Episode of Devils ~妖怪達の話~《Toron, SUMMER》
「ん……んん?」
肌を撫ぜる湿り気と陽気な鳥の声で、落ちていた深い眠りから引きずり出された。
未だ回り切らない頭で、俯いていた視界の情報を取り入れていく。
「砂……か?」
足に纏わりつく感触が神経を伝わって嫌な感じがする。
足の指と指の間にモノが挟まると不快感がするのは自分だけだろうか。
寝覚めの悪い状況に置かれたのに対してどこか苛立ちながら、少しずつ瞼の開く角度を大きくしていった。
「海」
首を上げて目に入ったモノを、そのままポツリと口に出す。
でも、なぜ自分が海にいるのかとんと見当がつかない。
尻を置いているのがシートの上というのは分かるし、砂浜に差されたパラソルの陰に入っているおかげで肌が焼ける感覚がないのも理解が出来る。
状況については分かっても、経緯が全く分からない。
そんな俺の斜め上方から声が掛かる。
「新クン、調子どう? 元気よさげ?」
「──布留か?」
「わたし以外に誰がいるってのさぁ」
目覚めた直後だから視界が明瞭にならないが、けらけらと笑っているのが分かる。
俺を見下ろすのは五月雨布留、簡単に言えば腐れ縁の女友達だ。
一年の頃に布留のオタク話に付き合っていたら気に入られたらしく、二年に進級した後も頻繁に話しかけにくる。
俺もそんなに悪い気はしないし、寧ろ助かっている側面もある……他の友達がいない訳じゃないよ、いない訳じゃ。
「いやごめん、ちょっと頭痛がしてさ」
記憶が徐々に戻り、俺がどうしてここに居るのかに理解が及んできた。
「だいじょうぶ? 部活も忙しいだろうし、無理してこなくてもよかったんだけど」
「そこは俺の意思で来てるから安心してくれ。何なら前日楽しみで眠れなかったくらいだ」
今は夏休み。
俺は布留の好きなコンテンツ『刀剣論破』のアンテナショップに行きたいと懇願され、着いて行くことにしたのだ。
そしてそのまま解散は少々もったいないと話し合い、折角だから近場の海水浴場に行こうという計画になった。
朝一でアンテナショップ開催初日に見て回り、グッズを買い溜める布留の背中を眺め、荷物を駅のロッカーに預けて海に来ている。
「えー、何それ! そんなに楽しみだったのかいうりうり~」
「なんだかんだで話聞かされてたからな! あれだよあれ、単純接触効果、ってやつ」
「なんそれ?」
「見るタイミングが多いものにはポジティブなイメージを持ちやすいってことだよ。例の無双ゲームも楽しかったし」
「そ! れ! な!」
ずいっと顔を寄せる布留にぎょっとして思わず顔を逸らした。
夏の暑さだけじゃ説明できない顔の熱をバラしたくなかった。
そんな俺の意図は伝わっていないのか、布留は相変わらずの熱量で好きなジャンルを語り始める。
「いやほんとにそうなんだよね! 私も新クンに貸すまでに五回はやったんだけどさ、途中で立てたフラグに対応してエンディングがすんごく大きく変わるんだよね! 特にあの、第三章四つ目のミッションをクリアする時間によって、同じ展開でも全然違う解釈が出来るのほんとすごくて死んだよねぇ!」
「死ん……? まあ確かに凄く凝って作られてたよな。いわゆるキャラクターゲームみたいにストーリーとかゲームのシステムとかが手抜きじゃなくてしっかりしてた」
語りの調子がいつも通り過ぎて、熱されていた俺の顔も通常に戻る。
彼女の言葉一つ一つを受け取ったのを示したくて、率直な感想を応えるようにしてぶつけた。
すると布留の顔は、直視できない程に一層輝きを増す。
「流石新氏、分かってるぅ!あのシステムって実は製作元のよくあるタイトルを参考にしたものらしいんだけど、『刀論』の原作者様がシリーズ開始前に構想してたシステムをそのまま実現したんだって! いやぁそこに気が付くとは流石新クンだよ!」
「お、おう。嬉しいけど落ち着いてくれ!」
熱の籠りすぎた弁舌に周囲の目線が集まってきたのを感じ取り、慌てて落ち着かせて座らせた。
海開きからそう日の経っていないタイミングで人でごった返す海に来たのを若干後悔したが、座らせるのと同時に気が付く。
俺は裸足で、つまり水着姿で砂浜に座り込んでいる。
となれば当然、隣に腰を落とした布留もまた、砂浜に最も似つかわしい服装をしているわけだ。
「ごめんごめん新クン、つい熱くなっちゃって……」
「いや、それはいいんだけど。流石に人が多いからさ」
即ち、水着。
当たり前だけど女の布留は女性用水着を纏っていて、そのデザインはワンピース型の上半身を全て覆うタイプのもの。
体育の授業では同じプールで水泳の授業があったから目に入ることもあったのだが、中学生になってから男子と女子で別々に水泳の授業がされるようになったから、ここまで近くで見た経験がなかった。
同級生の中でも女性らしい体つきの布留が身体のラインがくっきり出る水着を着ているだけでも、俺には刺激が強すぎた。
再びしどろもどろになった俺を、今度は様子がおかしいと思った布留が覗き込んだ。
「どうしたの新クン? さっきからなんか変だけど……怒ってる?」
「え、は? なんでそうなんだよ」
「だって、最近学校であんまり話せてなかったから……」
そう言われて思い返すと、確かに一学期の終わりごろは布留と話すタイミングがあまりなかった。
どちらからともなくそうなったけども、俺の方が布留に話しかけに行かなかったのには理由がある。
学年が上がっても同じ女子と話しているのが気恥ずかしいというみみっちいプライドがあったのが一つあるけど、もう一つ大きな原因がある。
「た、たしかにわたしも悪かったよね、ずっと他の子と話してたし」
「確かにな」
「はぅ」
「でもなんか、ちょっと誇らしかったよ俺は。布留はもっといろんな人に好かれる性格だと思ってたから」
一学期の真ん中あたり、我らが中学校は遠足がある。
遠足の班で一緒になったのをきっかけに、布留はクラスメイトの女子と仲良くなったのだとか。
俺は別の班で当たり障りなく過ごしていたから、遠足中に女子と話している布留の様子が正直心配だったけど、その次の日の学校で楽し気に話されて驚いたのを覚えてる。
テンション上がりっぱなしで俺に会話の中身を教える布留の姿は、前日の夜までチャットで不安がっていた布留とは別人のように見えたっけ。
「ずっと他の人と話すの怖かったんだよな? 緊張しないで話せる人が何人もいるってのは大事だろ」
「新クン~」
「のわ!」
隣から両腕が巻き付こうとしてくるのを必死に避け、驚いて飛び出しそうな心臓を抑えた。
一方で布留は目論見が失敗してうつぶせに倒れ込んだかと思うと、むくりと起き上がって唇を尖らせていた。
「っかしーなー、みんなこうしろって言ってたのに……」
「何の話だよ! いきなりそんなんされたら心臓飛び出るわ!」
「え~?」
「分かんだろ!?」
「分かんないな~」
今度は肩に重みが加わる。
一度抱き着かれかけたから、今度はさっきに比べて落ち着いているのを感じる。
耳にごく近い距離で、布留が声を小さくして囁いた。
「でも、わたし新クンには感謝してるんだよね」
「な、なんでまた」
「わたしはわたしでいいんだ、って思えたから。まだまだ他の子とお話しするのは手探りだけど、でも新クンが近くにいるから頑張れる」
「……そっか」
そう言われると悪い気はしない。
誰かのためになれたのは素直にうれしいし、それが一年以上の付き合いの布留となればひとしおだ。
肩越しに伝わる体温に、感覚をゆだねる。
夏の暑さで身体は冷たさを求めているけれど、それよりも何よりも布留の体温が──
「──はぁ。で、結局何がしたいわけ? その場その場で適当なこと言っちゃってさ。人に好かれよう、嫌われない様にしよう、って薄汚い魂胆がこれでもかって主張してくんだけど」
なくなった。
異変を察知した俺が声の方を向くと、其処に会ったのは黒い渦。
幼稚園児が黒いクレヨンで画用紙を塗りつぶしているような真っ黒で乱雑な塊が、さっきまで布留だったナニカの顔の部分に張り付いていた。
「ほら、ようやくちゃんと見た。言葉を受け取るだけ受け取って、自分は相手に向き合いすらしないまま。そんなんで救われた積り? それで自分が傷付きそうになったらようやくコトの深刻さに気が付くなんて、可笑しすぎて反吐が出そうだよ」
「え……ぁ……」
何なんだ此奴は、コイツの言っていることは何もかも──
「何もかも分からない、とか言っちゃう? いいねぇいいねぇ、そこまで行くと最早清々しいよ。最初ッから分かろうとなんてしてないんだからさぁ!」
「あぅ、あぁ……!」
分からない、分からない、分からない。
分からないのに、頭が割れるように痛い。
砂浜が蠢き揺らめく炎のように俺の身体を炙るのが幻なのか、海が盛り上がり此方を呑み込まんと巨大な口になっているのが気の所為なのかも分からない。
「分からない、分からないぃ……!」
「五月蠅い。考えろ。お前は考える事しか許されていないんだ」
日差しと砂の熱と正反対に、突き刺さるように冷たい声音が黒い渦から響く。
空の色は赤と黒と黄色が練り込まれたようになっていて、海もまた青と紫と桃色が決して混じることなく動き続けている。
「考える……っ?」
「そうだ。自分本位の烏滸がましい考えを捨てろ。誰もがお前の味方だと思うな。決して赦されない己の罰を抱え続けて、死ぬまで苦しみながら考えろ」
自分の内側から聞こえるのか、外柄から入り込んできているのか分からない言葉。
けれどそれは不思議と、欠けていた心の隙間をこじ開けるように、違和感なく滑り込む。
「また来る。お前の罰が完了するまでな」
その宣告を最後に声の主は消え、俺の頭痛も鳴りを潜める。
正確には、意識を失い頭痛どころの話ではなくなってしまった。
海に呑まれた俺は、茨だらけの大穴を転がり落ちるように、意識が深く、深く沈んでいく……
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