落ちているようだ
俺が驚きで固まっている間にも、ガキはげしげしと俺の頭を踏みつけてくる。
「あっははっ!使えない勇者なんて、さっさとやられちゃえばいいのに!」
笑いながら、ぐりぐりと回転を加え踏みにじる。
その笑い方とか声の調子とか、高校時代、俺を虐めていたあいつみたいで。
気がついたら、俺はそのガキを地面に押し付けていた。
「うるっせえ!糞ガキが!」
感情があふれ出す。
ずっと、言いたくて。でも、言えなくて。
それが、胸の奥からせりあがって、喉を焼いて、口から飛び出す。
「いいか、よく聞け!人をそう簡単に馬鹿にすんな、簡単に傷つけんな!他人を貶めて優越感に浸るな!ついでに、目上の人はちゃんと敬いやがれ!!」
あいつに向けたかった。放ちたかった。
何度も何度も、心の中で繰り返した、言葉。
あいつは強くて。
当時の俺は、全く歯が立たなくって。
あいつは、クラスの人気者だったから。
卒業式にはなぜか出てこなくって、そのことに凄く安堵した自分がいて。逃げている、って、誰もいない教室で自己嫌悪して。
今、あいつとこのガキが重なって見えたから。あいつより弱いこいつなら、俺にだって言えるんだ、って。思わず叫んでいた。
…自分より年下の、自分より弱いはずの存在に、何八つ当たりしてんだと思った。
ひとしきり叫んだ俺は、自分の下から聞こえる泣き声で、はっと我に返る。
やべ、人のこと簡単に傷つけんなって言ってる自分が、今ガキに怪我させてんじゃん。
慌てて頭を押さえつけてる手をどかして、様子を見る。
げっ、たんこぶできてんじゃん。痛そ…。や、やったの、俺なんだけど…。
ご、ごめんねー、悪気はなかった…と思うんだ、ちょっと暴走しちゃっただけで…。
ガキは、いきなり地面に押さえつけられたと思ったら、今度は慌てて謝りだす俺を見て、ポカーンとしてた。
で、周りを見渡してみて、はっと気づく。
この部屋にいる人全員が、目を大きく見開いてガキを見ていることに。
………あ、やべ。このガキ王子じゃん。
俺、おわた?
ええ、現在、フリースカイダイビング~パラシュート無し~体験中です、はい。
どうやらあのピー●城、空中に浮いていたようで。
あのあと、いつのまにか出現していた甲冑騎士によって、窓から放り出されましたよ。気がついたら空中でした。落ちる一瞬に見えた、プレネリちゃんのあせってるような表情が、やけに印象的だった。
あーあ、無礼者は裏口からお帰りくださいってか。乱暴だな。
この自由落下が始まってからずっとしてた風切音は、なんかもう聞きなれ過ぎたのか、ちょっと前から聞こえなくなっていた。
何も聞こえない。
自分の声さえも。
落とされたときは、あんなに叫んでたのになあ。
はは、ははは、ははははは、はーっはっはっは。…ふう。
俺はこの終わらない落下に、どこか壊れてしまったのかもしれない。
あんなに鮮明で、恐怖の感情しかわかない死のイメージも薄れて、気持ちが悪かった落下の感覚も、ずっとこうだったかのように慣れきっていて。
俺に安全で、しっかりとした地面をくれるなら、もう何も望まないからってぐらい、この状況から助けて欲しいと、あんなに願っていたのに。
今は、このままずっと落ちていたいと、そんな気さえしてきた。
周りは雲ひとつない青。上に見えていた岩盤も、とうに見えなくなった。
ああ、なんて綺麗なんだ。青い世界、素敵じゃないか。
でもやっぱり、頭に浮かぶのは先ほどの出来事。
どこから記憶を再生してみても、結局行き着くのはこの一言。
(畜生、俺が何したっていうんだ!)
いやそりゃあ、王子君を跪かせるなんて暴挙やっちゃったけどさ。
気にかかるのは、あの一言。
「使えない勇者なんて、さっさとやられちゃえばいいのに」
あの時は気づかなかったけど…この言葉、よく考えてみれば、ちょっとおかしいことに気がついた。
勇者は、世界を悪の手から守る、正義のヒーローの代名詞のはず。
少なくとも、俺の知っている勇者はそれにあてはまる。
なのに、応援するならまだしも、やられろなんて…。
もしかして、使えない勇者とやらが過去にいたのだろうか。
それとも、この世界の勇者は、俺の知っている勇者とは違うのか…。
まあ、もう知るすべはないんだろうけど。
しかし、この世界。なんて世界なんだろう。
ここはどこかっていう問いには、俺のいた世界とは違う、一言でいうと異世界だっていうので、ちょっと前からもう自己完結してた。
まあ感想は、異世界ってあるんだなあ、程度だったけどね。だって俺、小説家だし。非日常は慣れてます。妄想で、だけど。
しかし、あの時のリンリン、可愛かったなあ。
俺を助けるためにドラゴンに突撃とか、かっこいいです。そんなあなたを守らせてください。
どんな魔法だか技術だか使ってるのか知らないけど、リンリンが動いて喋ってくれるのなら、こんな理不尽なことが起きる世界でも、好きになれる気がした。
それはずっと、俺が願っていたことだから。
リンリンは、俺の一番の友達で、ずっとそばにいた存在だったから。
ああ、リンリンにもう一度、会いたいなあ。
…そんなことを考えていたら、左手に何かを持っているような感じがした。
あれ?おかしいな。俺、何も持ってなかったと思うんだけど…。
重力のせいでか重たい頭を動かして、左手の辺りを見る。
俺の手は、赤紫色の表紙の、分厚い辞書のようなものを掴んでいた。
…ってこれ、プレネリちゃんが渡してくれた本に似てないか?
そうそう、こんな感じの本を持って、サモン・キャラクターって言ったんだっけ。
今考えると厨二っぽいけど、それでブラックドラゴン(母)が出てきたんだもんなあ。あれ、どうなってるんだろう…。
…もしかして、これを使えば、リンリンに会える、のか?
どうせ落ちるだけで暇だし、試してみよう。
「サモン・キャラクター」
イメージする。空を自由に飛びまわる、小さな小さな妖精。俺のいた世界では、実在することのない存在。
ポンッ
もう聞きなれた、やけにコミカルな音がして。
ずっと会いたかった俺の心友が、俺を覗き込むように俺の目の前に現れていた。