38.僕にもその美味しそうなコーヒーを
38.僕にもその美味しそうなコーヒーを
この日、武蔵野台美術大学の上空には一機のヘリが構内の様子を伺うように旋回していた。
鵬翔晃は事前に、吉田を伴って、武蔵野台美術大学の理事長室を訪れていた。構内での撮影許可を受けるためだ。理事長は、快く構内での撮影を許可してくれた。そして、撮影当日のこの日、改めてこれから始めると理事長に挨拶をしてきたのだ。
校門の前では、良介と撮影スタッフが既に待機していた。校門まで戻ってきた鵬翔は、良介達に腕章を渡して撮影OKを告げた。
良介は、サポートカーの無線で上空のヘリに連絡を入れた。
「GO!」
ヘリに乗り込んでいたスタッフが上空からのカットを指示する。武蔵野台美術大学の全景を上空から撮影しているのだ。
良介は、地上のスタッフを引き連れて、各学科の授業風景、バザーに向けての作品造りの様子を一通り、撮影していった。デザイン科では、むさ美が誇る、CGの機器を撮影し、コンピューターの画面を操作する学生のカットを撮った。良介は、被写体の学生達にいつものように自然体で作業するように注文を出した。
「ねえ、知美。あの人達って…」
コンピューターのキーボードを操作しながら、洋子は知美に話しかけた。
「ええ、“ファントム”の撮影スタッフですって。バザーのPRビデオの撮影らしいわよ」
「そうじゃなくて、指揮を執っているのは聖都の日下部って人なんでしょう?」
「そうね。何でも、彼のお父様が“ファントム”の社長なんですって」
「へー、じゃあ彼のハートを射止めたら超玉の輿じゃない!」
「ダメ、ダメ。彼にはもう、れっきとした彼女がいるのよ。同じ聖都の4年でCIPの副部長。幼なじみで、彼女のお父様も“ファントム”の専務ですもの。誰がどう立ち回ってもかないっこないわ」
「なーんだ。残念だなあ」
「それよりも、ちゃんとしなさい。PRビデオに映ったあなたを見て恋をするバカな男が出てくるかもよ」
洋子は、慌ててキーボードを叩き始める。
「OK!第一段階終了」
良介が時計を見て、撮影を終了させた。
「“HIRO”の準備はどうだ?」
サポートカーのスタッフに確認を取る。マイク付のヘッドホンをしたスタッフが、OKのサインを出した。
「よしっ!移動するぞ。撤収」
引き上げる間際に、良介は、知美の方に向かって手を振り、ウインクをして見せた。
「キャー!やっぱりかっこいいわ」
洋子は、身もだえしながら、知美の背中を何度も叩いた。
“HIRO”の二階ではママの博子がプロのスタイリストにメイクをして貰い、興奮気味に鏡とにらめっこをしている。
「なんだか女優になった気分だわ。長生きもしてみるもんねぇ」
「何をおっしゃるんですか?ママさん、そこら辺の女優よりずっと若々しい肌をしていますよ。本当はメイクなしでもいけると思ったくらいですから」
スタイリストの三浦は、本心でそう言った。智子も、三浦が用意した衣装を身につけていた。デニム生地のシャツにリーバイスのジーンズだが、知美が身につけていると下手なドレスを着ているよりエレガントに見える。その上に、いつものように、店のロゴが入ったエプロンを付けた。
店では、スタッフが照明をセットしたり、カメラのアングルを確認したりしている。
薫は、落ち着きなく、店の前をうろうろしている。店に降りてきた智子が薫を呼んだ。
ママの博子が、スタッフ全員に紅茶を入れてくれたのだ。
スタッフの一人が無線で話している。
「…了解!」
スタッフは、紅茶を一口すすると紙コップをカウンターに置き、他のスタッフに告げた。
「ロケ班、第一段階終了。今、こっちに向かったそうだ」
そう言って残りの紅茶を飲み干すと、ママの博子に礼を言った。
良介達はすぐに店にやってきた。店に入るなり、良介はつぶやいた。
「おっ!いい香りだ。フィルムに移らないのがもったいない」
そして、三人に指示を出し、カメラマンの葛西に合図を送った。
「回してくれ!」
二台のカメラが同時に回り始めた。一台はカウンターの脇に固定されている。もう一台を葛西が担いで三人の動きを追う。
ママの博子がコーヒーを入れる。
カウンターに座っている、薫の前にコーヒーを置く。
智子に一言声を掛ける。
智子は一瞬、博子の顔を見て頷く。
薫と智子が、笑顔で何か話している。
やがて、智子の目から涙があふれる。
薫が、智子の耳元で、何かを告げる。
そして、爽やかな笑顔が戻ってくる。
「カーット!OK!」
良介が叫ぶ。
「第二段階終了!後は日が暮れるまで休憩。ロケ班はむさ美に戻って、工房のセッティングをしておいてくれ」
スタッフの一人が、廻りに指示を伝えた。
良介は、カウンターを挟んで固まっている三人に近づき、薫るのとなりに座った。放心状態の三人に向かって、指をパチンと鳴らした。まるで、催眠術から開放たれたかのように、三人が我に返ると、握りしめた右手の拳を横にして、親指を立てた。
「三人とも、なかなかの演技だったよ。それからママさん、ボクにもその美味しそうなコーヒーを入れてもらえませんか?」
そう言って、ママの博子にウインクした。




