第十一話
だが当の本人はあくまでも冷めた言葉を続ける。
「それで最後に残った最上層はもちろん天使で――」
ピラミッドのてっぺんを指差しながら、可愛らしく動いていた唇が、突如止まる。
ものの数秒後には唯香は窓の外を睨みつけながら鬼気迫る面持ちで席を立っていた。
「お、おい。どうしたんだよ」
唯香の剣呑な双眸に思わずたじろぐ。
ところが唯香にはすでに守のことなど眼中に無く、
「予測より早いじゃない……」
焦燥に駆られるがままに部室を飛び出していた。
「お~い! ……ったく、一体全体何だってんだよ!」
気色ばんだ彼女の背を、守は慌てふためきながら追いかけた。
廊下に出ると彼女は棟の奥の部屋へと驀らに駆けていた。
「おいってば、ちょっと待ってくれよ」
唯香の下に駆けつけ、彼女の耳元で提言してみるも、当の本人は何食わぬ顔で歩き続ける。
(ってか返事もしないし……俺の声聞こえてんのかな?)
幾度か呼びかけてみたが、唯香は険しい表情のまま何も返してこない。意図的に無視しているのか、それとも周囲の音が脳に入ってこないほどに狼狽しているのか……。
まぁ別に無視でもいいですけどネ。慣れてマスから。オレ、いつも存在感ないデスから。
一人で勝手に自虐してみた守だが、むなしくもそれは孤独に大気の中へと吸収された。
棟の構造上から、かなり細長い廊下を進み着いた先の部屋は、他のとさして大差ない程度の大きさだった。
いまだ口は閉じたまま、唯香はドアノブに手をかけ、ゆっくりとした足取りで足を踏み入れる。
守もならうように部屋に入り――目の前の光景に思わず息を呑む。
「これは……」
微塵も光のない暗い部屋に、淡く光り輝く幾何学模様と、古代文字のような見慣れない文字の羅列。
この光景を守の持つ知識と語彙で表すならば、それは魔方陣に酷似していた。
その得体の知れない光の中に膝を着いた唯香は、ようやく口を開いた。
「対魔術・魔法感知結界――。天使が地上界に現界するときには、必ず直前に微量の魔力が発生するの。この魔方陣はここから半径5km圏内にその反応が確認されたとき、すぐさま術者である私に知らせてくれる、防衛魔法の一つよ」
いつになく冷静に、ゆっくりとした口調で喋る唯香は、そんな自分に驚いていた。まさかこの状況下でそんな余裕があるとは……無意識のうちに口元が皮肉めいたように笑う。
そんな彼女を照らしている闇夜に輝く月の如く神秘的なそれは、中央のところに一つ小さな点が点滅していた。
杞憂に終わって欲しいと切なる願いを胸に、唯香は中央の小さな光に向かっておずおずと右手を差し出す。
そして消え入りそうな声で呟いた。
「やっぱり相手はこのクラスなのね……」
希望にも似た願いは、儚くも崩れ落ちるように消えた。
「相手? なんだよそれ。そろそろ説明してくれよ」
一部始終を眺めていても、なお理解の追いつかない守は頃合いを見計らって現状の説明を仰いだ。
「……そうね。いちいちキモ虫に説明するなんて時間とエネルギーの浪費だけど仕方ないわね」
非情に余計な言葉が聞こえたような気もしたが、今は空耳だと思って聞き流す。
「とにかく、今なにが起きてるんだ?」
「……ここからすぐそこ。第二グラウンドから数十メートル離れた先――」
そこで一拍間を空けた後、凛とした風貌で静かに宣告した。
「――今まさに天使が現れるわ。それも普通の天使とは比にならない、『大天使』クラスが、ね」
「……はい?」
彼女の言葉が呆然と立ち尽くす守の耳に入り、鼓膜を振動し、脳へと送られ理解しようとした。
そのとき、守の目の前は突如漆黒の闇に覆われた。