33.ABBEY ROAD
33.ABBEY ROAD
ビートルズのアルバム、“ABBEY ROAD”のB面“YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY”から続いていくメドレーが始まったところだ。孝太は、このメドレー部分がとても気に入っている。あれ以来、ビートルズのアルバムを既に4枚買っていた。
ビートルズのサウンドに合わせて、リズミカルに玉ねぎをみじん切りにしていく。コンロに掛けたフライパンから煙が上がり始めた。孝太は、一旦火を止め、油を少量垂らした。すぐに火を付けると、フライパンを廻しながら、油を馴染ませる。予め、溶いてあった卵をフライパンに流し込む。ジューッという音が、一瞬ビートルズをかき消す。続いて、みじん切りにした玉ねぎと人参、ご飯、薄くスライスした魚肉ソーセージを加える。しゃもじでご飯をほぐしながら、塩を一掴みふって、左手でフライパンを上下させながら、ご飯に具材を絡めていく。見事な手つきだ。あっと言う間にチャーハンが出来上がった。
午前十時過ぎ。昼食を兼ねた遅い朝食を、孝太はかき込んだ。今朝は、珍しく朝寝坊した。食べ終わると、食器を流し台のシンクに放り込んでアパートを出た。
駅までの道を全速力で走った。駅に着くと、下りの電車がホームに入ってくるところだった。自動改札の機会に切符を滑り込ませると、出てきた切符をつかみ取り、そのまま電車に飛び乗った。
午前中の講義が終わると、孝太は厚生棟にあるCIPの部室に向かった。望から召集がかかっていたのだ。良介が部室に着くと他のメンバーは既に揃っていた。
「今年度の初仕事よ。もちろん裏のね。発注者は、むさ美の文化委員会よ。知っての通り、むさ美では、年2回、春と秋に展示即売会を兼ねて、バザーをやるわ。むさ美ではこの、年2回のバザーの収益で有望な学生の作品造りのサポートや個展の資金を賄っているの。今回は、春のバザーに客を呼び込むための企画をウチに依頼してきたのよ」
望が、ざっと、今回のプロジェクトの概要を説明した。
むさ美と聞いて、孝太は顔をしかめた。せっかく温子との仲がうまくいきかけているのに、ここで、また、知美と係るようなことになったら厄介なことになると思ったのだ。
温子は、あの日、知美が、孝太のことはあきらめたのだと思っている。そのことで、自分にとっては害がないと判断したこと、そして、ある程度話をしたことで、知美という女性に対して好感さえ持つようになっていた。そんな温子の知美に対する心境の変化は、孝太も気づいていたが、孝太自信の気持ちがまだはっきりしていないことも理解していた。
「それで、今回は…」
さらに望みは話を続けた。
「それで、今回は、高倉君に仕切って貰おうと思うの。確か、むさ美には友達がいたわよね」
伸一が頷く。
「小田切君っていったかしら?今回、むさ美がうちに依頼してきたことには、彼が一枚かんでいるのよ」
「あいつが?」
伸一は、不思議そうな顔をしたが、プロジェクトリーダーに指名されたことで、多少、有頂天になっていた。
「分かりました。その辺の経緯もふまえて、早急にプランを練ってみます」
望は頷いて、続けた。
「そうしてちょうだい。プランがまとまったら、報告すること。細かいことに関しては、私と良介でサポートするから。みんなはそれまでの間、むさ美の情報収集をしてちょうだい。いいわね」
「イエッサー!」
午後の講義を取っていない伸一は、鵬翔と、早速、むさ美へ赴いた。文化委員の吉田友成は、執行部会議室に二人を迎えた。
「初めまして。武蔵野台美術大学執行部文化委員の吉田です。聖都大学CIPの噂はかねがね伺っておりまして、今回うちの学生があなた達と親しくしていると聞いたものですから」
そう言って、吉田は握手を求めてきた。
「こちらこそ、宜しくお願いします」
伸一と鵬翔は、挨拶を返して、握手に応じた。
「さて、早速本題に入りましょう。大まかなことは七瀬さんにお話ししてありましたからご存じでしょうが…」
伸一は頷いた。吉田は話しを続ける。
「…今年の卒業生の中に、イタリアのデザイナー、レオナルドに認められた学生がいるのですが、彼女のように才能のある学生が世界へ飛び立っていけるように、サポートしてあげることが、我々文化委員の最大の目的なんですが、芸術というものは、皆さんが思っているより遙かにお金がかかるものなんですよ。ご存じの通り、むさ美では年2回のバザーの収益で、そんな芸術家の卵をサポートしているわけですが、彼女の様なケースはごく希でね…。今、在学中の学生の中にも彼女に匹敵するほどの才能の持ち主が何人かいます。うちでは、今年、彼らを是が非でも世界へ送り出したい。そうしたことで、むさ美を世界への登竜門として、この世界での地位を確立したいわけです。とまあ、こういう風にいえば話は堅くなりますが、要は金を掛けて、有望な学生を売り出したい。そのための資金が欲しい。そう言うことです」
「なるほど。事情は分かりました。ところで、この件に小田切が一枚かんでいると聞いたのですが…」
「ああ、彼ね…。実は江藤智子というんですが…。ああ、その、レオナルドに認められた学生というのがね。で、彼は彼女のチームで1年間彼女をサポートしていたんですよ。そして、彼にはなかなかの才能があるんです。今回、そちらへ企画を依頼することにしたのは、その彼が言い出したことなんですよ」
「そうでしたか。それで、小田切は、今、どこにいるんでしょうか?」
「たぶん…。たぶん“HIRO”じゃないですかねえ」
「ひろ?」
「ええ、その、江藤智子が働いている喫茶店です。すぐ近くですよ」
武蔵野台美術大学から十分ほど歩いたところに“HIRO”はあった。店先に、エプロンをしたネコの看板が出ていた。車が3台ほど止められるくらいの駐車スペースがある。入口の両側には花壇があり、すみれの花が植えられている。グリーンのペンキが塗られたドアには格子状の桟があり、硝子がはめ込まれている。
伸一は、店のドアを開けた。鵬翔とは、むさ美で別れた。ひき続き、過去のバザーの資料などをチェックするため、鵬翔は一人で残ったのだ。あとで、望が合流することになっていた。
ドアを開けると、カウンターの一番手前の席に小田切がいた。店内は、入って左右に丸いテーブルの二人用の席があり、左側の席にはスケッチブックを持った女の子がいた。彼女は颯爽と自転車で駆ける女の子の絵を描いていた。席からは窓越しに、外の風景が眺められる。店の前の通りは、サイクリングロードになっていて、そこは自転車部の練習コースでもある。
右側の奥がカウンターになっていて、その一番手前の椅子に薫が腰掛けていた。カウンターの後側は、壁際にベンチシートが備え付けられていて、4人用のテーブル席が3席あり、自転車乗りのウエアを着た男女が6人ほど座ってコーヒーを飲んでいた。
カウンターには、背もたれのある回転椅子が5脚設置されていた。奥の電話台の脇には、太ったネコが鎮座している。
「授業は受けなくていいのか?」
伸一の声に、薫が振り向いた。
「来たな!」
薫は、伸一が尋ねてくることは計算づくだった。
「お前だって、人のことは言えないだろう?」
伸一は薫の隣の椅子に腰掛けた。カウンターの中の女性が水の入ったコップを伸一の前に置いた。
「コーヒーでいいかしら?」
そう言って、微笑んだ。伸一は頷くと、その女性をしばらく見ていた。真っ黒な長い髪が肩まで伸びている。正面はカチュウ-シャで前髪をあげている。やや、ぽっちゃりしてはいるものの、品のある輪郭には、それにふさわしい、パーツがはめ込まれている。美人と言って間違いない。だが、吉田から聞いた、江藤智子ではないことは明らかだった。
「初めて見えた方ね。小田切君のお友達かしら?」
“HIRO”のママ、鈴木博子が尋ねた。
「ああ!高校の時の悪友だ。こう見えても、こいつ聖都の工学部なんだ」
「まあ!それはすごいわ。聖都の学生さんが来たのなんて初めてだわ」
伸一は謙遜して、ママをたしなめた。その時、カウンターの奥で女性の声がした。
「ただいまー」
出前に行っていた智子が通用口から入ってきたのだ。薫の横にいる伸一を見て軽く会釈をした。彼女が現れた途端に、薫の態度が急変した。
「はは~ん、こいつ、彼女に惚れてるな!」
伸一は、直感でそう思った。
「案外、今回の依頼の裏にはその辺のことが絡んでいるのかもな…」




