4.
ゼノヴァルト・レグル・レクティシウスはご機嫌であった。
もう、にっこにこのルンルン。スキップだってしちゃいそう。
「ゼノくんスキップしないで。恥ずかしい」
「あら」
しちゃいそう、じゃなくてしていたらしい。だってウキウキしちゃうんだもの。仕方ない。
「あら、じゃないよ。あのさあ、任務中に、それも戦場で告白って馬鹿なの? エスィルさんのこと考えてよ。ほんと最悪」
ゼノヴァルトと反対に、隣を歩くイノシティオはそれはもう不機嫌だった。堂々と不機嫌ですって顔に書いて、堂々と不機嫌ですって声で喋る。誰の目にも一目瞭然。普段は穏やかな笑みを浮かべているだけに、すれ違う男たちがぎょっとして二度見している。
ゼノヴァルトは一応、イノシティオより歳上であるし先輩であるし上官なのだけれど、才能に溢れたふてぶてしい17歳は「聞いてる?」とゼノヴァルトを睨みつけてきた。
「聞いてるって。イノってほんとエスィルさんのこと好きだよね」
「逆にうちの隊でエスィルさんのこと嫌いな奴いるの」
「いたら僻地に飛ばす」
「怖いって」
それにしたって、とゼノヴァルトは思う。
それにしたって、イノシティオはエスィルのことを好きすぎるのでは、と。
ゼノヴァルトが属する零番隊は、エスィルの母、ジェマスティエル・フォン・フェルゼリア第一師団長が自ら編成した彼女の命令にのみ従う少数精鋭部隊である。
というとなんだか格好良いが、ようは軍のはみだしものが集められたヤンキー集団である。各隊で扱いに困った曲者をジェマスティエルやエスィルが集めたのだ。
イノシティオも最初に配属された隊でいろいろとあったらしく、自分を認めたエスィルにそれはもうよく懐いていた。隊内では可愛い大型犬であるが、エスィルを貶そうものなら三日三晩うなされる呪をかけられると大変評判の良いイノシティオは、「悪夢の猟犬」として名を馳せている。
そんなわけで、不機嫌な顔をしているイノシティオを見た他所の隊の人間は「ひっ」と引きつった声を上げているし、可愛い弟分がぷんすこしているのを見てゼノヴァルトは「それにしたって」と思うわけである。
「エスィルさん、なんて言ってた?」
ゼノヴァルトは、自分よりも上背のあるイノシティオを見上げる。
イノシティオを可愛い弟分、もしくは愛嬌いっぱいの大型犬として見ている大人の筆頭はエスィルである。エスィルはイノシティオを目の中に入れても可愛くないとばかりに猫可愛がり、ならぬ犬可愛がりをしているので、異性であるはずなのにイノシティオとヴィニフィアの扱いをわりと一緒くたにしている。
だからあの後、エスィルからなにがしか聞いているんだろうとあたりをつけたのだ。
イノシティオは、横目でゼノヴァルトを見てまた前を向く。
「……おしえない」
あら。
ゼノヴァルトは、心の底からとってもすっごく不満です、といったお顔のイノシティオを見上げて微笑んだ。
「そう」
「あーーーー!! はらたつ!! はらたつ!!!! ゼノくんなんて、顔が良くて優しくて男前で強くて格好良いだけの変態なのに!!」
「はっはっは、ありがとう褒めてくれて」
「変態が全部帳消しにしてんだよくそおおおお」
「一途って言ってよ」
「言うかぼけえええええ!!!!」
ところで。
ゼノヴァルトはおぎゃあと産声を上げる代わりに目を開けため息を付いた可愛くない赤ん坊だった、と愉快そうに話す、ちとイカれたレクティシウス夫妻は侯爵家の人間である。
ゼノヴァルトは軍人であるが、侯爵家の血を引く貴族であった。
幼い頃は「けっ」と思ったり思わなかったりしたものだ。いやあ若かったね。お恥ずかしい。
成長するにつれ、賢いゼノヴァルトは「これはありがたいものだな?」と気付いた。
無論、飢えも寒さも知らぬということがどれほど恵まれているのか、ということは幼いながらに理解していたのでそうではなく、侯爵家の次男という肩書がとても便利なのだということをはっきりと意識したのは、14のときだった。
王立学園に、ジェマスティエルが現れた。
波打つ金色の髪、陶器のような白い肌、噂に違わぬ美貌に走る大きな傷跡。そこに立っているだけで見るものを威圧する存在感を放つ彼女は、ゼノヴァルトに気づくと品よく微笑んだ。
「ゼノヴァルト殿」
「お久しぶりですフェルゼリア第一師団長」
ゼノヴァルトが頭を下げると、ジェマスティエルは「ほう」と眉を上げた。
「今日は、フェルゼリア侯爵とは呼ばんのだな」
ゼノヴァルトとジェマスティエルはこれが初対面ではない。ゼノヴァルトが初めてジェマスティエルと会ったのは、六つかそこらだ。茶会だったかパーティーだったか忘れたが、青いドレスがよく似合う美しくも凛々しい女人にゼノヴァルトは幼いながらに見惚れた。それから何度か、同じ侯爵家の人間として顔を合わせているが、彼女の役職を口にしたのはこれが初めてだった。
「軍服をお召しになっているので」
貴族が学園に視察に来るのは珍しいことではない。才能ある若者に早いうちからツバをつけておこうっていう、あれだ。中にはスカウトされ、卒業後に軍部や貴族家に引き抜かれ出世するケースもある。
ジェマスティエルが学生をスカウトしたという話を聞いたことはなかったが、軍服を身に着けている以上は軍事に関することだろうとゼノヴァルトは考えたのだ。
ゼノヴァルトの推察は正しかったようで、ジェマスティエルは「うん」と笑った。
「君は変わらず賢いな。案内を指名してよかった」
「指名、ですか?」
教師や最高学年の生徒で良かったのだろうかと首を傾げるゼノヴァルトに、ジェマスティエルは猫のように目を細めた。
「君とは顔見知りであるし……」
ジェマスティエルは、すい、と身を寄せゼノヴァルトの耳に囁く。
「レクティシウス家の声が聞きたい」
なーるほど。
ゼノヴァルトは頷いた。
ゼノヴァルトの父、レクティシウス侯爵はこの国の最高裁判長を務める公正と公平を司る男である。レクティシウス家が政治に直接関わらずとも侯爵という高い地位を持っているのは、この国の法律そのものであるといっても過言ではないほど、歴代のレクティシウス侯爵が厳格な最高裁判長として恐れられている、ではなく尊敬されているからだ。
当然、ゼノヴァルトもそれ相応の振る舞いを求められたが、まあ、バレぬようにそれなりのやんちゃをすることもある。若いので。といっても、それっぽい理由で授業をサボタージュしたり、夜中にこっそり抜け出したり、学生は購入を許されていない禁書を入手したり、そのっくらいである。可愛いもんだろ。
とどのつまり、求められているのはお行儀よく学園を案内することではなく、学園がどういう場所であるのかを公正に、公平に、伝えることであろうとゼノヴァルトは理解した。
「承りました」
そんなわけで、ゼノヴァルトは学園の良いとこ悪いとこを包み隠さずお話しながら名所巡りをした。
図書館は本の選択が偏っているという意見があるが、身分にかかわらず高価な本も借りられることを生徒は喜んでいるだとか、騎士科は他科の生徒から評判の悪いものが多いが学園のアイドルが多い科でもあるとか、普通科にも魔法の授業がもっとほしいと要望があるだとか。
自分の感想ではなく、生徒からの声を伝えるようにしたゼノヴァルトの判断は正しかったようで、ジェマスティエルは、からからと楽しそうに笑いながら相槌を打った。
「なるほどな。君は随分と顔が広いようだ」
「広く浅くをモットーにしております」
「いかにも貴族らしくて結構」
褒め言葉だろうか。友人は? と聞かれると誰一人と思い浮かばないのが難点なのだが。
いや、べつに嫌われているとかではなくて。ほんとだってば。休日に一緒に出かけるような、親しくしている同級生はもちろんいるのだ。
けれども「友人は?」と問われたときに名を挙げられる、信頼できる友人がいないことがゼノヴァルトのちょっとした悩みであった。特段困ってはいないが、いざ社交界に出たときにこれで良いのだろうかと思うのである。嘘と建前が咲き誇る社交界において、絶対に自分を裏切らないと確証のある友人は得難い。学生の時分にそういった友がいないことは、ゼノヴァルトを心細い気持ちにさせた。
あと一緒に悪事を企む友人という存在に憧れがあったりなかったり。
「ああ、ここが演習場か」
物思いにふけっていたゼノヴァルトは、ジェマスティエルの声に顔を上げた。
学園の端から始まったツアーは、中央まで到達していたらしい。
「ここは騎士科の生徒に限らず、魔法科、普通科の生徒も利用できます。頑丈な結界が張られた魔法の訓練向きのエリアと、障害物がある剣術の訓練向きのエリアの二つに分かれています」
「剣術のエリアで魔法を使うことは?」
「禁止されています。魔法訓練のエリアで剣を使うことは禁止されていませんから、両方を使いたいなら魔法訓練のエリアでの訓練が推奨されています。あまり聞いたことはありませんが」
「つまり、騎士科の生徒が魔法を使いながら戦闘をしたり、魔法科の生徒が剣を使いながら戦闘をするということは無い、ということか」
ぞわ、とゼノヴァルトの半身が粟立った。
ジェマスティエルから立ち上るのは恐らく怒気。剣と魔法、それぞれがそれぞれだけを磨いてどうする、と言わんばかりである。ゼノヴァルトは慄く己を抑え込み微笑んだ。
「多くはありません」
「……そうか」
騎士科の生徒だって魔法を使うし、魔法科の生徒だって武術を磨いている者はいる。合同訓練はあるが、そういうことではないと思っているのはジェマスティエルだけではない。
言外に含ませたことに当然のように気付いジェマスティエルは、美しく微笑んだ。
「いい話を聞けた」
「それは良かったです」
いや、本当に。そろそろ卒倒しそうだったので、ジェマスティエルのにこやかな微笑みが戻ってきてよかった。本当に。ここでぶっ倒れようもんなら、ゼノヴァルトの名折れである。
「他にもご覧になりますか?」
「いや、いい。娘を待たせているんだ」
「御息女……」
ジェマスティエルが養女を迎えたという話は、社交界で瞬く間に噂になった。
それは、社交界の縮小版である王立学園も同様であった。
なんでも、公の場以外は男装のような格好をしており、透けるような茶髪に交じる金色がまばゆい、真っ白の肌で輝く大きなストームグレーの瞳は一度見れば忘れられないほど、美しい少女なのだという。
そう、きっと、こんな風に。
「母上」
可憐な唇からこぼれた声は、小鳥のように愛らしい。
きゅっとつり上がった猫のような目が、ジェマスティエルを見た瞬間に柔らかく細められる様はどんな絵画よりも美しく見えた。
ただし、少女の右手には剣が握られ、左手には騎士科のアイドルがぼっこぼこの顔で襟首を掴まれて掲げられ、その足元は屍累々であったが。
生徒の顔は、判別不能なほどぼっこぼこのぼっこぼこだ。あいつかな、とゼノヴァルトが判別できたのは、制服につけている騎士科のバッヂと、彼が自慢げにつけている家紋の指輪のおかげだった。制服はすっかり汚れているので、うーん内臓とか骨もやられてそう。
「エスィル、楽しそうだな」
「ええ、とっても」
判別不能の顔にされた生徒は、ぺいっと地面に捨てられぐしゃりと可哀想な音を立てた。可哀想。
「レディ」
ジェマスティエルにとっとこ駆け寄ってきた少女に、ゼノヴァルトは軽く頭を下げる。
エスィルと呼ばれた少女は、軽く膝を曲げて礼を返してくれた。
「エスィル。レクティシウス侯爵の御子息の、ゼノヴァルト殿だ」
「エスィルです。どうぞエスィルと」
ジェマスティエルに向けた微笑みはすっかりしまわれて、つんと返す様はジェマスティエルとよく似ていた。養女なのだから血はつながっていないのだろうけれど、本当に養女かと思うくらいに雰囲気がそっくりなのだ。
「では私もゼノヴァルトとお呼びください。……ところでエスィル嬢、彼は何か粗相をしましたか」
エスィルは、ぱちんと瞬きすると唇の端を上げた。
「いいえ? とても紳士的に、とても貴族らしくお相手をしてくださったわ。この学園は本当に素晴らしいのね」
はー、なるほどなるほど。ゼノヴァルトはにっこり微笑んだ。
これ絶対やらかしてるやつじゃん。
目が。エスィルの目がちいーっとも笑っていない。小鳥さんのさえずりみたいな声の裏に『あのクソボケ女だからって見下しやがって品も無いしマジでくそ。ここってどういう教育してんの?』というドスの効いた声が聞こえる気がする。
なんでわかるかって? あの潰れたパンみたいになっている男は、容姿が良くそれなりに剣術が使えてそれなりにの家格であったので、普通科の貴族女子からの人気が絶大であったが、同時に自分よりも低い階級の家の子どもや剣を振るう女子を馬鹿にしていることでも有名な男だったのだ。
口癖は「◯◯の分際で」である。
◯◯には、女とか階級とか出身が入る。やだやだ。教養のない人間ってお下品だ。
「おまえには退屈だろうと、学園長に演習場に案内してもらったが……良い時間となったようだな」
「ええ。とても」
視線を動かすと、ぱかーんと口を開いて呆気にとられている学園長がいた。
エスィルには傷どころか汚れ一つない。圧倒的な戦闘だったのだろうことが伺い知れる。ゼノヴァルトはため息を付いた。
「俺も見たかったなあ」
小柄で美しい少女が、態度のでかい男を蹴散らすさまはさぞ愉快だったことだろう。
どれほどワクワクする演目だったのか。ゼノヴァルトはこの場に居合わせた生徒たちを恨めしく思った。頬を染める女生徒たちの顔が全てを物語っている。くそう。
「いいなあ」
重ねて呟くと、エスィルはぱちんと瞬きをした。
そして、楽しげに眦を下げる。
「へんなひと」
へんなひと。変な人?
あなたに言われたくないなあとゼノヴァルトは思ったわけだが、さて。
この出会いはゼノヴァルトの人生の大きな転機となった。
より実践的な技術が学べるという魔法騎士科が設立されたとき、ゼノヴァルトの頭に真っ先に浮かんだのは顔は似ていないのによく似た母娘の姿だったのだ。
ああこのために、とか、だとしたらすっごいスピード感だなあ、とか、そういった至極冷静な感想よりも、軍への興味が沸き上がった。
このままレクティシウス家の慣例に従って普通化を卒業し、法務省を目指すのはなんというか、つまらないなあと思ったのだ。
転科は簡単ではない。
特に、ゼノヴァルトのような普通科の生徒、ついでに言えば成績優秀な生徒が、戦闘に特化した科への転科を希望した場合、いろんな事情が絡み合う。ひたらたく言やあ、「うちの稼ぎ頭やれるかボケぇ」「うちだって軟弱なぼっちゃんいらんわボケぇ」みたいな。
そのへんを、まるっとぬるっとがつっと黙らせたのがレクティシウス侯爵家の名前である。
こわーいパパがこわーい顔で「息子のためにどうか」と言ってくれたらあっさりだった。パパすごい。パパ最高。4つ上の兄は「そうだろう」と自慢げに言った。父の後継者はお兄ちゃんで決まりである。ありがたい。
そんなこんなで、入隊した後すったんもんだのアレコレの末、エスィルの隊に引き抜かれたゼノヴァルトがエスィルに恋心を抱いたあのはもう運命に違いない。運命だ。運命以外に何がある? ないだろ。否定されるならば丁重にお話し合いをする所存である。過激派上等。己の意思は貫いてなんぼだ。
エスィルの行くところならお声がかからずともどこへでもついて行くし、エスィルのことなら一つでも多く知っていたい。エスィルの好きなものも嫌いなものも、敵も味方も完璧に把握して、最高の環境をあげたい。誰よりも一番そばにいて、強くも美しい背中を守りたい。
んなわけで、父に「ライリアルア・メロウト嬢と見合いの話がきている」と言われたとき、ゼノヴァルトは迷いなく言ったわけだ。
「父上、フェルゼリア第一師団長の御息女と結婚したいのです」
あと1話で終わりです。




