第二話
しばらくして朝のホームルームの開始を告げるチャイムが鳴り、クラスの皆が着席するとドアから小柄な女性が現れ教卓についた。
このクラスの担任である国語科の女性教師、海原小波だ。
20代で独身の美人教師ということで学園内では結構有名だ。緩やかなカーブを描く髪や優しげな目元が特徴で、見た目どおりにおっとりとした性格である。
ちなみに男子の間では、名前に反して胸は“大波”であることでも有名で、布越しでもその美しい膨らみ具合を見ることができるほどだ。
「はぁい、皆さんおはようございま~す」
今日もまた、ゆったりした口調で朝の挨拶を済ませると、何かを思い出したかのように小波は手を合わせた。
「そうだ、今日は重要なお知らせがあるんですよ~」
そこで小波はクラスが皆聞いていることを確認すると、「ふふん」と何故か自慢げに言葉を続けた
「なんとぉ、このクラスに転校生がきちゃいます! しかも女子ですよ~」
『おおおぉぉぉおお!!』
“女子”という単語を聴覚が感じ取った男子達が一斉に雄たけびを上げる。
無論他の女子にしてみれば面白くないことであり、男女の間ではすでに明暗がくっきりと分かれていた。
「でわでわぁ、転校生さん入ってくださ~い」
そんな光景を楽しそうに見つめながら小波はドアに向かって一言叫ぶ。
そしてドアが開き転校生が入ってきた途端、教室内は一気に静寂に包まれた。
Ж
少し時は戻り、朝のホームルーム前。
転校生の双葉唯香は小波が教室へ入っていくのを見届けた後、小さなため息を吐きながら壁に寄りかかった。小波に指示があるまで待っているよう言われたからだ。
(あぁ……退屈ね)
普通の人ならばこの時間で緊張をほぐしたりするのだろうが……唯香は今、全く緊張していなかった。
なぜならこれで転校は十回目だからであった。さすがにもう慣れてしまった。
故にやることがなく、暇である。
「そもそもなんで悪魔の私がこんなことをしているんだか……」
唯香は小波が入っていったドアを眺めながら嘆息を漏らす。
父から“あのときの少年”を探してこいと言われ、しぶしぶ各校を転々としはじめて早三ヶ月。いまだに見つけられていない。
(そもそも手がかりが少なすぎるのよね)
あれは確か十年くらい前の頃だったか。初めての天使戦で運悪く大天使と当たってしまい、散々弄ばれた挙句に精気を吸い取られる少年を助けられなかったあの日。
天界へと帰還する天使をただ見送ることしかできず、自分の力が未熟だったが故に死んだ少年の横で立ち尽くし慟哭した、忘れもしない日だ。
その時死に際だった少年に与えた不死の魔力だけが手がかりなのである。
正直これだけの情報で探し出せだなんて、一体どれだけの時間がかかることかわかったもんじゃない。
「本当、難儀なものね」
なんともいえない虚脱感が体を襲い、自然と膝が抜けて座り込んでしまう。
と、教室内から突如歓声のような声が聞こえてきた。
おおかた転校生が女子だと聞いた男子どもの声だろう、と聞き流した唯香は一つ、忘れていたことを思い出した。
(そういえば今回はどんなキャラでいこうかしら)
幾度も転校を繰り返してきた唯香が見つけた唯一の楽しみ。それはその学校その学校でキャラを変えることだった。
(前の学校はおっとり。その前は内気で、さらにその前はクールだったし……)
アニメなんかでよくいるキャラはすでにやっていたことに気づき、何かないかと思い巡らす。
(なにかなかったかしら――あっ)
あった。それもなんで今までやらなかったのだろうかと思うほど定番といえるものが。
思いがけない発見に久々に満悦していると、ちょうど小波の呼ぶ声が聞こえた。
ぱん、と緩んでいた頬を両手で叩いて引き締め、身形が乱れていないことを確認する。そしてドアの前で一つ目を閉じて深呼吸する。
転校挨拶の前に行う恒例の儀式をし終えた唯香が目を開けたときにはもう、見掛けだけではなく中味までキャラに成りきっていた。
そして右手でゆっくりとドアノブを握る。
「さて――優等生らしくいきましょうか」
そう呟いた彼女は、いかにも優等生らしく、悠然たる態度で教室に足を踏み入れていった。
Ж
髪をなびかせながら颯爽と現れた転校生に、それまでざわついていた教室が男女問わず静まり返る。
男なら誰でも見惚れてしまう端麗な顔立ちに、控えめに主張する胸とくびれた腰、麗しい華奢な四肢。
深海よりも深く煌めく藍色の長髪と、髪飾りの淡い紫リボンがよく似合っている。
クラス中の視線を浴びながら悠然と歩くその姿は思わず膝を突いてしまうほど優雅であった。
転校生はそのまま教卓のそばまで歩くと、小波からチョークを受け取り黒板に体を向けた。
そして手馴れた手つきで文字を綴っていく。
「双葉唯香……」
書かれた文字を守は無意識のうちに読み上げた。
自分の名を書き終えた転校生は満足した様子でチョークを置くと、くるりと黒髪を揺らしながらこちらに振り向いた。
「双葉唯香です。今日からよろしくお願いします」
そう言って唯香が微笑むと、今まで静まり返っていた男子たちが息を吹き返したかの如く怒涛の歓声を上げた。
その目は皆ハートになっており、もはや理性を忘れているようだ。
「はいはぁい、皆さん静かに。質問なら一つずつ受け付けますからぁ。いいですよねぇ、双葉さん?」
「もちろんです」
笑顔のまま頷く唯香にまたまた歓声が上がる。
そして我先にとばかりに質問が殺到した。
「今彼氏はいますか!」
「残念ながらいません」
「じゃあ好きな男性のタイプは!」
「優しい人です」
「年上と年上だったら?」
「同い年が一番です」
デリカシーのない質問ばかりなのだが、全て笑顔で答える唯香に女子までもが興味を向けはじめる。
……だが。
「それじゃスリーサイズを教えてください!」
毎度の如く調子に乗った太陽の質問に、いい雰囲気だった教室内の空気が刹那のうちに固まる。
しかし幾度も転校を経験してきた唯香の対応力は生半可なものではなかった。
「……それは秘密です」
片目を閉じて人差し指を唇に重ね、余裕の態度で華麗に質問をかわした唯香に男性陣からはメロメロの、女性陣からは尊敬の眼差しが向けられた。
美少女の登場で教室が(おもに男女間が)険悪になってもおかしくなかったというのに、見事に皆の視線を自分に向けさせた唯香に、守は思わず感嘆する。
(しかしそれにしても……)
そんな皆が好意的な視線で唯香を見つめる中、守は一人自身の聴覚を疑っていた。
なぜなら男子から(というか男子しか質問してないが)質問がくるたびに唯香の口から「チッ」だとか「キモッ」などと言った言葉が微かに聞こえるのだ。
しかも最後の太陽の質問なんかは一瞬、本当に一瞬だが殺気のようなものを感じたのである。
しかし他の皆は全く気付いていなく、唯香がこうもエンジェルスマイルを浮かべているものだから、守が聞き間違いだろうかと疑うのもある意味当然である。
(……まぁ気のせいだよな)
しばし悩んだ末、守が結論付けたときにはもう質問タイムは終わっており、小波が唯香の席をどうするか決めかねていた。
「う~ん。……どうしましょうかぁ」
うんうん唸りながら小波は座席表と睨みあっている。
どうやら決まるまでもうしばらくかかるみたいだな。
(……ん?)
そこでふと、守は唯香が不自然に教室中に目を配っていることに気がついた。
まるで誰かを探しているようだ。
そう思ったときだった。
唯香の闇夜を連想させる黒の強い翠色の瞳が守を捉え、目が合った。――次の瞬間。
「――ッ!?」
守の頭に突如稲妻のような電流が奔り、痛みに思わず目を瞑る。心臓の鼓動がいきなり早くなった。身体の奥底から何かが燃えるような感覚がする。
(なんだ、これは!?)
しかし痛みはすぐに嘘のように消え、鼓動も収まった。
突然の出来事に狼狽しながらも、痛みで閉じていた目を開けると……ほんの微かにだが、確かに唯香の口元が緩んでいた。
(俺の反応を見て……笑った?)
それは先ほどまでのような天使の笑みではない。
なにかがわかったかのような――否。なにか追い求めていた情報を得た、そんな笑みだ。
「……あれ、俺はあいつにあったことがある……?」
この身体が燃えるような感覚はどこかで体験したことがあるような気がする。そしてそこに彼女もいたような……。
守の意識が脳の深邃から記憶を引き出そうとする。
「まぁ双葉さんの席は明日決めるとして、今日は休みの子の席を使ってもらいますねぇ」
しかし小波の一言によって意識は現実へと戻されてしまった。
――だから守はこのとき聞き逃してしまったのだろう。
「やっと見つけたわよ……私の“おもちゃ”ッ!!」
この三ヶ月間求め続けたものをついに見つけた唯香が呟いた、この言葉を。