第六話
「やっと帰れた……」
実際には数時間しか経っていないのだが体感的には何十時間にも感じられた放課後を終え、薄暮の空を仰ぎながら守は呟いた。
ちなみにあの後唯香は、「もう今日は時間もないし帰っていいわよ。あ、入部届けは私がだしておくわ。下着泥棒よりも性質の悪いキモ虫に任せられないからね」と見事な饒舌で毒づいてきた。
……そこまで悪口を言われるような酷いことをした覚えはない――わけではないが、まさかここまで蔑まされるとは。
(しかし俺の想像と違ったなぁ。双葉さん)
常に笑みを絶やさない、マンガにいそうな優等生美少女。
朝見たときはそう感じたのだが、いざ二人きりになった途端にあのドSっぷりだ。
果たして悪魔だからなのだろうか機関銃のように止まることを知らない彼女の罵倒は、聞いていると反論する気も失せるほどだ。
「しかも教室での双葉さんは全て演技だったなんて……」
朝や昼休みのことからなんとなく感じてはいたものの、まさかあそこまで変わってしまうとは……知らなかったほうがよかった気がしなくもない。
とにかくさっきまでのドS唯香が素で、教室での彼女は演技なのだ。
これを頭に叩き込んでおかなければ守は唯香によって社会的に殺される。下手したら影の薄さを生かした痴漢魔としてその名を歴史に残すかもしれない。
普段とは逸脱した波乱の一日に、守は今日何度目かわからないため息を吐いた。
しかも『アニメ・萌え同好会』だとかいうわけのわからない部活に無理やり入れられるようで、もはや昨日までの平穏が恋しい。
だから目の前にくるまで、門の前で手紙を持って立っている女子生徒には全く気づかなかった。
「あ、あのっ」
門に立っていた少女は、守の姿を見つけると一瞬逡巡した後、小さな声で呼びかけた。
しかし疲れで意識がぼうっとしていた守は気がつかない。
「あ、あのっ!」
少女は先ほどよりも少し大きな声で守を呼ぶ。
これには守の耳にも届いたが、疲れで何もかもがめんどくさくなっていた彼は人違いだと思い込むことで思考から追い出す。
二度も呼びかけても反応がなく、完璧無視されたと思った少女は眉を顰めた後、これでもかというくらい大きな声で叫んだ。
「――か、門脇先輩ッ!!」
「は、はい!? ……って俺なの?」
もはや無視できないレベルで呼ばれ、守は声のするほうへ顔を上げた。
するとそこには恥ずかしさからかはたまた別の理由からか、頬を赤く染めた少女が一通の手紙を握り締めてこちらを見つめていた。
(へぇ、結構可愛い子だなぁ……)
少女の容姿を見た守はつい感嘆をもらす。
ショートカットより少し長めの茶髪につぶらな瞳。
冬奈や唯香ほどのすばらしい美少女ではないが、あの二人が異常なのだと思えばかなり可愛い子である。
それも制服の襟の学年色見たところ、どうやら高等部の一年生――ちょうど一つ下の後輩だ。
少女は手に持っていた手紙をおずおずと守に差し出してきた。
「こ、これ。受け取ってください!」
「――――え?」
思わず守は固まってしまった。
なぜならその手紙にはハートのシールが張られていたからである。
(ま、まさかこれって……)
突然の出来事に守が動揺していると、少女は恥ずかしさに耐えられなくなったのか遂に手紙を押し付けて走り去ってしまった。
「行っちゃったよ……」
その後ろ姿を呆然と見つめていた守はハッと我に返り、早まる胸の鼓動を抑えながら封を開ける。
そこに書かれていた一文――。
『好きです。』
……本当かよ。
落ち込んでいたところへの神の情けとしか思えないこのシチュエーションに、しばらく守は動くことができなかった。