其の八 浜辺の語らい
アルコールが入った大人たちの笑い声や話し声が響く室内から、障子を開けて外へ出ると虫の騒めき声が耳に届く。
人びとが騒ぐ声も嫌いではないけれど、虫たちの生命溢れる歌声もまた風情があってとてもいいものだ。
「え、っと、セルゥは……」
リッパーダさんに聞いたところ、近くにセルゥが来ているとのことなので、昼間の無礼を謝るためにその姿を探している俺である。
昼間より随分と日差しが収まり、夜風と合わさって涼しくさえ感じられる。
肌に服や毛が張り付く感覚は、どう足掻いても不快だと言わざるを得ないもので、それから解放された今気分は晴れやかだ。
縁側から周りを見回すと、この建物の敷地外で何やら子供たちの遊ぶ声が聞こえてくる。
その音と共に夜風に乗ってやってきている、昼間聞いた音程が耳に入った。
「この声、このメロディは……」
縁側に立ってその方を見ても、垣根が遮って目視が出来ない。
仕方がないので玄関の靴箱へと靴を取りに向かい、外へと繰り出した。
守護神の像が両端に置かれた門の外へ出ると、コンクリートで固められた道路を挟んだ海岸で、子供たちが遊んでいた。
「あはは!」
「ねぇえ、待ってよぉ」
「♪~」
互いに互いの背を追い掛けたり、砂浜で城を作ったり、ボールを投げ合ったり。
めいめいに自分の好きなように遊びながら、それでいて互いに話しかけ合っている。
そして砂浜を向きながら堤防に座り、鼻歌を歌っている木目の入った人影が一つ。
「~♪、♪~~」
改めて聞いても、心が安らぐ歌だ。
波の音と子供の声もあり、何かと気疲れをした宴席から解放された身に染みる。
そう思った頃には、もう堤防の傍に立っていた。
「隣、いいですか?」
「えっ? はい……あっ貴方」
短いとはいえ了承の言葉を得た俺は、堤防の上に腰を掛ける。
気持ちよく歌っていたところ申し訳ないが、このタイミングを逃せば俺はずっと日和ったままだ、と奮起したのだ。
「セルゥさんですよね?
俺はトロンって言います……言いましたっけ?」
「はい、お昼ごろ少しだけ。お昼はすいませんでした、急に逃げちゃって」
恐縮したように肩を竦めて、下を向いて俺の言葉に返事をするセルゥの姿は、何処かの幽霊の姿を想起させる。
セルゥは昼間に比べると落ち着いているようで、少なくとも逃げ出そうという素振りは見せなかった。
「あ~、その、実はさっきリッパーダさんとちょっと話してて」
「あぁ、すぐ傍にいるってさっき念話が来てました」
「それでですね、セルゥさんがその、王子様だって話を聞きまして」
そこまで言葉を紡ぐと、隣に座るセルゥの身体がびくりと震えた。
「ごめんなさい、何か気に障りましたか?」
「あぁいえ、気にしないでください、ちょっと嫌なことがあって」
「そうですか……俺でよかったら話聞きますか?」
「──」
そこで下を向いていたセルゥが顔を此方に向ける。
彼は半身を向けていたが、首がないため向きたい方向へ体ごと向けないといけないのだろう。
俺と彼は正面から向き合う形になった。
彼の目にやや涙が溜まってきているのが俺の目に入った。
「あの、よかったらこれ」
「すいません……その、嬉しくて。トロンさんの言う通り僕は王子で、話しかけてくれる人はみんな何か目的があって話しかけてくるんです」
「はい」
「でも、トロンさんはそれを感じなくて。ちょっと嬉しくって」
ハンカチを差し出して、やや嗚咽交じりのセルゥの話を聞いた。
言っている内容には覚えがある。
文化祭二日目、キャンプファイヤーを眺めながら隣に座っていた奏が言っていたことに似ている。
この世界やこれまで生きてきた環境の中では普通じゃないとされ、そのフィルター越しにしか見られなかった人生。
そこに俺が現れて、何の属性もなくその人そのものを見てくれた、と奏が語ってくれた。
転生してきたという事実が俺の精神性・人間性に何か影響を与えたのだろうか。
自分でもよいことだと思うので、我ながら良い仕事をしたと心中で己を褒めた。
ハンカチでまなこに浮かんできた涙を拭き取った後、深呼吸をして息を整えたセルゥがぽつりぽつりと自身の境遇を話し始めた。
琉球王家に生まれたこと、ガーナームイという琉球全土の森林を掌握している父親の力の一端を受け継いで生まれたこと。
幼い頃から気が弱く、子供たちや森の木々に支えられながら生きてきたこと、自信満々で実力もある兄を羨ましく思っていたこと。
兄にコンプレックスを抱き、逃げるようにして音楽の道に進んだこと、それに対して親や周囲の王宮家臣の目が刺すように感じられること。
実に、実に様々なことを話してくれた。
「大変なんですね……平凡な俺からすると想像もつかない」
「はは……僕が弱いのが悪いんです。兄はいつも笑っていました、その強さが羨ましくて」
「想像もつかないなりに一つ言わせてもらうのなら、今までの話を聞く限り俺は決してセルゥさんが弱いとは思いませんよ」
喋りながらも少しだけ涙目になっていたセルゥの目が俺の目を覗き込んだ。
「で、でも僕はいつも駄目で、嫌なことからは逃げ出しちゃって」
「それは普通ですよ。俺だって嫌なことからは何時だって逃げ出したいですし──セルゥさん、セルゥさんには夢がありますか?」
「ゆ、夢ですか?」
何を言っているのか分からない、と言った表情をする木の精霊。
俺は一つ頷いて続けた。
「はい、夢です。やりたいこと、欲しいもの、何でもいいんです。別に俺に言わなくてもいいですけど」
「はい、あ、あります。夢、あります」
「そうですか、よかったです。で、ここからが本題なんですけど」
俺は其処で言葉を切り、セルゥさんはごくりと生唾を呑み込んだ。
「よく言われることだと思うんですけど、守るものがあると人は弱い、って言いませんか?」
「聞いたことはあります」
「まぁこれは人によって守るべきものがあるから頑張れる、みたいに意見変わると思うんですけど、それは今置いておきましょう。俺が言いたいのは、守るものって今までの人生で手に入れたもの、つまりその人の過去を表している訳です」
「なるほど……現在は今までの積み重ね、ってことですか?」
「そうです、流石理解が早い」
一つ一つの言葉の意味を理解するのは早いが、セルゥは俺が最終的に伝えたいことに察しがついていないようで、困惑した表情を浮かべながら俺に問うた。
「あの、トロンさん、それと夢とどういう関係が」
「守るものは過去。だとしたら逆に考えれば、まだ手元にない夢は未来だと言えませんか?」
「……確かに、そうですね。手の届かない場所にある、欲しいものに向かって進み続けるのが夢を見るってことですもんね」
「詩的な表現ですね。そう、その通りです。そうなると守るべきものを持つ者が弱いなら、反対に夢を持つ人は強い、ってことになりませんか?」
「──」
なるべく自信ありげな顔色を意識して、最後に知人の受け売りだという文句を付け加えた。
これは奏が誘拐された際、英気を養うために就寝した俺に座敷童のシラが語ってくれたこと。
あの時の俺は精神的に追い詰められていたためこの論理に胸を打たれたのだが、よくよく考えてみれば暴論もいいところだ。
少しの間セルゥは真剣な顔で考えていたが、直ぐに顔を上げてはにかみながら言った。
「無茶苦茶ですね、それ」
「俺もそう思います。でも、そう考えれば少しは自分を信じてあげようって気概が生まれませんか?」
「ですね。はは、ありがとうございます」
夏の夜、海風が肌を撫ぜる。
セルゥの笑顔は今までに見た彼の表情の中で最も爽やかであり、憑き物が落ちたような顔をしていた。
俺自身気を抜けばネガティブになりやすいし、日々の訓練に励めるのは奏との未来を手に入れたいからだ。
加えて俺一人でこの世界に来ていたなら、早晩衣食住の確保に難儀し心身ともに疲弊しきっていただろうし、思い悩む人は可能なら励ましたい。
「そんなわけで、夢があって、それに向かって頑張っている間くらいは、自分を信じてあげませんか?」
「はい、ありがとうございます、会って直ぐの自分に……そうだ、僕に対しては敬語じゃなくていいですよ」
「そうか? だったらそうさせてもらうよ。セルゥも俺には普通に喋ってくれればいいよ。もう友達だろ」
「っ、はい!」
互いに笑いながら、互いの片手を握った。
全身が木目の見た目になっているセルゥの手は、人間の手よりも若干硬いものの、其処に宿る温かみは変わらなかった。
セルゥはセルゥで、俺の手の毛並みはよく揃えられているな、とか
考えているのだろうか。
「セルゥ、セルゥ、あそぼ!」
「セルゥ~、ショウタがぁ~」
「うん、今行く! じゃあトロン、今日はありがとう、また会おうね!」
「応、またな」
浜辺にいる子供たちに呼ばれ、セルゥは堤防から跳び下りて遊びに向かった。
俺は暫くその様子を見て和んでいたのだが、そのうち子供たちの親が現れて子供たちを連れて帰っていった。
その際、暗くなるまで遊んでいた子供たちを叱るのではなく、面倒を見てくれていたセルゥにお礼を言っていたのが印象深い。
どうも話を聞いていると、家に帰っても親の帰りが遅く寂しい子供たちが互いに交流し合う場を作っているのがセルゥなのだとか。
強いか弱いかは分からないが、俺は翌日の昼から始まる〈妖技場〉の選手にも引けを取らない程、セルゥは立派であると確信した。
<>(^・.・^)<先日京都へ行ってました