19.作戦実行
19.作戦実行
“F&N”のテラスには西陽が差し込んで白いテーブルをオレンジ色に染めている。
彼女はそのテラス席でマイセンのティーカップを口に運びながら、楽譜に音符を描き込んでいる。白いスポーツキャップの後から下がったポニーテールが揺れている。おしゃれな黒縁の伊達眼鏡越しに、眉間のしわが時折のぞかせている。氷室あすかは、アルバムのための曲を描いている。
春の風が楽譜をテーブルから持ち去って、新曲を吟味するかのように吹き付ける。あすかは、慌てて押さえようとしたが、楽譜はひらりと宙に舞う。その瞬間、細くて綺麗な指をした手が差し出され、楽譜をつかみ取った。あすかが振り返ると、望が苦笑いしながら立っていた。
「少し肌寒くなってきたわね。“万葉集”のリードヴォーカルにはよろしくないんじゃなくて?」
楽譜をあすかに渡すと、望は、同じテーブル席に座った。
「そうね。そろそろ中に入ろうかしら」
あすかは、楽譜をケースにしまうと、望を見て微笑んだ。
「さて、それじゃあ、これからたっぷり聞いてあげるわね」
望は、プイッと顔を背ける素振りをして席を立った。そして、二人は店内のテーブル席へ移った。 いちばん奥の、観葉植物に囲まれた席につくと、ウエイターがやってきた。望は、マティーニをオーダーした。
「少し濃くしてくれる?」
あすかは、テキーラサンライズをオーダーした。
「…あと、モッツァレラチーズとサーモンのマリネをお願いね」
オーダーを聞き届けると、ウエイターは軽くお辞儀をして下がっていった。
「その態度からすると、うまくいかなかったのね」
あすかにそう切り出されると、望はテーブルに肘をつき顔をもたげて長い髪をかきむしった。
「良介ったら、頭に来ちゃう」
それから少しの間、天井を眺めて、冷静さを取り戻そうとした。カクテルと料理が運ばれてきた。望は、マティーニを一口飲むと話しを続けた。
「お店にいたときは、あんなに元気だったのに、タクシーに乗せた途端に意識が飛んじゃって、ホテルについても一人で歩けないくらい…。ホテルの人が二人掛かりでようやく部屋まで連れていったのよ。もう、それから先のことなんて言うまでもないでしょ!」
そこまで話すと、望は残りのマティーニを一気に飲み干した。あすかも額に手を当てて、“やれやれ”という表情をして逆三角形をしたグラスを口に運んだ。
「ごめんなさいね。ちょっと飲ませ過ぎたみたいね…」
「も~う!思い出しただけでも腹が立つわ。こんなにいい女と一夜を伴にしたというのに…」
良介はご機嫌だった。
乾杯とともにピンクのドンペリニオンを一気に飲み干すと、ウォッカトニックをオーダーしハイペースで3杯飲み干した。次第に顔が赤くなり、ろれつが回らなくなってきた。ステージに上がってギターを手にとり、明日香を誘って演奏し始めた。ローリングストーンズの曲を2~3曲やった頃には、ミラーボールがかすんで見えるようになった。そして、ホールの真ん中に大の字になって寝転がってしまった。
温子と良子が心配して駆け寄ったが、「大丈夫!ちょっと休憩」と言って立上り、ソファーに横たわった。鵬翔と高倉は“やれやれ”という顔をしてカラオケの本を広げた。
鵬翔はレーザーディスクのリモコンを操作して、尾崎豊の“I LOVE YUO”を登録した。鵬翔の歌声は甘く切なく、なかなかの歌唱力だった。高倉は横浜銀蠅の“つっぱりハイスクールロックンロール”を熱唱した。
メンバー達にせっつかれて、温子と涼子は、あみんの“待つわ”を二人で歌った。
カラオケなど経験したことのなかった孝太は、西条秀樹の“YMCA”を直立不動で歌った。すると、他のメンバー達もステージに上がってきて、Y・M・C・Aの振り付けをして、盛り上がった。
温子は、あすかを拝み倒し、一緒に“万葉集の”ヒット曲、“遙か”を男役で披露し、あすかに誉められると上機嫌で「私たちもバンドやろう!」などと孝太に持ちかけたが、孝太は取り合わなかった。
少し酔いが醒めた良介が、「腹が減った」と言い、ウエイターに寿司を頼むように伝えた。特上の寿司が大皿で三台届くと、その内のほぼ一皿分を一人でたいらげた。腹が一杯になると次第に睡魔がおそってきたので、そろそろお開きにすることにした。
当初の作戦通り、あすかは他のメンバーを誘って、“万葉集”がアマチュアだった頃、出演していたライブハウスに行こうと持ちかけた。時間はまだ九時を過ぎたばかりだった。
鵬翔と高倉は、それぞれ約束があると言って、店を出るとお互い手を振って反対方向へ消えていった。
温子と涼子は、良介のことを心配しながらも、あすかについて行く気満々になっていた。孝太も、一人で帰っても仕方ないので同行することにした。
良介は、望の肩につかまりながらようやく店の外に姿を現した。
「お~い!お前ら、二次会に行くぞ…。あれっ?」
店の外には既に他のメンバーの姿はなく、発進しようとするタクシーの助手席から、あすかが手を振っているのが見えた。




