Dearest Tale
始めこそ不安げだった少女は、おずおずと少年の手を取った。少年は小さな手を強く引き上げ、拍子に体勢を崩した彼女の身体を抱き留めた。
少年の腰ほどの背丈しかない身体だったが、温度は彼以上に温かだった。愛されながら育った証拠だろう。
少女はまだ潤んだ瞳で彼を見上げていた。
『お花がほしいの?』
少女が求めたモノ――――幻で咲かせた、触れることも叶わない花々を指差す。少女は無邪気な様子で頷いた。そして慌てて首を振る。
『もう帰らなきゃ……。お母さんに怒られる。友達がもう教えてるかもしれない』
あんまり素直に言うものだから、つい笑ってしまった。
『分かった。じゃあ引き返そうか。その途中にも綺麗な花が咲いているから、それを摘めばいい』
小さな手を握ったまま入り口までの慣れた道を辿っていると、大人しく並んで歩いていた少女がためらいがちに口を開いた。
『お兄ちゃん』
瞬間、深紅の瞳が丸くなった。
初めての呼び名だった。彼を指す言葉はずっと『精霊様』か『怪物』だった。
『お兄ちゃんは、怪物?』
みんなが言ってるの、と。臆さず言われた言葉に、自嘲が込み上げる。
『さあどうだろうね? 「みんな」が誰と誰なのか知らないけど、もしそうだったら?』
肯定も否定もせず問い返す。すると思ってもみなかった答えが耳を打った。
『私、お兄ちゃんが怪物ならうれしいよ。だって優しいもん。道を教えてくれるし、お花くれるし、私を食べないから』
少女は笑った。木漏れ日が少女の身体を輝かせた。
その笑みに、彼は何も言い返せなかった。求めていた感情に対して。
森の入り口に広がる花畑で好きなだけ花を摘ませ、少年は静かに少女に言い聞かせた。
『いいかい。 この森に入ったことは絶対に喋っちゃいけないよ。花は野原かどこかで摘んだと言いなさい』
口答えを許さない口調だったから、少しだけ少女の表情が曇る。胸が淡く痛んだが、言い直しはしない。
『分かった。秘密ね。……また来てもいい?』
『………それは』
君の為にならないと思うよ。
何故はっきり「駄目」と言えなかったのだろう。何故食べようと思わなかったのだろう。
名残惜しかったから? 彼の存在を「嬉しい」と受け入れてくれたから?
そんなに、彼女の傍が心地良かった?
囁きかける己への問いを無視して、少年はぐずる少女の背中を押した。
一旦森の外に出た彼女が戻って来ないよう、彼は入り口を塞いだ。
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あれから――――そう、十年経つ。彼女は大人になっているだろう。朗らかな笑顔は輝きを増しただろうか。
何よりあの瞳。
大きくて愛らしい瞳。今宵の空のような、濡れた漆黒。今は誰を映しているのだろう。
――――無性に会いたくなる。
来ない方がいいと告げたのは自分なのに。
複雑に絡み合う茨の扉。硬く閉ざされていた月狩りの森の入り口が、ゆっくりと人を誘い迎える。