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53、一から始めるだけ

53、一から始めるだけ


 翌朝、温子は一度家に帰ると言って一人で先にアパートを出た。

その日、温子は大学に来なかった。やっぱり湯冷めをして風邪でもひいたかなあ…。最初孝太はそんな風に思っていた。しかし、次の日も温子は来なかった。涼子に何か聞いていないか尋ねても知らないという。1週間経っても温子は来なかった。孝太は、内心穏やかではなかった。

涼子に温子の自宅の電話番号を聞きだし、電話をしてみることにした。孝太は、中庭にある、電話ボックスに飛び込んだ。受話器を持ち上げ、十円玉を入れ、プッシュボタンを押す。受話器から呼び出し音が聞こえてくる。その時初めて孝太は考えた。

「家の人が出たらどうしよう。温子は朝帰りのことで家から出してもらえないのかもしれない。電話を掛けてきたのがその張本人だったら…」

だが、遅かった。受話器を一旦置こうとしたとき、女性の声がした。

「はい、廣瀬です」

「あ、あの、広瀬と申しますが…」

「ええ、うちは廣瀬ですが、どちら様ですか?」

「だから、その、ボクも広瀬と言うんです」

「あら、もしかしてお嬢さんの大学の?」

「はい、そうです。あの、温子さんいらっしゃいますか?」

「はい、はい、少しお待ち下さいな」

孝太は、ホッとした。程なく、受話器から、温子の声が聞こえてきた。

「孝ちゃん?元気にしてる?」

「元気にって、それはこっちの台詞だよ。具合でも悪いのかと心配したんだぞ」

「ハハッ、ごめんね。全然大丈夫だよ」

「じゃあ、どうして大学に来ないんだ?」

「時間が必要だったの。なかなか気持ちの整理が出来なくてね。でも、もう大丈夫だから」

「気持ちの整理って…」

「ねえ、孝ちゃん、良く聞いてね。私たちもう別れましょう」

「なんだって?」

「もう別れましょう。そう言ったのよ」

「どうして?藤村のことか?あれは…」

「違うのよ。そのことと、このことは、全然関係ないから」

「だったら、どうして?」

「それが、お互いのためだと思うわ」

「なんで?」

孝太には訳が解からなかった。

「孝ちゃんのことが嫌いになったわけではないのよ。今でも大好きだよ」

「だったらなんで?」

孝太は電話ボックスの硝子の壁を蹴飛ばした。

「明日からはまた大学に行くから。もう、心配しなくてもいいよ。それじゃあ」

そう言うと温子は受話器を置いた。電話が切れたあとには、プーッ プーッと虚しい音だけが受話器から聞こえてくる。受話器を耳に当てたまま、しばらくは立ちすくむしかなかったけれど、諦めて受話器を置いた。

全てが終わった…。いや、そんなことを考える気力もない。体の中から力という力が徐々に失われていくことに何の抵抗もできなかった。電話ボックスのガラスの壁にもたれて、そのまま崩れ落ち、しゃがみ込んだ。どこから湧き出て来たのか、目の表面を覆う液体越しに見る空の色はどんよりとした灰色で、ずっしりと重く、今にもこの世界を押しつぶしてしまいそうだった。


 部室へ向かう途中、電話ボックスの中でうずくまっている孝太を涼子は見かけた。涼子はおそるおそる電話ボックスに近づいた。

「孝太君?どうかした?」

孝太はうつむいたままそっと涙を拭った。

「涼子ちゃん?」

涼子は心配そうに孝太を見ている。

「孝太君、どうかしたの?温子に何かあったの?」

孝太はゆっくりと立上り、電話ボックスを出た。

「いや、なんでもない」

「でも…」

孝太は無理に笑顔を作って涼子に答えた。

「何でもない。温子、明日から出て来るって。さあ、部室に行こうか」

そう言って孝太は先に歩き出した。涼子はいつものように、孝太の少し後をついていった。そして、前を歩く孝太の背中を心配そうに見つめた。部室につくと、良介が孝太達に温子はどうしたのか尋ねた。

「大丈夫です。明日から来るそうです。」

孝太は答えた。

「そうか、なら、良かった。それじゃあ、みんな集まってくれ。次の仕事だ」

全員が席に着くと、望が次のプロジェクトについて話し始めた。孝太には望の話しはまったく耳に入っていなかった。


 とにかく、ある程度の時間が必要だと思った。あの日、温子は孝太との思い出を精算しようと思った。それは全てを忘れてしまおうということではなく、きちんとアルバムにしまい込んで、確かな思い出として整理しておきたかった。自分の気持ちとともに…。自分で出した結論に、悔いはなかった。

涼子の気持ちを知ってしまったからには、今まで通りでいるわけにはいかない。選択肢は三つあった。孝太をとるか、涼子をとるか、あるいはどちらもとらないか…。考えたあげく、温子は涼子をとった。恋よりも友情をとったのだ。

恋について言えばこの先、もっと素敵な人に巡り会うかもしれない。しかし、涼子との友情はこれからの人生においても失うわけには行かない。そんなかけがえのないものだと思っている。

温子は、そう考えた。自分が孝太と別れたことを知ったら、涼子はどう思うだろうか?私が涼子に遠慮してそうしたと思うかもしれない。涼子がそう考えたら逆に孝太と距離をおいてしまうだろうか?たぶん、それは大丈夫。涼子なら傷ついた孝太を放っておけるはずはない。しかし、当分の間、涼子が自分に気をつかわない様に演じなければならないだろうと温子は思った。その後、どうなるかは本人同士のことだから…。きっと、涼子なら、孝太とうまくやっていける。悔しいけれど、やっぱり、二人はとてもお似合いだと温子は思った。


 孝太の家に泊まってから、一週間経った。温子はどうにか心の中のアルバムを引き出しにしまった。その時、孝太から電話がかかってきた。温子は、孝太に別れを切り出した。孝太は納得できない様子だったけれど、温子はかまわず、受話器を置いた。後は、涼子がうまくやってくれるはず…。

「さて、明日から、また忙しくなるわ!」


 涼子が、教室に入ると、温子は既に、席に着いていた。涼子は温子の隣の席に着き、声を掛けた。

「久しぶりだね。どうしてた?」

「孝ちゃんに聞いた?」

「ええ、孝太君は大丈夫だって言っていたけど…」

やはり、孝太は涼子に別れたことを話していなかったようだ。

「ちょっと、考え事をしていたの」

「考え事?」

「そう、考え事」

「ねえ、孝太君と何かあった?」

「そうねぇ…。あったと言えばあったかしら。孝ちゃんはなんて言ってた?」

「何も聞いてないわ。だけど、なんだか元気がないみたい」

「そう?じゃあ、ちゃんと慰めてあげなきゃね!」

「そうだよ!」

「孝ちゃんったら、本当に何も言ってないのね。いい?涼子、孝ちゃんを慰めてあげなければいけないのはあなたなのよ」

「えっ?わたし?何を言っているの?」

「私、孝ちゃんをふっちゃったの。だから、傷心の孝ちゃんを慰めてあげられるのは涼子、あなたしかいないの」

「そんな…。ねえ、冗談でしょう?どうしたの?」

「本当のことよ。孝ちゃんが、元気ないのはきっと、そのせいなのよ」

「温子、どうしちゃったの?喧嘩でもしたの?」

「どうもしないって。当分はCIPの仕事をちゃんとやりたいの。だから、今まで通りの付き合いは出来ないの。それがたとえ孝ちゃんでも」

「うそ!温子、あなた、もしかして、私のために…」

「まさか!たとえ涼子でも孝ちゃんだけは譲ってあげないわ。それはこれからもずっとそうよ。今は、孝ちゃんをふっちゃったけど、また一から始めるの。だけど、もし、孝ちゃんの方が涼子のことを好きになったら、その時は仕方がないから諦めるわ」







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