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赤い星と緑のトカゲ

夜になってもクソみたいな暑さだった。最近では年中、対して変わりのない気温なのに一向に慣れる気配はない。変温の体が、空気の熱に呼応して頭に不協和音を奏でる。オンボロの機械のゴミ山から漂う鉄の錆びついた匂いと、漏れ出たオイルの腐敗臭が、二日酔いの胃の不快感を助長する。


吹き荒れる砂埃に霞んだ曇天の下、ネオンが点いたり消えたりしながら、街の壁を酔っ払いみたいに照らしていた。ピンク、緑、青のLEDが乱雑に並んでいる。やたら派手な光は、見たくないのに見えてしまう憂鬱な現実を、ガキの頃の塗り絵みたいに無理矢理に描き潰しているようで、思わず閉じた瞼の裏にまで色濃く映る。


「WELCOME」って看板が点滅してるけれど、ようこそって言われて喜ぶやつなんか、ここにはいないし、二度と現れないだろう。それどころか、招かれざる者だけがずっと、うろついてる。


ネオンが派手に光れば光るほど、この街がどれだけ終わってるか、逆に浮き彫りになる。まるで死体に口紅でも塗っているみたいだった。昼夜の区別はせいぜい気温くらいで、夜の方が街は明るい。けれどその光は、決して希望のそれじゃない。


今はもう使われていない駅舎の壁に無造作に貼られたポスターは、端がガムテで雑に留められていて、すでに雨に濡れてしわくちゃだった。「マーズシティ入居者募集中」の文字が、色褪せたコンクリの上でどこか虚しく光っている。


壊れかけた地球の相次ぐ暴走が起きてから、火星への移住が「選ばれし者たち」の象徴とされるようになってから、俺らは世界に見捨てられたのだと実感した。この使い古した星と一緒に焼却処分されるのを、黒雲の隙間から見えるドス黒い空の更に上から笑いながら見下ろされている。そう思うたびに、幾度の諦めも打ち破って、ただ運良く生まれただけの奴らへの恨みが湧いて出る。


ただ結局、その気持ちの行く末は酒と煙草だけだった。


路地裏にしゃがみこみ、煙草に火をつける。風が巻き上げる砂の中に、うっすら緑の光を反射する鱗が混じっているのを見て、俺はフードの中に顔を隠した。上半身を覆う鱗、緩やかに尖った口先、先が二つに分かれている舌、そして尻の先から伸びるデカい尻尾。


俺は生まれながらにトカゲのキメラだ。


数百年前に火星移住計画と共に研究が進められていたキメラ遺伝子計画。人間に他の生物の遺伝子を加えることで、変わりゆく環境に適応する形質を持った人間を生み出す計画であり、実験自体は成功に終わったが、研究者の思惑とは異なり実験対象と、その形質を引き継ぐ子孫たちへの迫害が始まった。


結果として環境に適応するための研究は、人間社会において最も危惧するべき適応対象を無意識のうちに除外していたわけだ。いや実際のところ研究対象のその後なんて気に留めず、己の知の探究のための尊い犠牲程度にしか捉えてなかったのかもしれないが。


その数十年後に研究は道徳的観念に反するとして禁止された。だが、今でも俺みたいに両親が普通の人間であったとしても、遥か先祖からの遺伝で他の生物の形質が遺伝してしまう例外が存在するらしい。


この研究の引き起こした悲惨な事件も風化して、もはや都市伝説と化したはずのキメラの俺に待っていたものは、およそ数百年前のキメラ狩りの比ではなかったと思う。


小学校の帰り道。放課後のチャイムが嫌いだった。誰かの笑い声が、いつも自分に向いているように思えた。

俺はその日、フードを被って下を向き、早足で歩いていた。

首のあたりを隠すように、パーカーの襟をぎゅっと握る。鱗が見えないように。

でも、デカい尻尾だけは隠しきれなかった。


「おーい、トカゲー! 今日もしっぽ付いてんのかー?」

「逃げるとこ見せてよ、ちょっと切ってみてもいい?」


背中から石が飛んできた。一瞬、視界が揺れる。頭の中で音が遠くなる。けれど、声だけは鮮明だった。


「キモッ……なんで人間の学校にいんの?」

「火星行けよ。あ、行けないか、ビンボーだもんな!」


怖くて、走った。

速く、速く。ただ逃げた。衝撃で足が千切れてしまうくらいに、速く。


遠くの電柱の影に身を潜め、息を殺した。胸が苦しかったのは、走ったせいだけじゃない。

逃げれば逃げるほど「俺は人間じゃないんだ」って、どこかで思わされていた。


家に帰っても、そこは落ち着ける場所なんかではなかった。


帰ると母さんはいつも台所に立っていたけれど、痩せ細った背中を向けたままだった。

「おかえり」も、「どうしたの」も言わない。ただ、冷めた夕食の匂いだけが部屋にしみ込んでいた。


食卓には、三人分の椅子があった。父さんが家からいなくなったあとも、誰もその椅子を片づけなかった。

まるで、いなくなったことすら認めたくないみたいに。


「……母さん、ただいま」


おそるおそる声をかけると、母さんの手が一瞬だけ止まった。でも、振り返ることはなかった。


「着替えて。鱗、見えないようにしといて」


その声には、怒りも、愛情もなかった。ただ、義務のように音が響いただけだった。それが一番苦痛だった。

俺は知っていた。俺が生まれながらに人間じゃなかったから、父さんは仕事を失ったことを。それでも二人で俺のことを育ててくれたことを。


自分のせいで、家族が壊れたことを。


テレビの音だけが、無理やりに空気を埋めるように流れていた。

その中でリザは、決して母親と目を合わせないように、尻尾を抱えるようにして小さく座っていた。


壁のカレンダーには、何も書き込まれていない未来が、ただずっと続いていた。


家にも、学校にもいられない。

じゃあ、自分はどこへ行けばいいんだ。


答えをくれたのは、ちょうど15になった頃。テレビの再放送で取り上げられていたネオンに照らされた裏通りだった。まるで人を拒むような派手な光は、自分の様な異端者のために光っていると錯覚させた。


「おい、兄ちゃん。それコスプレか?」


冗談混じりに声をかけてきたのは、見るからに柄の悪そうだが、年はそう離れていなそうな金髪の青年だった。手には缶ビール。歯は欠けていて、目は笑っていなかった。

俺の尻尾を見て、面白がるように口笛を吹いた。


「すげぇな。どっかの富豪のペットかと思ったぜ」


俺は言葉を返さなかった。返す理由も、気力もなかった。

でも、彼らは笑っていた。指差して、いじって、からかった。

それでも、拒絶はしなかった。


それだけで、十分だった。


「お前、キメラなんだって? ちょっと遊んでこうぜ」


そうして、俺は不良の一員になった。


彼らは俺の能力を便利だと笑った。

万引き、強奪。俺を使えば少しスリルのある遊びができる。

それが、役割だった。


でも、それでも。

誰にも必要とされなかった自分が、役に立てると感じたのは、ほんの少しだけ、救いだった。


俺は何年かぶりに笑っていた。

煙草をくわえ、パーカーのフードを深く被って、「へっ、俺って最強だろ?」と、冗談めかして言っていた。


それが、どれほど自分自身を裏切る行為であったか、当時の俺は知る由もなかった。


山積みに捨てられたロボットの側で一晩を過ごした後、例の金髪がそこにいた。

「よう、起きたか。そういや名前言ってなかったな、俺はニックだ。お前は?」


俺にも親から貰った名前はあった。ただそれは言わなかった。理由は二つ。


彼ら不良を完全には信用していなかったため、そして家族からの最後の繋がりを自ら断つため。

「…リザ」

それを聞いてニックはまた笑いながら言った。

「ハハッ、トカゲだからリザか?親も安直な名前つけるもんだなw」


それに愛想笑いで返した時の心の震えは恐怖ではなかった。

新しいリザとしての日々に対する高揚が、他の感情をも押し殺すように心臓を揺らしていた。










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