其の一八 雲を衝く巨人VS空を裂く烈風
「潰れんじゃねぇぞ!」
振りかぶった右の拳を[憂郎菩呂統]目掛けて叩き付けるも、ちょこまかと動く相手に[入道関]の拳は空を切る。
[憂郎菩呂統]の衣装はタイトなもので風に揺れる部分は殆どないのだが、ほぼ水平にたなびく黒髪がその機動力の高さをよく表していた。
もっとも、〈妖技場〉の結界に内部と外部の妖力を遮断する効果のほかに、やや内部の動きを遅く見せる機能が無ければ観客の多くはソレを捉えられなかったろう。
長い鼻の覆面の下で、[憂郎菩呂統]は至って冷静に思考を重ねていく。
(今の拳にも妖力は籠ってるのを感じたけど~、それでも最初の全身に満ち満ちるような瑞々しさみたいなものは見て取れない……やっぱり本体は別でいるのかな~?)
ズシンと地響きを起こした拳だが、最初の立ち合いで直に拳を交えた[憂郎菩呂統]はその差異にしっかりと気付いていた。
感じ取れる妖力は雲の肉体が境域転写ではなく妖術で作り上げたという事実を示しており、肉体そのものが巨大化したわけではないのも殆ど確定。
であるならば、と[憂郎菩呂統]はその『殆ど』を排しにかかる。
「オラオラオラァ!」
「随分野蛮だねぇ」
突き出した右腕を引き戻すと同時に巨人は身体を捻り、踏み込んで水平に左腕で空気を薙いだ。
雲に質量などあるはずもないが、妖力が込められればそれは堅牢な〈妖技場〉の舞台に傷を付けるまでの代物に昇り詰める。
まともに喰らえば熟練の闘士である[憂郎菩呂統]も無傷とはいかない。
「大振りな分動きは速いけど……私に見切れない速さじゃないね」
断言した[憂郎菩呂統]は左手にヤツデの葉型の団扇を握りしめ、空中で側転の構えを取る。
言葉通り迫り来る巨人の腕の軌道に合わせ、彼女が反時計回りに回転して左の掌を置いた。
瞬間、団扇から猛烈な突風が吹き渡る。
「≪迅風≫!」
「ッ!?」
圧縮された風の流れが鎌鼬を生み出し、風の刃が雲を斬る。
ズバ、ともボッ、とも取れる斬撃音を轟かせながら、唐突に胴体との繋がりを失った巨人の左腕が舞台上へと慣性を保ちながら自由落下する。
『ウ、[憂郎菩呂統]、[入道関]の左腕をぶった切ったぁ! 何と軽やかな身のこなし、そして動体視力! 風の刃の切れ味もさることながら、流れるような動きにワタクシ感激!』
「チ……」
苦々しげな表情の雲の巨人が、ただでさえバランスを取るのが難しいのに胴体の半分近くの太さを誇る腕の肘から先を失って体幹を崩す。
しかし其処に苦痛はなく、切り落とされた左腕も拳が原型を留めずに綿をぶちまけたような姿となっている。
着地して綿となった雲の山を一瞥した[憂郎菩呂統]がにやりと笑う。
「思ったより軽かったねぇ、中身詰まってないんじゃないの? ちゃんとご飯食べてる?」
「……ヤロウ、言ってくれんじゃねぇか、あぁ?」
雲の巨人は左腕の断面からボコボコと拳を再生させつつ額に筋を浮かべた。
一方で[憂郎菩呂統]は顔色ほど内心に余裕はなく、寧ろこれからどう攻めたものかと思案していた。
(やっぱり中に本体の入ってない部分を切ってもしょうがないか……ダメージないっぽいもんねぇ)
仮に雲の巨人全体が[入道関]の肉体であれば、腕を斬られて重心を崩される程度で済むわけがないし、肉体が溶けて原型を失うのもおかしい。
これらを踏まえれば、雲の巨人は本体が鎧のように纏っただけのもので、拳が解けたのは本体とのコネクションを失って制御が不可能になった、と結論付けるのが妥当なところだ。
ここに、先程の『殆ど』は可能性の内から除外された。
であれば次に問題なのは、本体が何処に居るか、となる。
(取り敢えず、腰辺りに攻撃を仕掛けてみるかな~)
本体の位置が割れていないのなら、自分の手数で追い詰めるまで。
大きく分けて本体が入れそうなのは、頭、両腕、両脚、そして胴体のどこか。
取り敢えず腕は容易く斬れるということを示したため、腕に籠るという判断はしないだろう、と踏んだ[憂郎菩呂統]は最も厚みのある胴体に次の狙いを定めた。
仮に胴体に本体がいなかったとしても、上半身と下半身に切り分けてしまえば、それぞれ移動と攻撃を暫くは封じられるだろうし、その時原型を留めていた方に本体がいると確定する。
我ながら冷静に頭が回っている、と改めて自画自賛する[憂郎菩呂統]であったが、その目の前で左手の生え変わりを完遂させた[入道関]がまた一つ四股を踏む。
「またなの? 足癖が悪いのかなぁ?」
「抜かせ。しょっぱなから飛ばして跡形もなく吹き飛ばしちまったら悪ぃだろ?」
四股を踏む、それは[入道関]のルーティンの一つ。
身体全体を統制する運動の四股で感覚を掴むのは、毎試合どころか毎朝彼が行っている習慣である。
通常なら、観客が目に出来るのは試合開始前と<朝比奈>の力を使い雲の巨人を形成する際の二回だけ。
三回目の四股を目に出来たのは過去にも例が少なく、直近ではチャンピオンの座を譲らざるを得なかった先日の試合くらいだ。
先程出方を窺って目の前でパワーアップされてしまったため、今度の[憂郎菩呂統]は握りしめたヤツデの葉の団扇に風を纏わせた。
「だったら悪いけどぉ、こっちももう手加減しないよ~」
「やれるもんならやってみやがれってんだ──≪独場所≫ォ」
雲の巨人は四股を轟かせた時とは打って変わって静寂に包まれる。
観客席も謎の圧迫感に気圧されて生唾を呑んだが、そんな中で動きを止めない闘士が一人。
その女性は黒い長髪をたなびかせて巨人に接敵し、纏わせた風を一息に解放した。
「≪迅風≫!」
[憂郎菩呂統]は風の推進力と踏み込みを交えつつ、刀で切り払うかのように鎌鼬で腰を斬る。
左腕を切り落とした際にはなかった腕の振り抜きが加わり、極限まで押し固められ高速で放たれた斬撃は、確かに腹から背中まで雲の巨人の胴体を切り裂いた。
肉眼でそれを捉えた[憂郎菩呂統]は、次は上と下のどちらの半身に本体が逃げ込んだのかを推し測ろうとして振り向いた。
「う、っがぁ!?」
振り向いていなかったなら、襲い来る腕に気が付かず受け身を取って勢いを殺すのも間に合わなかっただろう。
それでも彼女の身体は軋みを上げており、体内で骨が悲鳴を上げているのが自分でも分かる程だった。
チカチカと火花の散る脳が伝えるのは、自分が横合いから強い衝撃を受けたという信号。
横っ飛びに転がり、何とか舞台上で勢いを殺しきった[憂郎菩呂統]が目にしたのは、此方に向かい真っ直ぐに突き出された掌だった。
「え、は?」
「ほほう! オレの≪カミナリ張手≫を受けきったか! いいねぇ、そうでなくちゃなぁ」
声が雲の巨人の向こう側から聞こえてくる。
そう、踏み込みと同時に≪迅風≫で切り捨てした[憂郎菩呂統]は、上部と下部との間に開いた空間から巨人の背面へと移動したのだ。
そんな彼女に、指先を天に向けた掌底を放てるわけがないのだ。
背中にもう一対腕を生やしたりしない限りは。
「そういうこと~……」
流石に余裕のなくなってきた[憂郎菩呂統]が軋む体を奮い立たせて立ち上がる。
考えてみれば当たり前のこと、そもそも雲の巨人を形作るのが[入道関]の妖術なら、人間以外の形に整えられてもおかしくはないのだ。
だから、今彼女を正面に見据え腰を下ろす雲の巨人の背中から新たに二対の腕が生え、そこから樹上に腕が分裂していても、それは妖術で可能な変形の範囲内。
鍛え上げられた肉体、優れた動体視力と決断力、敢えて肉を切らせて骨を断つ胆力、そして何より圧倒的なまでの質量攻撃。
それこそが、琉球王国〈妖技場〉の翳りの帝王[入道関]を帝王たらしめていた全てである。
翳りの帝王はこの試合を踏み台に自らの敗戦という名の雲を晴らし、再び頂点へと昇り詰める腹積もりであった。
そう考えるというのは、取りも直さず目の前の対戦相手が実力を証明するに足る相手だと既に認めているという事実を指すのだが。
「試合開始前にここらに水持ってきてくれたからな、御陰で雲作りやすくて助かるぜ」
ただし、[憂郎菩呂統]にも自負がある。
所属する〈妖技場〉の代表として選出されたこと、更に副将という立場に据えて貰ったこと。
それだけでなく、師匠として弟子に最後まで手本を見せなければならない、という強い責任感がある。
決意を改めた彼女がちらりと目線を向けたのは、特別観覧席で固唾を呑んで見守っている白い九尾の狐の少年の姿。
今度は膝の上に自らの主を座らせている彼だったが、その時彼女は彼の口の動きに気が付いた。
出場前から闘士と知り合いの者は素性をぼかす絡繰りが機能しない。
故に狐の少年は迷いなく口に出せたのだ、「格好いいぞシンミ」、と。
「……ふふ」
思わず笑みが零れる。
戦いの最中に、それも此方を仕留めようと準備している相手の前で笑うのは不謹慎だと分かってはいる。
それでも、全身を活力が巡ってしまい、笑わなければどうにかなってしまいそうだった。
自由な風のような身のこなし、飛行だけでなく鎌鼬まで発生させる妖術の出力と統制力、咄嗟の判断を間違えない戦いの経験、そして何よりも逆境にこそ燃え上がる闘志。
それらすべてが[憂郎菩呂統]の今にも崩れそうな膝を保たせる。
「ま、サービスだと思ってくれていーよ。全部細かぁく切り刻んでもいーんでしょ?」
「──抜かせ」
互いに互いの迫力を感じ取り、背筋をぞわりと震わせる。
決着の時までは、そう遠くない。
<>(^・.・^)<次週、決着