第2話 クリーニング店 『洗心舎』
ここは不思議な商店街――「幸坂ストリート」。
そこで出会う人々は皆、
“何かを失ったまま”この坂を歩いてくる。
そして店を出るとき、
その手のひらにはほんの少しだけ、あたたかい何かが残る。
奇妙で、やさしくて、少し切ない。
現実の方が少し“夢のよう”に見えてくる。
扉の向こうにあるのは、不思議――
それとも、あなたの心の中かもしれない。
坂の中ほど、どこにでもありそうなクリーニング店がある。
古びた看板に薄く書かれているのは「洗心舎」の文字。
「心まできれいにします」と、手書きのポップが貼ってある。
冗談みたいだが、店内は意外と繁盛しているようだ。
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ある男は出勤前にワイシャツを受け取りに来た。
「お待たせしました」と、店主の女性がにっこり笑う。
「今日も“中”までしっかり洗っておきましたから」
「……中?」
「はい、心の汚れの方です」
冗談だと思って笑ったが、
渡されたシャツはほんのり甘い香りがして、
なぜか胸のあたりが軽くなった。
――昨日まで上司にムカついていたのに、不思議だ。
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次の週、男はまた来た。
今度はスーツを出す。
「どの汚れを落とします?」
「袖にコーヒーが」
「物理的な方ですね。“軽めコース”で大丈夫です」
「“重め”ってあるんですか」
「ありますよ。嫉妬、後悔、自己否定……根が深いと時間がかかります」
店主は真顔だった。
冗談かと思ったが、奥から台帳を出して見せた。
そこには「心の染み抜き表」とあり、
〈恨み:200円〉〈嫉妬:350円〉〈罪悪感:時価〉と書かれている。
「時価ってなんですか」
「お客様の“心残り”の度合いによります」
男は苦笑して、コーヒーの染みだけお願いした。
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数日後、取りに行くとスーツは見違えるほどきれいだった。
着てみると、肩が軽い。
「やっぱり心の汚れって……」
「落ちてましたよ。上司に“言い返せなかった一言”がこびりついてましたね」
「どうやって落としたんです?」
「スチームです。“自己肯定仕上げ”で」
男は吹き出した。
「そんな仕上げ方、初めて聞いた」
「うち、資格とかないので自由なんです」
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それ以来、男はしょっちゅう通うようになった。
上司に腹を立てた週はスーツを、
恋人と喧嘩した週はジャケットを。
「いつもありがとうございます」と店主が笑う。
「だいぶ“日常汚れ”が薄くなってきましたよ」
「こんなに通うと、僕の心が見透かされてそうだ」
「もう見えてますよ。汚れは洗ってますから」
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ある日、男が行くと、店の前に「休業中」の札。
代わりに紙切れが貼ってあった。
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当店は、心の汚れが
溜まったとき
にだけ現れます。
次にお会いするまで、
どうか汚しすぎないように。
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男は笑った。
確かに最近、少し気持ちが軽い。
「ま、次に会うときまで、なるべく清潔でいようか」
そう呟いて坂を下りる。
ポケットから、レシートのような紙切れがひらりと落ちた。
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【ご利用明細】
恨み:柔軟剤で誤魔化して
嫉妬:他人がいる限り落ちず
後悔:しわのまま着てて
罪悪感:塩素多く漂白中
自己否定:ドライ仕上げ推奨
――また汚してください。
次回は笑顔の洗い替えもどうぞ。
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幸坂ストリートの店は、どれも同じようにおかしい。
だけど、笑って帰れるなら、それでいい。
ここでは、「心の汚れ」も、ちゃんと“生活の一部”なのだから。
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