は幽霊らしくふわふわと不規則な動きで翻弄する。
そして他三人の立ち位置によって生じる最も大きな隙間を埋めるように、器用に立ち回るのがクリフだ。
トキリは全周を見回し、至って冷静な目つきで観察してくる。
「注意を逸らそうという腹積もりなのだろうが──言ったはずだ、鼠一匹逃さぬと」
一言宣告をしたかと思うとトキリは地面を蹴り、素早くローラ先輩の下へ接近する。
大きく開いた右手で、戦闘服の白無垢を纏ったローラ先輩の首筋を一直線に狙った。
けれど、その目標は達成できず、トキリの眉がぴくりと動いた。
「ふむ」
「ふ、ふふふ……!」
「面倒そうな手合い……こういうものは放置するに限る」
自分の右手をちらりと一瞥したかと思うと、トキリは標的をリッパーダさんに変更し其方に猛進し始めた。
信じがたいことだが、あの一瞬でローラ先輩の妖怪としての特性と、直接的な攻撃能力の低さを見て取ったようだ。
アメジスト先輩によれば兄のシャアラと共に各国を渡り歩いてきたようなので、そこでの経験値が凄まじいのだろうか。
「うんうん、そこまでは想定内」
偶々軌道が近付いたクリフが、俺にだけ聞こえるように小さく呟いた。
そう、確かにここまでは事前に共有した内容通りであり、まだ動揺するような時間ではない。
実際、接近されたリッパーダさんは、巧みな身体捌きでもって攻撃を避けている。
時間はかかってしまうものの、少なくとも実力の差で全員が押し潰される事態は発生しない。
そして、激しい肉弾戦を繰り広げる巨漢二人の間に、器用貧乏を一つまみ。
「──!」
俺は走り続け、トキリの背中が向いた瞬間に腰の《透鳳凰》を、抜刀術の要領で左手の鞘と右手の柄を同じタイミングで反対方向に動かし抜き放つ。
木々の陰りで夕日は遮られている筈だが、水晶のように透き通った刀身は何故だか淡い光を周囲に散らす。
なるべく音を立てない様に俺は接近し、左から右へトキリの脇腹を狙って切りつけた。
「見えているぞ」
「……後ろに目がある妖怪だったのか」
しかし《透鳳凰》は脇腹に到達する直前に食い止められ、俺の右腕の筋力ではそれ以上動かせなくなってしまった。
妖怪は妖術を自らの身体に纏うことでダメージを和らげることが出来るのは知っていたし、刃物であっても妖力を局所的に集中させれば防げるとクリフから聞いた。
言ってしまえば俺の攻撃はそもそも通用せず、俺が出来るのは軽口を叩くことだけ。
だが、仕事としてはそれで十分なのだ。
「ッらぁ! よそ見してんじゃねぇぞ!」
「ッ」
大きく引いたリッパーダさんの拳がトキリに飛び、トキリは直前に腕を交差させて何とか防御姿勢を取った。
土埃を立てて後ずさりしたトキリは、少しだけ腕を痙攣させた。
「いい仕事だトロン氏」
「応、任せてくれ」
再びクリフと擦れ違い、俺は自分のやるべき仕事を頭の中で反芻して確かめる。
俺が割り当てられた仕事は、適切なタイミングで他の誰かと交戦中のトキリを攻撃すること。
実力が最も高いと目されるリッパーダさんが中心となってトキリと拳を交え、他の面子は注意をとにかく分散させていく。
ただの殴打ではなく斬撃という攻撃手段を持つ俺は、より効果的にトキリの集中力を削ることが出来る。
じわりじわりと、仕込みを淡々と行い、俺たちは獲物を狩るためにただ一瞬を待った。
そして、リッパーダさんがトキリを足止めしている最中、トキリが周辺への視線を頻繁に飛ばすようになった。
「──チッ……!」
隙を見て襲撃するのは俺とクリフで、基本的にタイマンを張っているのはリッパーダさん。
ということは、最初に攻撃を交わしてから姿を隠し続けている妖怪がもう一人いるわけで。
殺傷能力は低いから、と見逃された後に持ち前の影の薄さと潜伏能力を遺憾なく発揮して、ローラ先輩は今の今まで息をひそめ続けていた。
その存在感を一息に解き放ち、先輩はリッパーダさんと戦うトキリの背後に位置取る。
「のこのこ現れたか!」
突如現れた先輩に向け、トキリは背後へと拳を横薙ぎに放った。
しかしそれを見越した先輩は、予め自らの当たり判定を弄って回避し、屈みこんで足を抑え込んだ。
「小癪!」
「ううっ」
とはいえ先輩の細腕では、妖力で力を増幅させても抑え込むのは難しい。
そこで、またしても俺の出番というわけだ。
ローラ先輩が姿を現すと同時に跳躍していた俺は大きく振りかぶった《透鳳凰》で、トキリを袈裟切りにせん、と迫る。
「やああぁぁぁっ!」
「効かぬわッ!」
ガキンと、まるで金属にでもぶつけたような衝撃が掌から腕を伝って俺に還元され、俺は《透鳳凰》でトキリと接触している点以外は浮いたまま、膠着状態に陥った。
踏ん張る足場のない空中では鬼の角のようなものを生やすトキリと俺との間には覆しようのない筋力の差があり、その競り合いも長くは続かない。
けれど、それでいい。
「──仕上げさ、《蔓枝編》!」
「ぬぐぅ!?」
俺とローラ先輩が対象の動きを少しでも止めれば、この場で最も拘束に長けた妖術を持つ奇術師が枝を這い巡らせる時間が生まれる。
クリフが全霊をかけて編み上げた黒と緑の蔓の網は、的確にトキリの関節を抑え込み、持ち前の筋力を十全に発揮させないようにしていた。
リッパーダさんの継続戦闘能力、ローラ先輩の隙を突く判断、適切な時間と位置に切り込んだ俺の斬撃、精緻に操作されたクリフの妖術、そして何よりこの場の全員が辛抱強く待った結果生まれた刹那。
そのどれかが欠けていたら成しえなかった脱走劇である。
右腕と左腕からそれぞれ異なった色の枝を伸ばし、額に汗を浮かべながらトキリを締め付けるクリフが、声を張り上げた。
「トロン氏、リッパーダ氏、急いでくれ! 拘束はしたが何時まで持つか……ッ!」
「ぬうぅうぅうぅううぅうぅあぁぁぁああ!」
そう言う間にも、トキリは激しく暴れて今にも拘束を解きそうになっている。
実際、クリフの枝は無数に枝分かれし続けているが、その速度が辛うじてトキリの抵抗による枝の破壊の数を上回っている。
だから、前もってシャアラの捜索に名乗り出た俺とリッパーダさんがこの場を離れ、クリフとローラ先輩が足止めを続けるのが当初のプランだった。
「こ、こっちは大丈夫です! お、追い掛けさせませんから!」
「──分かった。行くぞトロン君!」
「はい!」
作戦自体は上手く嵌まっただけに、その立案者であるクリフをこの場に置いて行くのは余りに惜しいが、彼女がいなければトキリに追跡され続けるのは自明の理。
頼もしい先輩の言葉を背に、俺たち二人は日が沈みだして暗く染まりつつある森の中へと駆け出した。