第三話
その後、他のクラスの男子達が早くも噂になっていた謎の美少女転校生を一目見るためにとこの教室に集まり、一時教室内の人口密度が異常に高かったこと以外は特に目立ったこともなく、今は昼休みの時間になっていた。
「やっと昼食だぁ」
授業で疲れた体をほぐしながら守は鞄から昼飯の入ったコンビニの袋を取り出す。
そしていつも一緒に食べている太陽のところへ向かおうとすると、背後から肩を叩かれた。
「あの、ちょっといい?」
その声の主はなんと例の転校生、双葉唯香だった。
いったいなんの用だろう、と守は不思議に思いながら頷いて続きを促す。
「えっとですね、今から少し付き合って欲しいんだけど……」
「え……!?」
瞬間、守の脳に迅雷の如く稲妻が奔る。
(わ、脇役の俺にこんな典型的ラブコメ展開が起こるだとッ!?)
しかし守の思考を予測していた唯香は、電光石火の早業で戦慄している守の口を塞ぐ。
そして先ほどの自己紹介のときからは考えられない、地の声色で守の耳元に静かに囁いた。
「一応言っておくけれど、あなたが思っているような『付き合う』ではないわ」
「そ、そうですよね……」
よくよく考えたらこの「典型的ラブコメ展開」ってオチが勘違いって決まっているじゃないか。
わかっていたのに一瞬でも期待してしまった自分を憎みながらも、守はたった今感じた感触に思いを巡らす。
そう、実は今地の声を出したこっちの彼女が『素』の方なのではなかろうか。
しかし守がそう感じるのもすでに予想済みの唯香はゆっくりと体を離すと渾身の笑みを魅せた。
「……わかってくれればいいんですよ」
唯香がいざという場面を切り抜けるために自身で研究した、自分を一番一番かわいく魅せる笑顔である。
それは「これに惚れない男は全てホモである」と断言できるほど艶っぽくて華やかであった。
(な――!! や、やばい。反則だろこの可愛さ……そうだ。どっちが素だなんて些細な問題じゃないか。可愛いこそ正義!)
結果唯香の思惑通り、守はもう気にしなくなっていた。
「それで、これから俺はどうすればいいの?」
「まぁとにかく今からついてきてもら「お~い守! 早くこいよぉ」……」
ちょうど唯香の声に被さるように太陽の大声が聞こえた。見ると太陽と冬奈が机に弁当を広げてこちらを窺っていた。
おかげで喋るタイミングを奪われた唯香は、見るからに眉をひそめていく。
「あ~、その……えっとだな」
どうしたものかと守が逡巡していると、唯香は肩を小さく上下させてからしかたなく首を振った。
「あっちに行っていいですよ。準備くらいは私一人でできますし」
「そ、そうか。なんというか、ごめん」
準備、というのが何のことなのか気になったがこれ以上二人を待たせるわけにもいかない。ここはとにかく唯香の話に合わせるしかないだろう。
「それじゃそのかわり放課後部室棟の前に来てください。必ず、ですよ」
「わかった。必ず行こう」
守の答えを聞いた唯香は、時間が惜しいとばかりに踵を返して早足で教室を出て行く。
「しかしなんでまた部室棟に……?」
何やら不穏な予感もするが、同時になんだか面白いことが起こるような、そんな不思議な感覚が守の好奇心を無性に掻き立てる。
しかし空腹に勝るものはないもので、腹の虫が鳴るのを抑えながら太陽たちの下へ急行した。
Ж
時は移り放課後。教室の窓から薄暮の空を見上げながら守は部室棟へ足を運ぼうとしていた。
と、そこへ大柄の男が筋肉質の四肢を豪快に運動させながら近づいてきた。太陽だ。
「なぁ守。ちょっといいか?」
「ん、なんだよ」
こんなときに限ってなんの用だ、と眉を八の字にさせながら気怠そうに振り向く。
ちらりと教室内を見渡すが、唯香の姿はない。どうやら気づかぬ間に行ってしまっていたようだ。
ここは用があると言ってこの場を去るか――
「あぁ、すぐ終わるから安心してくれ」
そんな守の心境を表情から悟ってか、太陽はそう前置きしてから半ば強引に話を進める。
「んでさ、聞きたいんだけどお前と双葉さんって知り合いなの?」
「違うけど……なんで?」
「だって昼休みのときなんだか親しげに話してたじゃんよ。ぶっちゃけどうなのよ」
「いや、お前らと同じく今日初めて会った」
「ほんとかぁ? 向こうはなんだかお前を知ってそうだったぞ」
「なんだそりゃ」
疑わしげに聞いてくる太陽の言葉に、それは気のせいだろと鼻を鳴らす。
「大体そんなのお前にわかるわけないだろ」
「ぬ、貴様。この俺を甘く見てるな……ってかお前よりかは女子のことわかるぞー。俺、お前よりモテモテだもーん」
「…………うざ」
運動が得意である太陽はたしかに学年の女子から受けがいい。黙っていれば意外とイケメンなのも認めよう。
だがそれを本人に、それも愉悦に満ちた表情で言われたときほどイラッとくることはない。
正直面倒くさくなった守は、太陽を適当にあしらってさっさと行くことにした。
「わかったわかった。んで、聞きたいことはそれだけ?」
「まぁそうだけど……」
「ん。じゃあ行くわ」
そう言って守は背を向け、数歩進み……しばらくその場で停止した後、巻き戻しのように数歩戻る。
そのまま太陽の横まで戻ると、頬を掻きながら愛想笑いを浮かべた。
「なぁ、教えてくれ俺の親友である大羽君よ」
「なんだよいきなりかしこまって」
つい先ほどまで素っ気ない態度をとっていたとは思えないほど態度を急変させた守は、はははと笑いながら尋ねた。
「部室棟ってさ、どうやっていけばいいんだっけ?」
「はぁ? もう一年間生活しているのに知らないのかよ」
お前本気で言ってるのかよ、と太陽は呆れた様子でこちらを見つめる。
部室棟とは名前に反して今はどの部活も使っておらず、むしろ既存の部室が足りなくなったときの、言わば予備用として造られたためこの校舎からそこそこ遠いところにある。
それで学園の西口か東口のどちらかから行くのは覚えているのだが、肝心な「東か西か」を忘れてしまったのだ。
これで当てずっぽうで行って万が一にでも違う方を選んだものなら、逆に部室棟から離れるように進むことになる。
(さすがにそれじゃ時間がかかりすぎて双葉さんを待たせることになるからな)
だが頼みの綱である太陽はむすっと押し黙っていた。
つい先ほど適当にあしらわれたことを根に持っていたのだった。
そしてなにか仕返しはないだろうかと思案していた太陽の脳内で豆電球が点灯し、にんまりと微笑む。すばらしい仕返しが見つかったのだ。
早くしろと訴えてくる守に、笑いを含んだ調子で話す太陽。
「ふっ、仕方ないから教えてやろう」
「おう。ぜひそうしてくれ」
「部室棟なら西口からだ。真っ直ぐ歩けばすぐに着くぜ」
「ん、サンキュ。んじゃまた明日な」
唯香を待たせないようにと守はその言葉に微塵も疑いもせず、足早に教室を出て行く。
と、そこへそばで偶然話を聞いていた冬奈が、困惑した様子で太陽を見つめてくる。
「ねぇ大羽。部室棟って西口じゃなくて東口じゃなかったっけ……」
「あぁ。東口だよ」
まるで最初から知っていたかのように言う太陽に、彼女はさらに眉をしかめる。
「どうして嘘を?」
「んなもん、どうせ本当はあの美少女と知り合いのくせになんも言わないからだ」
当然だとばかりに頷く太陽に冬奈は深く嘆息した後、どこか恥ずかしげに呟くように聞いた。
「あ、あのさ……そんなに双葉さんのことが気になるの?」
「そりゃ当然だろ。あんだけ可愛けりゃ」
「…………そう」
間髪入れずに返ってきた答えに冬奈はどこか悲しげな表情を浮かべた。