第7話 理容室『バッサリ』
ここは不思議な商店街――「幸坂ストリート」。
そこで出会う人々は皆、
“何かを失ったまま”この坂を歩いてくる。
そして店を出るとき、
その手のひらにはほんの少しだけ、あたたかい何かが残る。
奇妙で、やさしくて、少し切ない。
現実の方が少し“夢のよう”に見えてくる。
扉の向こうにあるのは、不思議――
それとも、あなたの心の中かもしれない。
坂の下のほうに、風に舞う髪がちらつく店がある。
看板には大きな文字でこう書かれていた。
『 理容室 バッサリ』
〈悩みも毛先も、まとめてカット〉
ショーウィンドウの中では、サインポールが狂ったように回っていた。
まるでこの世の「ためらい」をすべて吸い取っているようだ。
---
「すみません、予約してないんですけど」
青年が入ると、理容師がハサミをくるりと回した。
「大丈夫。“覚悟”があればいつでもどうぞ」
「いや、覚悟って……カットですよね?」
「もちろん。カットも葛藤も。」
なんとも言えない不安を覚えながら、
青年は鏡の前の椅子に座った。
---
「今日はどのくらい切ります?」
「整える程度で」
「整える、つまり現状維持ですね。追加料金になります」
「また出た! なんでですか」
「維持は努力です。努力にはコストがかかる」
「髪の話ですよね?」
「ええ、人生の話でもありますけど」
理容師は、にこやかにハサミを鳴らした。
---
「お仕事は?」
「会社員です」
「なるほど、“人間関係カットコース”ですね」
「いや、そんなコースあるんですか」
「ええ、表面は笑顔で内側がぐちゃぐちゃな方向けです」
「……ピンポイントすぎる」
ハサミがチョキチョキ鳴るたびに、
どこかで自分のため息まで切られているような気がした。
---
「……あなた、最近いろんなこと我慢してますね」
「髪見てわかるんですか」
「わかりますよ。押し殺してる人ほど、毛流れが逆流するんです」
「理論が怖いな」
「うちは正直がモットーですから、ご安心を」
青年は苦笑した。
「まぁ確かに、いろいろ抑えてはいますね」
「じゃあ、思い切りいきましょう。“バッサリ”と」
---
気づけば鏡の中の自分は、
すっかり軽くなっていた。
「え、ちょっと待って、思ったより短い!」
「バッサリですから」
「いや、もうちょっと加減ってものを……」
「思い切りは後悔してから評価されるものです」
「いや、意味わかんないけど響くな」
---
鏡越しに見える理容師の表情は、なぜか誇らしげだった。
「人も髪も、切らなきゃ伸びません」
「それ、今うまいこと言いましたね」
「はい、後で名言ノートに書いておきます」
青年は笑った。
なんだか理屈はめちゃくちゃなのに、
気持ちは不思議と軽かった。
---
「どうです? これで少しはスッキリしました?」
「……はい。正直、思ってたのと違うけど」
「思ってた通りにならないのが“バッサリ”の信条です」
「もう、そういうの狙ってやってるでしょ」
「もちろん。狙わないとズレませんから」
二人で笑ったその瞬間、
理容師の頭の上で、何かがズレた。
「……あ」
青年が指をさすと、理容師が平然とした顔で言った。
「これも“バッサリ”の一部です」
「いや、それズラですよね」
「風通しが良くなった証拠です」
「いや、風どころかスースーしてますけど!」
理容師はズレた前髪を直しながら、
満足そうに鏡を拭いた。
「大丈夫、あなたの髪も私の髪も、
どっちも“勢い”でできてますから」
---
店を出ると、夕方の風が強く吹いた。
髪が揺れて、少し首筋が涼しい。
ポケットのスマホに映る自分の顔を見て、
青年は小さく笑った。
「……まぁ、これでもいいか」
背後でサインポールが、相変わらず勢いよく回っていた。
その光は、少しだけズレて見えたけれど――
なんだか、それも悪くなかった。
---
《理容室バッサリ》では、店主の理屈もカットもよくズレる。
けれど、そのズレがちょうどいい。
きっと人間関係も、少しズレたくらいが“整っている”のだ。
評価、感想ありがとうございます。
励みになります。




