夢が冷める
2742年 6月1日 月曜日
今日は人生で最低最悪の日です。
朝から悪夢を見て飛び起きました。
内容はあまり覚えていないけど、誰かが怒鳴っていて私は泣いていた、そんな感じだったと思います。
目には涙が浮かんでいたし、心もぽっかりと空いたような感覚。
しかも、夢から覚めてからも嫌な気分は抜けませんでした、
今思えばそれは予感だったのかもしれません。
私が起きてから冷めたトーストを食べていた時、両親が帰ってきました。
普通なら、私悪夢を見たの、辛かったのと話すかもしれませんが、私はそうではありません。
第一話したところで何にもならないし、忙しい二人が聞いてくれるとは思いません。
でも、それは受け止めるべき業であることはわかります。
それは私が病気だから。両親は私の病気を治すために頑張っているからです。
でも、今の技術を持ってしてもこの病気は治らない、まだ小さい頃そう告げられました。
それを私に伝えにきた父は淡々としていて、母は泣いていました。
けれど、私は絶望はしませんでした。直す以外の選択肢、火星移住があったからです。
温暖化が進んだ現在の地球に比べ、火星は大分涼しいので私の体も熱に侵されない。
それまでの辛抱だと信じてこれまで生きていたし、親と関われないのも我慢してきました。
それもこれも全部台無しです。最低な人のせいで。
事件はお昼時に起きました。父親がすぐ近くで叫んでいる声が聞こえました。
どうやら私の火星移住の登録証が無いとのことでした。
私は血の気が引いていくというのがこの身で感じました。
気づけば涙が出ていたし、震えが治りませんでした。
そのショックで、自分の目で確かめるのも怖くなってしまいベッドの上から降りれませんでした。
やがて、父親が遠ざかっていき母親に対して怒鳴る声が聞こえてきました。
「お前が売り払ったんだろ、正直に言え!」
その声は下から床を突き抜け、大きい振動として私の部屋にまで届いてきました。
そして、その後遅れるように
「違います、違います」
と、母の甲高い声が響いてきました。
私は枕の中に顔を埋めて泣きました。
昨日まで綺麗に見えていた景色が急に濁って見え始めました。
そしてまた、二人の声が聞こえなくなったと思えば、私の部屋に向かってきている二人分の足音が聞こえてきました。
私はそこで逃げようと決意しました。
もう何もかも嫌になりました。
じゃあ私はなんでこんな部屋に閉じ込められて今日まで生きながらえてきたのか。
いつの日か外に出られると妄信し、自由のない部屋で叶わぬ未来の幸せばかり想像して生きてきました。
本当、馬鹿ですね、私。
最初から逃げてしまうのが大正解でした。人生からね。
私は窓をこじ開けました。外からは異常な熱波が流れ込んできました。
頭痛と吐き気が止まりませんでした、でもこれで終われると思い我慢しました。
あとは簡単と私は気絶するように窓から身を投げ出しました。
落ちている時、初めて見る家の外観がゆっくりと下に落ちていくのを見ました。
そして、急に止まり、やっと死ねたかと思いましたが、またもや上手くいきませんでした。
相変わらずの暑さと、暑さの引き起こす頭痛と吐き気は止まず、一瞬これが地獄かと錯覚しました。
けれど、体に引っかかる枝ですぐに実感しました。
生き永らえてしまったのだ、と。
私はそこからやけになって人生で初めて全速力で家の外に逃げました。
ずっと夢見ていたはずの外の景色は屈折していて、とても想像していたものではありませんでした。
私はずっと走りました。息を切らしながら、ただただ。
とにかく家から離れるように、人に見つからないように暗い暗い路地の方へ。
そして、ロボットや家電が山のように積もって捨てられたゴミ捨て場の影に隠れました。
なんで私だけこんな思いをしなければいけないんでしょうか。
私の登録証は、自由は、人生は簡単に奪われてしまいました。
きっと人の心のない最低な人が、金目当てで盗んだんでしょう。
それの標的が私なのは復讐でもなんでもなく、ただ運命の悪戯とやらなんでしょう。
神様は誰も彼もに手を伸ばしてくれるお人好しな全能者ではありません。
一人一人、違う運命という名の条件を与えて結果を観測する研究者です。
私はその対照実験の最悪な例、水も肥料も酸素も与えられず、枯れていく様を見られる植物に過ぎません。
私に求められているのは、ただ運命に従って朽ちていくこと。
なので私はそれに反して生きていく、性悪な実験の邪魔をしてやる。
とりあえず、私の登録証を盗んだ人をとっ捕まえて、その人の自由を盗んでやる。
これまでの私の身代わりに。
いつか、この復讐が薄れてきた時の私が進む道を間違えないよう、この日記に残します。
宇宙に咲く花になるために。