好きな人が結婚したので、国を出ます。
「月霞、椿先生は侯爵様の長男と結婚するらしい」
父は喜んでいた。椿先生から送られてきた手紙、おそらく結婚式で使う物品の依頼票を持って。
会場までの道を魔法で細工して到着を遅らせ、
紅白に並べられた天竺牡丹を真っ黒に染めて、
新郎の飲み物には死なない程度の毒を入れる。
なんてことはしない。
魔法のないこの国で魔法を使えばバレないのではなく、ないからこそわかりやすい。
天竺牡丹を真っ黒に染めたら、僕たち一家が罪に問われる。
新郎が毒に犯されたら、椿先生は犯人をこの世で一番恨んで、一生探し続けるだろう。
それを愛と捉えられる狂気の持ち主なら喜んでやるかもしれないが、あいにく僕は健全な心の持ち主なのである。
椿先生は僕の恩師で、憧れで、恋を教えてくれた人。
科学の力も使って成り上がってきたこの国で、他国にしかない「魔法」を持つものは貴重。
商会をやってきた僕の家、安土家は平凡で割とどこにでもあるような家だったが、父が魔法のある隣国の娘を妻にしたことにより、貴族と結びつきの強い家となった。
母は隣国で「魔法の使えない娘」と言われていたところを父が拾ったのもあり、知識しか教えられない。
このことに危機感を覚えた皇家から派遣されたのが味酒椿、子爵家の一人娘で現・味酒子爵。
「味酒椿だ。椿先生と呼ぶがいい。よろしくね、月霞くん」
僕が十歳のとき、大人っぽくて少女のような先生が来た。
「誰かに教えるなんて初めてだから、おかしくてもなんも言わないでよね! とりあえず、私の魔法を見せるから感動しとけ! 」
目を閉じて、ゆっくりと魔力を巡らせる。初めての僕にもわかりやすいように。
ぽっ、と先生の手の上に氷の椿が出された。
澄んだ氷は、光を反射して様々な色を見せる。
「きれいでしょ。次は何が出るか、考えてね」
ゆっくりと指を曲げて、拳を作る。再び開かれた手に、氷の椿はなかった。
ふつふつと、水が弾けるような感覚。
なにかを燃料にして、生きようと足掻くさま。
物理的でも、心でもない、第三の機関が燃えゆく。
――火だ。
飛んでいる。燃えている。
椿先生は目を細めて、そのさまを見ていた。
「かわいいだろう」
自分の手の上に乗っかっていた、小さな鳥をなでる。
ハチドリをを模した炎。紙を近づけると、燃えた。先生の炎は熱くないのに、燃え移った先の炎は熱い。化学の力で起きる炎と同じだ。
ゆっくりと手を閉じれば、火の鳥も紙の炎も消えた。
すぅ、っと空気が変わる。
魔力が波打っていた。
鼻を突き抜けて、鼻腔へ喉へ。空気が混ざりあって、染められて。
――海だ。
――ザァ、ザザザッ、ザァ、ザァ
波の音も、波が足に当たる感覚もする。
「魔法はこんなことができるのか!? 」
椿先生は、嬉しそうに笑っていたんだ。
「どうだ、すごいだろう。君もなってみたくないか?科学の国の魔法使いに」
「はい! なります! いつか先生みたいな立派な魔法使いに」
十歳の僕はただ感動していた。
先生を魔法が使える大人、自分のことをわかってくれる大人としか思っていなかった。
こんなことになるなんて、僕も、誰も、知らなかった。
「月霞には、この仕事を任せたいんだ。依頼票を元に部下に指示を。お前自身はいつでも対応できるようにしておけ」
父さん、もう手遅れだよ。
僕の心の海が大きく、大きく波打って、限界を越えて君たちを攫って消してしまう。
魔法の炎は君たちを包みこんでしまう。燃えないようにすることはもちろんできる
が、今の僕に制御できるだろうか。
椿先生みたいに澄んだ氷の花など作ることは出来ない。僕が作るのは顔が映るほど純度の高い氷で出来た檻。
こんなことしたって、椿先生が喜ぶことはないとわかっている。
僕は本当に彼らを消してしまいたいのか。
消してしまいたのは、僕の心なんじゃないのか。
この世で一番いらないのは、僕の恋心じゃないか。僕が椿先生の結婚を喜ぶことができないのも、父のことがこんなに嫌になってしまったのも、ぜんぶぜんぶ僕のせいじゃないか。
――あぁ、逃げてしまいたい。僕はこの国にいては危険だ。僕の心も、この国の人々も。
「父さん、僕にはできない」
まっすぐ。ただ、まっすぐ。黒曜のような瞳を見つめる。
「父さん、僕ずっと言ってなかったんだけど、魔法のある国で暮らすのが夢なんだ。魔法使いとして、魔法使いらしく生きてみたいんだ」
父の口が開いていた。
家と父の間で葛藤しているのだろう。父と母の子は僕だけなのだから。安土家がここまで大きくなれたのは僕がいるからなのだから。
「わかった。今回のは私のほうでやっておくから、月霞の夢の話は数日待ってくれ」
「ありがとう。良い返事待ってるから」
僕は知っているんだ。商人の顔して、中身は父だってこと。僕のことを駒のように扱っているように見えて、僕自身の幸せを考えていること。
水の音がする。小さな川でも、大きな意味を持つことだってある。
その川には赤い橋がかかっている。飛び石が縁側から橋を、橋の先にある鳥居までも、祠までもを繋いで道を作っている。
その道は本当に正しいのか。本当に神などいるのだろうか。
梅、千両、万両、山茶花、桜。
忍耐、利益、寿ぎ、困難に打ち勝つ、豊かな教養。
植えられた植物は商人らしい意味を持つものばかりだ。
別の一角に植えられた伊呂波紅葉は新緑で鮮やかな色をしているはずなのに、どこか暗く見えた。
椿先生と過ごした日々は大切な思い出。でも、忘れたくないはずなのに、消してしまいたい日々の欠片。僕の感情。事実じゃない、感情のこもった思い出だからこそ嫌になってしまう。
吹き込む風が海の匂いをしているかのような錯覚を覚える。
縁側で茶菓子をついばむだけの僕に記憶が訴えかける。
はじめは感動だけだったんだ。だって、話しか聞いたことなかったし。
氷の椿と、火の鳥と、海の感覚。魔力の感じ方、動かし方。想像がリアルになってくるのが嬉しかった。
しばらく経って、自分と椿先生の差がよく分かるようになった。
椿先生は魔法のある国から見ても結構できる人なのだと聞いたのも、その時だった。
椿先生が遠い存在だとわかっても、かっこよくて、輝いて見えて、課題をクリアする度、椿先生に近づけた気がしてうれしかった。
僕はあこがれていた。
僕が十三歳になった頃、僕の身長は椿先生を越えた。
「かわいい生徒がかわいくなくなったみたい。せめて、かっこよくなってくんない?」
僕は当然のように椿先生にかっこいいって言って貰えるように頑張った。筋肉をつけたり、勉強をしたり、もちろん魔法も。頑張りすぎて倒れて怒られることもあったけど。心配してくれたのがうれしかった。父や母、友人の言葉よりも、椿先生の存在が、言葉が、優しさが、何倍も嬉しかった。
椿先生が、特別だった。
先生と生徒、貴族と平民、二十歳と十三歳。越えなければならない壁はたくさんあるし、結ばれる可能性なんて夢物語くらいだとはわかっていた。
だからこそかもしれない。僕は燃えたんだ。
先生に見てもらえるように、たくさん魔法を練習した。魔法の議論だってした。ふたりでひとつのものをつくったり、街をあるいたり、魔法以外のこともたくさん知れた。
誕生日には魔法で三本の薔薇を作ってみせたこともあった。
「味酒様、月霞。皇家から月霞の成人をもって味酒様の派遣は終了すると通達があった。おそらく、味酒家にも行っているだろう」
僕の成人、十五歳になる日まであと一ヶ月のときに言われたことだった。
消えてく時間を椿先生で埋め尽くしたくて、何度も呼び止めた。
影が、よく伸びていた。
僕は、十五歳になったその日、十二本の薔薇を作った。
けれど、渡さなかった。椿先生と僕はこうじゃない気がした。椿先生に僕との思い出を嫌なものにしてほしくなかったからかもしれないし、僕が椿先生との思い出を悲しいものにしたくなかったからかもしれない。
椿先生と過ごした五年間、とりわけ気持ちを自覚してからの二年間は、色鮮やかで、かけがえのないもので、忘れたくても忘れられないもので、きらめきで満ち溢れていたものだった。
「月霞、なにがあった? 」
父のゴツゴツした指が、目元をなぞる。
僕は泣いていたのだと知る。
「なんでもないよ」
涙の乾ききらない顔で、作り笑いをする。
「そうか」
父さんはわかっててもおかしくないよな。だって、父さんだもん。
「セントレーア行きが決まったよ。セントレーアではメアリーさんが面倒をみてくれるそうだ」
「ほんと!?ありがとう、父さん。僕、向こうでも頑張るから」
ありがとう、父さん。この国を守ることができたよ。
数日後、僕はセントレーアの港にいた。
「はじめまして、メアリー・モンドよ。あなたが月霞くんね。お父様から話は聞いているわ」
待っていたのは母の母国と妹。
「今日からゲッカ・モンドとして過ごしてもらうから、よろしくね」
船は魔法で動き、街頭は魔法の永久機関。
露店で肉を焼くのも、飲み物に入れる氷を作るのも魔法を閉じ込めた、魔道具で行われている。
僕の五感を埋め尽くす魔力の気配。
ここには、いままで出会えなかったたくさんの魔法がある!
港から続く大通りをしばらく歩いて、メアリーさんの家、というか店についた、その時。
ふっ、と魔法を放つ。
すぐにその場所へ向かう。
「君、大丈夫かい?」
転びかけた少年へ声をかける。
わっ、と少年は泣き出す。
メアリーさんが、背中を擦ってくれている。
「おがぁさぁぁぁン!どこ、どこいるの!」
迷子だとすぐにわかった。
ゆっくりと魔力を込めて、少しずつ形をつくっていく。
細い花びらが風で揺れる。
できあがったのは、白いたんぽぽ。花言葉は「私を探して」。
「お母さんは、きっと君をみつけてくれるよ」
僕は白いたんぽぽを少年に渡した。
「ねぇ、君。お名前はなんていうのかな」
涙はもう垂れていないけれど、瞳は潤んだまま。少年は、僕とメアリーさんを交互に見て、
「アダム」
と静かに言った。
「そうか。いい名前だな」
僕は少年を掲げて、魔法で声を届ける。
「アダムくんのお母さんはいませんかぁ!!」
「メアリーのカフェテラスまで至急来てください!!」
僕たちの声は多くの人に届いたのか、たくさんの人が集まってきた。
その人達を押しのけて、走ってやってくる女性がひとりいた。
「アダム、ごめんね!」
「お母さん!」
アダムくんの顔が太陽よりも明るい笑顔になった。
「メアリーさんと、あなたも。アダムのことありがとうございました。もうこんなことはしません!」
深く、頭を下げていた。九十度よりも深く。
「だれにだってあることです。あまり気負わないでくださいね」
「アダムくんとお母さんにおまじないです」
魔力を巡らせて、ふたりがあたたかな光りに包まれる。
作るのは、黄色いたんぽぽ。
――ふたりの幸福を祈ります
「はい、どうぞ」
アダムくんの手に一本握らせて、花だけを周囲に降らす。
僕が手を閉じれば、光と周囲に降っていたたんぽぽは消える。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
両手に握ったたんぽぽを振りながら、アダムくんは笑って言ってくれた。
「すてきなおまじないをありがとうございます」
周囲に集まっていた人々に頭を下げながら、ふたりは歩いていった。
「君、すごいな!」
「魔法はこんな使い方もできるのか!」
「にいちゃん、これやるよ!」
八百屋さんがいちごをくれた。
「セントレーアはいい国でしょう。この国にはあちらの国にはないものがたくさんあるから、ゆっくり見てまわるといいわ」
「はい、メアリーさん。これからよろしくお願いします!」
まだ気持ちの整理はつかないし、逃げているだけだけど、いつか誇れる自分で椿先生と会えるように。僕がゲッカ・モンドから安土月霞に戻る日まで。
僕の逃避行が、僕の人生を変える気配がする。
僕の逃避行が、誰かの人生を変える気がする。それも、いい方向に。
僕の逃避行が、魔法と科学を繋いでくれる気がする。
僕の一歩は、いままでで一番輝いていた。




