05 天使の卵
その船は所々に銃撃によって付けられた湯気が立ち、幼稚園児が選ぶ目に痛い青色を船体に所々に赤錆が浮く船橋。
パッと見た感じ貧乏漁民が修繕しながら使っている旧式な漁船だが、最後尾の船底には違法に強化された足であるウォータージェットが見え隠れしている。
みすぼらしい船体に最新の足がついている理由は1つだけだ。
太平洋側日本近海を暴れまわる海賊船は雲ひとつない海原に揺られていた。
「仁義な○戦い……シリーズ22弾、京都の仇は奈良で討つ・佐久間会最後の戦い。23弾、大阪民国の戦・西成大戦……無いな」
ダンボール箱につまったデータケース、指先でつまめる記憶媒体に貼られた名札。
一律同じタイプで作られた明朝体の表題、世の中に跋扈した暴力団を主題にした作品。
「うーん、19まで見たのにシリーズ20はどこですか?」
メインデッキの床にところ狭しと広げられたメモリーチップ。
どれもこれもが物騒な題名がついているが、決定的に見分けの基準となる本製品とは違いパッケージは皆無。
無機質なチップに字によるシリーズ分け、ばらまいただけ探すの大変な状態。
恋歌・ピクシスは今とは違いズタブクロを千切り繋ぎ合わせたようなボロい土気色の服を着て、くしゃくしゃにした寝癖頭を掻いていた。
日差しの強さに赤くなった頬には、焼けている部分以上に赤い血が雫となって顔を飾る。
「……聞いてから殺せばよかった、続きが気になるじゃあないですか」
海賊品をさらに水増しするためのコピー機は目の前に置かれ、ここで違法コピーを作り上げる作業が簡易的に行われていた事がわかる。
港を下ろしたらそのまま直売するというシステムを持つ悪党たちの船。
タバコを踏みにじった不衛生な床から、進路を示すGPSジャイロビジョンの中にまで散らかされたデータチップ。
普段ならば収穫物を肴に酒をあおっているだろう犯罪者たちの姿は静かなものだった。
後部デッキに転がる無法者達の亡骸は、部位が解体されるという激しい損傷を負ってものばかり、それが廃品として分解されたマネキンのように無造作に積み上げられている。
「まったく、東京につくまでどのくらいの時間がかかると思っているのですか……暇つぶしもできないじゃないですか」
諦めた顔は、デッキに引っかかっていた死体を蹴飛ばし海に落とした。
鮮度の低くなった死体は臭いがキツイうえ、鳥に啄ばまれるのを見るのは気持ちのいいものでもないし、食事の邪魔にもなる。
ただ魚を誘い出すにはちょうどいい、そんな感じで定期的に海に落とし自給自足の魚釣りをしている。
何度か操作した結果映し出されたGPS。
記録に残された航路は、東京近海の島からの大陸への帰路という航路を光らせていた。
「これに合わせて……そこまで着けば後はなんとかなるでしょう。入国審査が面倒臭い事に……」
手慣れた様子で糸を括り釣り具を用意しながらもう一体の死体の部位を投げ込む。
「参りましたねぇ、予定を大幅に遅れる事になりますよ。せっかく島を出られたのに東京に着く前に他のメイドを雇われたら意味がなくなってしまうかも」
無造作に髪をまとめ煤けた顔を拭う。
東京都西ノ島新都。
そこから東京都に向かう道半ばで、この狼藉者達と遭遇してしまった。
都が所有していた小綺麗な小型のクルーザーは突然の追突と攻撃、終いには火をかけられ担当の技術官は船共々沈められた。
強盗達は当初からの強奪目標である恋歌を縛り上げ船に投げ込み意気揚々と任務に与えた母国への帰路に入っていたが、それでは自らのすべき目的から遠ざかると思い立った恋歌に成す術なく縊り殺されていた。
ゆえにこのオンボロ船の中は至るところに血しぶきの跡が残っている。
日差しを避けて座った恋歌は、手元に新しいデータチップを探し出していた。
「極道の○たち・山田組四十代目の妻の逆襲……ふん、新しいやつでも見るか」
西ノ島を出たのは1日前、たった24時間前に出発して拿捕されてこの始末であるが、政府公船に乗る事が出来なかった我が身を思えば仕方のない事とため息を着く。
網を重ねたクッションに座り、モニターを睨む。
「絶対にお会いしましょうね、御影悠人さん」
船にのるまで、あの島にいたころは空は広くて足のつく地面はひたすらに狭かった。
コンクリート塀に囲まれた研究施設は、白と薄い青を基調としたクリニックカラーの静かな場所だったが、境遇以上に課される運命を重荷と感じてしまった者達が多く、目に光を持たない灰色の世界だった。
「主人の望むまま、殺してもいい、盗んでもいい、愛してもいい、恋してもいい、稼ぐも自由、飲むも自由、姉時の突出した破滅的感情を超力に変えていきなさい。……それがカルペ・ディウム計画に基づき貴女達を天使へと導く近道……」
島から出た最後の1人である恋歌に、白衣の科学者達は思い思いの言葉をくれていた。
総じて言うのならば感じるままに生きろという事につきたが、代表格の博士であったあの男は変わった事を言っていた。
「空の器である君達の心。心エンジンには現在基本的感情の種しかない、喜怒哀楽の基底部として、それは真っ白な喜怒哀楽だからだ。自分の手で感情を汚してしまう事のないように、君たちの心エンジンを動かすエネルギーである感情経験値はアンテナとなるパートナーの感情から蓄積しなさい。だから自ら感情は不必要です」
「感情をエネルギーに力に変える私たちは無垢なる天使の卵」
モニターの中で繰り広げられるヤクザ者の殺し合い、義理人情、仁義。
理不尽な情を殺意の愛と変換するプロセスに、何度か頷く。
綺麗事を行うためには汚れ仕事を倍ぐらい犯す、殺人と虐殺によって情熱的な愛を実らせるドラマ。
破綻する事なく続く殺し合いとそれに伴って作り上げられる平和。
順序が必須であり、行いを覆すキッカケとタイミングの妙に得心と頷く。
「殺す前に話を聞く、その後殺す。うん、この順序でないと損をする事がある。覚えました。方法は覚えても私だけではこれは実らない、感情経験値へと変換するにはご主人様が必要、早く心エンジンを満たしたいものです」
感情経験値を満たし何をするか、どうするか。
博士たちは原稿の人類は未完成な心を抱えた器だと言っていた
「一時の感情に固執して人生という長い道のりを破綻させるのがほどのエネルギを人は持っています。例えば悲しみ。深い悲しみが他の感情を超えて溢れだした時、それが超力となりニンブスを発現させる。自らを破滅に至らせるほどの感情が君たちにとって天使に近づく力となるのです」
行く末に幸あれと言わんばかりだった博士達の顔はどれも優しく、新しい旅立ちに向かう恋歌に最初に必要とされる注文を繰り返してを振っていた。
「つがいの魂である相方を必ず手に入れなさい。そして世界を変えなさい」と。
御影悠人の隣で在りし日の思い出を反芻する。
佐伯亮司宅に招かれ、自室にしては広すぎるフロアで。
恋歌は待つ時間の中で自分の生い立ちを思い出し、その目的を思い出していた。
「私が最初に天使になってみせる」と。
佐伯亮司の部屋に通された御影悠人は落ち着く事なく揺れていた。
それこそ自家発電地震源と言わんばかりに、右足を小刻みに揺らしこの先の事を思ってのうみそまで踊っていた。
乱闘が終わった後、悠人は保健室に運んだ佐伯に詫びを入れるため待合にて言い訳を考えていた。
何せ凄まじい戦いだった。
人生で初めての乱戦、逃げ出したい気持ちを抑え天敵だった佐伯をた助けた。
結果悠人は責任民大から佐伯に助けられ保健室へと連れて行った。
とりあえずでも大問題から逃げられたことで重圧は両肩から去ったが、問題の本質がなくなったわけではない。
乱闘のツケみたいなものはこの先の学園生活でもきっと残る、大なり小なりの波となって卒業するその時までを何事もなくイヤイヤでも学園生活を送り切る。
それが父親の仕事と会社を救い、社員一同を路頭に迷わさない大切な事と信じてやってきた今までを失ってしまったのではとマイナス方向に走っていた考えを笑い飛ばしたのは佐伯だった。
それどころか悠人の怪我を心配し、この街で開業している実家直営の病院に連れてきていた。
「湿布と塗り薬と、痛み止め、もし目眩とかするようならCTスキャンも使え。うちで全部見てやる」
勢い連れ込まれたのは、佐伯が自宅にも使っている病院の最上階にあるペントハウス。
佐伯亮司の実家は、白真社という名を持つ日本国最高位の医療機器トップメーカー。
古くは薬師問屋であった経歴を持ち、合弁以前の代数は12代、現行の会社になってから七代続く医療会社にして財政華族だ。
海外にも手広く機器を売りつけている会社で、手術器具のオートメーション化は目玉商品となっている。
なかでも遠隔操作型手術機などもその一つで、新興国への政府援助に一躍かっている。
医療機器メーカーというイメージのせいか通された佐伯の部屋は清潔感の第一イメージ色である白かべに囲まれた部屋だった。
ローテーブルにソファーなども明るめ配色という佐伯の闘争心溢れる容姿からは少し遠い。
「治療費の事は気にするな、これからは仲良くやろうぜ」
こわばった顔で俯いている悠人とは対照的にあっさりしたものだった。
佐伯はソファーに座らせた悠人に茶の支度をし、自分の求めているものについての追求に入っていた。
「さてそれよりもだ、甲型格闘術を知っているボディーガード紹介してくれよ。一緒に住んでいるんだろ」
「いいですけど、今は実家に帰っていて……」
「じゃ戻っとてきたら、うちのジムで特訓な、このビルにあるからよ御影も一緒にやろうぜ!!」
試合が終わってからの佐伯の態度は一変していた、まるで数年来の友達のように気さくな態度を見せ、悠人はとまどうばかりだった。
佐伯が欲しているのは、悠人が使った技、近接格闘術甲型という自衛隊武術の1つ。
特に新しいだ術ではないが、乙型・丙型と時間を重ね円熟期に入った術式で自衛隊ではここの20年ぐらいレンジャー徽章を持つものの必須となっているものだ。
三重にいたころ家を守る警備についていた者が一人、自衛隊から退役しガードマンの仕事に入っていた。
御影工業の御曹司悠人のボディガードとして彼がいるはずなのだが、所用で今現在新港区にはおらず実家の三重に帰っていた。
「丙型とか乙型は普及モデルのエクソサイズがあるけど甲型は実技演習のとき見せるだけでだろ、一番実践向きって聞いてたからさー、いやー、楽しみだぜ」
「あの……今日のことなんですけど、怒ったりとかしないんですか?」
身振り手振りで楽しみを見せる佐伯に、悠人は卑屈にも引っかかっていた思いを吐き出していた。
不安だったのだ。
怒りを伴った試合の果てで、何事もなかった日常に戻っていいのかと言う蟠りをぬぐえない顔で相手を見ていた。
しょぼくれ背中を丸めている悠人に、佐伯はハの字眉の顔を傾げて見せた。
「はぁー、何女みてーな事言ってるんだよ。お前と俺は戦友だろ。乱痴気騒ぎを制した仲間になった。それでいいじゃねーか」
「いいんですか、学園の評判とかあるじゃないですか、僕はわざとあんな戦い方をしていたし」
「その件についてはリターンマッチで解決だ」
「でも、評判の方は……」
佐伯はアマとはいえ新都学園ボクシング部期待の新星だった。
その佐伯を手玉に取った戦い方をどれだけの人間が見て理解したのかはわからない。
だが攻めあぐねた佐伯の評は良い方向に動いたとは思えない。
心配する悠人の発現を前に佐伯の方は手をヒラヒラと振ってみせる
「けっ、そんなもん好きに言わせておけばいいじゃねーか。文句のあるやつとは試合する、それだけの事だ」
差し出す拳で男気満点の解決を示すと、悠人の肩を拳で小突いた。
「お前と俺はあの乱戦を戦った男同士だ。だからお前は俺の友達だ。これは俺の、俺の中の決まりなんだ。それでお前は俺と友達になるのはイヤって話なのか?」
あっけらかんとして乾いた声、悠人の心にはよく響いた。
今日まで学園で自分に話しかけてきた人には顔がなかった、正確には張り付いた笑顔や怒りによったドロドロした口調と不愉快を知らせる淀んだ空気みたいなものだった。
そのぐらいに自分以外の人間をまともに見た事もなかったのに……初めて真正面から見た佐伯の顔に思わず苦笑いが出る。
「何笑ってんだよ」
「いやぁそんな事は、いえ……ありがとうございます」
ストンと浮き上がっていた心が落ち着いた。
行き場なくさまよっていた悠人に「友達」ができた日
「お前変な事気にしすぎっだぜ、そんなだから舐められるんだよ」
「そうかな」
自然体へと戻っていく。
同等に言葉を語れる形になった事に緊張から解かれる笑みに佐伯の拳が当たる
「だから!! 甲型絶対に教えろよ!!」
「そうです、私にも教えてください!!」
左を軽く殴られた悠人の右側から、一緒にここまで来て惚けていた恋歌の顔が寄る。
「何!! 恋歌さんには必要ないでしょ!!」
「いいえ、私にこそ必要です。惜しむ事なく撲殺の術を教えてください!!」
それは物騒で困る、引いてしまった悠人の顔に佐伯はノリノリでプッシュする
「そうだ!! もったいぶらずにおしろよな悠人!!」
自分の名を呼んでれる友達。
三重から出てきて初めての出来事に蟠りで壊死しかけていた心に血が通った。
感情が蘇生を得た日、緩みっぱなしの顔を晒した悠人だった。
「……今度こそ失敗は許されないわ」
佐伯邸に入った御影悠人を待つ者は、お世辞にも親愛を持つ者とは言えない影を隧道に伸ばしていた。
先頭に立つ小さな影、後ろにいるのは無法という字を体現するような悪党ばかり、中には先立って悠人を襲ったあの悪党もいる。
「よおよお、治療までしてもらってあれだが、本当に金は出るんだろうな」
舌なめずり、行儀の悪い顔が酒臭い息の顔を近づける。
それを手で払う仕草で距離を取る。
うごめく悪党に対して不似合いな絵図を構成する少女は冷たく言い放った。
「治療をするのにも金がかかっている事をお忘れなく、木元さん約束を守れば良いだけの事ですよ」
木元もくもと、旧桟橋で悠人を襲った悪党はメイドに蹴られ肋骨骨折という大ダメージを食らっていた。
普通であれば全治三ヶ月以上を軽くいく大怪我だったが、高額治療であるナノ再生治療と強化ギプスを奢られすでに歩ける状態になっている。
それこそがクライアントの出資が確実である証拠とも言える。
「あなたが今歩ける事に感謝していないのならば、私があなたを殺しますよ」
「よせよ……感謝してるよ、姉さんにはかなわねぇよ……だけどさ、あのメイドはやばいぜ、あんたと同じぐらい強い」
強気だった顔に急の汗が見える。
あの日、調子に乗って一撃必殺で御影悠人を殺さなかった。
遊んでしまった事で、最終的に恋歌・ピクシスと対峙する形となり目標達成はおろか自分の命を奪われる淵まで行った。
大口を叩ける立場から脱落した者に、彼女の声は冷たく刺さるばかりだ。
「あなたはチャンスをダメした……これ以上私を怒らせるのはよろしくないと考えない? そうは思わない人なのですか?」
丁寧な口調である事が余計に心臓を抉るのか、木元は怯み後ろに下がっていく。
他に集まった悪党達の卑下する笑に畳まれるように、体を丸め顔を伏せて。
小さな彼女は反射で光るメガネの下で、長いまつげの目をきつく尖らせていた。
「いいですか、金が欲しくば殺しなさい。あの男を、方法はなんでも結構すぐにでも殺してきなさい」
初めての友達を持ち、心にゆとりを持った悠人に殺意は迫っていた。
それが何故行われるかを知らされる事なく、大乱戦の夜が訪れる。
風邪というより鼻炎、体は古くなる一方です
乾燥いただけると嬉しいです