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61.スタートラインは公平に

61.スタートラインは公平に


 孝太と温子は別れる前と特に変わりはなかった。ただ、温子が孝太のアパートへ一人で行くことはなくなった。

いつものように、温子はリサーチ活動に余念がなかった。メディアタワーを見上げながらその下を歩いていると、誰かにぶつかって思わす尻もちをついた。

「こんなところでよそ見しながら歩いていたら危ないわよ」

聞き覚えのある声に顔を上げると、温子に手を差し伸べているのは知美だった。温子は知美の手をたよって立ち上がった。

「藤村さん?こんなところで会うなんて寄寓ね」

そう言いながら、温子はお尻の辺りを手ではたいた。

「ええ、そうね。でも、それほど奇遇でもないのよ。私、この近くのアトリエで働いているの」

「アトリエ?」

「そう。アニメのキャラクターデザインをやっているの」

「ま、まさか、それって、“ムササビ”じゃあ…」

「あら!知ってるの?」

「知ってるわよ!この場所でアニメと言ったら“ムササビ”!アニメファンなら誰でも知っているわ」

「そうね」

「すごいじゃない?今度私も連れて行ってよ」

「それはどうかしら?遊びに行っている訳じゃないからなあ」

「お願い!CIPの取材とか何とか言って…」

「まあ、考えておいてあげるわ」

「きゃー!本当?うれしーい!」

「あなたって、本当に元気印なのね。なんだか調子狂っちゃうわ。ねえ、それよりちょっと時間あるかしら?」

知美は温子の天真爛漫な姿を見ていると何とも言えない安らぎを覚える。そして、そんな温子に興味を抱いた。

「時間?」

温子はチラッと腕時計を見た。夕方の六時を少し回ったところだった。

「いけない、そろそろ戻らなきゃ」

「どこへ戻るの?」

「部室に戻ってデータをまとめないと…」

「じゃあ、聖都に戻るのね?」

「そう!ごめんなさい」

「ねえ、私も一緒に行っていい?」

「えっ?でも、部外者は部室に…」

「私なら大丈夫よ。部外者じゃないわ」

一瞬、部外者じゃないと言う言葉の意味が温子は理解できなかったけれど、知美が何を言いたいのかはすぐにピンときた。

言いたいことが温子に伝わったと悟った知美は温子にウインクして見せた。

 

温子と知美が部室に戻って来ると部屋には良介しかいなかった。

「お帰り!温っちゃん。いつもいつも、せいが出るねぇ。おや、今日は涼ちゃんと一緒だったのかい?」

温子は知美を見てウインクした。

「いいえ、さっきそこであったから付き合ってもらったの。この後、食事して帰ろうと思って」

「そうか。じゃあ、俺はそろそろ帰るぞ。望がパーティーの後から機嫌悪いんだ。ちょっと、ご機嫌取りをしておかないと…。孝太のヤツ、また絡まれたらしいから。戸締まりは頼むよ」

そう言って良介はブレザーを肩からぶら下げて部室を出ていった。

「へ~!これがCIPの部室なんだ」

知美は物珍しそうに部屋の中を見渡した。そして、ある方向を向いたときに視線が固定された。コルクの掲示板に何枚も写真が貼られている。知美はそれに近づいて行って、興味深く眺め始めた。

「まあ、むさ苦しいところだけど、ゆっくりしてて。今日は、もう誰も来ないと思うから」

温子はそう言って、レポート用紙を広げた。

「うん!お構いなく。適当に暇つぶすから」

知美は掲示板を眺めながら、孝太が写っている写真を探した。当たり前だけれど、どれもCIPのメンバーと一緒のものばかりだった。

「!」

何枚か重なって貼られている写真の下の方に、見覚えのある背景の写真がわずかに見えた。上に重なっている写真を順番にめくっていくと、一番下にボウリング場での写真があった。メンバー全員で写っている写真だった。

前列左から、鵬翔、涼子、温子、良介、皆川、若菜、綾が座っている。後列には、伸一、望、孝太、知美、司、薫の順に並んでいる。

知美は温子の方をチラッと見た。温子はレポートに集中している。知美はその写真を掲示板から丁寧に外してバッグにしまった。

孝太と涼子の写真も何枚かあった。いくら似ていても、それは自分ではない。そんなもどかしさを覚えながら、掲示板のそばを離れソファーに腰を下ろした。途端に電話のベルが鳴った。知美はビックリして飛び上がった。

「あっ!藤村さん、でて」

「大丈夫よ。声も涼子と一緒だから分からないって!」

「そう言う問題じゃ…」

そう言いながら、知美はおそるおそる受話器を持ち上げた。

「良かった!まだいたな。君は涼ちゃんだね」

「はい、そうですけど」

「机の上に映画のチケットを忘れてきたんだ。正門まで持ってきてくれないか」

そう言うと、良介は一方的に電話を切った。机の上には、チケットの入った封筒が置いてあった。

「なんだって?」

「日下部さんが、これを正門まで持ってきてくれって」

「そう、じゃあ、お願い。私、もうすこしだから」

知美は仕方なく、封筒を手にとって部室を出た。校門まで行くと、良介がフェラーリの窓から手を振っていた。助手席には望がいた。知美は封筒を良介に渡した。良介は礼を言って車を発進させた。

知美が部室に戻ると、温子はもう片づけ始めていた。

「ごめんね。もう終わったから、何か食べに行きましょう」


 正門へ続く桜並木は外灯に照らされているものの、ほんのり薄暗くなっていた。温子と知美は二人並んで、ゆっくりと歩いていた。

「こんな時間までつき合わせてしまって、ごめんなさいね」

「いいのよ。どうせ、私は下宿に帰っても一人だから」

「一人暮らしかぁ。いいなあ。私、憧れちゃうわ」

「広瀬君も一人暮らししているでしょう。あなた、当然、広瀬君のところにも泊まったことあるのよね」

「泊まったのは二回だけよ。最初の日と、最後の日だけ」

「ねえ、広瀬君のアパート、教えてちょうだいよ」

「えっ?孝ちゃんのアパートを?」

「そう!あなただって言っていたでしょう?私たち三人はライバルだけど、スタートラインは同じにしておきたいって。あなただけ知っているのはずるいと思うわ」

正門を出る二人を守衛が敬礼をして見送っているのが見えた。温子は少し考えてから、知美にこう言った。

「そうね!分かったわ。じゃあ、今から行きましょう」

「えっ?今から?」

「そう!思い立ったが吉日って言うでしょう?涼子にはちょっと気の毒だけど…」

「それじゃあ、彼女も呼びましょうよ」

知美はそう言った。温子はすぐに涼子に電話をして、孝太のアパートがある最寄駅の近くのファミリーレストランで待っていると伝えた。







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