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碧眼の彼女シリーズ(本編&短編)

Hello Hero

掲載日:2026/02/14

 冷たい風が頬を撫でた。冬も近い秋の空気。湿気の少ない澄んだ景色の中で、美しい金色の糸が敵を切り伏せていく。


「相変わらず、気持ちよく切ってくれますねぇ」


 後ろからかけられた声に、(なぎ)は顔だけそちらへ向けて問いで返した。


「怒ってる?」

「怒ってませんよ。ナギが戦闘スタイルをきちんと変えてくださったことに、私は感謝しています」


 そう言いながら凪の隣に立った産月(うみつき)師走(しわす)は、しかし納得した表情ではなかった。


「見つけた瞬間に手を下さず、主の妹君と同じように対話を試みる。そうして意思疎通ができるかどうかを確かめてから、できなければ周りに害が出る前に討伐。あなたらしいと思います」


「本音は?」


「いい気持ちになるわけないでしょう。目の前で同胞が殺されて、私にそれを止める(すべ)はないのだから」


 視線を交わすことなく、師走は自分の首に着けられたチョーカーを指でなぞった。


 アタリによって仕組まれた、産月との戦いから五ヶ月。長い時間をかけてアタリの死を受け入れた彼ら十二人の産月は、現在は各々の好きなように時を過ごしている。


 産月がアタリと離れられない理由――アタリ自身が消滅したことで、彼らはどこへでも好きなところへ行けるようになったのだ。


 司令官との話も済んで、チョーカーを着けていればもう自由にしていいと言われているにも関わらず、師走は自ら凪の行く先へ毎度ついてくる。

 今回は九州。以前遠征で流星(りゅうせい)(みなと)、多くのマダーと一緒に死人(しびと)からの奪還を行った土地。


 また人が住めるようにするため、一週間後に未来(みく)が【再生(ユーカリ)】を使いにここへ来る予定となっている。

 遠征から数ヶ月の間に死人が他県から移動してきているかもしれないと案じた凪は、司令官に一言伝えて先に様子を見に来たのだ。


 当然のように師走がくっついてきて、そして師走が行くならと如月(きさらぎ)もひっついてくる。

 来てどうするのかと問うも、何もしない、見てるだけだと返答された。


 ちなみに如月はどこかへ行っている。彼は師走と違って好戦的な性格をしているので、同胞だからといって庇護したりはしない。むしろ自ら戦いを挑んで死人の命を奪っている。


 産月が死人から恐れられている理由に、こういう暴力的な者が多いからではないかと最近凪は考えている。


「じ、じゅぃんまぃみ」


 何の言葉かと、凪は隣の師走へ目を向けた。彼は宙に浮いてこちらの様子を窺っていた死人に話しかけていた。


 人間と死人の会話は難しい。未来が【たくさん話しましょう(マネッチア)】を使わずにただ話そうとすれば大抵失敗するように、こちらから言葉をかけても伝わることは少ない。同じく彼らが鳴き声のように発する言葉も人間には理解できない。


 その現実を埋めることができる存在。半死人、半人間の師走は、死人の言葉で話しかけていた。


「れ、じばぃあ、ミク」


 優しく諭すような声色で、そう続けたあと。宙にいた死人は背中の羽を広げてどこかへ飛んでいく。討伐の必要があるかどうかを目で師走に問いかけた。


「ミクのところへ行け。そう伝えました」

「……れ、じ、びぁ?」

「れ、じばぃあ」


 討伐はしなくていいと知って安心して口に出した。が、指摘のなんと早いことか。

 師走が彼らの言葉を話すたびに真似しているが、一向に覚えられない。発音も難しい。


「習得は無理なんじゃないですか。人間のように舌で音を変えているわけではありませんし」


「そうなの?」


「この辺りです。鳩尾より少し左。そうですね……人の身体で言えば、心臓から肺に繋がる弁を裏返すような感覚でしょうか」


 師走は自分の胸の辺りを指さした。

 そんな無茶なこと、できるわけがない。


「ですから、あなたは討伐に集中すればいいんです。彼らへの助言は私がしますから」


 納得していないだろうに、師走は凪にそれだけ言いおいて、落ち葉を踏みながらまっすぐ歩いていく。

 産月の存在に怯えて出てこなかった丸い死人へ、先ほどと同じように声をかけていた。


 ◇


霜野(しもの)さん、そろそろ切り上げよう」


 十八時を回ったころ、まだ自分の仕事を淡々とこなしている師走へ声をかけた。師走は横目で凪を見たのち一体の死人を送り出す。


「慣れませんね、あなたにそう呼ばれるのは」


 むず痒そうな顔をして、師走はこちらに帰ってくる。凪がリュックから出すレトルトのお粥や缶詰を見ながら彼は焚き火の用意をしてくれる。

 凪一人なら『たべるんバー』だけで済ませるところだが、食にうるさい如月のせいでそうはいかなくなっていた。


「最初から霜野さんって呼んでるはずだけど」


 三人分のお茶のペットボトルを適当な位置に置いていく。


「それはそうですけど。完全に人間扱いされてるみたいで、なんとなくムズムズします」


 微妙に居心地悪そうにしている青い瞳の彼へ、凪は顔を向けてハッキリと言った。


「人を人扱いしないでどうするの」


 師走が目をまん丸にする。口を小さく開けてこちらを見ているが、彼はなにも言わない。

 手も止まっているので、凪は師走から弓切り式の火おこし道具をひょいっと奪う。慣れた手つきで火だねを作っていく。


「それに、霜野さんには大事な家族がいるでしょ。あなたにとっても大切な名前なんだから、それを否定するような呼び方はしたくない」


「……ほらまた。土屋(つちや)君みたいなことを言う」


 師走は苦笑して缶詰の蓋を開けた。このあと来るだろう如月のためにステンレスの皿に丁寧に盛り付けていく。


「土屋君もそうやって、私の家族を大事にしてくれました。直撃すれば死ぬかもしれないのに、あの町を自分の身体で守ってくれた。言えばいいのに自分が悪人役を担って、私があの町でまた生活できるようにしてくれた」


 ともすれば怒りを抱いてしまいそうな話を、師走は凪の前で穏やかに語る。

 町を吹き飛ばした師走を見ていない端段(たんだん)市の住民が、師走と隆一郎(りゅういちろう)の戦いに抱いた思想。端段市で平和に暮らしていた師走を信じきって、平和のために戦っていた隆一郎を町を襲ってきた悪人だと思っている。


 あの誤解は、あれから月日が経った今でも解かれていない。そのままにしていれば事態を丸く収められる、という隆一郎の寛大な心に感謝して、あえて誤解させたままにしているのだ。


 凪と行動しているためになかなか帰ることはできないが、霜野一家だけでなく住民のみんなが師走の帰りを待ってくれている。全ては隆一郎の思いやりのおかげだ。


「本当、バカみたいに優しい子です。あんな子を相手に本気を出せるわけがない。良心が痛むというものです」


「その割には、相当痛めつけてるように見えたけどね」


 監視鳥(かんしどり)に映った二人の戦力差は歴然だった。隆一郎はただ、死なないようにしていただけ。師走の言うとおり、彼はどうやっても師走に勝つことはできなかった。


「それが、死人の心臓を持つ我々の天命です」


 大きくなった火が師走の真面目な表情を照らした。


「どんなに戦いたくないと思っていても、戦いを拒否することをこの身体は許さない。我慢すればするほど意欲は高まって、ふとした瞬間にトリガーが外れてしまう。そうして全部を壊してしまう。細胞の一つひとつに刻まれた壊滅の目的に支配される」


 木製のスプーンを渡してやれば、師走はそっとそれを受け取った。そして、霜野のおばあさんに向けるような、柔らかい表情で笑うのだ。


「土屋君はすごいですよ。そんな体質の私から戦意を奪ったんですから」


 心の底からの賞賛に、凪の口元も綻んだ。


「すごいでしょ、僕の弟子は」

「誇らしそうな顔をして」


 指摘されて、軽く笑ってみせる。

 当然だ。本当に誇らしいのだから。


「まあでも、僕がほぼ毎日霜野さんと一緒にいるって知ったときは心配したみたいだよ」


「心配、ですか?」


「結構……いや、かなりかな。色々問い詰められて」


 隆一郎の必死な形相と質問の数々を思い出す。まず、凪に危険はないのか。連れ回して死人を怖がらせないか。凪が師走に対して抱く感情は大丈夫なのか。

 数多ある問いの中に、師走が人を襲わないかといった内容がなかったのがいかにも彼らしい。


「一番気にかけてたのが、霜野さんが僕を見て戦いたくならないかどうか、だね」


 ぴくりと目元の皮膚が動くのが見えた。それだけで、チョーカーで死人化が抑えられているとはいえ戦闘の欲が消えるわけではないのだと知る。


 凪が師走の前に現れることで、彼が本気になってしまうのを避けるためにあいかは凪をギリギリまで温存する計画を立てたのだ。


 温厚な人間の状態を保てる今でもその欲があるのなら、抗いながらともに行動していることになる。先ほどの話のとおりであれば、そうして我慢することだって、チョーカーにもしもがあったら自制できなくなるのではないか、と思う。


 彼がいると死人とのやり取りは非常に楽だが、そのために将来の危険を背負いたくはない。


 質問しようとしたわけではなかったが、師走が目を伏せて何やら考えているようだったので凪は黙っておく。

 無言になってから少し。師走は凪へ視線を向ける。


「戦いたくならないと言えば、嘘になります」


「それでも一緒にいるの?」


「あなたと一緒にいるのは、死人との会話をスムーズにするためだけではありません。いざというとき、あなたなら私を討伐できると踏んでいるからです」


 師走はチョーカーにそっと触れた。


「私が自分の意思でこれを外すことはないし、そもそもできない。けれど絶対なんてことはありません。卯月(うづき)を復活させてくれたあの博士の力量を信じていると同時に、もしもがあったときの保険が欲しいんです」


 誰かを手にかけないように、自分を倒すことができる強者のそばを離れない。判断を(たが)えない者のそばにいたい。それは師走自身の願いであるとともに、自分を助けてくれた隆一郎への誠意のつもりだったと彼は語る。

 逆に心配されているとは思いもしなかったと、師走は最後に苦い顔をした。


「信頼してくれるのはありがたいけど」


 凪はお粥が入ったレトルトパウチの上部を切り取って、食事の準備を終えて胡座に座り直す。まだなんとも言えない顔をしている師走を正視した。


「僕が霜野さんを倒せるかと聞かれたら、正直自信がない」


「そこは嘘でも任せろって言ってくださいよ」


「自信がないって言っただけだ。倒せないとは言ってない」


 どっちでも同じでは、と言いたげな目をする師走へ、凪は問いかける。


「死人同士で記憶を共有できるなら、知ってるでしょ? 僕が一度、死人に負けたことがあるってこと」


 だから当然のように勝ちを宣言したくない――そう続けるつもりだった。しかし後ろから重いものが落ちるドサッという音がしたために続かなかった。

 見れば、やはり死人とやり合ってきたらしい如月が、戦利品とばかりに謎の魚を複数持っていて、その内の一尾が地面に落ちていた。


「なん……それ、マジ?」


 本気で驚いているような顔の如月を見て、ああ、記憶を持っていても覚えているかは別なんだな、と凪は冷静に思った。


「負けたの? 死人に?」

「負けたよ」

「『無傷の先導者』が?」

「その異名はあんまり好きじゃないんだけど」

「オレは好き。で、いつ」

「僕が十二のころ。記憶を探ってみたらすぐ出るんじゃない? あのとき相当の数の死人が近くにいたから」


 言いながらサーチなんてできるんだろうかと凪は疑問を抱いたが、どうやらできるらしく如月も焚き火の近くに行儀悪く座ってから腕を組んだ。

 トン、トン、と指でリズムを取りながらしばらく。「あー……」と、同情するような目を向けられる。


「女神の石像?」

「正解」


 当時を思い出しながら、凪は自分の左腕に張り付いたキューブに触れる。

 臨世(りんぜ)への拷問が終わっても黒く変色した部分は戻っていない。変わらず半分黒ずんだキューブを見ながら、あのころ変色しなかったのはキューブの思いやりだったのかもしれないと思った。


「目が覚めたら病院のベッドの上だったからね。初めての経験で、まあ驚いたよ」


「マダー最強がその辺の死人に負けるなんてなー。つか弱くね? この日のアンタ」


「如月。きちんと名前で呼んであげてください」


「いーだろ別に。なあ、これ何されたわけ?」


 もう、とため息をつく師走にいいよと言ってから、凪は如月の言う『これ』を思い浮かべる。おそらくは、病院送りの原因となった最後の攻撃。


「『神罰』っていってね。僕が死人に行った全てに対して、石像の女神から罰を与えられた。今までに討伐した死人の数だけ――奪った命の数だけ強い力が降ってくる」


「げ」


「避けられなかったんですか? もしくは防御とか」


「できたよ。速い攻撃でもなかったし眩しいくらいの光の攻撃だったから、逃げることも、【ルテイン】で防御することもできた。……でも」


 手際よく魚を枝で刺して焼きながら、如月は「でも?」と繰り返す。焼き魚が出来上がるまで会話のネタにするつもりらしい。


「……罰をね、受けるべきだと思ったんだよ」


 常温の梅がゆをいただきながら、凪はあの光の攻撃を思い出す。とても神秘的で、死人たちにとっては救済だっただろう美しい光の流れ。


「五万を超えてたんだ。五万二千三百八。人の生活を守るためとはいえ、僕はそんなにも生き物を殺していたのかと、数字で表示されて怖くなった」


 逃げようなんて思えなくなってしまった。逃げるべきではないと思ってしまった。自分が倒れることでその後何が起きるかなんて考えもしなかった。

 ただ彼らに――死人たちに心の底から申しわけなく思って、罪と認めてこの攻撃を受けることが、討伐された彼らへ贖罪になる気がした。


「後悔したよ。僕の勝手な判断のせいで、あの女神を倒すために多くの死者を出した」


 目が覚めたときには討伐は既に完了していた。倒れた凪を助けようとしたマダーと女神を倒そうとしたマダー、総勢三十七名が犠牲となった。

 凪が自分の行いを正しいと思っていなかったこと。敗因はただその一点だった。

 淡々と語る凪へ、如月は問う。


「怒られた?」


 凪は首を振った。


「怒られなかった。……心配された。いつものお前ならそんな判断はしない、感情の整理がつくまで休暇を取るべきじゃないか、ってね」


 司令官の戸惑ったような、心配とも悔しそうともとれる顔は今でもよく思い出せる。


 あの女神と相対したのは、凪の父が死人になり、唯一の家族となった母にも捨てられ、自分という存在に意味を見いだせなくなったころだった。


 司令官が保護者として引き取ってくれたために生活は困らなかったが、心にぽっかりと穴が空いた状態で、何も集中できず、判断を間違えてばかりだった。


 両親が好きだったかと聞かれれば即座に否定するだろう。【ヒール】によって怪我を治せる自分を神と崇める父は恐ろしかったし、干渉しないくせに怯えた目で自分を見てくる母のことはムカつくし煩わしかった。

 それなのに、いざ二人を失った凪が覚えた感情は、途方もない寂しさだったのだ。


「まだ完治薬(かんちやく)がないころだったからね。手術を受けて、点滴を打って、よくわからない管がいくつも貼り付けられていて。こうまでして生かしてくれなくていいのにって言ったら、ようやく怒られた」


 平手打ちした司令官のほうが痛かったのではないか。パァンと音が鳴って、一気に熱くなった頬に手を当てて()め上げたら、悲しそうに眉を下げた司令官と目が合った。激怒された。

 看護師が慌てて飛んでくるような大声で叱られて、驚いて固まった凪の手を強く握った彼は、震える声でこう言った。


 ――凪。私はお前に死んでほしくない。この思いは司令官としてではなく、私個人の……四十万谷(しじまや)悠吾(ゆうご)としての願いだ。


 誰も特別扱いしない司令官に、凪と呼ばれたのはこのときだけだ。

 今なら理解できる。あのとき司令官は、戦場へ子どもを送り出す立場の人間が言ってはいけないと、そうわかっていながらも言わずにはいられなかったのだ。


 互いに落ち着いてから彼は言った。お前がいることで、多くの人間が救われる。戦いの場にいなくとも、お前が生きているだけで、協議会も、マダーも、全員が前を向ける。


 ――自分が周囲にとってどれだけ希望であるか、しっかり覚えておけ。


 重かった。残酷だった。

 自分を認めてもらえる嬉しさと、頼られる誇らしさ。それと同等の重圧に凪は縛られ、そして逃げ道を遮断してしまった司令官もつらそうだった。


「十二の子どもになんてことを言うんだろうって、そればかり考えたよ。自分はただ目の前の敵を倒していっただけなのに、当然のようにこの現状を変えられるただ一人の人間みたいな扱いをされて、どうにもならないくらい(すさ)んでいった」


 嫌だ嫌だと思いながら、司令官だって言いたくないことを言ったのだと理解していたために、それを口にはしなかった。けれど空気感で伝わってしまったのだろう。

 退院の日に合わせて、司令官は一封の手紙を差し出してきた。お前へのファンレターだ、と言って。


 これまでにもたまにあったことだった。大抵は自分より年下からの手紙で『憧れです』という文面だったが、時には大人から感謝の言葉を貰うこともあった。しかし今回、自分は被害を拡大させた。恨みごとが書かれているかもしれない。

 気が進まないまま封を開けた。英文だった。


「何それ、書いたの外国人ってこと?」


 話がズレていってることに気付いてやめようとするも、如月が聞かせろとうるさいので続ける。


「外国人……と思わせたかったんだろうね」

「誰が?」

「書いた本人が」


 どうせ最後まで話さなければならないならと、オチは最後まで取っておくことにする。

 首を捻り、なんで? と言いたげな如月をそのままにして、凪はキューブ内の収納スペースから件の手紙を取り出しつつ話を再開させた。


 文の始まりは、『Hello Hero.』

 ヒーローなんて、そんなかっこいい人間じゃないのに。そう思いながら文字を追っていった。


 読みやすいブロック体で書かれていたが、しかし小学生の英語力で読めるものではなく、司令官に手渡して、日本語に変えて読んでもらった。

 司令官の口角がほんの少し上がっているのが不思議だった。


 ――ハロー、ヒーロー。私はあなたに何度も助けていただいたAと申します。お礼の手紙を書こうと思っていたところ、あなたが怪我をされたと聞いて驚きました。


 凪が怪我をしたと知っている者はそれほど多くないはずだった。

 あの日助けてくれたマダーは皆戦死している。知っているのは司令官含め本部のごく一部の人間と、この病院の医師、オペ看、そして担当の看護師だけ。


 言わないで、と言った覚えはない。凪の気持ちを慮った彼らが善意で秘密にしているらしかった。

 ならばどこから知ったのだろうと、これも不思議に思いながら手紙の続きを聞いた。


 ――もう体は良くなりましたか。心に傷を負っていませんか。あなたのことだから、きっとどんな強敵にも果敢に挑んで、そうして向かった先で危ない目にあったのではないでしょうか。


 内容のほとんどが心配と感謝で構成されていた。しかし最後のほうは少し毛色が違った。


 ――あなたは多くの人を救い、沢山の人へ勇気を与える存在です。そしてあなた自身もそう気付いているからこそ、逃げたくても逃げたいと言えないのだと思います。


 ――あなたは私たちの希望です。けれどそのせいであなたという人間を潰してはいけない。周囲がなんと言おうと、あなたがあなたであり、幸せでいられる道へ進んでほしい。


 ――最前線で戦ってきたあなたの選択を咎める者はいません。どうか周りの言葉に流されず、環境に支配されることなく、あなたの人生を歩んでください。


 本の読み聞かせのようにゆっくりと読み上げた司令官は、手紙を凪へ渡した。凪がもう一度英文へ目を落とすと、司令官の手が凪の頭にそっと置かれた。大きな手だった。

 何度か頭を撫でられて、離れていく手を追うように顔を上げた。司令官は、優しい瞳で凪を見ていた。


「そのときは全然わからなかったんだけど、あとから面白いことに気付いてさ」


 女神の石像に関する一連の流れを話し終えて、当時を鮮やかに思い出した凪は小さく笑いながら続ける。


「実は司令官、英語なんて全く読めなかったらしいんだ」


「は? え、だってその手紙読んでくれたんだろ?」


「そう。だからなんで読めたんだろうと思ってね。理由を考えて結論に達したときは、もう嬉しくて嬉しくて」


 頬の緩みを隠さずに凪は手紙の文面を目で追った。一部脱字があったり綴りが間違っていたり、翻訳アプリで日本語に変えれば見事なほど綺麗な文になったり。読めば読むほど英語圏の人が書いたようには見えなくなる。

 よくわかっていなさそうな如月の隣で、師走は「なるほど」と笑った。


「粋なことをする方ですねぇ」


「え、なに? オレわかんね」


「英語なんて読めなくてもいいんですよ。だってそのファンレターを書いた本人であれば、文字を見ればなんとなく思い出して伝えられるでしょう?」


 外国人が書いたように見せかけたファンレター。英語の読めない司令官。その彼が詰まることなく滑らかに翻訳していく姿。


 そろそろ焼けただろうかと、ヒントを出せるだけ出した師走は枝に刺した魚をくるりと回す。火が通ったようで、空になったお粥と缶詰めのプレートを横に置いてから齧りつく。


 その様子をじー……っと見ていた如月は、唐突に理解した。「あーね」と笑って、スッキリした顔で魚を頬張った。


「回りくどいことしてさ。自分の口から言やぁいいじゃん」

「言えないんだよ。司令官という立場上ね」


 この手紙を書いた人物が司令官その人だと理解した如月は、またも「なんで?」と聞いてくる。「ちょっとは自分で考えたらどうですか」と師走は呆れている。

 手紙を再度キューブ内の空間に大事にしまって、如月が焼いた魚を凪もいただくことにする。


「自分で言うのもあれだけど、大抵の死人は僕一人で倒せるからね。どうにもできない状況を打破できる人材を手放すなんて、全ての責任を負う立場の司令官にはできない。戦わなくていいんだぞ、なんて……言えないんだよ」


 凪を戦いから遠ざけるなんて絶対にありえない。メンタルが回復したら即刻戻ってこさせなければいけない。

 彼が心の内でどんなに凪を大事に思っていても、司令官である限り決して言ってはならない言葉。それを赤の他人の言葉として伝えてきたのだ。


「優しいだけではないんですよね、あの人」


 魚を綺麗に食べ終えた師走が、空になった皿を率先して回収していく。


「アタリ様の供養を終えてからも、何度も話し合いの場を設けてくれました。総理たちとも長い検討を重ねて、平凡に生きる権利を約束してくれた。代わりに死人との関係を良くするための助力をしてほしいと言われたときは、本当にその程度のお返しでいいのかと疑いましたよ」


 チョーカーにもしもがあれば、間違いなく甚大な被害が出るというのに。そう続ける師走は不安そうで、如月はむしろその日が訪れるのを楽しみにしているようだった。

 暴れられる日が来るなら全力でぶっ壊してやると、不敵な笑みをする彼を師走はそれとなく諌めている。


 だからこそ凪と離れないようにしているのだと、先ほど師走が口にした言葉を思い出した。


「どんな状況でも、ちゃんと討伐してあげるよ」


 二人の青い瞳が凪に向けられる。

 倒せる自信がない。そう言ったのは本当だ。


 怒りそうなのでわざわざ言いはしないが、如月は凪にとってはそう怖い存在ではない。あの日隆一郎が軽く抑えることができたのだから、もしもがあれば愛弟子に頼ってもいいだろう。


 無効化を持つ長月(ながつき)は攻撃の力が弱いから捕縛だけして放置すればいい。卯月は結衣(ゆい)博士が作った身体に魂を入れたために死人の力自体が消えている。ほかの産月に関してもさほど時間をかけずに無力化できるだろう。


 問題は、捨て子の魂が圧倒的に多かった十二月の産月。力の危うさを自覚している師走のみ。


「僕だけで頑張る時期はとうに過ぎた。本当に霜野さんが暴れる日が来たなら、先陣を切って僕が相手をする。それで僕が負けたとしても……」


 心強い仲間の顔を凪は思い浮かべる。凪が自ら選んだ、強力で信頼できる五人の精鋭たち。

 凪が出来うる限り師走の力を削ぎ落とし、その後それぞれの得意分野に持ち込んでもらえれば、きっと誰かが勝ってくれる。

 自分の死後に懸念はない。彼らがいれば、凪は安心して身を投げ出せる。


「でもさー、精鋭部隊の末席のヤツくそ弱くね?」


 魚を骨まで食べ尽くした如月は悪態をついた。


「ほかのヤツに比べたら超よえぇ。間違いなく最下位」


「僕は順位なんて決めてないよ」


「アンタが決めなくてもオレが勝手に決めるね。アイツ臨世に氷漬けにされてた。師走とやり合えるとはとても思えないね」


 何を怒っているんだろうと苦笑しながら魚を食べ終えた。「なんだよ」と拗ねられて、表情豊かだなと凪はつい笑いそうになる。


「そういう作戦だったんだよ」


「あ?」


「湊がやられるのは作戦のうち。国生(こくしょう)さんが利用されるとしたら、真っ先に疑うべきは臨世だから。とりあえず臨世の策略にはまったと見せかけて、その後僕らと合流して反撃に出る予定だった。だから臨世にやられたのはわざとだよ」


 頭の働きが鈍いらしい如月へ、師走は「つまりですね……」と、しょうがなさそうに説明を足していく。

 臨世が暴れ出すのを湊がニッコニコで見送ったのだと理解した如月は、口をあんぐりと開けていた。本当に表情豊かだ。


「……マジ?」


「マジ」


「だって相性最悪だろ、あの【拘泥(こうでい)】って……」


「湊の【拘泥(こうでい)】は相手だけじゃなく自分を対象にすることもできるんだよ。広範囲で低級の死人相手なら『殺戮(さつりく)』を使うことが多いけど、霜野さんを相手にするとしたら……そうだな、『金剛(こんごう)』とか」


 身体を誰よりも頑丈にする『金剛(こんごう)』。

 攻撃の威力を常人の何百倍にする『剛力(ごうりき)』。

 ほかにも色々と見せてもらったことはあるが、あまり説明して手の内を明かしたくないのでおしゃべりを終えた。それと同時に、凪の背中側から強そうな死人の気配を感じる。


「殺るか?」


 如月がやはり好戦的な態度で立ち上がる。

 チョーカーに抑えられているため彼は『REVERSAL(リバーサル)』を使えない。そのため彼の『殺る』は主に強くない死人を殴る蹴るによって部分的に壊し、恐怖から死人が元の身体に戻りたがるのを待つやり方。


 凪たちに食べられた魚の死人もそうして強制的に戻された。


「その前に、一旦お話だね」


哀怒楽喜(あいどらっき)の『怒』は話を苦手とする者が多いですよ」


「だとしても、まず寄り添おうとする心が大事。そう言ったのは霜野さんでしょ」


 怒りに塗れ、こちらの話など少しも聞いてくれそうにない死人へ凪は近づいていく。

 住民の安全のために死人を見ればすぐに倒してきた凪にとって、この初期対応はまだ慣れない。死人たちからみても同様で、幾万もの同胞を討伐してきた凪に寄り添われてもきっと嬉しくはないだろう。


 しかしそうしていくことで、死人との関係がいつか変わるならと、凪は努力して歩み寄る。


「れ、じゔぁ……」

「れ、じばぃあ」


 その努力の中に言語の習得を入れようとするなと師走に怒られた凪は、未来みたいに会話の技を考えたほうがいいだろうかと、将来を見据えて首を捻るのだった。

【アフターストーリー 豆知識のヒーロー】

こんなに強い凪のことを凛子様は未来と仲良くなるまで知らなかった


碧カノ本編『第十八話 無傷の先導者』で発覚してますが、凛子さん、凪さんのことを中二まで知りませんでした。めちゃ強いのに。未来より強いんだ努力してるんだといっぱい喚いてましたが、もっとずっと上の存在のことは知りませんでした。


というのも凛子はただ実力が上でありたいだけではなく、キューブに選ばれた順番も二番目だったというのがネックだったので、そこから派生した未来への執着がとても大きかったのです。そんなわけで凪さんの存在は眼中になかったのです。

一回しかお怪我してないのに。精鋭部隊の長なのに。凪さん、かわいそう。


ちなみに隠しているわけではありませんが、なんとなく恥ずかしいので隆や未来には怪我のことは言っておりません。聞かれたら答えようかな、くらいのスタンスらしいです。


お読みいただきありがとうございました!

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