其の一七 副将戦
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実況の合図を聞き届けると同時に、二人は互いを標的に接近を開始する。
[憂郎菩呂統]ことシンミは持ち前の風の妖術で踏み込みの加速度を増幅させる。
[入道関]ことリッパーダは純粋な身体能力で床を踏みつけた。
「ふんっ!」
「らあっ!」
[憂郎菩呂統]の回し蹴りを[入道関]の左腕が受け止め、飛んできた右拳のカウンターを[憂郎菩呂統]が扇と風の力で受け流す。
[憂郎菩呂統]の高い技術と[入道関]の動体視力、そして両者の先読み能力の高さが遺憾なく発揮される立ち合いに、思わず誰もが息を呑んだ。
けれども均衡は長くは保たなかった。
するりと身体をくねらせて舞うように背後に回った[憂郎菩呂統]は再び脚を振るい、[入道関]の足元を払った。
「ぬ、ぐっ」
「確か、相撲取りは転べないんだよ、ね!」
それだけなら人並外れた体幹を持つ[入道関]にはさしたる効果は見込めない。
ただ、其処に[憂郎菩呂統]の緻密かつ強力な風による後押しがあれば話は変わる。
ぐらりと重心を崩された[入道関]の身体はぐるりと回転し、仰向けに倒れていく相手にすかさず[憂郎菩呂統]は追撃の突風で床へと叩き付けた。
「……舐められたもんだ!」
それで地に伏すようでは〈妖技場〉のチャンピオンなど張れはしない。
頂点としての自負を両腕に籠め、[入道関]は腕のバネだけで跳びはねてみせた。
自己の認識を越えた動きを披露した[入道関]に[憂郎菩呂統]が呆気に取られる間に、彼はバク転で少し距離を取った。
「はぁ!?」
「肉体こそ最後に信じられるもんだ、妖術一辺倒じゃ足元掬われんぞ!」
「っ、言ってくれる……!」
言葉の応酬に沸き立つ観客。
一発で勝利するなどという自負は毛頭なかったものの、[憂郎菩呂統]はそれなりに手ごたえがあった。
というより、これまで戦ってきた相手でこのコンボを無傷で切り抜けた者の方が少なかったのだから、
『お、おぉぉぉぉおおお! 素晴らしい、素晴らしい立ち合いだ! ここ一年でもなかなか見られない白熱した技と身体のぶつかり合い! 寸分たりとも目を離せないぞぉ!』
実況のコメントが拍車をかけ、ギャラリーのボルテージが一段階上がる。
けれど渦中の二人の頭脳は至って冷静に、自らの勝利への道筋を組み立てていた。
「……」
[入道関]は対戦相手の実力と手札に見当を付け始める。
先ず試合開始前のパフォーマンスや流れるような身体捌き、そして床へ叩き付ける技を考えるに[憂郎菩呂統]が風の妖術を使っているのは確実とみていい。
そこで思考誘導をして実は風の妖術ではない、とするのなら、先程の足払いで発動して一気に試合を決めにかかるべきだ。
そして他の妖術を使う気配はなく、天狗の見た目でヤツデの葉を模した扇を持っている点からも他の妖術を保有している可能性は低い、と推測が立てられる。
体術や身体能力だけで考えれば、今の自分と大差ない、と結論付けた[入道関]は自分の妖術を発動させる決意を決めた。
「それじゃやるか! よぉく見てろ!」
高らかに宣言し腰を落として、上半身を斜めに傾けて肩幅より大きく広げた足の片方を持ち上げる。
そして再び、副将戦開始前に見せたように力強く四股を踏む。
地響きと身体を突き抜ける迫力に、[憂郎菩呂統]は二の足を踏んだ。
速度に優り翻弄を得意とする彼女は先手を取るアドバンテージが大きいのだが、それを許さない気迫が[入道関]から放たれ、まるで巨人を相手にしているかのような錯覚に襲われてしまった。
怪我をしても治る保証のある〈妖技場〉だからこそ、彼女は命のかかった状況で前に進む時の心境にはなれなかったのだ。
「これなるは我が妖術、そして我が存在そのもの! 天を衝く巨人[入道関]たぁ俺のことよ!」
腰を屈めて腕を広げ、何かを受け止めるような姿勢を取るその姿は、[入道関]という名に相応しく勇猛な力士を彷彿とさせる。
何をしようというのかと出方を窺っていた[憂郎菩呂統]の視線の先で、[入道関]の肌や着物から何か白くふわふわしたものが染み出してくる。
それはまるで、夏の青空を彩る、高く高く積み上がった入道雲のように[入道関]の身体を覆って渦巻きを作り上げる。
「なに……!?」
『来た! 来た来た来たァ! [入道関]の本領発揮だぁ!』
実況の様子から、この白い何かは決して破れかぶれの博打などではなく、きちんとした勝算に基づく一手であると理解した[憂郎菩呂統]は、手持ちの扇を振るって白い靄を吹き飛ばそうと試みた。
けれどもやはりと言うべきか、靄は風を受けて押し流されるものの大して手応えは得られず、そう時間の経たないうちに[入道関]の下へと集合する。
有効打が与えられないと察した[憂郎菩呂統]が距離を取るため後退する判断を下すのに、そう時間はかからなかった。
数秒が立つ頃には、腕を翳して顔への攻撃を警戒する[憂郎菩呂統]を舞台上に浮遊する白い何かが見下ろしていた。
「何あれ? 綿あめみたいな……」
綿あめと称するのも納得な外見の白い浮遊物はふわふわとうねりながら形を整えてゆく。
ただの白い塊から、下方に二つ、左右に一つずつ突起が現れ、上部もボコリと大きく持ち上がる。
下方と左右の突起はそのまま長さを増し、最終的に出来上がったシルエットは二足歩行の生き物だった。
「[入道関]ってそういうことね~」
腑に落ちたように[憂郎菩呂統]が独り言ちる。
白いふわふわしたものは入道雲、そして雲で形作るのが[憂郎菩呂統]の身長の三倍ほどの大関の姿。
つまりは名前の時点で大きなネタ晴らしをしていたというわけだ。
凛々しい眉をこさえる雲の巨人から、眼下の小さな天狗へ向かってくぐもった声が掛かる。
「随分と小さくなったじゃねぇか、ちゃんとメシ食ってんのかぁ?」
「お生憎。私はキミみたいな贅肉を付ける趣味はないんだなぁ、これが」
じり、と半身になって構えるシンミの頬を撫でる風から、うっすらと妖力が感じ取れる。
彼女自身のものではない妖力が風に乗る、という事実が指し示すのは、相手もまた空気に干渉する妖術を行使したという事。
体格が良く丸みを帯びたシルエットの白い巨人は腰を屈め、四股を踏む。
「ッハハ、そうか、贅肉か。オマエにゃこれがそう見えるみてぇだなぁ」
叩き付けられた巨人の足は地響きを起こし、直立するのに意識を割きたくなかったシンミが咄嗟に空中に浮かび上がる。
焦りと苦悶を顔に浮かべた彼女だが、そのパワーにはある程度慣れていた。
(……お姉ちゃんと同じ<戦神両翼>、そのもう一人の彼と同じくらいかなー? いや、でも彼と比べたら劣るかも……)
自分の所属する〈妖技場〉で既に戦った経験のある相手と同種の強さを感じ取ると同時に、冷静に今の対戦相手の実力を推し量る。
くぐもった声が響くということは、恐らく本体が白い巨人の中にいるということだ。
ローランのように全身が妖力で出来ているといった事情があるなら話は別だが、通常妖怪はそっくりそのまま大きくはなれない。
大きな要因は、全身に妖力を廻すだけのポンプの圧力が確保できないからだ。
「……まさかね」
そこまで考えて、彼女は自分の良く知る少年漫画を思い起こす。
姉から勧められて自分もドはまりしたその少年漫画では、ゴム人間が自身の脚をポンプの代わりにして無理矢理血液の巡りを早くする描写があった。
[入道関]がそれと同じ原理を使えない、という確証はなく、故にその可能性は捨てきれないが……一旦低く見積もっていいだろう。
浮遊し旋回しながら敵の様子を観察する[憂郎菩呂統]に、[入道関]が咆哮する。
「オレぁ<朝比奈>、民を見下ろす力士の権化! やられた後で『ハリボテだ』……なんて言うんじゃねぇぞ!」
「<朝比奈>、ハリボテ……? 聞き覚えがあるような……」
頭の中で必死に引き出しを開け続け、[憂郎菩呂統]はその名前にアタリを付けた。
<朝比奈>とは歌舞伎や狂言の演目の一つで、鎌倉時代に実在したという朝夷三郎をモデルにしているとされる。
朝夷ではなく<朝比奈>として有名な話となると、江戸時代に巨大なハリボテの朝比奈人形が出て世間を騒がしたことや、歌川国芳が描いた朝比奈が大名行列を見下ろす浮世絵などがある。
この二つの話に共通するのはどちらも『朝比奈は巨大である』という想念。
妖怪である以上そうした特異な側面が強調されるものであり、天狗たる[憂郎菩呂統]もヤツデの葉を用いずとも強力な風を引き起こせる。
<朝比奈>が妖怪として存在するのは聊か特異だが、歴史上の人物が死後妖怪に祭り上げられた例もある。
故に[憂郎菩呂統]はそこで考えを一旦打ち止め、膠着状態に陥っていた試合の歯車を回し始める。
「──ま、アンタが何者でも関係ねぇ! アタシが吹き飛ばしてやるだけだ!」
「来い、雲の高さを教えてやらァ!」
<>(^・.・^)<実は朝比奈っていう妖怪が存在してること自体
<>(^・.・^)<めっちゃ重要なんですよね
<>(^・.・^)<ラベルが先か中身が先か……みたいな