02 賽を振るう者
「ダメだ、きちゃダメだ、母さん!!」
真っ赤に染まった夢だった。
あの日あの時、幼少の自分を追った母は交通事故にあって死んだ。
ほんの小さな切ったかけの、単純な諍いだった。
「おもちゃ買ってくれないお母さんなんか、大嫌いだ!!」
幼稚園生、同級の友達から聞いた「究極にして成功率の高いおねだり」それを実践しただけの事だった。
そう、そうすれば母がお目当ての品を買ってくれると単純にそう思ったのだ。
小さな足音が街中に出来たばかりの大型トイハウスに向かって走る。
黄色のスモックをきたバカな子供だった。
「早くきてくれなきゃ本当に嫌いなっちゃうから!!」
紅葉のようなてを振って、大通りへと飛び出していく
「ダメだよ!! 母さん!! 来ないでくれ!!」
遠い記憶の中で、最初母は困ったような顔で自分の右後を追っていた。
その背に漆黒の闇が付いてきている事に気がとくこともなく、前を走る幼い息子に手をのばしゆっくりと走っていた。
「止まってくれよ、母さん……僕がバカだった」
バカな子供だった。
街中の明かりの下に飛び出した息子に、母は今までにない声をあげて自分を呼んでいた
「悠人!!」
「こないで……母さん!!」
まっすぐにただ息子だけを見て手をのばした母。
混在する記憶、今の自分が母の背を覆う真っ暗な闇が見えている。
街道沿いを走る大型トラックという凶弾から、自分を突き飛ばし背後に迫った死という闇に飲み込まれた母を、16歳の悠人は走っていた。
走って走って走って、闇を追って追って、溢れ出した奈落へと飲み込まれる母の手を取ろうとしていた。
「母さん!!」
「失礼ですね、違いますよ」
不意に冷めた悪夢、落下した記憶の前にいたのは恋歌だった。
冷めた目線は、開ききった目と汗だくの顔を晒した悠人を見つめていた。
そっけない顔にして、この状態の始末に困ったように下がった眉が見えて、悠人は焦った。
夢、母を失った時の夢を見た。
間違いなく叫んでいただろう自分、それが本当にうわごとのように漏れ出していたとするのならば、やはり恥ずかしい。
なんども首を横にふり、頭の中に残っていた鮮明な悪夢を振り払う。
首筋にねばり付く汗を手の甲で拭って、周りを見回す
「えっと……ここは……どこですか? 」
「ご主人様、貴方様のご自宅ですよ、私が引きずってここまで連れました。運賃は4800円といったところでしょうか」
「運賃? タクシー……違う救急車の?」
「私の労力ですよ、足先が痛むのはご愛嬌です」
「……」
見回した視界の前、慣れ親しんだ自分の部屋が広がっている。
自室と呼ぶには大きすぎる悠人の自宅は、他の富裕層生徒と変わらぬ4LDK一人で使うには大きすぎる間取りのマンションだった。
角部屋2面バルコニー、一番外に作られたダイニングに悠人は寝せられていた。
カーテンは締め切りの状態だがモニターテレビの発光が示す時間は午後9時。
「あれから3時間ぐらい……たったのか」
「何をおっしゃるウサギさん、あれから3日です」
薄々そうだろうという予感はあった。
チンピラに切られた傷を考えれば、是対安静だったろうという事を。
父から送られたメイドは、襲われて怪我をしたとはいえ街で起こった不祥事が御影産業の不名誉にならないように救急車に乗らず自分を背負い引きずってここまできたという事を。
小さな彼女では悠人の体のすべてを背負う事はできず、両腕を掴み足を引きずる形であったのは足に残る熱でわかった。
「つまり恋歌さんが、ここまでおぶってきてくれたという事だよね……どうも、で怪我は? ってわぁぁぁぁぁぁ」
では怪我の治療はどうしたのか?
その疑問で自分に被されていた上掛けをとった時、真っ裸である事に気がつき低音の悲鳴が飛び出した
「あっあっの服、僕服着てないんですけど!!」
「ええ剥きました」
冷静……、そこで冷静に返されても。
「剥いたってなんですか……」
上掛けで裸体を硬くガードする悠人の前で、恋歌はサンドイッチを持って立っていた。
夕食どきの支度をしていたのか、キッチンにも明かりが灯り買い物袋が並んでいる。
「私が脱がしたという意味ですが、もっとあれですか、「時間をかけてじっくりねっとりと色々と観察しながら脱がした」とか言った方がよかったですか」
「良くないよ!! なんでそんな事を!!」
「興味心が滾ったからですが、いけませんか?」
一体何に滾る、冗談じゃない、顔が真っ赤に染まり汗が吹き出る
「良くないよ!! なんでそんな事を!!」
何を言っているんだ!! これでも年頃の少年であり相手も年頃の少女だ。
少女の裸を妄想する年頃であるのは確かだが、自分の裸を少女が観察して良いというものでもない。
平然としている恋歌に比べると、落ち着きどころをマッハでなくした悠人は言葉まで短略化され、同じ言葉を繰り返す壊れたレコードのようになっていた
「なっなっなっ……なんでそんなとこをするの!!」
「……なぜと問われれば、それは怪我の治療のためですよ。他に何か……あれですか「若い裸体にそびえる黒ピカリの逸物をじっくりねっとり観察した」とでも言えば良いんですか」
「良くないよ!! っていうか逸物とか言わないで!!……はぁって、ええっ治療?」
どこまで本気なの、絶叫の中にあった確かな答え。
悠人は自分の腹辺りを初めて確認していた。
ナイフを差し込まれたバターがごとく、皮膚が内側からめくれ肉を見るほどに深く切られたナイフの後は不可思議な状態になっていた。
「……塞がってる、けど」
ふさがる、というよりこの怪我は縫い合わせないと塞げないだろう、そう思っていたのに不思議なほどに傷口はナチュラルにつながっていた。
薄皮を張り合わせたように
「バイオスキン? ぽいもの?」
「ロウで塗りました、私が一生懸命こすって」
「……」
さすがにそれには驚かなかった。
今時蝋って、そんなものでつなげるような人体になっていたらその方が怖い。
なんらかの治療がされ、深かった亀裂は蜘蛛の巣を多重に張ったような薄い糸傷のように変わっている。
「痛いですか? まだ」
「いや、そんな事もなくっていうか、ええ……高い薬だよね」
「いつか精神的に返して頂きますから、とりあえずご飯にしてください」
精神的に何を返せと?
話の端々に不可解な言葉の混ざる恋歌だったが、キッチンに並ぶ料理の香りは確かな旨さを漂わせていた。
手料理は久しぶりなのか、不安や不思議は頭の中でとぐろを巻き続けていたが、樋籠からの回復を求める腹は素直な反応を示し良い音を出していた
「早く食べてください。明日は学校ですから」
「えっ?」
遠のいていた現実が一瞬にして目の前に戻っていた
「いやいや、あのまだ怪我の静養を」
「いえいえ、善は急げですよ。私のためにも今まで以上にご主人様には動いていただかないと」
何が善なのだ、少なくとも明日からの登校に対して悠人の態度は硬いものを見せていた。
こわばる顔に、閉ざした口、のぼせ切った頭を奈落に落とすほど冷えた感情
「いや、学園にはまだ……」
「ええいいですね、そういう感じのあなた様が好きですよ。とても好ましく甘く熱くてクソ愚かで」
黒い笑みで顔を上下させるメイド、悠人は不気味を覚えながらも着替えに手を伸ばす
「出席日数足りませんよ、色々な事のアトがないんじゃ、アトがって事ですよ」
後はない思い当たる事は多く、苦難をいく事への思いで食欲が減退する。
悠人の丸潰れていく姿に恋歌はまったく関心を示していなかった、ただ笑う瞳が明日に向かい時計の針を楽しげに見つめるばかりだった。
めざめた朝は嫌になるぐらいの晴天だった。
学園へと向かう道の中で感情は下落の一途にあるにもかかわらず、体力がしっかり戻っている事を恨めしく思う
「あのね、やっぱり養生したいかなって……たった3日じゃまだ体もあちこちだるいし、ね」
恋歌が怖かったわけではないが、ヤク中を簡単に打ち倒した彼女の実力を思うに腰の引けた哀願に近かった。
「十分に体は動いています。出席日数が足らないのはどんな怠惰ですか? 楽しく激しく過ごす学園生活を無下にするのはいけませんねぇ」
前を行く姿は嬉々としていた。
この問答は今に始まったことではなかった、昨日の夜から朝起きた時まで悠人は登校ることに一歩も二歩も下がった態度で拒否を示していたが結局のところ
「お父上様になんと報告してよいのやら」という一言に強く逆らう術を失っていた
「……恋歌さんって学園の位置知ってたんだね」
「実に楽しみにしておりましたから、不備のないようにしっかり下調べしておきました」
下調べ? いったい何を調べてこの地獄へと自分を誘うのか。
いろいろと思うところはあったが、何にしても会社の事情というバックがある悠人には逆らうすべがなかったる
「さあ見えてきましたよ!! レッツ学び舎デストローイ!!」
心がとってもデストローイ。
物騒なのに、そのまま本当に後者に邪悪を感じながら大きく深呼吸で踏ん切りをつける。
大嫌いな学び舎に、どうしても顔を出す必要に対して心と感情を沈静化させて言う
「……わかりましたよ、いきますから校門まででお願いします。あとは家に帰って……」
「いいえ、帰りの時刻まで学園内の待合で待たせていただきます」
沈む悠人とは反対に継続的に陽気な恋歌、愛嬌の良い目が笑いながら一回転して指差す。
学園に入る入り口は大きな門と警備ボックスを持つ改札のように連なる作り。
石畳の道の奥へに見える校舎の巨大さを否応なく感じうつむいていく悠人
「いよいよですよ」
「……いよいよか……」
小さな背中を見せる相手の後ろで、悠人は近づく巨大な校舎に押しつぶされる思いが蘇っていた。
ここは学び舎じゃない、成金の成り上がり者の田舎者である自分を苦しめる檻。
悪夢がよぎる頭を振り、近づくほどにうなだれた姿勢になりながら校門をくぐった。
「御影くん、久しぶり。風邪治った?」
教室に入った開口一発目の声は甘ったるく、ガムシロップを耳に流し込む音を響かせて悠人の頭痛を助長していた。
夢心地の柔らかさを前に気落ちするという反比例。
一番会いたくなかった人物は満面の笑みで駆け寄ってきていた。
「えっ……、はい、元気ですよ」
「よかったー!! 元気になったんだね、顔も熱っぽくないし。うんよかった」
額に手を当て検温、柔らかい手があたり緊張を高める。
「あっ、はい……」
一限目に集まりだしたクラスメイトの話し声が静かに割れる。
雑談の声を打ち消した彼女は、人の目など気にしない態度で悠人の背中につくように歩いて席まで行く。
黒髪美しい美少女の愛想の良い笑顔が、何度も悠人の顔色を伺うように背中を丸める相手に合わせて傾ぐ、色白で愛嬌良く輝く瞳、柔らかい性格を余すことなく見せる声。
これが悠人最大の胃痛の原因となっているとなど本人はこれっぽっちも考えもしないで話を続けていた。
「流行最先端の新型風邪ひくなんて、ちょっとオシャレだよ!! 見かけによらず流行りに敏感なんだねっ、なんて。でも元気そうでよかった心配したよ。これなら学業遅れもないし……日数も厳しそうだから今日から頑張らないとね。私いろいろと用意しておいてあげたからさ!!」
「あっ、はい……」
彼女はとて気さくで人当たりが良くて、そのうえで超が付くほどお節介ででしゃばりで空気よまない女の子。
新世紀華族界に属する財界華族の一員にしてまとめ役である公卿、大財閥五条白川の三女。
上に二人いるから会社嫡流問題にも遠いせいもあるのか悠々自適で明るい人柄、編入してきた悠人を、田舎育ちの右も左もわからぬ可哀想な少年と見てやたら世話を焼く。
それこそが悠人が学園への拒否反応を覚え、最大の苦痛へと導くトリガーでもあった。
かけられる言葉にうつむいたまま口数少なく返事をする。
「昨日までの学科個別出題データは私が特別に教えてあげます。放課後個別指導をしてあげよう!!」
「はい、ありがとう……ございます」
お節介魔人の白川彩奈。
頼んでもいないのに、人の世話をせっせっと焼く。
それが人のうえに立つ地位を持って生まれた家の者の勤めと、平気で言い放つ彼女は満面の笑みで困り果てる悠人に言う
「いいのよお礼なんて、成績を上げてテストで結果を出してくれたらそれでいいの。クラスの平均値をあげてみんなで良い成績をのこしましょう!!」
君は僕の親か? 言い返したい思いを必死で飲み込む。
彼女は良い人。
少なくとも本人は善意120%で悠人を気遣ってくれているが、温度差は大きい。
そして当然のようにクラスにある温度差はそれに反応し始めていた。
一見すれば大財閥の子女でありながら、飾らず気さくで誰とでも仲良くする白川の姿に。
だが……
富裕層子息子女の集まる学園において、成り上がりの金持ちである悠人に簡単に接するのは、それがとてつもないお節介でとわかっていて面白く無いもの。
成金小僧が同じ空間にいることが許せない。
環境が人を作るともいうが、元々金持ちだった者達は御影産業のように後発で今まであった既得権益を破壊して邁進する会社を毛嫌いしていた。
親の受け売りなのか、新興企業への悪口が家族の日常会話にまで上がるのか、結果として悠人は学園初日からクラスで浮いた存在となり、浮いたそのままにしてくれれば良いものをこの「善良を見せる世話焼き」白川彩奈に繋ぎ留められたことで生き地獄を味わう形になっていた。
良家の彼女に好かれるのは、同じ良家の者だけで十分という嫉妬に苛立ち、色々と混ざった黒い感情のせいで。
「来たばかりであれだけど……早く帰りたい……」
自分の前で明るさ爆発のオーバーアクション、身振り手振りを入れ学習用Padを置いて休んでいた間の授業内容を説明する白川にお節介はやめてくれと言える勇気はなかった。
言ったら最後だ。
気にかけてもらっておいて、気にするなとはこれいかに。
白川のお節介という苦痛のシャワーを浴びながら、さらに嫉妬の視線にさらされる。
「今日を無事に帰れない予感がするよ……」俯いたまま察した悪意はさっそくの波濤を呼び込んでいた。
「なんだよ田舎者、死んだのかと思って楽しみにしていたのに」
白川が陽気に話しかけていた悠人の背中を佐伯亮司の苛立ちの籠った拳で小突いていた。
動作こそスローだったが、礫は肩甲骨にゴツンと当たる衝撃、さらに返答に困る質問。
死ぬとか、簡単に言葉に口から出るほどの緊張感を前に早速始まったイジメと向き合っていた。
「ちょっとばかり丈夫で……なんとか治りました」
無理にへりくだっているわけじゃない。
声はできるだけ平坦に、棘も嵐も望まない弱者らしく嵐が早く過ぎるための処世術をいつもどおりに展開して見せた。
そして佐伯は慣れた態度のあり方が余計に気に入らなかった。
「くそ田舎者が、気の利か無い野郎だぜ。風邪なら俺たちに気を使って休学すればいいのに何ノコノコ登校してるんだよ」
遠慮のない牙、口を歪めた顔が俯いたままの悠人の頭をつかんだ。
つかんで上を向かせた。
粗暴に見えるその行為には「確認」という作業にも見える。
いつも以上にそれを感じる。
佐伯亮司が、3日前の事件に関わっていたのではないかという疑いから。
自分を見る目が何を探しているのかという警戒心が高まるが、決して見せ無いように目を背け顔を上げ無いように注意深く項垂れてみせる
「風邪なのか? あー?」
キツネ目の悪意、尖った目線はつまらなそうに舌打ちする
「やめなさいよ佐伯くん」
バスケットボールを掴むように悠人の頭を引っ張り上げた佐伯の手を白川が掴んだ。
「病み上がりの人に暴力はダメよ」
「どこが病んでるんだよ、元気そうな顔してるじゃねーか」
「ちょっと!!」
乱入する凶暴、佐伯のいうことはもっともだった。
悠人の顔は朝の発熱からむこう体を活性化しているのか蒸気し血色の良い肌を晒している。
「いやあこれでも大分良くなったので……」
むやみに笑ってはいけない、できるだけ無表情を装い目を泳がせなから佐伯の手から離れる。
立ち上がったりはしない、下手に立てば蹴倒される可能性もあるため上げたられた頭だけで佐伯を見たが、結果は良くなかった。
怒り目は襟首を掴む勢いで言い放った。
「お前さ、今から帰れよ。思いやりってやつを身につけろ。俺たちはお前みたいに土食って生きてきた田舎者とは違うんだよ、野蛮人が三日もダウンするような風邪をうつされたら死んじまうだろ」
白川の手が悠人をかばおうとするのを避ける、悠人の顎をつくように伸ばした手で強く押す。
クラスの雰囲気は漣の動揺から、佐伯への同調にかわり始めていた。
「そうよ、無責任だわ。風邪ならきちんと治してきてほしいわ」
「田舎者にして地毛人ってのはそういう心遣いがないよね」
教室の中で悠人を避難する声が小さく聞こえ始める。
「ちょっとみんなそんな言い方は……」
「白川、風邪を治す一番てっとり早い方法ってのは人に染すことだ。こいつは俺たちに風邪をうつすために登校してきたんだ」
一斉の非難が大きな声を絡め視線を厳しく尖らせていく、いくらお節介焼きの白川でも勢いを止めることができ無い大波と化していた。
周りの威圧におされ、助け舟も出せ無いほどに。
だが悠人にとってはいい流れだった。
ひどい言葉だが問題の解決は簡単なことだった。
この言葉に従って帰ればいい、悠人がいなくなることでこの騒ぎもとまり学園に顔を出したことで先生への義理も果たせた。
ひいては父親との約束も、それなりの形で達成できているという安堵感まであった。
「そうだね、そうだ帰るよ。みなさんに迷惑かけるわけにはいかないしね」
いつも以上の諦観で、少しの笑みを嫌味にならない程度にみせる。
あとは立ち上がり教室をあとにするだけ、いつもどうりだったらそれでよかったのだが今日は違っていた。
「おはようございます、皆の衆。こちらでよろしいですか、ご主人様」
悠人の安堵は一瞬にして暗転した。
逃げ出そうとした教室の中に恋歌が笑顔で立っていたからだ。
自分のカバンを座席に置いて。
「……えっ、あれ? 下の使用人待合室で待つっていわなかったけ……」
「ええでもカバンを渡すのを忘れましたので、授業に支障をきたしてはいけませんからお運びした次第でありますのよ」
平穏が大切、清く正しく慎ましく、目立たず質素で……
自分で作り出した訓示が頭の中で渦巻く。
大きな災厄を招き入れてしまうという危機感、身の回りを世話する従事者などもたない田舎者であることが、自分を守る最大の武器だったのに。
今まで作ってきた保身を破壊する恋歌によって、悠人の抱える問題は木っ端微塵に破壊されていた。
「初めましてご学友の皆様、主人御影悠人様に使えるメイド恋歌と申します。ご主人様共々お見知り置きくださいませ」
満面の笑みで右手を前にしている。
任侠映画のあれ「おひかえなすって」のポーズで。
「何してるの、恋歌さん!!」
明らかに間違っているポーズを抑えて耳打ちする、今更こんな所でそんな事をしても立場を控える事など不可能と知りながらも焦りで。
「ここにはに来ないでって」
「またまた、ご冗談を。こういうことは大切でしょう。ご主人様のクラスを知っておくことも仕事です。下世話の血の気が多い方がたくさんで感激です、ご主人様の心がドキドキしてウキウキして苛まれるのは素敵です」
血の気? 苛まれる? 何がいいのか?
血の気が引いたのはこっちの方だ、悠人は心身ともに逃げ場を無くしていた。
完全に危機的状況だ、クラス全員の目が自分を確実に見ている。
ただの弱者でいたかったという想いを恋歌は景気良くぶち壊していく。
「ご学友の皆様も安心ください。ご主人様の丈夫でバカですから風邪はバッチリ治っております。なんだったら私がディープキッスしましょうか?」
「ああああああああああ!!!!」
言葉で書き消したい衝動が前に、有無を言わせぬ呼吸だった。
誰かが横槍を入れるタイミングはまったくなかった、独壇場にして挑戦的な目は笑って続ける。
「先着10名で公開キッス会いかがですか? まだ何かご不安がありましょうか? 皆さん」と。
「何んなんだよ、このチビはバカなのか?」
「チビではありません、御影家ご子息悠人様に使えるメイドにございますよ。佐伯様」
名指しをされた佐伯本人、悠人はすっかり蚊帳の外なのにこの非常事態の中心人物だ。
クラス全員が見る中で佐伯は大きくてを広げておどけて見せた。
「ああそうかよ、田舎者にお似合いのメイドだな。主人をバカ呼ばわりとかさ、躾がなってないぜ」
「本当だよ、何言っちゃってるの」
泡食う二人の間で恋歌は独壇場だった、というか目を輝かせ生き生きしていた。
「色々言いたいことはありますが、ます1つご主人様は学園をお休みする事は決してありません。いえ休んではならないのです。バカだからこそ休むことなく学業に打ち込む必要があるのです。もう1つ、風邪は完全に治っています、なんだったらそうですねぇ佐伯様とスパーリングできる程に」
「何を言いだしてるの!! もういいから……、なんでこんな……」
注目の的になるのは危険なこと、恋歌の体をひっぱり出て行くように押し出そうとする悠人だったが、その身はピクリとも動かず睨んでいた。
「賽を振るうのは私の愉悦」
喉を押すような威圧が悠人の二の句を断ち切り、悠人をバカにする佐伯に言う。
「ご主人様の元気を証明しましょう」と、そして右手にしていた手袋を佐伯の顔面に投げつけた。
「いざ尋常に決闘を申し込みます」
場が固まる。
古典的な表現だったが十分に効果を見せていた。
「何、お前が?」と目を丸くする佐伯に。
「いいえ、私のご主人様が」と軽くいなし指差した恋歌。
「なんで?」
即決だった決闘劇、自分の意を介さないところで悠人の人生は急転していた。
感想いただけると嬉しいです