昴
男は机で一枚の紙を見ていた。それは、小説のコンテストに関するものだった。
そこには男自身が書き挙げた作品に対する、評価が下されていた。
結果は落選であった。何度目かは、男自身ももう分からなくなっていた。
「そろそろ、潮時なのかな」
男は呟く。なぜ自分がここまでして小説家になりたいのか分からなくなっていた。もう十年近く、落選を続けている。
仕事の傍ら、ずっと続けてきた。
それはただの惰性か、それとも意地か。男にもそれは分からなくなっていた。情熱はすでに失われていた。
このまま小説を書き続けて、落選を続けて、人生に絶望するわけにもいかないな。男はそう思い始めた。
男はふと机の上に目をやると、一冊の本が目に入ってきた。拍子にはバーコードの様なシールが貼られている。
図書館から借りた本だった。今回の小説を書くために借りた資料の一つである。
返し忘れたのか、男はそう思いながら椅子から立ち上がり、身支度を始めた。
時計に目をやると、午後四時を回った所であった。
閉館時間までには十分間に合うな、そう思いながらコートを羽織り、アパートを出た。冬の寒さが、男の身にしみた。
図書館の受付で返却を済ませると、図書館の中を徘徊し始めた。
市内随一の巨大図書館という事もあり、膨大な本が収められている。男はその中を練り歩いた。特に目的も無かったが、男は本の中を歩くのが好きだった。
平日という事もあり人はあまり居なかったが、静かな空間は、男に安らぎを与えた。
その時だった。男の耳に何かが入ってきた。
男は空耳だと最初は思った。しかし、確実になにかが聞こえる。どうやら、地下からのようだ。
ここの図書館ではフロアごとに本が分けられている。その内の地下にあるフロアでは、主に児童書などの子供向けの本を扱っている。
男は階段を下りて、音の正体を探る。どうやら子供の泣き声のようだ。
その声を頼りにフロアを回ると、本の棚同士の隙間に、本を抱え、座り込んでいる小さな女の子が居た。小学生、いやそれより小さい子だ。女の子は本を抱えたまま、ずっと泣いていた。
「どうしたんだい?お母さんかお父さんは?」
男はしゃがみ、女の子と目線が合うようにしながら聞いた。
「わかんない……お母さん、どっかいっちゃった。さがしてもどこにもいないの」
迷子か、男はそう思った。受付まで連れて行けばなんとかなるだろう
「立てる?」
「うん……おじさん、どうするの」
男はおじさんと呼ばれた事に少し悲しみを覚えたが、すぐに切り替えた。
「受付まで行って、お母さん探してもらうの。お母さんも君の事を探しているはずだから。」
男がそう言うと、女の子に少しだけ笑顔が戻った。
男は、女の子の手を取りながら立ち上がった。
その時、女の子の持っていた本の表紙が目に入った。
なぜか懐かしい気分になった。しかし、この子の事が先だな、そう思い直した。
「じゃあ行こうか」
「うん」
二人は受付に向かった。
受付に行くと、まだ若い女性が焦った様子で受付いる職員と話していた。
女性の姿を見ると、女の子は駆け出した。
「おかあさん!」
静かな空間にその声が響く、女性が振りむいて女の子を抱きしめる。
その後、男は母親と思われる女性に事情を話した。母親は素直に感謝の気持ちを男に告げた。
そして、女の子と母親は本を借りて図書館の出口に向かった。
その時、女の子が男に向かって叫んだ。
「おじさん、ありがとう!」
男は、暖かい気持ちになった。丁度その時、閉館を知らせるアナウンスが館内に響いた。
男も出口に向かい、外に出た。日は既に落ち、空には満天の星が広がっていた。
その時、男は女の子が持っていた本を思い出した。
それは、男があの子と同じぐらいの年に、一番好きな本だった。
内容は今でこそ他愛の無いものだ。六人の騎士達が魔王を倒すために立ち上がり、最後は魔王を倒し、騎士達は星になって世界を見守る。そんな話だった。
男はその本が大好きだった。ずっとずっと大好きだった。そして、ずっとずっと忘れていた。
「帰ったら、また小説を書こう」
男は呟く。冬の寒さの中、心に情熱を宿して。
空を見上げると、昴の星々が男を見守っていた。