其の二二 見守り手
<>(^・.・^)<初手脳内会議
一面真っ白で、地平線までもが見えなくなりそうな世界で、二つの人影が向かい合っていた。
二人は目を閉じており、同じタイミングで目を開ける。
「ほら、やっぱりやめた方がよかったんだよ。キミが見たいって言うから見せたけど、トロン君に凄く負担だし……」
「確かに、辛かった」
先に口を開いたのは、至って平凡そうな少年。
背丈のほどは十代の半ばだが、学生服に隠れた肉体は意外にも筋肉質。
そんな穏やかな印象を受ける少年の向かい側に居るのは、『無垢』或いは『純粋』を形にしたような人間。
長い髪を無造作に垂らしながらもキューティクルが保たれており、肌もきめ細かく瞳は透き通る水晶のよう。
一糸まとわぬ真っ白な全身でありながら何処からか差し込む光を反射させ、髪の毛やまつ毛がきらきらと輝いている。
「でも、あいつなら、乗り越える」
「確かにそうかもしれないけど……でも、それはやっぱりトロン君の意思に任せるべきだよ」
「あいつ、気付いてない。だから、そのままだと、ずっと、知らないまま」
「……キミとしてはどっちがいいの? 知るのと、そのまま何も知らないで彼が生きるのと」
穏やかな少年が、慎重に言葉を選んで真っ白な少年に語り掛ける。
真っ白な少年は少し思案し、直ぐに結論を出す。
「あいつ、もう知ってる。全部はわかってない、だけ」
「そうだね」
「だったら、何で自分がそうなのか、知った方がいい」
「まぁ、それもそうか」
真っ白な少年の強い意志を感じ取り、穏やかな少年は異論を呑み込んだ。
反論はいくつかあったが、それはどれも彼の心の痛みだけを考慮したもの。
真っ白な少年に選ばれるに至ったほどに純粋な彼ならば、きっと自分が何者かを知りたがる。
自分自身であるはずなのに、外から来た真っ白な少年に理解を越されてしまって嬉しいやら恥ずかしいやら分からない穏やかな少年は、咳ばらいを一つして結論付けた。
「だったら、今後からこっちが無理矢理引き出すのは止めようか。彼が心のどこかに引っかかりを感じた時に、そっと背中を押す方向で行こう」
「ん。そうしよう」
二人とも納得する方針が立った彼らは、一先ず元居るべき場所へと戻っていく。
今の彼らがいるところは、余りにも表面に近すぎる。
またしても猫の鳴きまねで難を逃れようとする、というのは平凡な少年にとってはごめんだった。
自分が背負うべき責務を肩代わりさせてしまっているのが心苦しい、という理由もあった。
「──ごめんねトロン君。それはキミの罰じゃない」
白九尾:トロン
「ッはァッ!」
酷い悪夢から覚め、目を開き勢いよく上半身を起き上がらせる。
動悸が酷い、頭痛がする。
口の中の渇きが尋常じゃなく、適度な冷房を聞かせている室内で寝ていたのにベッドが汗で湿っていた。
「──先輩は」
「すぅ……」
大きな音を立ててしまって、隣のベッドで眠っているローラ先輩に悪かったかと思ったが、先輩は心地よさそうに寝息を立てていた。
昨日の夜、宴会から疲れて帰ってきてシャワーを浴びるや否や眠ってしまったくらいだから、相当に疲れが溜まっていたのだろうか。
「ッ」
駄目だ、頭痛と眩暈で思考がままならない。
取り敢えず、もしもの時の為に持ってきていた体温計で熱が無いか確かめる。
グラスに水を注いで一口喉を湿らせてから脇の下にソレを差し込むが、ピピピと示す数字は平熱の範囲に収まっている。
関節の痛みや腫れが無いことから発熱しているわけじゃないのだと思うが、調子が悪いことには変わりない。
ともかく、今はまだ夜明け前。
慣れない土地で屋外にいた時間が長かったから俺も疲労がたまっていたのかも知れないと結論付けて、もうひと眠りすることにした。
「ふう」
タオルで軽く汗を拭きとり深呼吸をして、感覚を意識的に頭からつま先へと移動させていく。
シンミとの修行で掴んだ、瞑想で自己の内側を見つめて身体の隅々まで意識を張り巡らせる方法の一つ。
ベッドに横たわった俺は、未だ覚めていなかった眠気のままに、打ち寄せる波音に耳を預けて眠りに落ちていった。
「お、おはようございます~」
「ん……」
それから二時間ほど経ち、ローラ先輩の声掛けで俺はまた目を覚ました。
今度はうなされなかったようで、寝汗は引き喉の渇きもそれほどじゃない。
念のためまた体温を計ろうと体温計に手を伸ばすと、ローラ先輩が不思議そうに首を傾げた。
「ト、トロンさん体調よくないんですか?」
「いや、そういう訳じゃないんですけど、ちょっと夕べ寝付けなくて。それで睡眠不足で熱が出たりしたら、今日大将戦なのにやりきれないでしょう?」
「た、確かにそうかもしれないです、ね!」
納得した様子のローラ先輩が、シャワーを浴びに着替えを手に取って扉の向こうへ消えた。
部屋に備え付けのシャワー室は防音性が高く、外側から水音は聞こえない。
だから、きっと俺の独り言もローラ先輩には聞こえないだろう。
「……何なんだ?」
夢の中で見た景色に、既視感はない。
なのに、懐かしさは確かに感じた。
綿貫家の庭園で、ファースト探偵事務所の扉の目の前で、そしてアウトレットパークでトットーを追い掛けて、何度か落ちた意識の底。
眠っているときに訪れるのは初めてで、心構えが出来ない分これまでのどれよりも質が悪いと言えるかも知れなかった。
「布留」
夢の中で傍にいた人の名前を口に出す。
──駄目だ、聞き覚えはあるのに、余程大事な所にしまってあるのか関連情報が全く浮かばない。
二度寝をしたからか、夢の記憶は網膜に焼き付いている分と女性の名前だけ。
あのおどろおどろしい海と砂浜を見てしまうと、今部屋の窓から覗く絶景ですらもうすら恐ろしく感じられて、軽く身震いをした。
「……ト、トロンさん。お先にシャワー失礼しました」
「先輩」
「あの、やっぱり具合よくなさそうです。顔色が、その」
「……あはは。まあ大丈夫ですよ。それより俺もシャワー浴びてきますね」
柄にもなく笑って誤魔化し、腰掛けていたベッドを軋ませてシャワー室へ向かった。
とにかく今日は乗り切ろう、サミハの戦いを最後まできっちり目に納めるんだ。
「あれ?」
シャワー室から出て来た俺の視界に入ったのは、浮遊するローラ先輩でも朝日に照らされる琉球の景色でもなく、客室の窓辺に横たわる一振りの刀の姿。
柄の先には最初に受け取った時よりもかなり大きくなった水晶玉がくっつき、鞘から半透明な帯状の何かが漏れ出すソレは、間違えようもなく《透鳳凰》だった。
「どうして……?」
「──」
ぼそり、と口に出す俺の声はあまりに小さく、ローラ先輩は気付かず今日のスケジュールに目を通したまま。
俺の脳裏には、サミハもとい<火炎神>とのデビュー戦後に見た景色が広がっている。
あの時、俺に話しかけてきたのは確かに《透鳳凰》の筈。
綿貫邸に置いてきたはずの《透鳳凰》が何故ここに、という疑問はあったが、正直まだ頭痛の残る脳みそでまともな思考が出来るとは思えなかった。
「……取り敢えず入れるか」
窓に手を掛けて開け、《透鳳凰》を手に取った。
ずしりと重い感覚は寝起きの俺には少々厳しかったが、何とか引き摺らずに室内に持ち込む。
そのままベッドの上に置いておき、俺は最終日故の荷造りを始めた。
俺とローラ先輩の心配は杞憂に終わり、〈妖技場〉に到着した頃には快調に戻っていた。
ホテルを撤収するための荷造りや最終日である今日の段取りの確認など、諸々頭を使う作業が多くて考え事をしている余裕がなかったのが助け船になったかもしれない。
「いっちにー、さんしー」
「気合入ってんねぇ」
「ほんとだね」
屈伸や伸脚を繰り返して準備体操をするサミハを、シンミ・奏と共に控室の入り口から覗く。
昨日俺がシンミのアップに付き合ったように、今朝はシンミがサミハの模擬戦の相手をしたらしい。
「今朝もそうだったのか?」
「そーそー。昨日のお前の試合が良かったから、力が籠ってしょうがない、ってさー。ほーんといつも振り回す人なんだからさー」
唇を尖らせて不満を表すシンミだが、その実内心は赤くなった頬と後頭部を掻く手が示していた。
姉に褒められて素直にうれしいのだろうが、いつもそっけなくしている為に率直な反応を返すのが気恥ずかしいのだと思われる。
昨日からまだ少し弱ったまま、というのもあるかもしれない。
「──お? おーおめーら、居たんなら声かけろよなぁ」
「あぁおはようサミハ。ちょっとシンミが疲れたって言ってて」
「ほーん? まーいーか。そーいやー、リダのヤロー見なかったかー? 昨日の試合良かったからよ、アイツにもアタシの大将戦、見て欲しーんだわ」
「リダさん……?」
手首を掴んで腰から上を傾けつつ、サミハが言った。
サミハが宴会の席でリッパーダさんのことをリダと呼んでいたのを思い出した俺とシンミは、互いの顔を見合わせる。
奏は一瞬リッパーダという人物が何者なのか理解が及んでいなかったようだが、話の流れで昨日の<入道関>のことだと察したようで、首を傾げる。
「見てないな」
「あたしもー」
「わたしも、みてない」
「そっかー。どーせ来るたぁ思うけど、いちおー探してきてくんねーか? 対戦相手がどんなやつなのかも知りてーしな」
サミハの頼みを受け、俺と奏、そしてシンミの二手に分かれてリッパーダさんの居所を探す。
琉球王国全土で探すとなるとかなり範囲が広くなるが、〈妖技場〉の島に限ればそこまで大変ではないだろう。
俺とシンミは風の力を使えるから、機動力に長けていて人探しに向いているし、探偵事務所と《宝石団》のノウハウも活かせるはずだ。
捜索を始めて直ぐに、〈妖技場〉の中で見かけたクリフさんから有力な証言を頂いた。
「リッパーダ氏かい? 残念ながらワタシは見てないね──あぁそういえば、今日はあの日だったっけ? となれば裏手の森にいるんじゃないかな。詳しい事情は本人に聞くといいさ。ワタシはこれからレディとおしゃべりに行くのでね……」
ひらひらと手を振って去っていくクリフさんの背中に感謝を述べて、俺達は〈妖技場〉の外へ出た。
琉球王国の王家に伝わるメロディを口ずさむセルゥと初めて出会った、あの森だ。
森だと分かったのはいいが、それはそれで遮蔽物が多くて視界が良くない。
取り敢えずシンミにもその情報を伝え、俺達が森を捜索するから暫くして心当たりを回ったらシンミも森に来るように頼んだ。
「──いた」
そして、いざ探してみると案外簡単に見つかった。
目を閉じて掌を合わせるリッパーダさんの傍らには同じ姿勢を取るセルゥもおり、彼らの前には上から小さい順に石の塔が築かれていた。
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