48.心変わり
48.心変わり
その喫茶店の前まで来ると、孝太は最初にここへ来た時のことを思い出した。その時は結局、温子を最初にアパートに泊めることになった。
店に入ると、知美と洋子が奥のテーブルに座っていた。孝太は苦笑いを浮かべた。その席は温子が孝太を待っていた席と同じだったからだ。孝太がその席の前まで来ると、洋子が席を立った。
「じゃあ、私はこれで。知美、頑張ってね!」
洋子はそう言うと、孝太をちらっと見てから店を出た。
「早かったわね」
「ああ、店長が気を利かせてくれたんだ」
「二人だけで、会うのは初めてね」
「そうだっけ?」
「そうよ!高校の時は、毎日アルバイトで忙しかったでしょう?だから、私、ずっと我慢していたのよ」
「我慢って…」
「だって、そうでしょう?広瀬君が頑張っているのは知っていたから、邪魔しちゃいけないと思っていたのよ」
「そうなんだ。知らなかったなあ」
「私ね、泣かし荷君が広瀬君の机に相合傘を彫りこんだことがあったでしょう?あれ、広瀬君が自分でやったのならよかったのにって思っていたのよ」
「ああ、そんなこともあったな」
「ねえ、今、付き合っている娘、温子さんていったかしら?彼女とはこの先もずっと付き合っていくつもりなの?」
「そんなことは判らないさ。だけど、今は…」
「今は彼女しか考えられないって、自信を持って言える?」
「…」
「広瀬君って高校の時は、ほとんど人付き合いをしなかったから目立たなかったけど、私はずっと広瀬君のこと見てたのよ」
「…」
「3年間、ずっと待ってたの!だから、これからもずっと待ってるから」
「ずっと?」
「そうよ!ずっと!だから、お願い。私のこと、忘れないでいてね」
「…」
「ごめんね!今日は。なんだか、私だけ言いたいこと言っちゃって」
「いや、構わないさ」
「ありがとう。それじゃあ、私、もう帰るね」
席を立って伝票を取ろうとした知美の手を孝太は制した。
「いいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言って頭を下げると、知美はそのまま孝太の頬にキスをした。孝太はしばらくその場でボーっとしたまま動かなかった。いや、動けなかった。
このところ、温子は相変わらずリサーチ活動を続けている。たまに、孝太も付き合わされることもあったけれど、もっぱら、単独で行動しているようだった。リサーチといっても、飲み歩き、食べ歩きというようなものではなく、強いて言えば取材といった方が正しいかもしれない。
CIPの調査だと言えば、どの店もある程度は協力してくれた。そうやって協力してくれるときに聞く話の内容は本来の姿ではないような気がして、最近では、CIPの名を出さずに聞きまわることも多くなった。それでも、かなり耳寄りな情報を仕入れることができるようになってきた。もっとも、その頃には温子もその界隈でけっこう有名な存在になっていた。
孝太とは最近デートらしいことは、何もしていない。逆に、孝太は知美と会うことが多くなった。バイトがない日は“HIRO”へ出かけて行ったり、武蔵野の森駅前商店街を歩いたりすることが多くなった。
孝太が、未成年の知美に酒を飲むのは控えた方がいいというので、孝太がバイトの日に、知美が店に来ることもなくなった。来ても、ウーロン茶を飲むようにしていた。
“磯松”の店長は、孝太と温子が付き合っているのを薄々知っていたので、最近よく来る知美を見て、温子が店を辞めたのは孝太との仲がうまくいかなくなったからだと思っていたようで、それとなく孝太に聞いてみたこともあった。けれど、ひょっこり温子がバイト代を取りに来た時に、辞めた理由を話していったので、孝太はそう言った話から解放されたのだった。
そもそも、店長は従業員同士の恋愛にはあまり賛成ではなかった。だから、従業員ではない彼女が店に来ることには大歓迎なのだと言った。
大学のカフェテラスでボーっとしている孝太を見かけて温子と涼子がそばにやって来た。
「ねえ、孝ちゃん、最近、なかなか付き合ってあげられないけど、寂しい?」
温子にそんな風に聞かれて、孝太は返事に困った。寂しいと言えば、寂しい。しかし、最近、知美とよく会っていることを後ろめたく感じてもいたので、返事に困った。それでも孝太は何とか言葉をひねり出した。
「仕方ないさ。温子は温子のやりたいことを見つけたようだから、それを邪魔する権利は俺にはないよ」
「さすが孝ちゃん。話せるわね。でも、寂しいからって浮気しちゃだめよ」
孝太は内心焦ったけれど、今の状況はまだ浮気と呼べるようなものではないと自分に言い聞かせた。
「バカなこと言ってんじゃないよ。そっちこそ他で悪い男に騙されるなよ」
傍目には仲がよさそうに見えるけれど、そんな二人のことが涼子は心配で仕方なかった。いつだったか、涼子が“HIRO”に行ったとき、孝太が知美と二人でいるのを見かけた。それを、店の外から見た涼子は店には入らず、その場を立ち去った。
その次の日、涼子は温子に助言した。
「たまには、孝太君と付き合ってあげた方がいいんじゃないの?」
しかし、温子は取り合わなかった。
「孝ちゃんなら大丈夫よ。もし、浮気でもしているようなら、すぐにわかるんだから」
「でも、藤村さんのこととかあるでしょう?」
「そうなのよ、あえて気がかりなのは、そのことなのよね」
「だったら、やっぱり…」
「だけど、今は無理。これ(リサーチ活動)は、絶対にやめられないもの。だから、もし、そうなったちしたなら、それはそれで仕方のないことだと思うわ」
「そんな…」
涼子は、このままじゃダメだと思った。孝太が温子の恋人だから自分は今まで二人を見守ってきたのだ。温子と孝太が別れてしまったら、今までの自分の想いを我慢してきた私はどうなるんだろう。報われるものが何もなくなる。かといって、それなら自分が孝太と付き合おうなどという訳にもいかない。仮にそれが出来るのなら、苦労はないのだけれど…。
「まあ、相手が涼子なら譲ってあげてもいいかな。あなたなら、安心して任せられるわ。涼子も案外、まんざらでもないんじゃないの?」
温子の口から出た意外な言葉に涼子は驚いた。もちろん冗談のつもりで言っているのだろうけれど。しかし、涼子の顔は見る見る赤くなっていった。そんな涼子の表情を見て、温子はハッとした。
「涼子?あなた、まさか…」




