第3話 鏡レンタル 『うつしや』
ここは不思議な商店街――「幸坂ストリート」。
そこで出会う人々は皆、
“何かを失ったまま”この坂を歩いてくる。
そして店を出るとき、
その手のひらにはほんの少しだけ、あたたかい何かが残る。
奇妙で、やさしくて、少し切ない。
現実の方が少し“夢のよう”に見えてくる。
扉の向こうにあるのは、不思議――
それとも、あなたの心の中かもしれない。
坂の途中に、小さな古道具屋のような店がある。
看板には手書きでこう書かれていた。
『鏡のレンタル うつしや』
“返却期限:あなたが見慣れるまで”
「鏡を……レンタル?」
会社帰りの青年は足を止めた。
鏡なんて百円ショップでも買えるのに、わざわざ借りる理由があるのだろうか。
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店内は狭く、鏡だらけだった。
丸いの、四角いの、全身鏡、手鏡――どれも少しだけ歪んでいる。
「顔が三つに見える……」
「人気商品です」
奥から現れた店主は、細身の初老の男。
白シャツにベスト、眼鏡のレンズがやたら反射している。
「最近は皆、スマホのカメラで自分を見ますからね。
鏡が恋しがってるんですよ」
「鏡が、ですか?」
「ええ、うちは“寂しがりの鏡”専門店ですから」
ケラケラと笑う店主に、どう返していいかわからない沈黙ののち、青年は苦笑した。
「……じゃあ一枚、借りてみます」
店主は棚の奥から、小ぶりな鏡を持ってきた。
「おすすめはこれ。“自分が少し好きになる鏡”です」
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「そんなのあるんですか」
「あります。映すときにコツがあります。
眉間にシワを寄せないことと、
『どうせ俺なんて』を心の中で唱えないこと。
それだけで画質が上がります」
「心理的アドバイスじゃないですか」
「副作用が少なくて人気なんです」
「料金は?」
「今週のため息ひとつ分です」
青年は思わずふっと息を吐いた。
店主はそれを見て、うなずいた。
「お支払い完了です」
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家に帰って鏡を机に立てた。
最初のうちは普通だ。
けれど、三日目の朝、髪を整えていないのに
鏡の中の自分はなぜか寝癖がついていなかった。
「あれ?フィルターついてる?」
ため息まじりにぼやくと、鏡の中の自分が
ほんの少しだけ口角を上げたように見えた。
次の日には、仕事帰りの疲れ顔を映すと、
中の自分が目を細め、口が動いた気がした。
「無理すんなよ」
青年は思わず突っ込んだ。
「しゃべった!?」
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翌日、青年は鏡を抱えて店に駆け込んだ。
「これ、喋りましたよ!」
「おお、それは順調です」
「順調!?」
「うちの鏡は、見る人の声を少しだけ“跳ね返す”ようになるんです。
自分の中の優しい声、聞こえたでしょ?」
「……たしかに優しかったけど、
もうちょっと普通に営業してください」
「すみません、うちは“精神安定系レンタル”ですから」
店主はケラケラ笑い鏡を拭きながら言った。
「最初は誰でも、自分の嫌なとこばかり探すんです。
でも何日か映しているうちに、
“それでもまあ悪くない”って顔が見えてくる。
そこからやっと鏡が本領発揮なんですよ」
青年は思わず笑った。
「つまり、鏡が育つ感じですか」
「いえ、あなたのほうが慣れてきたんです。
自分を“見張る”目から、“見守る”目にね。」
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帰り道、コンビニのガラスに自分の姿が映った。
スーツにしわ、髪も乱れている。
でも、不思議と悪くない。
少なくとも、「今日も生きてる顔」だ。
ふと、ポケットの中に紙切れが入っていた。
店主の字でこう書かれていた。
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返却はご自由に。鏡の方も、あなたを見慣れたようです。
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青年は笑った。
「……なら、スマホのインカメでも平気かな」
画面を開くと、
そこに映った自分が、ほんの少しだけ笑っていた。
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坂の途中の《うつしや》では、
鏡は「完璧」ではなく、「慣れ」を映すという。
だから、この街の人たちは、
今日も自分の顔にちょっとずつ慣れていく。
それを“幸せ”と呼ぶ人もいるらしい。
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