Fond Tale
短めに切られた前髪を、うすら寒い風が攫おうとする。
大樹の太い幹に腰かけていた少年は、閉ざしていた瞼をゆっくりと持ち上げた。重なり合う木々の葉の間を掻い潜った月明かりが、少年を僅かに照らす。
冷たそうな肌の上で際立つ、若草色の髪と真紅の瞳。どちらも人間なら持たない色だ。彼のような存在を、人間は『精霊』と呼ぶ――――この森の近くに住む人々は、彼を『怪物』だと称しているが。
この森と共に生き、またこれからも永遠に存在し続ける精霊は、何人もの命を食らってきた。そのことが彼を怪物に仕立て上げたらしい。昔は、森の守護者と崇められていたのに。大昔はそれに対する生贄として、人間を差し出されていたのに。
時代が移ろい、今や誰もがこの森を避けるようになった。生贄を捧げる習慣も、自然と消え失せてしまった。
だから彼は森の入り口に罠を仕掛け、かかった人間の生気を吸い取る。
罠といっても、幻を見せるだけ。入り口に来た人間の望んでいるものを見せ、惹きつけ、森の奥深くまで誘い込む。そうして道に迷うこととなった人間を襲うのだ。確かに、人間の目には怪物に映るかもしれない。
少年は高い位置にある枝から飛び降りた。難なく着地して、長く伸びた大樹の枝や密集する葉の群れの僅かな隙間から見える、淡い黄金の月を仰ぐ。
この樹海は俗に、『月狩りの森』と呼ばれている。高くそびえ、生い茂る木々の葉が沈みゆく月を呑み込むようにゆっくりと隠すことから、名づけられたらしい。
月を狩る森。人を狩る森。
ところがたった一人、彼が狩れなかった人物がいた。何年も前の出来事なのに、あの記憶だけ鮮やかに思い出せる。
座り込み、綺麗な瞳いっぱいに涙を溢れさせた茶髪の少女。むき出しになった膝には血が滲んでおり、痛々しかった。
いつも通り罠にはまった人間を食べるつもりだった。
しかし目と目が合った瞬間、すがるような眼差しに囚われてしまったのだ。
澄んだ瞳。輝く泣き顔。誰かが助けに来てくれたものだと勘違いしたらしい。
でもその時には少年の食欲も失せていた。代わりにその表情―――― 一瞬だけ閃いた笑顔を、もう一度見せてほしいと思った。
誰も彼に明るい顔を向けたことがなかったから。彼を目にした者は皆、怯えや畏怖といった感情で表情を歪めていた。それに対して、何ら思うところはなかったけれど。
今思えば、心のどこかでは飢えていたのかもしれない。人間が親しい者と交わす感情に、晴れやかな笑みに。
だからこそ。
『どうしたの?』
手を――――何も持たない手を、差し伸べたのだろう。