始まり
第一話 ガードマン、異世界に立つ
深夜零時。
オフィスビルの一階ロビーに、俺――佐藤守は立っていた。
制服のベルトに差した警棒がやけに重い。今日も異常なし。自動ドアの向こうに広がるのは、真っ暗な都会の街並みだけ。
この時間帯は誰も来ない。ただ立っているだけの仕事だ。
「ふぁ……。眠気との戦いが一番の敵だな」
時計を見やり、巡回の時間だと歩き出した瞬間。
足元に、不自然な光が広がった。
「佐藤守殿。我が国は今、魔物の脅威に晒されている」
国王らしき老人が厳かに語り出す。
玉座の横には、金髪碧眼の美しい少女――王女だろうか――が不安げにこちらを見つめていた。
「勇者殿には、どうか国と民をお守りいただきたい!」
「えー……」
正直、状況がよくわからない。
だが、相手は必死な様子だし、こちらに敵意はなさそうだ。
(……まあ、ガードマンの仕事と大して変わらんか)
俺の仕事は、依頼された建物や人を守ることだ。
なら、この人たちを“守る”のも同じことだろう。
「……わかりました。可能な限り、協力します」
深夜勤務でよく使う“落ち着いた声”で答えると、周囲から一斉に歓声が上がった。
どうやらこの一言だけで、すでに信用されたらしい。
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その日の夕方。
俺は王都の門付近で「簡単な見回り任務」を任されていた。
(……つまり巡回か。やってることは現実と同じだな)
異世界に来ても、やることは結局“立って見張り”。
柄の長い槍を手渡されたが、正直、慣れ親しんだ警棒のほうが落ち着く。腰に差していた伸縮警棒をこっそり装備する。
「おう、今日も異常なしっと」
独り言をつぶやいた、その時だった。
「ぐへへ……おい、酒を持って来い!」
通りの向こうから、酔っぱらいらしき男がよろめきながら現れた。
見るからに酒臭い。
ふらつきながら近づいてきて、道端の露店に絡み始める。
「て、店の商品を勝手に……!」
店主が慌てる。
俺は即座に歩み寄り、いつもの手順で声をかけた。
「お客様、困りますよ。ここは立入禁止です」
「な、なんだお前ぇ!」
酔っぱらいが腕を振り回した。
危険行為と判断。訓練通りに手首を取って捻り、体勢を崩させる。
「ぐぎゃっ!?」
ドサリと地面に倒れ込む男。
すぐさま背後に回り、膝で押さえ込み、腕を固定。
「暴れなければすぐ離します」
いつもの調子で淡々と声をかける。
その様子を見ていた周囲の住民や兵士たちが――なぜか青ざめた顔で固まっていた。
「……あ、あの動き……魔物の幹部を瞬殺だと……?」
「信じられん……抵抗らしい抵抗も許さず、一瞬で……!」
「さ、さすが勇者様!」
「は?」
俺はただ、警備員としての通常業務をこなしただけだ。
だがどうやら、この世界の人々にはそう見えなかったらしい。
こうして俺は、“魔物を一撃で討伐する勇者”として王都に広まってしまったのである。
まるで床に魔法陣が描かれたように、青白い紋様が輝き出す。
何かの照明トラブルかと思ったが、次の瞬間、視界が歪んだ。
――気づけば、石造りの大広間に立っていた。
周囲には、鎧に身を包んだ兵士たち。
壇上には王冠をかぶった初老の男と、豪奢なドレスを着た少女。
「勇者よ! よくぞ応じてくれた!」
「……え?」
いきなり“勇者”と呼ばれて混乱する俺を、兵士たちは憧れと敬意の眼差しで見つめてくる。
困惑しつつも、仕事柄すぐに冷静さを取り戻した。
(ああ……。なるほど。これはアレか。コスプレイベントか何かに巻き込まれたんだな)
「ガードマン、佐藤守です」
自然と、胸に手を当てて自己紹介する。
その仕草ひとつで、大広間にどよめきが走った。
「ガードマン……ガードのマン……! すなわち我らを守護する英雄の名!」
「やはり神は見捨ててはいなかった!」
勝手に盛り上がる兵士たち。
俺はただ、「警備員です」と言ったつもりだったのだが――。
こうして、平凡なガードマン生活は終わりを告げ、異世界で“勘違い英雄”としての日々が始まったのだった。