1.
「誰かあの馬鹿を止めろ!!」
馬鹿? 上等だ馬鹿野郎。
爆撃轟音砂埃。ついでに酷い火薬の匂いと血の焼ける臭い。
舞い踊る死の匂いで響く怒鳴り声に、けれどもエスィルは笑った。
「私を止める?! できるもんならやってみろやぁ!!」
ああ、品がなくて申し訳ない。見るに耐えないという紳士淑女の皆様は、どうかお帰り願いたい。何せここにゃハイヒールもドレスも無い。代わりに魔物が大勢で歌っていやがる。
ここは、そういう場所なのだ。
「あははは!!」
ステップを踏むように男は笑った。
死地を踏み潰すその笑い声が、吠えるエスィルの身体を前へ前へと運ぶ。
よく通るこの笑い声に戦場は似合わない。顔をくしゃくしゃにして笑う無邪気な顔だって、短銃を扱う顔と不釣り合いにもほどがあるだろう。
だが、これがエスィルの戦であった。
けれど、それがエスィルの副官であった。
「エスィルさん!」
己を呼ぶ楽しげな声。
名を呼ばずともエスィルの意思を汲み取り放たれる弾丸。
生命の鮮やかさを叫ぶような強い魔力。
「なに!」
レディには到底お見せできない魔物の無惨な姿を蹴飛ばし、エスィルは声を張り上げる。爆音の中にあっても聞き間違えることのない声は、「こんな時に言うことじゃないんですけど!」と笑った。
心底楽しいとばかりに。
この世の全ての陽気と光陽を詰め込んだ声で。
「俺と結婚してください!」
「あ?」
*☆ 野良犬姫はストーカーに溺愛される ☆*
「すぐ突っ込むのやめろって言っただろエスィル!」
さすが騎士。さすが二百人を束ねる男。発声が良いんだな。鼓膜をつきやぶって脳みそを鷲掴みするかのごとく怒る同期を前に、エスィルは鼻を鳴らした。
「あれは行くだろ。好機だった。結果、殲滅できたわけだし」
「結果論やめろや!! あのなあ! 俺等がやってんのは団体戦なの! 一人の暴走で作戦が狂うことだってあんの! 何回言えばわかるわけお前!」
団体戦。はあ? 真っ赤な顔をエスィルは笑い飛ばした。
「あのさあ、私らがやってんのはスポーツじゃなくて魔物の討伐よ? 結果論が全てだろうよ。死者ゼロ、重症者ゼロ、これ以外に何がいるのよ。ご丁寧な戦術組んで全滅こそが最悪だろうが」
「その最悪にならねぇための作戦を無視すんなつってんだ!」
「ご説ごもっともですがねジョーエル・フィリスタン第五中隊長殿? あの時叩かなきゃ、戦いはもっと長引いてた。冗談じゃないわよ。私はね、人様の大事な家族預かってんの。何をしてでも部下を家に帰して、何をしてでも戦に勝利する義務があんの。……あのさあジョーエル、お忘れ?」
エスィルは頭の後ろで結んでも尚垂れてくる長い髪を払い、笑う。
片方の頬がいびつに上がるその笑いをエスィルの養い親は下品だと叱るが、彼女は粉塵の墓場でそれを咎めるほど無粋ではないし、今この場にはいない。
己の性分に逆らうことなく、エスィルはジョーエルを笑い飛ばし、その周りであたふたとする彼の部下に笑った。
「私の隊は不可侵にして不可触。我らが師団長に『野良犬』と名付けられた無法者共。尻尾を振るのはあの方だけなの」
つい、と指先で顎を撫でると、ジョーエルは肩を揺らした。
刃物を向けられたかの如きジョーエルの繊細さに満足し、エスィルは微笑む。
「畜生くらい使いこなしてみせろよ」
「……お、まえっ!」
ジョーエルは優秀な男であった。
エスィルが覚えることもできんほど長い長い名前の騎士学校を首席で卒業した頭でっかちかと思えば、模擬戦でエスィルの首のほんのすぐそこに刃を突き立てたこともある。
無学のエスィルなんぞ遠く及ばん知識をたっぷりと詰め込んだ頭脳からそれを引き出しては指揮をし、魔物を切り裂く。
その若さに似合わぬ中隊長という肩書に相応しい適応力と機動力がジョーエルにはあった。
同期で一番優秀な奴の名を上げろと言われれば、エスィルは迷わずジョーエルの名を挙げるだろう。
同期で一番気に食わん奴の名を上げろと言われても、ジョーエルの名を挙げだろうけれどね。
「こっっのクッソ野郎!」
「へへーん野郎じゃありませーんクソ女でーすぴろぴろぴ〜」
「こんの……!!!!!」
どっかーん。エスィルが顔の横で両手を振ると、蜜色の頭から爆発音が聞こえる気がする。偉そうに言っちゃいるが、ジョーエルはエスィルに負けず劣らず直情型なのだ。導火線の短さを競えばそれはそれは熱戦になることだろう。
簡単にエスィルに煽られてくれるおかげで、説教が長引くことはない。毎度エスィルの作戦通りである。
さて、もう一押し。
ジョーエルの後ろで頭を抱える部下を見ながらほくそ笑むエスィルは、次の瞬間、視界が黒い軍服に染まり瞬いた。
「はいはいそこまでですよ」
ジョーエルと対象的な温和な声が、「どうどう」とジョーエルの両肩をぽんぽんと叩く。子供扱い、否、馬扱いをされたジョーエルは案の定、怒りの矛先を変えた。
「隊長が隊長なら副官も副官だなあ!」
「いやん、そんな褒められてもなんも出ませんよ」
「褒めてねぇーーーんだわ!!」
おお、煽り上手。
エスィルは腕を組んでその後頭部を見上げた。
誰の背中か、なんて毛先が赤い黒髪を見るまでもない。間の抜けた言葉のチョイス。柔らかい低音。砂埃の中にあっても気品を失わない男なんて、そうそういるもんじゃない。
「ゼノヴァルト・レグル・レクティシウス第零副隊長! 命令だそいつの手綱をしっかり握ってろ!」
「あはは、手綱て。隊長を馬扱いしないでくださいよ」
「お前が言うなよ!!!!」
いやほんとに。それはそう。「えぇ?」なんてゼノヴァルトが吞気に返すもんだから、エスィルは感心を通り越してジョーエルが可愛そうになってきた。だってこの男、無意識なんだもの。
エスィルのように性根が腐っているわけでも、相手を怒らせて誤魔化そうとしているわけでもなく、ただただ真面目に、いたって普通に会話をしているつもりなのだ。嘘みたいなほんとの話。「天然爆撃機」と称したのはエスィルの部下だ。なるほどうまい。
こういった場面に出くわすたび、エスィルは「よく言ったもんだわ」と心の中で称賛を送っている。誰にって、誰にだろ。部下のワードチョイスにか、ゼノヴァルトの死滅しているデリカシーにか。いや、血管がブチ切れそうな相手にかも。
「フィリスタン第五中隊長、君が心配なんだよってちゃんと言わないと、この人わかんないですよ?」
「!」
「あ?」
背中の向こうで吹き出す声が聞こえた気がして、エスィルは顔を出した。
両手を口に当てぷるぷると震えるジョーエル陣営の男たち。そして真っ赤な顔のまま固まるジョーエル。
「おお」
ぶん投げた爆弾の効果は絶大のようだ。口から先に生まれてきたんだろうなってくらいおしゃべりなジョーエルが黙る姿など、そう見られるものではない。ジョーエルを見つめるその部下たちの顔といったら!
ほっぺを膨らませたり顔を背けたりしちゃいるが、震える肩や咳き込む声がおもしろがっていることを隠せていない。バレバレだ。それでいいのか第五中隊。全員拷問訓練受けてこい。
声もなくひいひいと震える部下に、エスィルは思った。
部下に嫌われてんのかなこいつ。
性悪のエスィルは「愉快だわ」とも思ったが、さすがに口には出さず、ゼノヴァルトを見上げた。
「最高ねゼノヴァルト! ジョーエルが私の心配ぃ?! よっくそんな気持ち悪いことよく思いつくわねあんた! 見てよあの顔大傑作!!」
「……!!!」
拳を握って唇を噛むジョーエルの姿は、その心中を知る者にとっては大層おもしろ──いやいや哀れであった。何も知らぬエスィルすらちょっと大丈夫かと心配になるくらいに。
え、泣いてないかこいつ。
エスィルはジョーエルの目がじわりと揺れるのに「やば」とぎょっとした。ジョーエルの心配? いやいやジョーエルはどうでも良い。が、品行方正で有名なレクティシウス家を背負う、大事な御子息様に弱いものいじめをさせるわけにはいかんのだ。
慌ててエスィルはゼノヴァルトの隣に並んだ。
「とにかくさ、私ら零隊は第一師団長直属の部隊であり、自由行動を認められた遊撃部隊なのは、あんたもわかってんでしょ。これからも私が命令を聞くのは第一師団長だけ。せいぜい、上手に使ってよね」
じゃ! と片手を上げ、エスィルは背を向ける。ジョーエルはまだ固まったままので、今がチャンスだ。決定打を与えた後は草も生えぬほど追い込むか、撤退するかの二択しかない。
逃げる恥、だなんて高尚なプライドを持たないエスィルは、すたこらっさと撤退する。
逃走に気づいたジョーエルが叫ぶ声を背に、エスィルは帰り支度をする騎士たちを眺めた。
笑顔すら浮かべ、談笑しながらモンスターの死体を積み上げる様子に、エスィルもにんまりと笑う。
「良いものだ。死者も重症者も出ずに終わった戦とは」
「なんですそれ」
フッ……とせっかく格好つけたのに、ゼノヴァルトはからからと笑う。せめてジョーエルの部下のように隠す素振りくらいしてほしいものだ。あいつら全然隠せてなかったけど。
ぷん、と頬を膨らませて、エスィルは騎士たちを眺める。達成感と解放感は、泥まみれの男たちを凛々しく見せていた。
「帰ったらミンミちゃんに会いに行くんだ〜」
「全然相手にされてないくせにようやるわ」
「そそそそんなことない! 出発する前に『頑張ってね』って笑顔で言ってたじゃん『待ってるね』って言ってたじゃん!!」
「社交辞令だよ? お前以外にも死ぬほど言うとるわ。俺も隣りにいた記憶を消すな」
「こういう奴がストーカーとかヤンデレとかになるんだよなー」
「なるほどなあ。こういうアホがアホみたいに金を落とすから、あの店は低価格でも潰れないんだなあ。ありがとうな、アホストーカー」
「家までつけたりとか絶対すんなよ」
「しないよアホじゃないよストーカーじゃないよ!」
「俺にお前を斬らせるなよ……」
「お前にだけ汚れ役はやらせないさ」
「シリアスな空気にすんなよマジっぽいのやめろよ!!」
凛々しい顔した阿呆の集団だった。あれだな、どんな阿呆もやり遂げた顔してりゃ男前に見えるのな。お前そのままミンミちゃんとこ行って来い、という言葉をエスィルは飲み込んだ。
いやしかし平和だな。
気を抜くなと叱るべきか、と迷いながらもエスィルは足を止めない。自分の部下でもないのにいらぬことを言う義理はない。どこの所属の騎士か知らぬが、余計な世話だとどやされるのも面倒だ。
それよりも彼らをさっさと帰らせてやろう、とエスィルは自陣に急ぐ。いや、いやいやべつに。べつに、彼らの会話に忘れたかった事実を思い出したわけではない。実際は全然忘れちゃおらんし、気になって仕方がないだなんてそんな、そんな。
「あ、おい」
ウキウキしている騎士たちが、エスィルに気づき声を上げる。
ゴツくてデカい男集団の中で、女の身であるエスィルの存在は浮きやすい。隣を歩くゼノヴァルトも例に漏れず体格が良いので、余計に悪目立ちするのだ。断じて私が小さいわけではない、とエスィルは信じているがさて。誰もエスィルに頷いてくれないのはどういうことだろう。
ブーツを鳴らし敬礼する騎士に、エスィルは眉を寄せた。
「フェルゼリア第零隊長殿、レクティシウス第零副隊長度殿! 先程は実に見事な」
「いらんらいんいらん、そういう面倒臭いの。時間を無駄にするな」
手を止めて敬礼するなんて時間がもったいない。それに、いちいち呼び止めらちゃエスィルは真っすぐ歩けないではないか。エスィルが足を止めずに右手を振ると、「みなさーん」とゼノヴァルトが呑気な声を上げた。
「隊長は、当然のことをやったまでだから気にするな。それよりも早く片付けて帰りましょう、って仰っておいでです。帰るまでが遠足ですよー。行動は安全に素早く! ハイ駆け足!」
「はっ!!」
言ってない。全然言ってない。何あの騎士たちのキラキラした目。やめろんそんな目で見るな。ぞわぞわとする身体を両手で庇うエスィルを見下ろしたゼノヴァルトは、にこにこと笑みを崩さない。
「合ってるでしょ?」
「私、そんな格好良いこと言ってない」
「言ってないけど、合ってるでしょ?」
「うぐぅ」
合ってない、こともない、が、あれじゃん。ニュアンスが違うじゃん。そんな格好良いエスィルをエスィルは知らん。エスィルはエスィルの思ったことをただ口にしただけなのに、人を勝手に二枚目騎士に仕立て上げないでほしい。さっきエスィルがカッコつけた時は笑ったくせに。
ぷいとエスィルはゼノヴァルトに背を向け、再び歩き出す。
「フィリスタン第五中隊長にもね、ちゃんと言ってあげたらいいんですよ。作戦も他の騎士の動きも頭に入った上で、作戦に影響が出ないタイミングで飛び出してるよって」
「言い訳するの嫌だ」
「あなたねぇ……変な方向に男前っていうか素直じゃないっていうか、そういうとこが」
後ろから聞こえていた声が、ふいに途切れたことを不思議に思ったエスィルは振り返る。
口元を手で押さえたゼノヴァルトが、ぱちんと瞬いた。
「いや、なんでも……って、そうか。もう隠す必要ないのか」
「?」
首を傾げるエスィルに、ゼノヴァルトは微笑んだ。
「可愛いなって」
「はっ……はあ?!」
何。なんて。なんて?! エスィルの耳はおかしくなったんだろうか。今、この男は、何を言った。可愛い? 可愛いい?! ホコリまみれで口を開けば憎まれ口ばかりのエスィルを。可愛い? い、いやいや。聞き間違いだろう。そういえば先の戦闘中もなんだかすんごいことを言われた気がするなあ、なんて。
すっとぼけることは、どうやら許されないらしい。
「……あんたさあ」
「はい」
「ぐ……」
相変わらず顔が良いなこいつ。
エスィルは思わずゼノヴァルトの端正な顔を前に、顔を歪めた。
柔らかく細められた黄金の瞳。毛先に向けて赤を帯びる黒髪。薄い唇。
真の男前はいつどんな顔をしていても男前なんだな。当たり前の事実に、エスィルは目を細める。
──よし、聞くぞ。
エスィルは小さく息を吸い、口を開いた。
「あんた、さっきの」
瞬間。
轟音が、平和をぶち抜いた。
全四話くらいの予定です。
続きは後ほど上げます。




