第5話 修理処 『傷悩』
ここは不思議な商店街――「幸坂ストリート」。
そこで出会う人々は皆、
“何かを失ったまま”この坂を歩いてくる。
そして店を出るとき、
その手のひらにはほんの少しだけ、あたたかい何かが残る。
奇妙で、やさしくて、少し切ない。
現実の方が少し“夢のよう”に見えてくる。
扉の向こうにあるのは、不思議――
それとも、あなたの心の中かもしれない。
坂の上、街灯の届かないあたりに、
ひっそりと明かりの漏れる店がある。
錆びた看板には、こう書かれていた。
「修理処 傷悩」
〈壊れた、直せるものだけ直します〉
夜風に混じって、カン、カン、と金づちの音が響いている。
まるで誰かの心を叩く脈打つような音だった。
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青年が店の奥で見た年季の入った作業台の上に
時計の針、割れたメガネ、ボタンの取れたシャツ――
そして、二つに裂けた写真が並んでいる。
「……写真も直すんですか?」
客としてきた青年が声をかける。
店主は顔を上げずに答えた。
「直しますよ。関係の断片ですからね」
「関係?」
「時間は直せません。でも“繋がる形”には直せる」
「ずいぶん、職人っぽい言い回しですね」
「職人のつもりだよ。一応」
その口調は、淡々としているのにどこか温かい。
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青年はポケットから、小さな鍵を取り出した。
「これ、直せますか」
「開かなくなった?」
「渡す相手が、いなくなりました」
店主は手を止めた。
「そうですか」
「……はい。まあ、そういうもんです」
「なら、まだ“壊れかけ”くらいですね」
「壊れかけ?」
「完全に壊れてたら、持ってこないです。
まだどこかに繋がりを残してる人しか、うちは来ないんで」
青年は苦笑いした。
「商売上手だ」
「ええ、壊れた心のリピーター多いんですよ」
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壁際には、修理された“関係の欠片”が飾られていた。
割れたカップの持ち手、
封を開けかけたままの手紙、
そして鏡の破片。
鏡の端に、小さな文字が彫られている。
> 『ちゃんと怒ってくれて、ありがとう。』
青年はしばらく見入った。
「怒るって、壊すことじゃないんですね」
「あぁ、そうだね。ぶつかんなきゃ、熱も出ませんからね」
「……熱」
「冷めた関係ほど、叩かないと熱も音も出ないんです」
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店主が金づちを置いた。
作業台の上には、
磨かれて小さなペンダントに姿を変えた鍵が置かれていた。
「開けるためじゃなく、
閉じきらないための鍵にしておいたよ」
「閉じきらない?」
「関係ってのは、隙間がないと息が詰まります。
風が通るくらいが、ちょうどいい」
青年は笑った。
「ふふ…不器用な店ですね」
「はは…、器用な人は来ませんから」
店主も笑った。
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坂を下る途中、
ポケットの中のペンダントがほんのり温かい。
夜風に冷まされながらも、
その温度だけは残っていた。
ふと、もう片方のポケットにあるスマホを取り出す。
ひびの入った画面に、
店主が修理のときに貼った小さなシールが残っている。
「完璧じゃない、
けど、
ちゃんと動く」
「……まったく、あの人らしいな」
青年はつぶやいた。
そして、画面をタップする。
ゆっくりと光が戻る。
宛先を選ばずに、一言だけ打った。
「お互い達者でな。」
送信はしなかった。
それで、もう十分だった。
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『傷悩』では、壊れたものを完璧には直さない。
ひびの跡が残るように、少しだけ“人らしく”仕上げる。
だから今夜も、金づちの音が響いている。
誰かの距離を、そっと近づけるように。
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