35.強打者は直球だけじゃ打ち取れない
35.強打者は直球だけじゃ打ち取れない
“HIRO”のママ、鈴木博子がしゃれた花柄のティーカップに挽きたてのコーヒーを注いでいる。そのしぐさを、良介と伸一が、じっと観察している。
「なるほど!これはなかなかだな。しかし、お前に“年上女”の趣味があるとは、まったく知らなかったな」
良介は、伸一を肘でこずいた。
「まさか、本当について来るなんて…。もう少し、望先輩のことも考えた方がいいんじゃないですか?」
今日は、たまたま、孝太がとばっちりを食う形になったが、伸一は、明日は我が身かもしれないと思うと、ぞっとして鳥肌が立った。
「おまちどうさま」
ママが、コーヒーの入ったティーカップを良介と伸一の前に置いた。
「今日は、小田切君?それとも、智ちゃん?」
伸一が、以前、薫を訪ねてきたときにバザーの目玉に江藤智子を起用したいという話をしていたのをママの博子は知っていた。そして、今日で伸一がここに来たのは3度目だったので、そう尋ねたのだ。
「江藤さんです」
伸一は答え、良介を紹介した。
「いつも、うちの色男がお世話になっています」
良介は、伸一の頭を手で押さえつけて、一緒に頭を下げた。
「あら、あなたもなかなかのものよ。だけど残念ねぇ。智ちゃんは、今、ちょっと、お使いに行ってもらっているから…。そうねぇ、あと1時間くらいで戻れると思うけれど、それまで、このおばさんがお相手でもいいかしら?」
そう言って、ママの博子はほほ笑んだ。
年の頃なら、四十歳前後だとは思うが、どこか幼さの残るその笑顔には伸一でなくとも、虜になってしまうに違いない。良介は、そう思いながらも、望の顔がちらついたので、頭を振って意識を取り戻した。
「いかん、いかん。仕事をしなくちゃな」
良介は、何気ない会話の中から、江藤智子の、性格や人柄を、さりげなく聞き出した。初対面の相手との交渉を行う場合、少しでも、相手の情報を知っておくのは常とう手段であり、聞き込みの刑事よろしく、根掘り葉掘り質問をするのは、かえって警戒されて、本当の姿が見えてこないとこを直感的に心得ていた。これまでも、面と向かって本人に話を聞くよりも第三者を相手に、ほめたり、怒らせたりしながら、必要な情報を、巧みに仕入れていった。
ほどなく、江藤智子が、店に戻ってきた。智子は、真一の顔を見て苦笑いを浮かべた。そして、良介の方を見て、怪訝そうな顔をした。
「微妙だな…」
そんな智子な顔を見て、良介はそう思った。
「どうも、日下部です。今日はリーダーのお供で、評判のママさんの顔を見に来ました」
そう言って、ママの博子にウインクした。
「あら、そうだったの?わたしは、てっきり、智ちゃんがお目当てだと思っていたのに」
博子は、わざと、照れくさそうなふりをして見せた。
「ええ、江藤さんのことは、リーダーに任せてありますから」
伸一は、誠意をもって、智子を説得しようとしている。それでも、智子はいまいち、煮え切らないようだ。
良介は、智子のことは、ほったらかしで、ママの博子と談笑している。その時、むさ美の学生が5人入ってきた。
「ハーイ!ママさん、俺、ナポリタン。サラダ付で!」
いちばん背の高い男子学生が言うと、次々に注文が入った。
「俺はえびピラフ」
「私は紅茶とミックスサンド!」
「わたしも!」
「ボクはカレー大盛りで」
5人の男女は、注文しながら、カウンターの後ろのテーブル席に、次々と座っていく。
「智ちゃんお願い!」
智子は頷いて、テーブル席へ水の入ったグラスを運んで行く。ママの博子は、伸一に、「ごめんなさいね」と言って厨房に入って行った。
「さて、出直すか」
良介は、そう言って千円札を一枚テーブルに置いた。智子がお釣を渡すと、良介は、智子に向かって一言だけささやいた。
「これは、君のためだけじゃない。小田切君の才能のためなんだ。そのことは、よく考えた方がいい」
「えっ?」
意外な顔をしている智子に、もう一言付け加えた。
「店が終わったら、学校の工房に行ってみるといい」
厨房の方から、ママの博子の声がした。
「智ちゃ~ん!お願い、こっちを手伝ってちょうだい」
「あ!はーい」
智子はあわてて、カウンターのティーカップを片付けた。
「それじゃあ、ママさん、僕たちはこれで失礼します」
良介が、そう言うと厨房から顔だけ覗かせて、ママの博子が手を振った。
「おかまいできなくて、ごめんなさいね。また、いらしてね」
良介と、伸一は店を出た。伸一が、良介に、不思議そうに尋ねた。
「工房って…」
「ああ、あれね。お前、友達のくせに何も知らないんだな。その小田切ってヤツ、今日は店に来てなかったろう?そういう時は決まって工房にこもってるって、あのママさんが言ってたぞ。たまに店に来る教授が彼の才能を認めてるってさ」
「…」
伸一は、言葉がでなかった。
「直球だけじゃ、強打者は討ち取れないんだぜ」
そう言って良介は、伸一の肩をポンと叩いた。
「俺、工房に行ってきます」
良介は、走り去る伸一の後ろ姿を、しばらく見守ってから、「さて、お嬢様のご機嫌でも取りに行くか」そう呟いて、近づいて来るタクシーに向かって手を振った。




