40.タイムリミット
40.タイムリミット
その翌日から、良介はメディアタワーの編集室にこもった。既に、三日たっていた。バザーまでは、あと35日ある。バザー当日の一か月前から、PRビデオを沿線の街頭モニターで1日3回程度、流してもらうことになっている。
ビデオテープを製造する時間を考えたら、今日がタイムリミットだった。撮影されたすべてのフィルムを何度もチェックし、編集室のエンジニアに指示を出している。
「そこのところは、スローで3秒ずつの映像をラップさせながら、一つの流れを作ってくれ」
工房で、薫と智子が作品を作っているシーンだ。
「イタリアのテープはもう届いているんだろうか?」
「ぬかりありませんよ。今日の午後には届く予定です」
ちょうどその時、編集室の、内線電話が入ったことを示すランプが点滅を始めた。良介が受話器を取る。総務の女子社員からだった。
「ミラノの支社から航空便が届きましたよ。そちらへお持ちしましょうか?」
「いや、取りに行くよ。ちょうど外の空気を吸いたいと思っていたところなんだ」
そう答えると良介は、受話器を壁掛けの電話機に戻し、編集室を出た。長い廊下を、エレベーターホールまで歩き、上階を示す△のボタンを押した。このフロアを示す、48の数字が点滅して“ピンポン”とブザーが鳴った。扉が開くと、良介はエレベーターに乗り込み、52のボタンを押した。
52階のホールで両側に4台ずつ並んだエレベーターのうちの、東側第二エレベーターの52の数字が点滅して、“ピンポン”とブザーが鳴ると、扉が開き良介が出てきた。
良介は、受付の女性社員に右手で合図を送ると、そのまま素通りして総務部まで歩いて行った。この春、入社したばかりの女子社員が、小包を右手で頭上にあげて「こっち、こっち」というように、良介に示している。彼女は、聖都卒でCIPの先輩だった。
「先輩、元気そうですね」
「まあね。それが取り柄みたいなものだから。ただ、総務に配属されるとは思わなかったわ」
彼女は、プロデューサー志望だった。
「1年間の辛抱ですよ」
「1年たったら、今までやってきたことを、みんな忘れちゃうわ」
「それが狙いなんですよ。ここでは。個人的な余計な知識や、根拠のない理論や偏見は大会社の中で邪魔になるだけだというのが、お偉いさん達の考え方で、俺にしてみれば、それこそが、大いなる偏見でしかないと思うんだけどね。まあ、頑張ってください」
そう励まして、良介は、編集室に戻って行った。 良介と、エンジニアは早速、そのテープをチェックした。イタリアの世界的工房のデザイナー、レオナルドの単独インタビューと彼の仕事ぶり、工房の作品制作過程が収められている。
「工房の画像をさっきの流れとラップさせながら、レオナルドのコメントを、瞬間的にスポットで入れてもらえないかな」
エンジニアは、巧みに、映像を繋ぎ合せていく。
「さすが!ゲンさん。お見事ですね」
エンジニアは、源真樹夫という名前なので、皆からはゲンさんという愛称で呼ばれていた。
「もう、2年間も坊ちゃんのわがままに付き合わされていますからね。まあ、そのおかげで、ここのほとんどのプロデューサー連中には、ダメ出しを食らわなくなったよ」
「ありがとう。あとは、製造に回すだけだな。ゲンさん、そっちの方にも、なんとか顔を利かせてくれると助かるんだけど…」
「了解しましたよ。何とかなるでしょう。出来上がったものは、学校の方にお届けすればいいですね」
聖都大学CIPの部室では、孝太がPRビデオの配布先リストをもとに、映像を流してもらえるよう、電話でお願いをしている。
「ありがとうございます。本当は直にお届けしたいところなんですが…。はい、よろしくお願いします」
孝太は、ようやく、最後の一軒に許可をもらい、すべての協力店との交渉を終えた。
温子と、涼子は宅配便の伝票に宛名書きをしている。温子は、ペンを置くと、右手を振ってはこぶしを握ったり開いたりしている。
「こんなに長い間、続けてペンを持ったことなんてなかったから、ほらっ、見て。タコ出来ちゃったよ。まだ半分も終わってないんだよ。もう、嫌になっちゃう」
涼子も、休み、休み、ひたすら伝票に住所を書き込んでいる。
「そんなこと言ってられないわよ。早くしないと、そろそろビデオが届いちゃうわよ」
電話をかけ終わった孝太は、温子と涼子が書き終えた伝票に、送り主である、聖都大学CIPのゴム印を、次々と押していく。しばらく、三人は無言のまま作業を続けた。ようやく宛名書きが終わりかけたころ、“ファントム”の映像エンジニアの源がPRビデオの入った段ボール箱を二箱抱えて入ってきた。
「よう!やってるな。もう一仕事持ってきてやったぞ」
そう言って、テーブルの上に段ボール箱を置いた。それを見た三人は顔を引きつらせながら、源に愛想笑いをして見せた。
源が出て行ったのと入れ替わりに、鵬翔が、むさ美の文化委員を二人連れて戻ってきた。
「助っ人を連れてきてやったぞ。」
そう言って鵬翔は、助っ人の二人を紹介した。
「むさ美の文化委員で浅野といいます。」
小柄で活発そうな女性の方が挨拶をした。続いて、もう一人のスラっとしておとなしそうな女性の方も自己紹介をした。
「同じく、広田です。」
三人にとって、これは渡りに船だった。しいて、いえば、「先輩、もう少し早く来てくれていれば…」と、言いたいところだったが、誰も口には出さなかった。
6人で作業を始めてからは、あっという間に荷詰めまでを終わらせることができた。鵬翔は、宅配業者に荷受に来てくれるように依頼した。
むさ美の浅野と広田は、初めて訪れた聖都大学に、落ち着かない様子で部室の窓から外を眺めていた。鵬翔は、むさ美の学生たちによる販売品の作成状況や、模擬店の配置などを打ち合わせしてから、二人を送りがてら、もう一度、むさ美へ戻って下見をすると言って出て行った。残った三人は、宅配業者にPRビデオを預けると、パイプ椅子の背もたれに寄りかかり、両手を思いっきり高くあげて、伸びをした。
「さて、帰りますか?」
孝太がそう言って立ち上がると、温子と涼子も頷いて立ち上がった。
「ねーえ、孝ちゃん。ボウリングしに行かない?この前のリベンジじゃないけど、もう少し、練習しておいた方がいいよ。涼子も、そう思うでしょう?」
「そうね、この前のは、ひどかったものね。まさか、私より下だとは思わなかったわ」
「いや、あの時は…」
孝太は、言いかけてやめた。知美のことで動揺していたなんて、今更、蒸し返してどうするんだ。
「あら、なあに?あれは実力じゃないとでも言いたいの?じゃあ、今日は、それを証明して見せてよ」
結局、温子に強引に引っ張られるような形で、孝太たちはボウリング場へ向かった。




