18 ちょっと殺し合いを
水鏡庭園。
かつて迎賓館のあったその場所は、人口流入の騒ぎが起こる前から囲われた森だった。
なんどもの動乱の時を経ても残ったこの場所に、華族界が庭園を造ったのは50年ほど前だった。
元は汚れのない土を使った水質浄化装置の設置にはじまったものだが、ろ過システムの完成と港区街全域への供給が確立されてからはそれを祝う形として庭園が作られた。
清き水で満ち溢れた庭園。
そこは幻想的な靄の中にある神殿にも見える場所だった。
「この場違い感……僕が入って良いのかな?」
バイオスキンで腫れを落とした顔、疲れのクマにもカモフラージュパウダーを叩いた悠人だったが、眼前に広がる庭園入口の大きさにすでに腰砕けの状態になっていた。
「パークですね、キングでコングがいますね、ホワイトなスネークもいるやもですね。ここは迷わず千切ってそして投げるですよご主人さ……」
慌てて口をふさぐ
「何物騒なことを言ってるの恋歌さん!!」
物怖じしない真顔の彼女は目を動かして構わず前進と示す
「だいたいなんで付いてきてるの……」
「他の方も連れておりますし、私だけのけ者なんて怒ってしまいますよ」
怒るイコール殴るの恋歌、静かな態度なのに鉄拳は変わらない。事実口を押さえた彼女の拳がドリルのようにくるくる回っている
「暴力はダメ、約束でしょう」
「ならば私もご一緒です」
いつも手玉に取られる、諦めた顔が周りをみれば確かに他の人も従者を連れている。
こういうところに来るのに1人でくる方が無礼だと白川彩奈には言われたが、いまいち慣れない。
「ところでよ、なんで今里がいるんだ?」
「なんでとは失敬だな佐伯くん。我輩は北条くんの代理として参加しているのだよ」
臨戦態勢に近いほど眉間に寄せた嫌気、佐伯の睨みも意に介さず、新品のバブルシールドディスプレイを輝かせる垂れ目野郎。
六郷今里宗四郎は踏ん反り返ってみせるが、その勢いを磨き上げたシールドを素手で止められる
「なに勝手に進んでるの今里くん。あなたは私に付いて来るの、私が主催案内であなたはおまけよ、特別参加の今里くん」
「のわぁぁぁぁ、何触っておるのかね!! 艶出しに何時間かかったと!!」
「お構いなしよ、そんなこと!! 聞いてますか!! 大声を出さないでくださいね!! おまけで参加の今里くん!!」
「わっわっわかっておるよ!!」
耳を引っ張られ、白川彩奈の身長に合わせるように斜めに屈む宗四郎。
「今里よぉ、なんで北条の代わりが必要なんだよ」
威張り腐りながらも彩奈の尻に敷かれる宗四郎に、佐伯は機嫌の悪そうな顔をみせる
「北条くんたっての頼みに応じるのは紳士の務めというやつであるぅぅう痛い痛い!!」
引きの強い痛みに、大仰な物言いが寸断される。
今日この日、本来なら班分けをしていた仲間である北条愛守姫の姿はなかった。
悠人と亮司と彩奈、それ以外のもう一人だった彼女は
「ごめんなさい、私ちょっと用事ができちゃって。代わりは用意してあるから」
和かに言うと、代理の今里を置いて消えていた。
参議御所とも呼ばれる相手に対して突然欠席など許されるのかという疑問もあったが、彼女の家も参議の家格。
悠人などには考えられない力が働いている。
亮司も彩奈も一言程度の愚痴こぼしたが、結局それを受け入れた形で今ここに宗四郎が来ている
「こんな広いところだ何て……」
「武者震いがするのぉ、ってやつですか」
「……武者じゃないし、震えてないし。恋歌さん、本当に粗相のないようにお願いしますよ」
目の前に広がる広大な緑、この庭園を借り切ってしまうことのできる者。
それが今日ここに悠人たちを迎えた主人は奥の間で待っている。
「なんだと……親父が自ら会うと……」
早朝の景色を青嶺本宅で迎えていた黒海は手にしていたマグカップをテーブルにぶつけていた
メガネをかけない黒海の目はナイフのように鋭い、歯噛みを見せる口に出迎えに上がった秘書官と侍従長は心が何歩も後退していた
「参議御所様起っての申し入れだそうで、我々には何も……」
木を使った部屋、大理石を使った床、椋の木でつくられた一枚もののテーブル。
すぐに執務に沛れるようにつくられた特別な部屋で黒海は両手を付き、テーブルに頭を打ち付けていた
「突然すぎる、なんでそんな事を……」
「御所様は、御影産業の息子と交流会を通して直接会話をされたいと」
「御影の息子だと!? どうしてわかった!!」
「昨日の渋6放送、紅海様の相手は御影の息子だったのです」
「……なんだと」
気がついていなかった。
交流会の予定は知っていた、そこに御影産業の息子がいることも知っていた。
だから自社傘下の会社を交流会に出していた。
御影産業の御曹司の程度を知るぐらいの気持ちで、部下を送り込んでいた。
だが黒海は気がつかなかった。昨日あの行かれたレースを見ていながら気がつかなかった。
庶子である紅海の事に腹を立てるばかりでその隣にいるチャレンジャーである御影悠人に気が付かなかったのだ。
「昨日のあのガキが御影の……はっ! 親父は俺の仕手と気がついたのか?」
「いいえそのような事は決してないと」
「だったら何故知れた!! どうしてキャンセルを!!」
戻された交流会名簿、キャンセルの字が浮かぶのに腹が立つ。
自分が相手を見計ろうとしていた事を、大海に見透かされたのかという焦りと共に。
思い出すほどに父親はやり手だった、自分が目をつけたものに対して壁を持つ事なく話し合いの場を作るという辣腕にして人たらしな所があった。
身につける事のできなかった親父の才を、今更ながら嫉妬する
「ただ会いたくなった……そうなのだな」
そうだ、きっとそうなのだ。
自分に言い聞かすように低く怒のこもった声で、侍従たちはついに体まで遠くに離すほどの怒り
「おそらく、そうで御座いましょう。御所様はそういう事がお好きな方ですから……」
冷や汗を拭う侍従。
黒海は現南洋開発の社長だが、大海を超えたという功績は一つもなかった。
人生の一大責務として会社事業の拡大を掲げてきた彼だが、西日本再開発事業では御影産業に大敗を喫した。
社長就任の花となるはずだった事業に負け、同じく西ノ島新都の開発事業の入札に負けた。
本当だったら負けるはずのない南洋開発。
日本の首脳部と大きなつながりを持つ南洋が、たかが地方から出てきた土建屋に負けるなどあり得ない。
そうなるとどうしても自信の在り処を考えてしまう。自分が負けるのは、負けたのは父の力が働いたから。
そう考えるのが妥当だった。
「……よもや親父は御影とつながりを作ろうとしているのでは……」
「そんな事は決してありません、御所様は常に会社の事を思って」
「だったら何故御影の小僧と直接会おうなど!!」
朝食を運び込もうとしていたメイドたちは部屋に入れない状態になっていた。
黒海の怒りは根が深い、こういうときに機嫌を損ねるのは職を失う事に繋がりかねない
「人を使い、隠密裏に交流会内容の確認をしましょう。下手に騒ぎ立てれば御所様の機嫌を損ねる事になりましょう。今は黙って機を伺うべきです」
父と戦うのは得ではない。
今現在をもってもそうだ、現役社長となった今でも父大海の影響力はそこかしこにとある。
新世紀華族界においても大きな力を持つ父と戦うのはよろしくない。
ここは侍従の言う案を受け入れるしかない
「わかった、何も聞き逃すなよ。これ以上私の邪魔をさせるな」
父は自分の成長を邪魔している。
黒海は自分の方針を支持しない大海をそう考えていた。
何事も父の言葉に従い結婚も側室も持った彼だがそれだけだったとは思えない。
今も会社運営の幾つかの事柄に父が介在している、そういう疑いをいつも持っていた。
テーブルに打ち付けていてた手を払いメガネをかける
「静かに正確にだ。御影の小僧と親父がどんな話をしたのかを私に一言一句違う事なく伝えるのだ」
隠された目の奥に光る炎は控えているものたちにきつく言う。
これから出社である黒海は腹に煮えきらぬ思いを抱えたままの朝を迎えていた。
「ようこそ、よく来てくださった」
夕刻を移す庭園は神秘的な美しさを見せていた。
天井を覆うグラスエリア、クリスタルパレスの現代版が作り出す景色は星空をより身近に、足元の水面に飾る。
両面反射でみせる夕日が宙の果てで見つかった魅惑の惑星群タランチュラ星雲のようにも見せているそれを、ガラス張りの足元にまで潜らせた場所に大きなテーブルは用意されていた。
間接照明は中空に浮く星のような輝き、これから訪れる深い夜をより一層飾るであろうそれが、悠人たちの向かう先を示していた
「お招きありがとうございます」
先頭に立つ彩奈は深くお辞儀をする。
ここについてから髪飾りを黒塗りの櫛に変えた彼女が、班の長として最初に挨拶をかわす
既に着席している大海は実ににこやかな笑みを見せて手招きをする
「お父上に変わりはないかな、花白川彩子殿」
初めて聞く名前、悠人は白川が公卿家であることはここ最近の勉強で知ってはいたが、そんな長ったらしい名前があるのは初めて知った。
思わずお節介魔人彩奈の顔を見つめてしまい、彼女は気まずそうに目をそらす
「父は相変わらずですよ。それよりそんな正名で呼ばず彩奈で結構です、御所様もお変わりなく」
照れた顔で招かれるまま前に進み、振り向き悠人たたちに自己紹介をと目を向ける
「新都学園の友だちも一緒に来ておりますので、ご挨拶させていただきます」
彩奈の礼儀正しい挨拶続く手招きに応じ雄々しく前に飛び出したのは、自己顕示欲が前に出る宗四郎だった。
珍しくバブルシールドを右手に素顔の垂れ目を輝かせて
「お招きにあずかり大変に光栄に思っております。国司今里宗元の孫、今里宗四郎であります」
「今里くんかよく来てくれた。宗元殿は元気そうよの、どうぞ掛けられよ」
大きな手を前に、椅子へと誘う大海。
「東京白真社の佐伯亮司です」
いつもの明るめの茶髪を少しトーンダウン、黒色に近づけた髪で亮司は簡素な挨拶をする。
「聞いておる、白真社佐伯正亮殿ご子息よな。離宮区立病院の件では良い仕事をしてくださった。掛けられい」
勉強も十分、招いた相手の親の名も即座に答えられ余裕の笑みは、待望の相手により一層目を輝かせていた
「御影悠人です」
待ち構える大海の視線に、教えられた自己紹介がすっ飛んだ
「間違えた、あっあの」
御影産業の……自己紹介の口上は必ずそう言わなければならないと彩奈に教えられていたのに、上ずる口調を前に大海は気にしない。
むしろ楽しみに目の輝きは増し、白ひげの下で笑いをこらえる。
これは愉悦だ、子供相手に悪趣味と言われても構わない。
探究心を失わない大人が、若い力の真価を見るためのパーティーなのだ
「御影産業、御影旅人が子息御影悠人くんだね、待っておったよ」
待っていた。
悠人には胃の痛い言葉。
目の前にいる老人はただの年寄りではない、自分の父が「敵」と言い放った会社、その会社の会長である。
意図的に会社事業のことから気持ちを遠ざけてきた悠人にとって、突然のラスボスとの対面は堪えるというもの。
ライバルとはおこがましいほどに巨大会社のボスが柔かなのだから萎縮し目線をそらすのも自然だ。
悠人の怯えを感じつつも相手はノリノリだった。
大海は年甲斐のない自分の脈動を抑えながらてを広げて若者たちを迎え入れていた
「よう来てくれた若者たちよ、まずは夕餉を楽しんでくれ。忌憚なく話をしたく思っている。何にでも答え何でも聞く、暮れる夜長を楽しもうではないか」
華族界でも大物で名を轟かせた老人の力はすごかった。
本来ならば二泊三日で終わり、明日は帰路につくだけの生徒たちに1日延長のサプライズをするのなど安いものだった。
さらに言えば、大海は各々利子らのに合わせた交流者を用意していた。
海外からの客もいれば参議の仲のものなど、だがそれらが用意されていた理由は1つ。
一対一で悠人と話しをしたい、その時間を作るための一手だった。
「おひさしぶりっつですね」
「ブリッツ? 貴女ここで私に電撃戦でも仕掛けるつもりなんですか」
夕食会についてはいけない。
悠人と離れ侍従待合室にて待機となった恋歌は、ドアをくぐったところで鷲尾白崇と再会していた。
鉢合わせになった瞬間の糸目は、地震を感知したかのように揺れていた
「いやない奴に会ってしまった」感をありありと表していたが、予感を的中へと導く答えを恋歌は返していた
「なるほどここで強襲しても良いんですよね、貴女がどなたの持ち物かもわかりましたし」
「とりあえずそれライトに飛ばしておくとして、最初の一歩は話し合いというわけにはいかないのですか」
既に拳を震わせている恋歌を見るに、どこまでも物騒な存在だということを再確認する白崇。
相手の出方などお構いなしの恋歌は柔かにして凶暴な笑みをにじり寄って見せる
「ところで今日はヒステリアさんはいないので?」
近い、近いって。
白崇は目を合わさないように小さく言う
「彼女はこういう仕事はしないので」
「ですよね、ヒステリー担当みたいですし」
ヒステリーに担当というものがあるのか、あればそういう人の集団とは知り合いになりたくないものだが。
真面目にそれを思い浮かべ嫌悪で口が曲がる
「ミス恋歌、ここでは暴れないでほしいのです。なにせお客様もいますし」
「お構いなしですよ、どこでもお手軽3分間キッキングですよ」
「反則ですよ」
3分間も反則を見逃す審判はいないだろう。
言葉が投石になってしまう相手は苦手だ、あの日のひどい結末が思い出される。
小さめの咳払い、ワンクッションを入れて自分を冷静へ立ち帰らせる
「戦いをご所望ならば、その場を提供する準備があります。私たちは逃げも隠れもしません」
曖昧に話をしても通じない相手。
ここが国立公園であり、華族御用達の場であることを知ってもなお、この相手は構うことなく戦う可能性がある。
だからはっきりと言わないといけない。
白崇は覚悟を決めてそういったのだが返事はあっけなかった
「オッケーですよ。その時には持ち主ご観覧での試合を希望しますよ、私のご主人様ももちろん参加しますから」
持ち主の参加。
白崇は恋歌の言葉にピンとくるものがあった。
「悔しい? それを理解するためにご主人様がいるのに」
春山真珠に敗退した時、恋歌はそう言っていた。
星座の子が戦うのに、主人の観覧が必要とは聞いていない、というか妙すぎる。
戦いの場に普通の人間である主人を連れれば、敵はその存在を利用する。
普通そう考える。
主人が必要なのはその感情の最たるものを武器にするため
主人が自らを滅ぼすほどに強い感情は彼女たちを介し超力となる、物理的にも超能力的にも。
『支配』を使った春山真珠。
彼女の主人である北条愛守姫の強い感情は支配者であろうする心。
その思いが超力に変換され重力をも支配した超常の戦いを見せていたが、感情の持ち主が近くにいなければ発動しないということではない
「つまり……この子の力は主人が近くにいなければ発現しないということでしょうか?」
にじりよるイタズラな目を避け背中を向ける。
読みは正しいのか、だから敵にも主人観覧を呼びかけているのか。
不可思議な恋歌に振り返る
「どうして主人の観覧が必要なのですか?」
ダイレクトに聞いた。
この相手は遠回しな物言いをすれば曲解を経て直接対決になりかねない、経験が生きた切り返しだった。
詰め寄っていた恋歌の顔はデフォである困った顔の下がり眉で首を傾げる
「どうして、と? 鈍い人ですね」
「失礼を言わないでください。私は超がつくほど敏感な女ですよ」
「なら理解できるはずですよ」
テキパキと会話は進む、恋歌には無駄はなかった。
ひらりとスカートを舞わすと、悪い顔でハッキリと答えた
「見られてないと燃えないんです。私はそういう密やかにして大胆で、貞淑にしててネットリとした情熱的な女なのです」
「それは理解できます」
間髪入れずに答えた白崇
「私もそうですから」と。
「同好の志がいて嬉しいです」
なんだこの会話は、ツッコミ不在の場で二人は目を合わせていた
なぜか上気した顔は見つめ合い頷いている
「では約束ということで」
「しかしそれはできません」
納得したのに即否定。
固まった恋歌の顔、白崇には主人をつれていけない理由があった。
織姫を戦いから遠ざけたい、麗しの主星である彼女を守りたいのに、こんな口車にのるわけにはいかない。
どんなに志を同じにした者とはいえそれは鉄壁にして完璧に守らねばならない想いだった
「主人は決闘の場をモニターで観覧します。それでよろしいでしょう」
「ダメですねぇ、私のご主人様は参加しますよ。ええ強制的に私の好き付き合っていただきますとも。男を振り回せない女だなんて、濡れない花ですね」
「失礼なことを言わないでください、濡れます私は」
「ガチ枯ですよ、情熱が」
「いいえ濡れます、灼熱が氷を溶かすようにトロトロに」
部屋には他の侍従にメイドもいる。
なにこの会話。
白崇のスピリチュアルにフィットしてしまったことで本人の魂は激しく燃えていた。
周りが羞恥心という温度を上げるような発言を気にすることなく堂々と
「貴女には濡れるも湿るも一切の権利はありません、速やかに干からびて死んでください。分からず屋の頭でっかちさん」
「私は水につかるように濡れますし、夜露のように淡く湿ります。そしてそれを最大の権利と報酬として教授しております!! 子供の貴女には理解できないでしょうがそれは崇高な想いから溢れるのです!!」
「溢れているのは妄想だけで結構です、早く帰ってベッドで悶えるといいですよ。一人で!!」
「一人で十分です、これは純粋な想いですから!!」
なるほど一人で十分か、周りが恥ずかしそうに顔も耳も背けている間に、ハリのある若い声は割って入った
「声を荒げるのはやめてください、白崇さん」
仁王立でにらみ合う二人の間に。
文字通り恋歌と白崇の間に入った女は、黒髪に赤い目を見せて困っていた
「白崇さん、ここは侍従者皆様の控えの間ですよ。何を口走っているのですか」
恥ずかしいという感情が織姫の頬を少しだけ赤く染めている。
それだけで白崇は心を身悶えさせおとなしく、自分の欲望を内側にしまう
「失礼いたしました。でも嘘を言えないたちなので」
「嘘も本当も、ここで大きな声を出していうものではありませんよ」
「初めまして主星さん。貴女が本物の星ですね」
高い身丈。
チビの恋歌は長身の織姫を見上げて立っていた
「何を……」
思わず止めに入る白崇を織姫が押しとどめる
「初めまして、星座の子。気配を感じましたのでご挨拶をと思いまして」
気配。
白崇にとって初めて聞く言葉だった。
恋歌はそれを強く感じ取っていた、これは星の宿命なのだと
「ここに来た時からどちらにいるのかと、家探しする覚悟でしたがわざわざ会いに来てくださり恐悦至極。要件はこちらの糸目さん(白崇)に言いましたが……、ええもう一度言っておきますよ。昼下がりのけだるい時間でも良いし深夜の埠頭でも良いんですが、私とちょっと殺し合いをして貰います。運命に従って」
狂気の瞳は本当に嬉しそうに、脅迫のセリフとは思えないほど軽やかに弾んだトーンで決闘を確約と言い切った。
白崇が他の侍従やメイドから見えないようにシェードをしていなかったら、この恐ろしい一幕は丸聞こえになってしまうところだった。
「貴女はこんなところで何を言っているのですか、そんな恐ろしいことはさせません」
「大丈夫ですよ、白崇さん。私はそんなことはしませんから」
衝撃的な発言を前に織姫は悲しそうな顔を見せていた
「遅くなりましたが自己紹介をしますわ、恋歌・ピクシスさん。私は青嶺織姫と申します。私は戦いません、私の主人がそれを望んでいないからです」
静かで落ち着いた声。
少しだけ影をにじませる大人の意見に恋歌は大きく首を傾げた訝しい顔を見せる
「それでははビックミステイクですね」
軽口の返事に動揺を見せない織姫は微笑をしてみせる
「ミスではありません、必然なのです。私の生は私を望んだ主人のためにあるのですから、望まれない戦いを生きる必要はまったくありません」
静かだった、立ち姿も姿勢正しく身なりも美しい。
メイドという傅く者の姿はしているが絵に描いたような淑女。
むしろ手前にひれ伏してしまいたくなる女王のような振る舞いに白崇は感激していた。
顔には出てないだけで、身体中をくねらす野火が体温を上げるほどに
だがチビの恋歌は違った、むしろ温度を下げたデステンションは嫌悪丸出しで言い返した
「何のために生まれたのですか? 生きている意味がないじゃないですか、貴女はZなんですか、ゾンビですか、それともダッチですか」
容赦のない罵詈雑言だったが、やはり織姫の顔色は変わらなかった
「私が生まれた理由は、私を作った人に依存しますから。私は私の主人の意向に添うだけです」
「貴女の主人の好き嫌いを聞いてはいません。真っ当な命の取り合いは他人任せでできることじゃあありやせんぜ、貴女の心はどうしたいのです?」
「ぜ?」
反応したのは白崇、織姫は一歩後ろへと下がっていた。
両手をクロス、胸の真ん中、心臓を守るような姿勢で
「ヤるか殺らないか、実に単純明快でスリリングな選択。それだけです。合か否か、半か丁か、白か黒かをはっきりとさせるだけです」
「私は、私はそんな恐ろしいことは……考えたくないのです」
織姫は震えていた、少しだけ息も上がっている。前髪で隠した顔は見えないが肩をふるわせるほどの動揺が現れていた
「私は……私の主人は……そんなとこを望んでいません、決して望んでいません」
言葉までが凍えたようにボロボロと出る。
恋歌の態度は変わらなかった、どんな姿を見ようと変わらないまっすぐな目が、織姫の隠されている部分に触れようとしていた
「腕を奮って戦わないという選択を? 宿命なのに」
「そうですね。……私は……私は戦いたくないですね。戦ってしまったら、もう元には戻れないと思うのです。そんな恐ろしい宿命をどうしたらいいのでしょうね」
星座の子は戦う宿命。
白崇は織姫の前でた、これ以上恋歌に口を出させたら織姫の心が折れてしまう。
戦いを望まない主人に寄り添い、戦いから遠ざかった心を。
主星を守る義務に殉ずる覚悟で前に。
相手は戦うことを楽しむ荒くれの星、羅針盤座とタカをくくってレダは大怪我をした。
そんなことが目の前で起こっては困る、そうならないように今まで手回ししてきた。
臨戦、おろした手元へと袖からナイフが滑る
「どうしても戦わない、そういうことですね」
恋歌は当然気がついていた、相手の鋭利で強固な防衛本能を
「糸目さんが私を燃やしてくれるのですか?」
わずかに見える凶器に、見える愉悦で笑う口。
緊迫の間に立つ白崇
「お望みならば……」
何も知らないものたちが背後にいる、騒ぎはご法度の中で恋歌は普通だった。
冷めた目線を見せる
恋歌は絶対に理解しない。
織姫の生き方は実につまらない、何に怯えているのかしらないが、そんな星は不必要という侮蔑の目をくれるとコンパスのようにターンする
「生きる意味を無視し戦いから逃げる貴女に、ひとつお願いしてよろしいですか」
あくまで和か、あくまで爽やか、小首の傾げ方も可憐を模して
「私は相手が誰であろうとヤります、来るものを拒むことは絶対にない良い女なので。そして貴女への願いはこうです。死ぬなら早めの申告を、あと殺すのは私に委託願います。格安でチキパキとサーヴィスよろしく屠ってあげますから」
狂気。
爽やかな笑顔であることが狂気。
殺意のように黒く尖ったそれではなく、真っ赤に燃える太陽のように激しく炎を見せる。
「是非にご用命ください。粉骨の宴に拳を奮ってさしあげましょうや」
初めて顔をあわせる女、青嶺織姫にとって劇薬のような恋歌は実にかに笑っていた。
「旅人殿はお元気かな、たまに会うたりするのか?」
本当に老齢とは思えないほどフレンドリーな口調だった。
なにせ格好が甚平を着崩した夏祭りスタイル、大会社の会長職を持つ人間とは思えないほどに気さくな大海に、悠人の上がりっ放しだった気持ちが少し低いところへと戻ってきていた
「……父とはもう5年ほど会っていません。電話は半年前ぐらいにありました」
「そういうものよな、男親というものは」
そういうもの、そうなのか、よぎった疑問。
目の前に座る老人との会話、とっかかりに触れて自然と質問していた
「それでいいのかと思う時があります、僕はともかく……家族のことを思えば、たまにはゆっくり家にいた方がいいのではと」
父は家にいない、それが普通になっていた御影家。
「そう思うか、それは普通の家の者の考え方だ」
「普通、僕は普通でよかったと思います。父のような男に家族なんて必要なかったと思います」
金儲けに躍起になっている父親。
悠人の頭の中ではいつもそんな父親像しかなかった、滅多に家にかえらず帰れば家族と過ごすのかといえばそうでもない。
父に良い思いなどもっていないし、自分のしでかしたことで語る間柄はなくなっていた。
悠人の少し曇った顔を大海はよく見ていた
「旅人殿が苦手なようだな、わしも子供達にそう思われていたことだろう。耳が痛い」
「いえ、その苦手というより」
苦手だったが、それを実感するほど近くに感じることはできなくなっていた。
それほどに父との距離は遠かった。
憂鬱の色を顔に出した悠人に、大海は小さく頷いて
「一人の父親として言わせて貰えばな、家族を思うからこそ仕事に生きられるというもの。決して妻や子のことを忘れているわけではないのだ」
「そうですか……」
同じ答え、そういう話は今まで父の部下からも幾度が聞いていた。
父は家族を思って働いている、それが護符のようになり父を責める事を許されなくなっていた。
悠人は物分かりの良いふりを選んで頷いてみせたが、大海の話はそこで止まることはなかった
「が、それは多分の建前でもある」
「えっ?」
普通ならばそこどまりだった会話を、何事もなかったかのように吹き飛ばした。
あやうく深刻な家庭事情を語る会になりそうだったところを放り投げ、いたずらっ子のような顔を近づける
「勝負師なのだ、あやつは」
「勝負師……て、なんですか?」
「なにをだと、戦う男はいつだって大きな勝負をするということよ」
老齢とはいえ悠人より大きな体躯、太い指先がもっと先を見よと額を突く
「旅人はな、新世紀華族界により固定化した企業体制に風穴を開けた傑物。わしを出し抜き、わしの息子の意気を挫き、大仕事をかっさらった強敵よ」
目を輝かせる大海を前に悠人が持っていた父親のイメージは景気良くぶっ壊されていた。
仕事人間、会社第一主義、家族二の次、社畜の帝王。
会社のためだけに生きている人。
孤独で薄暗いイメージがパッカリと割れて、戦場で戦う武士のような綺羅を飾った武将へと変換される。
大海の言葉が悠人の知らない見たことのない父親の姿を雄弁に語る
「わしがもうすこし現役であったのならばあやつと戦いたかった。この企業社会という戦場で拳を震わせ額を突き合わせて、お前の親父はそういう心を熱くさせる男なのだ」
言うや大笑いで膝を叩いて
大海の記憶にある旅人の姿を、面白おかしい冒険譚のように語って。
それは今まで後ろ姿しか見ていなかった、悠人の知らない父の顔でもあった。
企業形態が財政華族に仕切られ100年はたった今、長く続いた会社とはいえ華族界に所属しない一般階級の会社がここまで大きくなったのは生半可の努力でなされたことではないという事実を。
幾度も南洋開発配下の建築会社とぶつかり、それを圧倒してきた手腕を。
西日本が地震で壊滅的状況になった時多く者を救うために端た金の仕事も請負い、それが御影産業に対する信頼となり今に至ることを
「お前の親父は勝負師だ。どんな時も「生きのびる」闘い続ける。それを実感するために家族を持った、それだけのことだ」
「それだけ……」
「ああ、振り返ったそこに家族がいるだけで、旅人は幸せなのだ」
家族がいること、それが負けない勝負に生きる証。
父にはそうなのかもしれないが、残された側はどう思えばいい
「でも僕は……」
父の闘いはわかったが
「でもはきかんぞ、御影悠人。何か不満を語る前にだ、お前にそれができるか? 旅人のように戦うことができるのか? 聞いておきたかった」
不満が渦巻く頭の中を見透かされた気分、それに冷水をぶっかけられた感覚。
近くにある目は鋭く答えを待っていた
「僕が闘う……のですか?」
「そうよ、青嶺の男は負けたままではいられぬのだ」
父が今まで倒してきた相手、当初は下部組織でしかなかったが最後は青嶺の本体、南洋開発につながっていたことは確実だった。
まさかこんなところで会社の責任を取らされるとは思わなかった。
思わず引きつった顔を見せる悠人を、大海の燃える目が射抜く
「わっはははははははは!!! そう固まるな!! そう覚えておいて欲しいのだ。良き敵として在って欲しいのだ」
「あっハイ」
肩を叩く大きな手、それ以上に大きく存在を感じる大海の姿。
悠人にとっておっかなびっくりな交流会は、初めて見る男親の姿でもあった。