第14話 結婚後相談所 『円満堂』
ここは不思議な商店街――「幸坂ストリート」。
そこで出会う人々は皆、
“何かを失ったまま”この坂を歩いてくる。
そして店を出るとき、
その手のひらにはほんの少しだけ、あたたかい何かが残る。
奇妙で、やさしくて、少し切ない。
現実の方が少し“夢のよう”に見えてくる。
扉の向こうにあるのは、不思議――
それとも、あなたの心の中かもしれない。
坂の中腹、郵便局の隣に妙なビルがある。
看板には淡い金文字でこう書かれていた。
『 結婚後相談所 円満堂』
〈離婚の前に、一度ご相談を〉
外観は行政施設のように真面目だ。
けれど中に入ると、空気が異様に静かだった。
受付に座る女性は、柔らかく笑っている。
その笑顔が、どこか既視感を覚えるほど“完璧”だった。
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青年――いや、既婚の男は、椅子に腰を下ろした。
「妻との関係が……最近、怖くて」
受付の女性は、書類をめくりながら頷いた。
「奥様が怒るわけでもなく、黙り込むでもなく?」
「そう。いつも笑ってるんです。
でも、なんか……全部わかってる顔で」
「典型的な“静寂支配型”ですね」
「そんな分類あるんですか」
「はい。愛情が飽和して、無音の圧になった状態です。
爆発しない分、長く効きます」
男は乾いた笑いをこぼした。
「いや……効くって言い方やめてください」
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女性は机の引き出しから、
銀色の封筒を取り出した。
「こちら、奥様との“感情温度調整プログラム”です」
「……薬か何かですか」
「いいえ。こちらに“本音”を書いて、
相手のカップに一晩入れておくだけです。
感情が平均化します」
「そんな簡単に?」
「ええ。副作用として“どちらがどちらの感情か”
わからなくなることがありますが」
「怖いことさらっと言わないでください」
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男はそれでも、家に帰って試してみた。
封筒に“少しだけ自由になりたい”と書き、
夜、妻のマグカップにそっと入れた。
翌朝。
妻はいつもの笑顔で「おはよう」と言った。
男も笑い返した。
その瞬間、胸の奥が――ふっと温かくなった。
だが同時に、妻の表情が一瞬だけ曇った。
「ねえ、あなた」
「なに?」
「……今朝、少し寂しい気分じゃない?」
「え?」
「私も、同じ気分なの」
男はゾッとした。
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夜。
テーブルの上に、昨日とは違う封筒が置かれていた。
見覚えのない筆跡で、こう書かれていた。
《特別プラン:完全共有コース》
〈感情の境界を取り除きます〉
封筒の下には、妻のメモ。
「あなた、これ良かったわね。
次はあなたの分もやってあげる。」
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翌朝、男は一人で《円満堂》に駆け込んだ。
しかし、受付には誰もいなかった。
代わりに壁一面の写真――
仲睦まじそうに微笑む男女のペア。
どれも、同じ顔をしていた。
それは“あの完璧な笑顔”だった。
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外に出ると、ビルの窓ガラスに二人の姿が映った。
どちらが自分で、どちらが妻なのか、もう判別できない。
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『円満堂』では、結婚後の関係を整える。
だが、完全な円満とは――
どちらかが消えることを意味する。
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