第十五話
「……まさか、これも幻術だったというの!?」
「えぇ、そうよ」
クスクスと笑う天使は、心の底から楽しげな顔で唯香を見つめていた。
しかし。
「あなたのその悔しそうな顔……すごくいいわ。もっとも――」
恍惚の表情を浮かべる天使はそこで言葉を切ると、まるで別人のような貌で守を睨む。
「あなたが邪魔しなかったら、もっとよかったのにね」
「――ッ!?」
一瞬にして空気が凍るほど冷たい言葉に、守は初めて感じる死の恐怖に耐え切れず、歯を鳴らす。
天使が放っている殺気は、例え唯香であっても恐怖を覚えるものであり、先ほどまでの天使がいかに唯香を弄んでいたかを証明するものだった。
そしてそれは、今から守を殺りにくるという合図でもあった。
本能的に生命の危険を感じ取った守は、即座に身体を翻し、全力で逃げようとする。が、そこには既に戦斧を構えた天使が悠然と立ち塞がっていた。
「……ぁ」
嗜虐的な笑みを浮かべる目の前の化け物に、守は声にならない悲鳴を上げながら、それでもせめてもの抵抗として震える足で立ち続ける。
「安心しなさい、すぐに楽にしてあげるから……」
呟く天使は、口元は笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
一方、唯香は守が危機的状況であるにも拘らず、助けに来るどころかむしろひどく冷静な面持ちで気怠げに声を上げた。
「守、ひとまず頭だけは絶対に守りなさい」
「こ、こんな斧の一撃、どこに喰らっても即死するだろぉが!」
唯香に必死に助けを求める視線を送りながら、裏返った声で喚く守に、唯香はそれでも助けに来ようとしない。
「あら、余所見なんてしていていいのかしら?」
振り返ると目前には振り上げられた巨大な斧。人を真っ二つにすることなど造作も無い破壊力をもった戦斧は、狂喜の笑みを浮かべた少女の手によって、横薙ぎに振るわれた。
それも普通の人間には目視するだけで精一杯な速さで。
(終わった――)
せめて痛み無き死を、と哀願しながら思わず両目を瞑る。
コンマ数秒後、ズサッと鈍い音とともに首筋に鋭利な物体が抉りこみ、想像を絶する痛みが守の全身を駆け巡る。さらに傷口から鮮血が舞い、頭が投げ飛ばされたような錯覚を覚える。
その激痛に身を抱えようとし――そこで両手足の感覚がないことに気がつく。
(えっ? えっ! えぇっ!?)
もしかして死んだのか?
一瞬そんな考えが脳内を過ぎったが、すぐにそれはありえないと断言する。死んでいるなら痛みなど感じないだろう。
それではいったい……。
現状を理解できずに狼狽する守は、いまだ続く痛みに耐えながらも、試しに硬く閉ざされたまぶたをゆっくりと開けた。
するとそこには――麗しい素肌と純白の布が。
『それ』は、むちむちしてそうな理想の太ももに挟まれるようにありながら、普段彼女たちが決して見せることの無い股下の艶かしいラインをなぞる様にくっきりと描いていた。
「…………え?」
呆気にとられたような声に視線を上げてみると、見下ろす天使の姿が。
ただおかしいことに、天使の身体がものすごく高く見える。というか彼女の細い脚がちょうど目線にあるとはどういうことか――。
「なんで目を開けてるのよ……?」
守は畏怖の視線でこちらに視線を送る天使を見上げ、そしてもう一度純白の『それ』を見つめ――自然と口からこぼれ出たように呟いた。
そう、あれはまさしく、伝説の……ッ。
「パン、ティ……ッッッ!!」
「――へ?」
ごくり。
言い切ると同時に目をカッと見開き、生唾を呑み込んだ守に、天使は間抜けな声を出す。
そして守が向ける視線を見、その先にあるものがそれ』であることを理解し……それまで嗜虐的だった天使の表情が羞恥で猛烈に真っ赤に染まっていく。
そして叫び声を上げそうになった天使がふと視線を右にずらすと――そこで天使の身体がまるで汚物でも見たかの如くピタリと硬直する。
否。彼女にとって布越しとはいえはじめてみたそれは、本当に汚物であった。
というか、獣だった。
「い、いやぁぁぁあああああああああっっっ!!」
生まれてこの方最大の汚物を見せられ、さらに恥辱を味わわされた天使は、破裂するのではと懸念してしまうほどに上気した頬を両手で包み、幼い少女のように涙目になってその場に倒れこむ。
彼女はいったい何を見たのか。気になった守は先ほどの天使と同じ方向を向き、なんとも居た堪れない気持ちになった。
なぜならそこには振り返った体勢の男の身体があり、その身体の一部分……主に股下あたりの部位が、まぁなんというかその、見事なまでに隆起していたのであって……。
即ち天使はほんの数秒にして自身の股下を見られ、また見たくも無い男性の股付近の生理的現象も布越しにだが見てしまい……年齢は不明だが、少なくとも見た目は少女である彼女が思わず泣き崩れてしまうのも、無理は無い話しだった。
というか、これは彼女にとってトラウマになってもおかしくないレベルである。
しかしそこで守は気づく。気づいてしまう。そこに立っている男の異様さに。そして自分が今置かれている現状に。
「うそ……だろ?」
その男の身体にはないのだ。首から、上が。まるで刃物で切断されたかのように、まるごと綺麗に。
そして周りにこびり付いている生々しい血……何より今この場に自分以外の男はいないはずであると言う現実。そして先ほどからの自分の目線の位置の低さ。
浮かび上がってくる一つの解に、なんとか否定してみるも、この眼前の光景はそれを是としている。
徐々に心を支配してくる恐ろしい感覚に、守は戦きながら、ちゃんとそれを確認するためにゆっくりと視線を下へ、向ける。
そこには当然、自分の身体があるはず――だった。
しかし映るのは固い土の地面と、接している自身の首。
ばかなと守は吐き捨てる。冗談じゃないと誰に向けてでもなく罵る。不安にまみれた瞳が、一瞬にして驚愕と畏怖に満ちる。
なぜなら無いのだ、そこにあるはずのものが。
自分の身体が、首から下が、全て――。




