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01 羅針盤の少女

 「清く正しく……質素で目立たず、そうやって暮らしてきたのに」

 息を切らした声で呟いたのは、辞世の句というよりも生への執着心からの愚痴だった。

今年16歳になったばかりの御影悠人(みかげ・ゆうと)は死の実感をまだ感じられない若者にすぎない。

だが現実には自分の腹から下に溢れる赤い雫に恐怖を感じていた。

学生服のカッターシャツ、その白さ故に赤く滲む血の花は鮮やかだった。

そう夕映えに生えるサビ鉄の世界の中で「生」を教える色、そして抜けていく生気があった。

「あっはっはっはっはっ!! いい感じに弱ってるんじゃねーの、成金ぼっちゃんよぉ!!」

 割座を崩したように足を引きずって這いずる悠人の背中には狂気が迫っていた。

石畳に残る血のラインを追ってきたそいつは、振りかざしたナイフに舌なめずりをしていた。

世紀末の住人といって差し支えない飛んだ目線は、そのまま一振り悠人の背中を切った。

「いいねいいね、もっと逃げてくれよ、もっと血をさ、そうだよベタベタに血を吹きなよ、その色がサイコーなんだよー!!」

 狂っていた。

目線が飛ぶほど何かに浸かった顔はナイフで裂いたのような大口に舌を垂らしい迫る。

黒革のジャケットも足に張り付く革パンもところ構わぬ破れ具合が、この無法者を黒々とした蜷局の中から具現した禍々しい悪魔に見せている。

「待ってください!! なんで僕は殺されなきゃいけないんですか!!」

「理由なんてねーよ、死ね死ねだよ、死ね死ね!!」

 相手の高笑いが癇に障った。

逝くにしてもこんなふざけたヤク中患者のような悪党に、遊び半分で殺されるのは納得のできない事だった。

だが恐怖には勝てず振り返らない背中のままで、目を見たら殺されるという直感の中で必死に問いただす。

「僕、あなたに何かしましか? 何もしてないですよね!!」

「何もしなくていいんだよぉ!! ただ死んでくれたらいいだぜー!!」

 正気じゃないものに理路はまったく通じない。

転がって顔を合わせた時、悠人は心の底で理解した。

「この人を説得するのは不可能、果てしなく無駄な事だ」と。

 同時に胸から腹にかけて深く刺さったナイフであっけない終わりを拒絶しようと目を見開いていた。

「こんな事なら……こんな事なら……引っ越さなきゃよかった、実家にいたら……こんな目に合わずに」

 体から抜けていく熱い血、それが早回しで見せる走馬灯を巻き戻すように後悔の波をなんども被っていた。




 父からの突然の命令だった。

東京を離れた三重の片田舎でのんびりとした生活を送っていた。

一流の学校ではなく公立の小さな小学校から、同じく小高い山の上にある中学校に通うハズだった。

「東京都新港区にある新都学園に編入せよ」と。

 牧歌的な田舎の景色をがらりと吹き飛ばす世界への出向を命じたのは、まったくもって突然の電話だった。

当然反発した。

昨今の世の中、三重から行ける大きな都市は名古屋がいいとろ、それを何もかもすっ飛ばして東京に行くなど考えられなかったからだ。

「そうなところに行きたくないよ、なんだって言うんだ父さん!!」

 なんだというのか。

問い正しかったのは父の蝋梅ぶりだった。

 御影産業を一代で大きくした父、御影旅人(みかげ・たびひと)は口数の少ない男だった。

慎重な中に大胆な策を使い、西日本海大震災以降の日本に起こった一企業としては恐ろしい勢いで大きくなった会社。

重鎮としての威厳はもとより、厳つい顔で多くの社員を躾けてきた男の声とは思えなかったからだ。

会社の守護神とも言える男の声が、上ずりと焦りにまみれていたことに逆らった。

「中学まではここにいたいよ、高校にしたって名古屋までで結構。そのかわり父さんとの約束を守って大学は名古屋で一番のところに入ってちゃんと経営を勉強するから」

 地元愛というよりも、地元の友達から離れて都会にでることへの抵抗だった。

悠人の懸命な言葉に対して父の声はそれ以上の懸命を告げていた。

「そんなことはどうだっていい、悠人。会社を助けるためにどうしてもお前の東京行きが必要なのだ」

 驚いた。

会社がヤバイというのを父から聞いたことに。

「父さん……会社……」

「正直に言う。御影産業は今崖っぷちにいる、西ノ島新都の建設において尋常ならざる負債を背負ってしまった」

 御影産業は建築業界においては後発の会社だった。

だが新式建築方式を積極的に取り入れ、震災後の関西及び九州の復興に尽力することで西日本に絶大な基盤を作っていた。

旧来あった建築屋に財団を追い抜く勢いの大会社となった今、会社が傾いていたなど寝耳に水の出来事だった。

悠人には返す言葉がなかったが、それがどうして東京に行くことにつながるのかは聞きたかった。

「どうして、それで東京に行くことに?」

「信頼のためだ、会社を信じてもらえなくなったら二度と立ち行かぬ事になってしまう」

「俺は担保なの? 父さん」

「……賢いな悠人、そんなところだ。すまん、会社のために延いては全社員とその家族のために父の言うことを聞いてくれ」

 断れなかった。

友達と離れて一人で暮らす事の不安は、会社が抱える社員の行く先へとすり変わり、個人の持つ不安もまた、社員と家族一同の行く末には変えられなかった。

個人を捨てて、知らない土地に行く、それは快諾とは程遠い苦渋の中で無慈悲に動いた運命だった。




「……こなきゃよかった……」

 痛みで霞む思い出、三重にいたらこんな思いをしなくて済んだという悔恨は、人生を終局に導くモノクロの走馬灯よりもいっそう鮮やかなものだった。

見も知らぬ土地である東京について募ったのは不安ばかりだった。

なにより学校に行くことが辛くて仕方なかった。

父の要望により東京に行けばそれで終わりならばまだよかったが、続く願いにあったのは東京に新しく新設された23区の1つ「新港区」に作られた財閥御曹司御用達の新都学園への編入であり、外様から入った悠人の心に苦痛になっていた。

 後発の成り上がり会社、その御曹司。

旧来からある大財閥や老舗の会社の子供達が快く迎えいれてくれるはずもなかった。

編入から向こう、冷たい視線が雨あられならばまだ耐えられたが日常的に暴力が応えた。

日なたでは行われず、されど影ばかりで行われるわけでもない。

プレゼンにかこつけての貶しや誹り、部活動や体育に絡む物理的攻撃の陰湿さにうんざりしていた。

「質素で目立たず」を旨になど、およそ16歳の青年が目指す指標から外れたものに従ってきたのもそのためだった。

目立てば叩かれ、財を見せれば罵られる。

こんな日常に疲れていたことを思い出した時、悠人の心は折れた。

目の前に振りかざされたナイフはスローに見えていたが、避ける防ぐという神経は働かなかった。このまま一直線、短い人生が終わるのはやっとの苦しみからの脱出かと目を閉じた。

「もういいや、死んでもいいや」と。




「おひかえなすってご主人様」

 数秒、明らかに刺さる時間は超えていた。

そこから少し薄く開いた目の前にナイフはいた、白い整えられた爪を持つ手に止められる形で。

「約束の場所にいて下さらないと困ります」

 ナイフを持ったヤク中の声ではなかった。

悠人の真ん前、背中にヤク中という不穏の濃度が高い間に彼女は立っていた。

メン○レータ○ムの看護婦よろしくロングスカートに白いエプロン、レースのヘッドドレスと髪飾り。

この殺風景な開発中の港桟橋にはふさわしくないメイド姿の少女は目を丸くしたまま悠人に問うていた。

「聞いていますか? それとも今死にそうなことの方が大切ですか?」

 大切なわけがない、大切というよりは一大事である。

「えっと……でもこの状況で……」

 シャツは血染め、意識は飛び飛び、いくら理路整然と言われても良い答えなど出て来ない。

それにここは二人の場ではない、凶悪で狂った男が後ろに控えて待っている。

「そんなことより後ろを……」

「テメー!! こらー!! アマー!! なにしやがる、俺の可愛いナイフのべティーちゃんをはなしやがれ!!」

 悠人を刺すために伸ばされていた凶器、それは刃の背を掴む形で止められていた。

少女の綺麗な手に掴まれたまま、ヤク中が引っ張っても取り戻せないという珍妙でシュールな図となっていた。

 「暫時静かに黙っていてくださいませんか? まずはご主人様とお話ししないといけませんので」

 騒ぎ立てる悪党を前に少女は冷めていた、というよりもむしろ不機嫌な顔をさらしていた。

正反対に怒り心頭な凶相と、血の気が文字通り抜けて青ざめている悠人を交互に見ると振り返り静かに注意と人差し指を立てて、そして蹴っ飛ばしていた。ヤク中の悪党を。

 古木をへし折った時に響く鈍い音、明らかにダメージ大を知らせる打撃音とともに悪党は吹っ飛び水道管が這う壁に背中をぶつけると前のめりに、ガードの腕が上がることなく顔面から地面へと倒れこんだ。

広がった桟橋の隅から、飛距離10メートル以上。

まるでゴムで後ろに惹引っ張られるように飛ぶ、映画でも見ているようなものに悠人の目は点になった。 

「さっ、静かになりましたよ。話し聞いてますか、ご主人様?」

 飛ばされた先で悪党が激痛にのたうつ姿を前に聞いていろと、そう尋ねたくなる一瞬の出来事を前に少女は何事もなかったかのように自己紹介を始めた。

「申し遅れましたが自己紹介を。御影産業ご当主御影旅人様からの要請に応じ新港区メイド組合からきました。恋歌(れんか)・ピクシスと言います、以後お見知り置きを」

 御構い無しの紹介を前に悠人はなんとか返事をした。

「……御影悠人です。どうも……ピクシスさん」

「恋歌とお呼びください」

「はい……」

 淡々とした紹介の中でも悠人の傷からは血が流れ落ちていた。

意識が夢心地になる中で恋歌は説教を続けていた。

「言い難いことですがご主人様、待ち合わせ場所や時間にルーズな方は嫌われますよ。私はメイドにすぎませんが普段の生活からこうだとすれば、それは大変に人生の損失でございますよ」

「逃げて……」

 真顔で立腹、唇を尖らせた恋歌の後ろ、悪党は振りかぶりわめきながら走っていた。

「逃げて!! 恋歌さん!!」

「逃げるとご主人様に刺さりますよ」

「僕は……もう」

 すんなりと諦めの言葉が出ていた。

正直なところ、混乱が混乱を読んで真逆の冷静に考えは至っていた。

父の頼みで新都に来て2ヶ月、夏休みに入る手前の月になってメイドを送ってくる。

何かしら会社に余裕ができたというサインだと思った。

会社は傾きから復旧を得たと、安心して死にたくなったのだ。

「僕はもういいから、恋歌さん逃げてください」

 ナイフに向かって身を投げ出した。

「いやです、そんな条件では納得できませんよ」

 一瞬だった。野獣となった悪党のナイフへと恋歌を押しのけて身を投げたはずだった悠人の前に、小さな背中は立っていた。

悪党のナイフをまたも掴み取った姿で。

急停止をかけられた悪党は恋歌に足を引っ掛けられそのまま遠くにすっ転んでいた。

「こんなセンスのないドスで命を捨てられるなんて安い安い。さて問題はそこではないので改めて聞きますよ」 

 向き直った目に感情の色は見えなかった。

悠人の襟首を捕まえ息の届く位置に顔を近づけていく、いくら弱った体とはいえ男の悠人を軽々と引っ張り上げる。

「よろしいですか。ご主人様あなたは死にたいですか? 殺されたいですか?」

 死ぬと殺される、どちらもこの世を去ることに変わりはない。

不可思議な質問は霞む目の中でも頭の回転の早い悠人は理解できていた。

要は悠人の命は救いようのないところにいるという、何度か体を刻んだナイフで血はかなりでていた、第三者が見た現実的な意見として助からない自分の姿からでた質問だと。

ならば苦しみたいとまでは思わなかった。

「……死にたい……かな」

「そうですか、では生きてもらいます」

 チグハグな答えは真顔のまま返されると。

「痛い思いして殺されるのはいやなのでしょう、だから殺させません。ご主人様が捨てた(たま)は私がたった今拾いました。ゆえにあなたの人生における殺生与奪は私のものです」

 驚愕の返事の先にあったのは、目の覚める光景。

人差し指を立てて説教する恋歌に向かい、真横から黒豹の影と化して悪党のキックが飛んでいた。「やめろ……」そう叫ぶ声より早く。

「メイドさんよぉぉぉぉ、そのぉ柔肌ざく切りにさへろぉぉぉぉぉ」

 甲高い奇声に怖じずに恋歌は動く、相手の足を見ることなく小さなサイドステップ、目の前に迫った足の甲にナイフを。自らが発した円弧の動きに合わせ綺麗に刺す。

 さすがに意識朦朧の悠人も、恋歌の発言に続く暴力の旋風に目が覚める。

自分の前に恋歌が死ぬことになるという心配は、悪党の超人的麻痺にもあった。

薬のやり過ぎか、痛みを感じないのか足に刺さったナイフを引き抜いて舌なめずり、もはやまともな言葉を発していない声はまさしく獣のごとくだ。

「逃げて……恋歌さん」

「ダメですね、逃げるという発想がダメです」

 狂った咆哮で場を凍えさせる悪党など見もしない、恋歌の丸い目は冷たく笑っていた。

白い指先を悠人に伸ばし首筋を流れるように落とす。

瀕死の血を掬ってひと舐め、時間はゆっくりと巻く、走馬灯のように駆け足ではなく、争う思い出のようにセピアでもない。

ただ現実の時間がゆっくりと滑らかに動いて見える。

確信を得て尖った瞳とともに。


「戦わざるもの生くるべからず」


 大きく振りかぶった悪党の胸に真正面からの掌底、寸間で詰めた距離に遅れて音が続く。

打撃に飛ぶ悪党、くの字に折れ浮かんだ足を掴み引き寄せる。

苦悶の顔に恋歌の拳は顎を砕いてさらに上と振り抜かれていた。

石が砕けるような鈍くも耳に届く棘の音を響かせて。

 すべての動作が見えていた。

早すぎるそれは根をはるように力んだ足元に回転の砂煙りをあげ、地面をえぐる形で戦闘を終えていた。

「君は……」

「先ほど言いましたよ、私の名前は恋歌・ピクシス(羅針盤座)。ご主人様、あなたの人生を糧とし88星座の中から最初の天使になる者」

 悠人の意識は深く沈み始めていた。

だが自分がこのまま死んでしまう、という恐れはなかった。

夕闇が少しずつ青い色を落とし、地上の星が光る新品の町が夜の顔をみせる中。

初めて出会った少女の目に希望を見ていた。

「何か……変わるかも……」

「ええ世界を変えてみせますよ」

 恋歌・ピクシスと御影悠人、21世紀末を越して幾星霜のこの時に冒険は始まった。




久しぶりの現世です、がんばっていこうとおもいます!!

感想くださるとうれしいです!!

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