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魔人キコウ録  作者: 长太龙
第一篇〜大米合衆国篇〜
9/79

第八頁 麺麭工房木ノ下 壱

「親父!店開けるぞー!」

 芯の通った若々しく格好いい声と共に麺麭工房木ノ下は午後の営業を開始しようとしていた。


 「麺麭工房 木ノ下」は午前九時から午後一時半、そこから一時間昼休憩を挟み、午後二時半から午後六時まで一日計八時間営業している。定休日はないが火曜日と木曜日は午前中のみの営業だ。

 個人事業主である主人とその妻と息子の三人で切り盛りしている。パンを主人が作り、妻はそのサポートや経理等を、焼き上がったパンの陳列や接客、店内の衛生管理などの雑務を息子が担当している。

 客のほとんどは常連の主ふで、この地域の多くの人に愛されている。


 時刻は午後一時半を迎え、午後の営業の準備が完了した。

 準備中の看板を撤去するため息子が店の入り口を開けた時、地面に臥した人間を発見した。

「えっ?お、親父!お袋!救急車!……人が倒れてる!」

 息子は両親に助けを求めた。

 珍しく焦る息子の声と「救急車」という非常の単語に反応し、両親は店の外へ慌てて駆けだした。

 息子の指差す方を見てみると、店の前に人がうつ伏せで倒れている。髪が短いので男だろうか。まるで背後から襲われたかのようにぐったりとしている。

 彼らはこの状況を見て少々驚いたが、冷静になって主人が救急へ通報しようとした。

「俺、AED持ってくる」

 息子はそう言って店の中へ戻った。

 男性陣二人がそれぞれの行動を始めた時、倒れていた人の右手がピクッと動いた。

 それを見た(ような気がした)のは妻だった。

「今、指動かなかった?」

 妻がそう言いながら自らの指で男の指を差した。

「えっ?」

 息子はすでに店の中だったが、主人は驚いた顔で妻が指差す方へと目をやった。

 ……動いていない。

「あれ、気のせいかな?」

 妻は両目を擦った。

 そしてもう一度見てみる。

 ……動かない。

「ごめん!気のせいかも!救急車呼ぼう!」

 主人はその言葉を聞いて頷き、携帯電話を取り出した後すぐに救急の番号を押した。

「うぅぅっ」

 微かにうめき声がした。

「アドルフ、待って!なんか言おうとしてる」

 主人は電話の発信ボタンを押すのをやめた。

「大丈夫ですか?何があったか説明できますか?」

 妻は男に呼びかけた。

 すぐに返事はなかった。

 見たところ外傷はないし、体も動いていた(気がする)し、声も出ている。危篤状態ではなさそうだ。

 妻はそう判断して声をかけ続けた。

「立てますか?何があったんですか?」

「め……めしっ……」

 か弱い声が聞こえたが、聞き取れなかった。

 そうこうしているうちに息子がAEDを持って帰ってきた。

「親父!通報したか?」

「いや、まだ」

「何やってんだよ!あの人死んじまうかもしんねぇんだぞ!」

「いや、ビゼー、なんか大丈夫そうな感じでさ」

「路上でぶっ倒れてる人が大丈夫なわけないだろ!外、クソ暑いのに!」

「ほら」

 父親に促され、息子は現場へと視線を向ける。

 そこには倒れている男に対して必死に声をかけ続ける母の姿があった。

「どうしたんですか?もう一度お願いします」

「めし……パン、が……食べ……たい……」

 か弱いながらも今度ははっきり聞きとれた。

「パン?パンが食べたいのね?パンならあります。食べさせてあげますから。しっかりしてください!」

「うぅ……は……い……」

 受け答えもできている。母は大丈夫だと判断した。

「ビゼー!アドルフ!この人(なか)へ入れよう!パンが食べたいんだって。お店は臨時休業にしよう」

 息子は戸惑っていた。何処の馬の骨とも分からない奴のために営業を止めるのかと。そんなことをするならば病院で診てもらったほうがいいのではないかと。

 意見しようとした矢先、

「OK、わかった」

 と、父の承諾する声が聞こえた。

 息子は言う。

「いやいや、絶対病院で診てもらったほうがいいだろ!熱中症になってるかもしれねぇし!」

 母が反論する。

「うちで休ませれば大丈夫!病院行ったらパンなんかすぐには食べられないでしょ!ほら!こんなこと言ってる間にもこの人の体力は奪われてるんだから。介抱して!」

 息子は母の指示に従った。

 父子で男の体を支えた。

 父子の体格と比べ男はかなり小さかった。

 運ぶのにややもたつきながらも一同は店の中へ入って行った。



 息子は驚いていた。いや、それを通り越して引いていた。

 先ほどまで地べたに這いつくばってた人間が、何かに憑かれたかのように目の前でパンを爆食しているからである。

 麺麭工房木ノ下は店舗併用住宅である。一階の店舗に腰掛けられる場所はないので、客人は二階の居室に通し、横たえた。

 パンが食べたいというリクエストに答えて妻は店の商品であるメロンパンを持ってきて食べさせた。

 最初はぐったりしていて一人で食べることが困難だった。

 母の指示で息子が食べやすい大きさにちぎって男の口に運んだ。

 一口目、口の中に入ったメロンパンをすりつぶすようにむ。

 二口目、メロンパンをしがむ。程よい甘味が口の中を満たした。

 三口目、元気よく噛んで飲み込む。

 その後スッと体を起こした。

 息子からメロンパンの塊をもらい、男は何事もなかったかのように自分の手でパンを食べ始めた。

 次々にちぎって、口に放り込んだ。

 適宜、水を飲みながら黙々と食べ進めた。

 メロンパンはみるみる小さくなり、あっという間に完食した。

 まだ満腹ではないようなので、メロンパンの次は、蒸しパン、チョコパン、クリームパン、クロワッサン三個を差し出した。

 それら全てを食べ尽くし、今、男はカレーパンを貪っている。

 息子は唖然とした表情でその様子を見守る。

 やることもなくなったので彼は目の前の人物について考察を始めた。


 店の前で倒れていた人物。彼は学年で言うと小学校高学年から中学一、二年生くらいであろう少年だった。初めて見る顔で、常連客の息子というわけではなさそうだ。保護者が心配するといけないので警察に預かってもらおうと考えた。

 そこに追加のパンを持って母がやってきた。

「ど〜お?うちのパン?」

「めっひゃうあいれふ!」

 口の中にカレーパンをパンパンに詰め込みながら、母の問いに元気よく答えてくれた。だが、口の中に詰め込みすぎていて何を言っているのかさっぱり分からない。

「あはは〜、元気ねぇ〜!先食べちゃっていいよ。口の中なくなってからお話ししよっか」

「あい!わかいあった!」

 やはり何を言ってるかわからないので、笑って誤魔化しカレーパンが胃に流れるのを待った。


「ごちそうさまでした!」

 手を合わせて少年は元気に挨拶した。

 臨時休業の張り紙を貼り付け、後片付け等を終えた主人も居室に入ってきた。

 少年は話す。

「助けてくれてありがとうございました!オレ、めっちゃ腹減ってて。ホント、助かりました」

「いいえ〜。しっかりしてるのね。君、名前は?」

 母が尋ねた。

 少年は答える。

「クウヤ・インディュラです」

「クウヤ・インデュラくんね」

 母がメモをとりながら少年の名前を復唱する。

「いや、ちがいます。インディュラです。」

 否定されてしまった。

 しかし違いがわからない。

「えっ、ごめんね。インデュラくんじゃないの?」

「インデュラじゃなくてインディュラです」

「インディラ?」

「いや、ちがくて、インディュラです」

 一家全員、頭がパンクしそうだった。母も、父も、息子も、何度聞いても何がどう違うのかさっぱり分からない。

 やがてクウヤと名乗る少年が言った。

「あの、名字はだいじょうぶです。名まえでよんでくれればいいんで」

「あぁ〜、うん、ごめんね」

「へいきです。なれてるから」

 クウヤの名前に関する議論は終焉を迎えた。


 ここまでクウヤと母の会話を聞いて、息子は思ったことがあった。

 妙に受け答えがしっかりしている。小中学生がここまで大人とちゃんと話せるのだろうか。よほど厳しく躾けられているのだろうか。

 また体格についても疑問がある。

 息子の身長は一八一センチメートルある。自身と少年とを比較すると、どう見積もってもクウヤの身長は一六〇センチメートル程度ある。十一、二歳だと大きいほうだ。

 しかし体の成長が早いのに対し、声が子供のままなのだ。個人差という言葉で片付けられることなのだろうか。

 それによく考えてみれば栄養不足で倒れるほどの身体状況もおかしい。ネグレクトを受けているのか、それとも超極貧家庭なのだろうか。少し窶れているし、この子の健康状態は良好なのだろか。服も所々破けて襤褸襤褸である。

 しかし極貧家庭で育ったにしては体が育ち過ぎてはいないだろうか。子供の成長に摂取する食べ物の量は関係ないのか。そんなはずはないと断言できるほどの知識はないが、関係ないはずはない。

 憶測が脳内を駆け巡る。訳が分からなくなった。

 考えても答えに辿りつかない気がして、本人に聞いてみることにした。

「君何歳?」

「十七です」

「…………えっ?」

「うん?」

「十……七?」

「はい」

「えぇーーーっっっ⁈」

 一家三人で声を揃えて仰天した。さっきまで小中学生だと思っていた少年が、ほぼ成人だという事実に驚きを隠せなかった。

 息子は驚きのあまり用意していた質問を全て飛ばしてしまった。

 まずは「十七歳」について掘り進める。

「じゅ、十七って俺と一個しか変わんないじゃん!」

「えぇーーーっっっ⁈」

 今度は少年の方が大声をあげて驚いた。開きっぱなしの口から思ったことが漏れる。

「そんなとしちかかったの?」

「う、嘘じゃないよな?俺、五年の四月十二日生まれだけど」

「お、オレも五年生まれ。たんじょう日、十月四日です」

 お互い動揺してオドオドしていた。

「生まれた年同じじゃねーか……」

 五年とはもちろん西暦一七三〇五年のことである。

 盛大な勘違いコントが炸裂していた。クウヤは目の前の青年をかなり年上だと、反対にクウヤを助けた一家は彼を実年齢より最大七歳年下と思い込んでいた。

 母は深々と頭を下げた。

「ごめんね。十七歳とは思わなくて、子供と接する感じで話しちゃって」

「えっ?そうなんですか?そんな感じしなかったですよ」

「あら、そう?でも、ごめんね」

「だいじょうぶです」

 話の終わりが見えてきたところでさらにクウヤがぶっ込んだ。

「もうちょっと食ってもいいですか?」

 美味しそうなパンがずっとチラついていた。

 母は快く了承して、持ってきたパンの中から焼きそばパンを提供した。店の新商品だと言う。

 嬉しそうにして目を輝かせるクウヤを横目に息子は

「まだ食うのかよ」

 と、呆れながら呟いた。

次回 麺麭工房木ノ下 弐

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