12 孔雀の様に華やかに
「リングネームは「ハゲ」……随分ハードコアなあだ名なんだなお前」
「影です!! ハゲなんて言ってませんよ!! そもそもぼくのなまごっぁ……」
なまこ、と言いたかったのではない。名前はと言いたかった顔をおなじみのティ◯ァールフライパンが殴打する
「てめー、何度言ったらわかるんだよ!! 名前をな・の・る・な!! そう言っただろ!!」
「……言葉で止めてくださいよ、物理で言動を止めるのはいけないと思います……」
すでに何度目かの衝撃の中で、すがるように悠人は言った
「だったら俺が言った決まりを守れ!! わかったかハゲ!!」
「ハゲじゃなくって影ですよ!!」
「禿げる予定があるのなら、恥ずかしがることねーだろ!! 先行予告みたいなもんだろ!!」
「そんな予定はありませんよ!!」
ハゲが予定どおりにやってくるなんて考えたくもないし、いつ自分が禿げるのかを予告する必要もないだろう。
真っ赤になった鼻っ柱を抱えて涙目の悠人、なぜこんな会話が始まったのかと項垂れた。
「自己紹介はいらない、お前のあだ名だけ教えろ」
賭けへの参加が決まった悠人に、赤は早速賭場へ開催を告げると立ち上がり、思い出したように振り返って念を押した
「俺は敵の多い身だからよ、お前の名前を聞いて殺さなきゃいけないやつだと知っちまったら、せっかくの運命を台無しにしちまう。だからそんなヘマは踏みたくないからよ、名前の代わりにあだ名を教えろ」
言われてみればそうだ。
殺さなきゃならないような因縁は、赤との間にはないが彼が自身を「赤」と名乗っている事からもそういう闇がこの地区には存在するのだろうと理解する
それによく考えなくても「赤」というのが彼の名前とは思えない。
あだ名を出して自分と揃えろという事なのか? そう勘ぐり応える
「いや、ぼくは殺されるような事はないから、普通に名前で……」
「お前本人になくたって、おなえの親にはあるかもしれないだろ」
またまた物騒な、そう首をかしげた後思い返した。
保護下にある子供の悠人でも、学園では散々にいじめられている。
後発で大財閥を脅かす存在として名を馳せてしまった御影産業、親の売った喧嘩に巻込まれている可能性は大いにあった。
考えたくないが、そういう会社の子供である事と、恋歌に言われた「好きになって隙を見せた」という言葉がリフレインするに注意は必要なのだと
「そうだね、気をつけるよ」
申し訳なさげに頭を掻く悠人を、戸口に立ったままで見る赤は鼻息で理解を認めると
「で、あだ名を教えろ。それでテメーを呼ぶからよ、賭場の名前もそれで登録だし」
早くしろという手招きの前でわずかに思考の時が止まる。
あだ名……
そんなふうに呼んでくれる友達が作れるほど新都学園の仲間はいなかったとこに、困ったと顔がこわばる。
「……今までそんなふうに呼ばれた事がないので……」
いや実はある。
「悠ちゃん」という三重時代のあだ名というか愛称が、でもそれは使いたくなかった
「じゃあ「影」で」
日陰者の今をよく表し、しかも本名の一部。
恋歌の忠告を思い出し、この先の賭けで冷静であろうとする思いを込めたつもりだった。
「そうか……ハゲでいいのか、リングネームはハゲ、随分ハードコアなあだ名なんだなお前」
そこに至ったわけだ。
数分前のやりとりを思い出しながら悠人は歩いていた。
草木生い茂る渋谷区街の獣道を
「……当然のことであれなんですけど、僕賭け事した事ないんだ。赤さんはいつもそうなの?」
「……そうですか、赤は……、まあいつもあんな感じですよ」
少しかすれた小さな声、意図的にトーンを下げたその声の主は小さな背中を見せるだげで決して悠人の側に顔を向けようとはしなかった。
というか、派手なワッペンが飾られた黒のパーカー、フードの中に顔を隠して見せる気はないという雰囲気。
「良い勝負をするためにコースを教えてくれるってことらしいけど……結構ジャングルだね」
「……まあ、がんばれよ、ここは……東京都の裏庭なだけだよ」
そっけない、間が持たない。
悠人は赤との賭けに応じた。
今まで賭け事なんて一度もやったことのない身として、恋歌にそそのかされたわけでもないのに随分と空高い清水の舞台から飛び降りたものだと自分でも感心していた。
未だに心臓が大きく動作する鼓動を頭に感じるほどだった。
そして今、その賭けのステージを赤から紹介された小さな少年に案内されていた。
コースを教える理由は単純明快、賭けを盛り上げるために簡単に悠人を負けさせない為
「このレールの上をトロッコで走るってことですよね」
声の感じからして年下なのはわかっていたが、上から見る事はせずいつもの癖で丁寧に尋ねる
「そう、あんたはここを走る……。時に自力で、時に滑車の力で、最後は……運で」
運で走る。
それが正解なんだろう、この森の中を走る日本のレールはかつての鉄道のものと比べても細く小さなものだった。
これは勝手に作られたこの街の足、そして今は運命を賭ける乗り物だ。
渋谷区街はかつて日本有数の人口密集地であり、昼夜を問わず人が行き来した巨大な道を持つ街だったらしい。
もちろん悠人も人口流入の話は聞いていたが、東京に詳しいわけではなかったので興味深い話をじっくりと聞いて生きた。
渋谷区街。
元は渋谷区のメインであった街の歴史を。
かつて若者が集まり流行を発信する街として有名だったここは、人口流入によって「無法な」若者たちで溢れかえり東京の治安を大きく低下させる原因となった。
結果新生23区の成立とともに封鎖地区となり今に至る。
名ばかりの封鎖地区。
無理やり樹林し森と化した渋谷区街中心部は、インフラまでもカットした都内のジャングルへと変わった。
その広さたるやかつての渋谷駅を中心に山手通りという尾根と外苑通りという尾根で谷を囲んだ規模、もとより神宮の杜や隣接する新宿御苑のせいもあり、上空からみれば全てが緑で囲まれた場所といって過言でないところとなっていた。
無法の輩を排除し人の流入で少なくなった緑を増やそうとした、にしては大雑把だった計画の末に、ここはインフラを自分たちで作る原始的生活で生きる者達の街となっていた。
だから同じ離宮区にあるのに新宿区街とは完全に区別された土地。
住み着いた者達は自分たちのために、原始的なインフラを作り出した。
かつてのインフラを申し訳程度に復旧、移動用にトロッコ電車をつくり、木々の根元を宿とする、本当に質素な生活を始めた。
だが時とともに生活者は排除され、結果的にここは元の木阿弥である「悪しき」に陶酔する若者の街となった。
その日暮らしに狂乱するギャンブラー達の街。
となりに国営のカジノを持つ新宿区街があることを考えれば、効きすぎた皮肉である。
そしてそれは悠人にとっても効きすぎていた
「まさか僕自身が望んで賭け事をする事になるとは……」
交流会というお題目の下、佐伯に誘われカジノに行く予定だった。
もちろん乗り気ではなかった、賭けるという行為自体をよく理解できなかったし、学生の身分でするものではないと決め込んでいたのに、そう思えばため息も溢れるというものだ
「賭けに乗った事を……後悔しているの……か?」
こうして赤と自分荷物奪還と交流会への帰還をかけたレース、その下見を勧められ歩く悠人の前にいる少年は足を止めていた
「後悔って言うか……なんだろう、今までない経験なんで」
胸に手を当てる、跳ね続ける鼓動は何に反応しているのかを考える
「ひょっとしたら僕は楽しんでいるのかも知れない……」
落ちた奇跡、運命のゲーム。
今までの日常の中にはなかった劇的な変化。
窮屈だった学園生活の枷は、あの時壊れたにちがいない。
恋歌と出会った事で、少しずつ箍は緩んだ。
東京という見知らぬ街に呼び出される前から、自分を戒めるように厳しく縛り付けてきた心が日常を破壊する者に手を引かれて飛び出していた
「そうだ、これが楽しいって事なのかもしれない……」
感情が欲しい。
そう言った恋歌の気持ちが少しだけわかった気がした。
自分も感情を殺して生きてきたのだ。
三重にいた頃も、本当に小さかった頃だけが本心だだ漏れの自分だった。
あの日、母の事故以来、自分というものを隠してきた。
いや自分である事で被った不幸を押しとどめるために感情を殺して生きて来た。
そうだ感情が無かったのは僕も一緒だ。
恋歌もそういう身の上なのかもしれないと思い直していた。
逸脱した事で復活を得た感情のままに従う事の心地よさが、今この鼓動なんだと確信した
「後悔はしてないよ、むしろ楽しみになってきている。そんなところかな」
焦燥と疲労、緊張の中に宿る昂揚感でうつむいたままの悠人。
少年は何も返事はしなかった。
「強い……?」
「当然です、ニンブスの顕現は私たちの階梯を知る基準。羽根無鳥の貴女とは天と地ほどの差があるのですよ」
リニア駅の回廊へと向かう奥の道で恋歌はズタボロになっていた。
柱の間を巧みに使った瞬間移動、姿を見せては消える春山真珠のスピードについていけなくなっているのか、そう見せられているのか。
影と柱と感覚とをうまく使ったフェイク、スピードの緩急隠すテクニック、全てにおいて恋歌を上回る動きに目は彼女の誇りである光の輪だけを目標として追っていた。
両袖を擦り切らせたガードの姿勢を維持して
「落ち着きがない感じですね、なんか虫みたいですよ」
視線の前、一本ではなく何本もの軌跡が走る。
柱を蹴りまたは手でとまり切り返すそのときに発生する衝撃が枝分かれした光のようにしか見えなかった
「はは、何度もの同じ煽りを言う理由はなんですか? 私を惹かせたいのなら服従しなさい。私の力『支配』の前で貴女は感情経験値という糧でしかない」
張りのある声。
呼吸も乱れていない、動いていても普通でいられるという相手にどう一撃を繰り出すのか。
恋歌の視線はただ一点だけを懸命に追っていた。
前後左右、上下とも動く相手を探すという事はせず、冷静に気配を読み続けていたが……
「平伏しない理由はなんですか、それを私は聞いていますのよ、貴女に!!」
まったく見えず、まったく臭わない。
人が動いていればあるものがない、その果てにある延髄切り。
首の裏側という脳の尻尾を蹴られる、視線は一瞬で真っ赤になり黒い幕を引く。身体中を走る痺れが四肢の動きを完全停止の一歩手前へと走る。
「匂いもしない……あっ……花の匂いか……」
痙攣する思考回路、転がりながら答えを探す恋歌を真珠の笑みは冷めた目線で見つめていた。
まるで汚らわして物に触れたという光の輪を飾った手首を振って
「花の香りと言って欲しいものですね。私は貴女たちのような汗臭い戦い方はしないのです。そういうのはニンブスを持たぬ惨めな星のやり方にして「人間の戦い方」ですからね。私たちは人を超える存在として作られた、その意味を理解していますか?」
真珠の動きの中に混ざる花の香り、それが柱の間を流れる彼女の動きを示していた
恋歌の状況判断は完全に遅れをとっていた。
ボールのように受身もとれない状態で転がり、隣接してたい柱に背骨を打ち付ける形で止まる。
「……まったく、イライラするような感じですね、貴女は蚊ですか……」
「口だけは健在と、やはり名無しの星は生きている意味も希薄、無駄話ばかりで役立たづですね。不快です、消えてください」
「待てませんかね、暫時」
「待てませんよ、今すぐに死になさい」
静止の手をあげる動作も鈍い、明らかにダメージ大の恋歌へと真珠は飛びトドメの手刀振りかざしたが、一歩手前でターンした。
まるで銀盤を滑るスケーターのように綺麗に円弧を、石畳を削る鋭いラインを引いて恋歌から離れた
「ネズミがいますね、私を倒しに来たのかしら」
柱の向こう見えない影に向かう声、こだまのように影は硬い声で返事する
「いいえ、私どもの庭にて無礼を働く者がいるようなので、観察に参りました」
「そうよね、見たいわよね、孔雀の様に華やかなる私を」
「それは論外の見地ですよ」
聞き覚えのある声だった。
糸目の彼女、鷲尾白崇はいつものメイド姿で、ようやく四つん這いに体を立て直した恋歌の後ろに立っていた
「……論を用いず私の姿をただ見しようなんて下品ですよ」
「離宮区の窓口駅、そのコンコースで喧嘩をするのは下品ではないと?」
黒髪を一本にまとめた糸目、メイドの白い手袋は周りを見ろと言わんばかりに開いてみせる。
高い天井に道を示し続く間接照明、それに紛れるカメラを指して
「私どもは街を乱す行為が行われる事を望んでおりません、必要であれば専用の場所の提供はできますが」
「貴女の手の中で踊る気はないわ」
「ならば少し控え、礼節を示していただきたいものですね」
温度を落とす二人の会話、冷たく鋭利な氷を突き付けあう視線の中で恋歌は立ち上がった
「さてさて、ファンが多いと困りますね。相手は一人ずつにしていただきたいものですが……今日は気分という感じが乗りません。どうか明日以降にしていただけないものでしょうか?」
随分な物言いだった。
どう見てもて一番弱っている存在が、尊大な物言いで二人を退けようとしている。
「貴女がそんな事が言えたくちなのですか、あるのは平伏か死のみなのに」
カゲロウ、揺れるステップで真珠は姿を柱の側に隠す、光と影をうまく使い気配を消していく様子を前に恋歌は首をかしげ続けた
「戦いたいのは山々なのですが、今日はご主人様がいないのです。私の大切なご主人様が」
その目は無感情のまま二人を見ていた。
角度によっては困っているようにも、悲しそうにも見える顔で
「どうぞおかえりください、次の機会にはご主人様共々私の全てを持って歓待いたしますから」
冷めた口調、煽りを送っていた時と違う落ちたトーンは長く続く回廊に寒々しく響いていた
「良いですよ、今日は挨拶のつもりでしたから。次までに自分の処世をよく考えておくと良いでしょう。それではさようなら名無しの星さん」
花の香りはゆっくりと静かに消えていった、気配も影も
残ったのは恋歌と白崇だけだった。
コースを一巡した悠人は、バラックが並ぶ賭場の広場へと向かっていた。
この先のゲート、神社の鴨居のように仕立て上げられたそれをくぐったら、今日の賭けに熱狂する輩たちの前に立つ。
緊張が歩く速度を落とし始めていた
「……おいハゲ」
「違うから、それ間違っているから」
息を整える悠人に、少年は突然話しかけた
「……ハゲじゃないのか? 赤はそう言っていたけど」
「違うよ、全然違うってば、僕ハゲてないでしょ」
パーカに隠された顔では理解が及んでいるのかわからないが、小首を傾げる様子を見れば不安になる
「あのね、赤はきっと冗談でそう言ったんだし、聞き間違いだからね。僕は影だからね」
「そんな事は……どうだっていい、ハゲだとしてもバス停にいるおじさんからヅラを借りる事もできるらしいから……問題ないだろ」
「できないよ!! そんなひどい事できるわけないでしょ!!」
何を言いだすんだ、思わず食ってかかってしまった。
時代は進み植毛の技術は圧倒的に優れた今だが、当然自然髪に近づけようとすればするほどに価格も上昇し、クローン技術などの応用で若かりし頃の髪を取り戻す事だって出来ていた。
驚くほどの高額だが。
そんな事にお金をかけられない中産階級の人間にとって、頭髪に必死になって金をかけるなど愚の骨頂とされた。
しかし生活にしていく事に力を注げど、男にとって髪を失った頭はかなり寂しい。
だから当然のように安価にして安心の毛髪帽子であるカツラはあった、だけど人様においそれと簡単に借りられるものではない。
むしろバス停に並ぶおじさんに
「すいませんあなたのかつらを貸してもらえませんか」
なんて傘を借りるような気軽さで言えるわけないし、言っていいわけもない。
「……ひどい事……なのか? 友達からそういう事をいう人がいたと聞いたので……新港区では普通なのかと思っていた」
思わず飛び出してしまった悠人だったが、さすがに年下の少年に食いつくような事でもない
「酷い事なんだよ、それにうちの方でも普通じゃないから。絶対にバス停のおじさんにそんな事は言わないでね。きっと傷つくから……って、誰そんな酷い事いうの、ダメだよそんな人を見習ったら」
どう注意して良いのか迷う案件。
だが、外でこれを堂々と言われるのはさすがに、言われた人の顔が目に浮かぶというもの。
こんな年端もいかぬ少年にそんな事言われたら、ナイスミドルの重役さんでも、中年太り会社員でも、最後の砦を破られた痛みによって狂い泣きそうで気の毒すぎる。
ここで必要なのは年上としてしっかりとした注意だと思い直した悠人の頭に、そんな非道を口にしそうな人の姿が浮かんで吹き出していた
「……恋歌さんならいいそうだ……ダメだ笑っちゃうよ……」
自分を抑えられない笑いが、ついに口から溢れてしまっていた
「こんな事で……でも……」
訝しそうに悠人を見る少年、その向こうに見えるトロッコを置いたステージ。
緊張は吹き飛び、闘志にも似た心を燃やしていた
「はははは、もうなんだっていいや!! 楽しもう、やってやろうじゃないか!!」
緊張に固まっていた体は急に解れ、止まっていた足は力強く前へと踏み出していた。
「少しは自分の身の丈を痛感しましたか」
コンコースから少し離れた場所。
柱の影にあったエレベーターで地上界へと出た恋歌は、白崇から治療箱を手渡されていた。
陽の当たるラウンジに出て改めて見る恋歌の姿はひどいものだった。
両袖を破く打撃、腹部からスカートの端に至るまで各所に残った打撃の跡は赤く腫れ上がり切り傷すり傷のオンパレードだ
「黄道十二宮、乙女座をいただくもの。参議北条伊氏の娘、北条愛守姫の友としている星、あれが春山真珠です」
「名前は知っています、丁寧に自己紹介していただきましたから」
「そう、ならば己の無力さも知ったでしょう。彼女の力『支配』の前に貴女は負けたのですよ」
「『支配』それが彼女のニンブスの根元なのですね」
「そういうことですね、彼女の主人である北条愛守姫のもっとも強い感情。これに会いたいするものを貴女はもっていないでしょう」
あの柱の間の中で不自然にも素早く動いている真珠の超力は絶大だった。
まさにあの間を支配していた。
空間の重力さえも支配した力、それを知った今ならば。
白崇の話は決まっていた。
ただで恋歌を助けるわけもない、巨大なる星である乙女座を倒すために 手を組めと言いやすい状況を待って登場し助け舟を出したのだから。
「負けを知って屈辱を知ったのならば……」
「これを敗北というのですか? 負けという感情なのですか?」
懐柔する手管の仕上げとして紅茶を用意していた白崇の前、恋歌は活発に自己再生をする体と巡ってきた血の色で熱くなった手のひらを開閉しながらとぼけた目を見せていた
「ああなると人は悔しいとか、苦しいとか、そう感じるのですか?」
「何も感じなかったとでもいうのですか?」
「感じる? 私は自己防衛のために戦いますがそこに愉悦はありませんよ。あるのは計算だけです」
「……悔しくはないと?」
悔しくないのかもしれない、そう考えてしまうほどにあっけらかんというよりも生気が抜けてしまっている恋歌。
サイボーグの充電中のような返答に白崇は不振を感じていた
「悔しい? それを理解するためにご主人様がいるのに。私一人で何を解れと言うのですか?」
運んでいトーレとカップを置くと惚けたままの恋歌の目を見た。
星座の子特有の黒目と白目の間にある刻印を
「Code69羅針盤座、ZaphenathPaneah110? これは……」
「やめてくださいよ。そうやって人の顔を、ここは恥じらいという感情を見せた方が良いのですか? 真似するぐらいはできますよ」
近寄っていた顔に、さらに近づく挑発するような恋歌は立ち上がった。
「世話になりました、とりあえずホテルの方に行きたいと思います」
「待ちなさい、私たちと……」
「手は組みませんよ、私はまだ何も味わっていませんから」
いつの間にか炎症を起こしていた肌は白く、普段の色へと落ち着いていた。
薄く笑みを浮かべた恋歌は、断りを入れておきながらも用意されたメイド服に着替えるとドアから外へと
「ああまったくもって憂鬱です、感情が得られないと決まって闇を見てしまう。勿体ないことをしました、ご主人様がいれば私はさらなる感情を獲得できたかもしれないのに、まったくもって残念ですが……次回あの女に会えたのならば三途リバーでバタフライさせてやりましょうぜ」と。
そういって日の高くなった騒がしい街へと歩いて行った。
賑やかな通りの中を、萎みきった無感情な顔を晒しつぶやいた
「ああご主人様、貴方がいないと私の魂は燃えないのですよ。ああとても暗いのです、早く帰ってきてくださいよ」
「……あんな刻印は見たことがない、乙女座にもなかった」
白崇は部屋の壁に先ほどの戦闘を映し出していた。
特殊な偏光を受けることで星の子たちの目には刻印が浮かぶ。
意外なことに本人たちには知らされていないのに、この刻印は必ずあるのだ。
白崇はそのことに気がついた珍しい側だった。
「星座の子は初期状態では「感情」が薄い、それは通常の人間にある感情の根幹部分しかもっていないから……、それを起点とし喜怒哀楽を感情経験値として蓄積するため。裏を返せば初期状態でも喜怒哀楽の基礎的位置は必ず持っていて、それが理解できないということはないはずなのに」
理解できなくない。
当然あんな敗北をすれば苦味に悔しさをにじませるだろうに、恋歌の反応はあまりにそっけなかった。
ただ主人との付き合いが深くなれば良い感情を蓄積できるとも限らない。
だから希薄なのかもしれない、白崇は恋歌の主人を見たことはなかった。
「……あった、Code86乙女座……? esau・w2?」
真珠の顔を写し、拡大した目に見える刻印
「時間とともに刻印が変化する? 我が主星にも変化が現れているということなのでしょうか?」
各々が胸騒ぎを抱えた初日、その夕暮れが迫っていた。