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19 ここで生まれて

 悠人が豪華すぎる交流会でひっくり返っていた頃、まさかの相手だった赤こと青嶺紅海(あおみね・こうかい)は義理の母を前に食事をとっていた

「紅海さん、今日はイタリアンな食事にしようと思います。楽しみにしてくださいね」

 まったりと甘い声。

ガムシロップを舌に巻いたような言葉が、どうしても耳から抜けないという不味い空気の中で

「……豊風さんよぉ、なんでこんなところに来ているんだよ」

「子供の様子を見るために部屋を訪ねるのは母親として普通の事ですよ」

「母親てっさぁ……」

 苦手な相手だった。

青嶺奥御台(あおみねのおくみだい)二位豊風(にいのとよかぜ)は、現南洋開発社長、青嶺黒海の妻にして南洋に詰める重役はもとより社員の妻たちを束ねる重鎮である。

 普通なら青嶺の屋敷に詰め、自らが外に出る事などないだろう人物が今目の前で和かにご飯をよそっている。

カモメの刺繍の入ったエプロンをして。

 ここは紅海とメイドたちが住むマンション。

港区街の外れ、あと少しでロクデナシの聖地である渋谷区街に入るだろうところに黒塗りの車と数名の共を連れて、部屋までは一人でやって来る豊風。

身なりも軽くカジュアルな格好で

「紅海さん、たまには本家の方にも来てくださいね。蒼海も依風も巴風も氷海も、みんなお兄様とご飯を一緒したいと思ってますから」

 テーブルの上に広げられた料理が出来合いでないのがまた痛い、わざわざここで料理を作る豊風をどうあしらっていいのかとバイオスキンを貼りたくった顔が曇る

「あのさぁ豊風さん、メイドいるから飯の心配はいらないよ」

「そっそっそうですよ、私がその準備しますから、おおお御台様は、どうぞ座って」

「気にしないで、今日はね新鮮な魚を買ってきたから」

 いつもなら鷲尾白崇がご飯の支度をするが今日はいない。

やった事のないレダができなくもないのでなんとかキッチンへと入り込もうとするが笑顔でかわされ続けている

「インスタントはダメですよ。たまには良いですが、本来は体に良くないものですから」

 どこまでも暖簾に腕押し、豊風のゆるい対応に苛立ちが募っても怒れない紅海。

豊風は紅海が赤坂旧宮学院初等部に入りこのマンションに移った頃から頻繁に訪ねてくるようになっていた。

月に2.3回、多ければ一週間に一度のペース。

 奥方衆の重鎮である彼女が軽々と気安くやってくる事を紅海は良く思っていない、同時に不安の種にもなる。

コースと行き場を決めてここに通ってくれば良からぬ考えを起こす仇業者もいないとは限らない、いや絶対にいる。

天下の青嶺、数多の中小企業を屠ってきた自覚があれば豊風のような行動はまったく信じられないものだ

 何かあったら責任なんか取れない

自分の評価が青嶺親族会の中で良くなる事はない、これは庶子としての決定事項なのだから。

いずれ青嶺の家を追い出される身として覚悟はしているが、豊風に何かあったら殺される事はまず間違いない。

いくら祖父である大海が止めても、地獄を這ってでも黒海の使者に殺される

「料理作ったら帰りなよ、マジで黒海さんに俺が殺されるからさ」

「黒海さんはそんな事しませんよ、私がさせませんし。一緒に食べてお話しして、それで帰りますからね」

 マイペース。

だが昔、初めて会った頃の彼女はこんな感じではなかった。

あの頃は側室の子として疎まれ、顔を見れば目をそらすのは豊風の方だったのに、いまや自分の方から顔を合わせに来る

「さあみなさん一緒に食べましょう!! アクアパッツァは冷めたら美味しくありませんから」

「……いただきます」

 ここまで来て帰れは言えない。

おとなしく食べて帰ってもらうしかない、紅海は黙って飯を食う。

それを満足と嬉しそうな目が見つめる

「さあ、メイドさんたちも遠慮せず。いつも紅海さんのお世話をありがとうね」

 近所のおばさんのように気安く勧める豊風、だが今日はそれだけをしに来たわけではなかった

食事が終盤に入り始めた頃、デザートの支度を整える背中は、憮然としたままの紅海にヒンヤリ冷たいつららを背中に刺すような一言を放った

「試合をするのはかまいませんが、怪我をしては困りますよ」と。

「あんた……見てたのかよ」

 まさかという寒気、出されたデザートの前で固まる紅海を豊風の優しい目はしっかりと見ていた

「見てます、毎回。毎回心臓が止まりそうになります」

「だったら見るなーよ!!」

 正直そう思う、お嬢様育ちの奥方様である豊風があのロクデナシの祭典を見ているなど考えたくもない

「ていうか、なんで見てるんだよ!!」

 普通で見られる番組じゃない、海賊放送を奥御台に進める侍従はいないだろう。

座っていられない衝動で立ち上がって背中を向ける

「おかしい、あんたはそういうものを見ていい存在じゃない」

「私にだって情報を手にいれる手段はいくつかありますし、何より子供が何をしているのかわからないなんて母親失格でしょう」

「……あんたは俺の母親でもない」

 背中を向けていたからこそ、やっと言えた言葉だった。

豊風を真正面に見ていたらこんな酷い事は言えなかっただろう、ベランダのガラスに映った自分の顔に嫌悪をもたげる。

彼女を突き放し、彼女に捕まった日が思い浮かんで。



「とうりゃんせとうりゃんせ、行きはよいよい帰りは怖い」

 遠い昔の母の声。

紅海の幼少の日々は囲まれだ厳重な檻の生活だった。

 結婚を望んだのか、望ま家なかったのか、そんな事を聞ける歳ではなかった紅海は、美しくも陽炎のように切ない母の顔をよく覚えていた。

伏せた長い睫毛、淡いコスモスのような唇、白すぎる肌に黒髪。

いつも身綺麗にし質素な生活をしていた

「これが貴方のお父様です」

 写真を片手に見せる母はいつも影を持っていた。

生活に困ったことなど無かったが静かで、静かすぎるだだっ広い邸宅暮らしの中で母は正気を失い始めていた。

青嶺という大きな家に囚われた虜囚、そういう意識に苛まれ。

 かつての名家「喜多川家(きたがわ)」の最後の一人だった、母の姉は大海に目をかけられ出世したが女だったがゆえに上層部を占める男社会から弾かれ失脚。

名家の憂き目となったそこから、没落し残された娘は親族会にいいように利用された形だった。

本家青嶺を助けるための側室として申し分ない家格を


「私は日陰の女です。ごめんなさいね紅海、貴方もまた生涯を日陰者として生きることになるのです。決して陽の目を見ることなくここで生まれてここで果てるの」


 日陰者、一族のために選ばれた妻だったのに。

父からの仕打ちは静かで真綿のように母の首を絞め続けていた。

紅海という青嶺待望の男子を生んだ母として優遇されるべきものは何もなかった、閉じ込められた籠の鳥に黒海は2度と会いにはこず、一族もそれに遠慮を示した形で母を爪弾きにしていった。

誰も尋ねない、誰も見もしない、そんな生活で母はドンドン蝕まれた

「それでも願うのです、紅海貴方には陽の光得る運命があることを」

 いずれ陽の元へ、息子にはそういう道を歩んで欲しいという願いは、薄羽蜉蝣のようにして静かに縁側に座っていた母の最後の願い。

それが母との思い出となり生の最後となった。

母なき静かな家、誰も尋ねず手伝いの一人もいない家で、紅海は届けられる飯も食わない日々を送っていた

「母のところに行こう、母を助けなければいけない、あんなにか細く心を弱らせていた母をたった一人であの世に行かせたままにはしておけない。俺様が一緒に行ってあげなきゃ……」

 たった二人の家族、そのために死ぬのは惜しくなかった。

そういう覚悟を決めるのも滑稽な歳の子は、ただ世界の広さを知らないまま瞼を閉じた

「……私では……母にはなれません。この子の……」

 死ねなかった。

静かに干からびていくはずだった紅海は、本家から様子を伺いに来た者に救われていた。

 使いを出したのは豊風だった。

織茂が死んだ後、食事を届けさせていたのが豊風だった。

親族会の一員として、ある意味義務感からした行為の延長が少しの心配だった。

 子供が一人で生きられるのだろうか、大人の深慮が偶然にも死の一歩手前にいた紅海を見つけたのだ。

薄く開いた目の前で、豊風は悲しくも冷たい眼差しで紅海を見ていた。

覚えのある顔の冷たい目線、本家参賀のたびに見せた苦々しさ

相手が誰かはすぐにわかった、本家の奥御台、母の敵、母を死に追いやった……青嶺の本妻

「あんたなんか……母親じゃないから……なってほしいなんて思わないから……」

 干からびた口がヨレヨレと魂を零しながら言った。

 あの時の豊風の顔を今も忘れられない。

一言で表せない複雑な感情が混ざった悲しい目、ただ悲しいではなくもっと奥深い怒りや憤り、深く落ち込んだ陰のある瞳が不思議なことに母の……縁側に座っていたか弱いあの日の母の目と重なった

「母さん、今行くよ。直ぐに行くから泣かないで」

 彷徨った手を豊風が受け止めた

「ダメです、逝ってはいけません!!」

 強い力で手から腕から体までを、その腕が必死に紅海を受け止めていた

「私が母です、あなたの母です。だからお願い生きてください」

 見上げた空は底の見えない青を見せていた、あの日、失い始めていた生気は掬い上げられた。



「てめぇは何を言っているんだよ!!」

 頭蓋骨を両拳で掴み上げる、レダの進撃が紅海の脳を襲っていた

「ウギャアアァツアッアッァッ!! レダてめぇ!! 痛え!! 痛いって!!」

 しんみりと一人追憶の方向へと意識が飛んでいた紅海が飛び上がる痛み、レダの本気は凶暴すぎる

「やめろ!! 俺の頭をかち割るつもりか!!」

「卵のように黄身を垂れ流してぇなら直ぐにでもそうしてやらい!!」

「やめなよレダ!! 赤も落ち着いて!!」

 どんちゃん騒ぎの三人組、見ている豊風はただ笑顔だ

「なんで……笑ってるんだよ……」

 自分の言葉をどうしても否定はできない紅海、事実母ではない豊風。

 むしろ仇と言っていい女、なのに

「謝れこのクソガキ!! こんな豪華な飯食えることなんて滅多にないんだぞ!!}

「いいのよ棚橋さん、クロエちゃん、二人とも。こんなのちょっとした反抗期よ、母として嬉しいぐらい子供の成長をダイレクトに感じられて」

「あああっもう、どうだって……」

 反抗期、全然反抗できない。

あの日から紅海は豊風の腕の中だ、憎まれ口を叩いても、素っ気ない態度をとっても、母となったこの女はビクともしなかった。

いつも笑顔で自分を見ている。

 日向の女が日陰の少年を太陽の下へと引っ張り出した。

あの日から紅海の前にあった檻はなくなり、奔放にして危険で楽しい日々を送ることができるようになったのだ

「とにかくね紅海さん、勝負事は男の世界について回るものであることはよくわかってます。でもね怪我するようなことは止めてくださいね」

「見なきゃいいじゃねーかよ」

 鉄拳で頭蓋両側面にドリルを当てられた頭を押さえながら目を泳がす

「見ますよ、どんなことでも。紅海さんが活躍するそれを下の子たちと一緒に見ますから」

「ハァァァァァン!! なんで下のガキと一緒に見てるんだよ!!」

 驚きの返しだった。

豊風が自分一人でひっそりとそれを見ているのならば仕方のないことと思えたのに、よりにもよって下の子たちと一緒に見ているとは、驚きもそうだが

「教育に悪いだろ!!」

 どう考えても良くない。

下の子こと蒼海は今年8歳初等部2年生、まだアニメを見ているのが相応だという幼子に何を見せているという変な憤り

「ちょっとはTPOとか考えろよ!! こんなこと黒海さんに知れたら大目玉だぜ!!」

「大丈夫ですよ、黒海さんだって見てますもの」

 それは知っていた。

いやたぶんそうだろうという予想の中にあったが、豊風が自分の子供たちと見ているのは論外

「……蒼海に悪いだろ、ロクデナシの兄貴モドキがいるとか……」

「蒼海はいつもあなたを応援してますよ、それこそ跳ね回って。家族の団欒には欠かせない番組になっていますわ」

 どんな団欒。

なんとも言えない酸っぱい顔、蒼海の顔は豊風の持ってくる写真で良く知っているがあの幼い弟が自分の活躍を飛んで回って楽しんでいるというのを聞くのはシンドかった

「やめてくれよ……まじ辛い……」

 横ではケタケタと乾いた笑いを見せるレダ、勝っていても見られるのは悪影響だろう。

そうとしか思えない、なのに負けたところまで見られていたとするのならば本当にシンドイ

言葉もない、レダに一撃かましたい苛立ちをどうしていいのか、手前ではクロエがダメと手を振る始末の中で豊風は毅然としていた

「紅海さん、青嶺の男は常に勝負の中を生きます。あなたもいずれ社会という荒波の海へと飛び出していくことになるのでしょう。だからその手本を示してください、決して悔いの残ることのない勝負を見せてください。それが母の願いです」

 叱らない、でも厳しい。

気持ちはパチンと切り替わった。

さすがとしか言いようがない言葉だった。

「へっ、悔いの残らない勝負か……いいぜ、その時をしっかりと見せてやろうじゃないか」

 ハートに火はついた。

負けに腐った気持ちを一気に焦熱で焼く言葉、さすがは青嶺の奥御台。

青嶺の男に嫁いだ女はすでに大きな魂を持っている、これに抱かれたのだからしょうがない。

この手の温かさで現世を知った、陽の下に出て戦うことを覚えた。

 決して面と向かって言うことはないが、確かに自分の「母」だと言い切れた

「勝つ、絶対に。この運命は宿命の戦いになったのだから」

 何か頭の中に走る電撃の通爽快感は、明確なビジョンとして敵を予感していた。

もう一度、あいつと戦う。

自分の前を走り抜けたあいつ、ハゲの背中がまぶたの裏に焼き込むがごとく写っていた。



 水鏡庭園の夜はガラスを幾重にも重ねた万華鏡のように幻想的な風景を見せつけていた。

薄く張った噴水の床にも月の殻が並び、星は宝石粒を広げたようにそこかしこにスターダストを見せている。

 各々に宛行われた知識人との会話の中で、悠人は変わらず青嶺大会との会話を続けていた

「父を許せとはわしはいわぬ、だが父の願いはこうだ。自分を超える男になれ、それだけだ」

「それは酷く一方的すぎませんか、我儘な考え方だと思います」

 目の前に置かれた茶をひっきりなしに飲まないと喉が痛むほど張り詰めていた。

悠人の緊張は偉大な父という背中を明確にすることで別の思いを募らせていた

「父が、その、僕が考えていた以上に強い男だということは良く分かりましたが、それでも身勝手だと思います。このうえ父を越えていくことを父が願いだとするのなら、こんな身勝手で我儘な願いをどう受け取ったら良いのかわかりません」

 もう隠し事ななどない会話になっていた。

会社のことや経営学のことを聞こうと思っていた。

それも大切なことだったに違いないが、もっと深い奥底にある最小単位の組織「家族」について語り合っていた

「なるほどな、しかしなんだその想いには随分と後ろ暗いものがあるようにも見える」

 大海の洞察力は鋭かった。

勝負師としての父の偉大さを十分に理解したであろう悠人の顔色は、素直な色を見せていなかった。

そこにわだかまりのあることをしっかりと見抜いていた

「何がそれほどに父との距離を置く、できれば聞きたいの」

 なんでも聞く、何にも答える。

前に構えた相手は大きな人間だ、悠人はそれは十分に理解し素直に認めていた

「話します、ただ見苦しい私事になってしまうかもしれませんが」

「かまわん!! 話は聞くし、それに相応の自分の経験も聞かせよう」

 小さく背中を丸めて椅子に座る悠人にとって、自分より大きな経験を持つ人の話をきくのは大切な事だ。

相手に恵まれた事、昨日の何かを突破した自分、思うに今がチャンスなのかもしれない。

地に足がつかない感覚、飛び出したまま浮遊している自分の意思をここで決める事ができるかもしれない。

大きく深呼吸、家族の恥になるかもしれないが自分の傷でもあるこれに客観的に向かい合いたいという気持ちで前に進んだ

 母を自分が再起不能にした日の話を。

心底にある重荷を、塩を舐めてざらつく舌の上に丁寧な言葉を重ねる作業のように吐き出し続けた。

「僕は自分で何かする事で相手を不幸にする、それを知ったのです」

 辛い作業だった。足元のガラス板、その下を流れる水をうつむいた顔が見つめ続けている。

まるで自己批判をするセミナーの中に置かれた気分だった

「本当、そのつまらない話で」

「いや、十分詰まっておったし、すでに吐き出した事であろう」

 吐き出した、そんな事は

顔を上げた悠人の前に、ギョロ目も鋭い大海がいる

「お前は昨日それを吐き出し、自分で前に出た。それが答えだ」

「自分で前に、確かにそうですがそれは一人だったからです。一人ならできるんです。誰も巻き込む事がなければ……」

「一人で結構それで良い。男が戦う時、それを決める時は一人である事がほとんどだ。自分で決めた事に自信を持って前に進め。選択がいつもベストな答えを連れてくる事はないが、それでも自分で選べる事の方が大切だ」

「僕は……」

 幼少の選択が母を死の手前の重荷へと変えた、この選択を許して良いのか

「後悔はいつどんな時でもつきまとう。降ろして歩く事はできぬ荷なのだ、荷を背負い前に進む止まってはいられないのが人生だ。そのためにほんの少し自分を許すのだ」

「許す……」

 堪えていたものがあふれた。

あの日から自分を許せなくなった、自分のした事で家族を壊したという重荷を背負ってきた

「許される事ですか」

「当然だ、そこで人生が終わらない限り。生きるために許される、それを共に担ぐ仲間を得たりもするのだ」

 心に引っかかっていたものが、少しずつもろく壊れていく

「悠人。母もお前がそのままでいる事を望んではいない。母親は特にな、子が大きく羽ばたいていく事を望む生き物。父は自分の背を越す事を望む生き物なのだ」

 どうにも決めきれない、照れたような大海の顔が悠人のわだかまりを溶かしていた。

母が自分を戒めながら生きる今の姿を喜ぶか?

父がそれを望み続けるか?

 考えるまでもない、親が戒めで飛べずにいる我が子の姿を喜び望むなど。

当たり前の事にやっと気がついた

「願ったり、望んだり、我儘ですね」

「ああ我儘だ、人間というのはいつだって我儘なものなのだ。だから少し自分を許すのだ」

大切な事をやっと学んだ、星の輝く世界の下で。



「例えば、例えばなのだけど、戦わない事を宣言した子はどうなるのでしょうか?」

 機械が高層ビル群のように並ぶロジテックの中に、不似合いなほど古風な婦人は車椅子に座って訪ねていた。

車椅子は表のデザインこそロココ調の椅子だが、近年の文明の力であるホバーを内蔵した浮遊タイプ、静かな空気の音を床に流し雲に座る仕様だ。

白髪を綺麗にまとめレースのヘッドドレスで目元までを隠した老女は黒のロングドレスに少々派手な幾何学文様をデザインしたストールを纏い、集中する情報をせわしなく分ける白衣の女性に話しかけていた

「どうもなりませんよ、今の所経過観察だけですが」

 メガネの顔、褐色の美女クリシュナ・ディビアは終わらせた作業で椅子をターンさせ婦人と向き合う

「何か心配事でも?」と、抑揚の薄い声で尋ねた。

 スズメのさえずりのように細かく動く機械の中で柔らかい音を響かせる

「いいえね、過日は(わたくし)の可愛い(みぎり)を治療してくださり助かりました。それでそのついでにね」

「ああご親切に、わざわざ訪ねて頂かなくても結構ですよ。使命の実行にあたるまでデッドエンドにならない限り、いついかな時でも命をお助けしますから」

 突き放した言葉だった。

浮遊する車椅子の上で白髪の婦人はまゆをひそめた

「……死ななければ使命は終わらない……」

「エグザクトリー」

 細い指先を踊らせ滑るようになめらかに、彼女はメガネの奥で目を光らせると立ち上がった

「レィディー、この計画の創始者の一人である貴女が計画の変更を願うなど、ありえない事でしょう」

 背中に大きく映し出されたディスプレイが示すもの「カルペ・ディウム計画」のマーク、日時計の花。

白髪の婦人が右手に巻くブレスレットにも同じマークが見える。

 言葉と映像の圧力に婦人は黙り込む、何も言わせないというクリシュナの目から逃げるように

「クリシュナ・ディビアは、貴女は変わらないのね。初めて出会った時、貴女は私より年上だった。今は私の方がずっとお婆ちゃんに」

「少し見ないうちに時は経っていたのね、髪が白くなったわね、お転婆秋子ちゃん」

「その名で呼んでくれるのも、今や貴女だけよ」

「前に死んだように聞いていたけど」

 クスっ、口元を押さえた小さな笑み

「ええ本来ならとっくに死んでる身ですもの、少々苦労しましたが本家の人間ですからね、戸籍の改ざんは軽いものです。でも羨ましいわ、過去にも未来にも縛られない貴女が」

 手元にある小さな写真。

三つ編みの髪、フリルの可愛いワンピースを着て満点の笑顔を見せる少女と、今と寸分変わらない白衣を纏ったクリシュナ・ディビアの姿。

古ぼけた白い囲いをつけた写真の中で時間は止まったように見える

「あれから120年かしら、人の生は短いものね。10年は夢のよう100年は夢また夢、1000年は一瞬の光の矢。過ぎてく時間を恐れぬために、生の限界を乗り越えるために始めたのでしょうこの計画は」

 悩みにくれる婦人を責めるように、クリシュナは後ろに過去の映像を写してゆく。

シネマラインのようにカラカラと回されていく過去の画像、人類の歴史をちりばめた奇跡への道のり、科学者たちの並ぶ写真に花を手に持った少女の姿

「わかっているわ、そのつもりだったのよ、だけどね、どうしてもあの子解放してあげるたいのよ」

「解放を願うのならば、貴女の際立つ感情、超力(ノヴァ・パワー)を与えればいいのでは。戦わなければ次のステップには進めない、そのために作られた子なのだから」

 そっけなくも刺々しい返事に婦人は首を振る

「欲しくなくなったの次へのステップなど、今のあの子がこの世界で普通に生きてくれることが望みなの。戦うことなど、恐ろしい事……優しいあの子にやらせられない。あの子はとても優しい子なの、だからもう計画から解放してあげて」

「好きにすればよいのでわ」

 突然消えたビジョン、未来が断絶されるような終わりの向こう側に立つ影、暗がりでメガネだけが光る。

とても親切心で言っているとはおもえない冷たい態度に、婦人は椅子を下げて距離を取る

「どうしてダメなの、星座の子たちは88人もいるのに、ただ1人あの子だけを自由にしてあげたいだけなのに」

「詮無きな事何度来ても同じですよ、始めたのは貴方たち。私は流れる時の中で結末を見守るだけ、悠久の時にあって流れぬ私が見届けるだけ。100年を夢見る貴女とは見たいものが違うのですから」

 真っ暗だ。

二人の間にあるのは深い隔たりのある闇だ

「放っておいても時は来る、必ずね。それだけが進化の鍵なのだから」

「進化など……」

 上品が板につく老婆の顔が苦痛に歪む

「あの子は私のようには生きない」

「そうでしょうね、貴女とは違う」

「違うのよ!! だからこそ自由に生きて欲しいのよ」

「貴女の思う自由を決めれば良いでしょう」

 客電が落ちるように全てが闇に包まれた、あとは何の音も聞こえなかった。

風と機械が静まる低い唸りが床を這うだけ

婦人はただ強く両手で胸を押さえるばかりだった。

大政八条院(だいせいはちじょういん)……華族界の宿命、終わる世界、だからこそ自由をあげたい。私はあの子守りたい、この危険な世界の中で戦いへとあの子を飛び立たせたりはしない」

 抱えていた腕の中へ、危険へとは歩かせない、自分がその道を抱えて行くように。

「砌、優しいあの子にこんな世界は必要ない。私が、母が守ってあげますからね。貴女は私の手の中で自由に生きて」

 街灯の下、多くの護衛が待つ中、婦人は車へと向かった。

大政八条院(だいせいはちじょういん)御外方(おそとがたの)霖秋尼(りんしゅうに)は、重ねた写真の裏側にあるもう一つの思い出に目を細めていた

「この手の中の平和を貴女にあげたいのです」




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