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魔人キコウ録  作者: 长太龙
第一篇 大米合衆国篇〜アメリカ州〜 ファーストステップ

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第七頁 躁鬱

一七三二三年六月二十六日(土)

大米合衆国・アメリカ州・西地区 マアイイ市



 この旅がRPGゲームであれば良かった。

 それならば既にシナリオが用意されており、与えられた範囲の中をほぼ自由に動くことができる。ゲームは自分のペースで進めることができ、疲れた時には休憩や中断ができる。飽きたら放置すれば済む。セーブポイントも残機もコンティニューもポーズもリタイアある。行き詰まった時には攻略法を確認することもできる。失敗した時にはやり直せば良いのだ。

 しかし現実の旅はそうはいかない。台本はなく、自分の意思で行動を決定しなければならない。地球という超大大大規模のオープンワールド。行動可能域はほぼ地球の表面全体(下手をしたら宇宙にまで)に及ぶ。自分のペースで進むことはできるが、時間帯や場所等によって環境がガラリと変わってしまう。一瞬一瞬がオートセーブポイントではあるが、残機は残り一つ。コンティニューもポーズもない。リタイアは自由だが、ゲームのように瞬間的に止めることはできない。もちろん、再開ややり直しも容易ではない。食事や睡眠、排泄などの日常ルーティーンもついてまわる。予測不能な事態にも備えておかなければならない。

 旅というのはとても過酷なものだ。


 

 旅人には思い通りにいかない現実を嘆く余力すら残されてはいなかった。

 二十日間薄暗い森を彷徨さまよい続けた。

 足がとにかく重い。いつのまにか素面千鳥足(シラフちどりあし)を習得していた。

 頭も回らない。考えることができなかった。足を動かせていることが奇跡である。

 水も既に底を突きていた。ここ何日かは朝露で水分を摂っている。

 約三週間、まともに日光も浴びていない。

 食材選びが祟って栄養も全く足りていなかった。運動量と食事量が釣り合っていない。いつ倒れてもおかしくはない。

 極限状態の中、言うことを聞かない体に鞭を打ち、気力のみで歩を進める。


 なんと都合のいい遺伝子システムなのだろう。野垂れ死なないよう無意識が体を動かす。今の彼は歩き続けるようプログラミングされたロボットである。

 満身創痍まんしんそうい疲労困憊ひろうこんぱい精疲力尽せいひりきじん、半死半生、気息奄奄きそくえんえん。どの表現が最も適切だろうか。憔悴、消耗、疲弊しきり、やつれていた。危険な状態という言葉が薄っぺらく感じてしまうほどひどい状態だ。

 精神的にも物理的にも漆黒の闇。

 終わりのない旅路が肉体のみならず、心も疲れさせた。


 しかし無限の闇の中にいたわけではなかった。

 少し先が微かに明るくなっている。

 夢でも見ているような気分だった。二十日ぶりの光。文字通りの希望の光が確かにそこにあった。

 あそこに向えと脳が司令を下す。虫並みの思考力は取り戻した。

 しかし頭が微回復しても足取りは戻らなかった。時間をかけてゆっくりと光源を目指す。

 近づくにつれて眩しさが増していく。やがて木々が視界に入らなくなった。

 ついに、とうとう、ようやく、やっと大森林を抜けたのだ。

 直射日光を存分に堪能する。まるで光合成でもしているかのような気分だった。


 しかし嬉しかったのも束の間。現実に引き戻される。

 季節は夏。

 暑い。

 今にも卒倒しそうな人間にはかなり堪える。

 一度木陰に避難した。

 立ったまま明るい方を見渡す。本当は座りたかったが、永遠に立てなくなりそうで怖かったのでやめた。

 クウヤの視線の先には発展した大都市の景観。

 見たこともないくらい高い建物も建っている。

 ずっと小さな村で過ごしてきた彼は圧倒されてしまった。


「町だ……」


 思わず声が漏れる。

 ここで気づいた。声が出た。話し相手もいない中で喋っている方が危険を感じさせる気がするのだが、彼には、まだもう少しだけなんとかなる、と根拠のない自信が湧いてきた。

 気力をとり戻したクウヤは、最後の力を振り絞って街まで移動した。


 休日の大都市は賑わっていた。

 偶然にもクウヤはこの街の商店街に辿り着いていた。様々な食べ物の様々な匂いが彼の鼻と食欲を刺激する。

 時刻はまもなく正午。本日の昼食を買おうとする人たちで商店街は溢れ返っている。


 やっとの思いで歩いてきたクウヤが今一番欲しい物は水だった。

 都合良く自販機を見つけた。

 財布を開く。

 小銭を取り出す。

 それを投入口に入れる。

 一瞬悩んでペットボトルの水のボタンを押す。

 ガコンッという音に驚いた。

 取り出し口から水を取り出す。

 キャップを開ける。想定よりキャップが少し固かった。

 力が入らない中、一生懸命蓋を開けた。

 飲み口に口をつけ、ゆっくり水を流し込んでいく。とても冷たい。

 口の中に潤いが蘇る。

 水のありがたみを感じてゆっくり飲み込んだ。

 うまい。

 水とはこれほどまでに美味な代物だったのかと彼は感動した。

 口腔内に目一杯水分を染み込ませると喉を鳴らしゆっくり飲み進めた。

 水が喉を通過する快感を、今この瞬間、地球上の誰よりも感じている。

 キンキンに冷えた水が正中線を伝って落ちていき、次第に胃袋に溜まっていくのが分かった。


「っっっあぁぁぁ〜〜、っす〜〜〜〜〜〜は〜〜」


 コマーシャル撮影なら即OKがでるくらいの気持ち良い飲みっぷりとリアクションだった。

 水分補給のついでに、体の中の陰気臭い呼気を放出し、都会の洗練された空気を取り入れた。

 勢いそのままあっという間に一本飲み干し、すぐさま二本目を購入した。

 こちらも勢いよく飲み進め、半分ほどまで飲み、残りはとっておくことにした。


 渇きを満たしたクウヤは次に食べ物探しを始めた。大量の水を摂取したことで、胃がチャポンチャポンと音を立てていた。良くないことに胃に物が入ったことで先程よりも空腹度が増してしまってたのだ。

 肉屋、魚屋、八百屋、種々様々な商店が並ぶ。

 普段通りであれば肉に飛びつくクウヤだが、この状態でタンパク質を胃に放り込む気にはなれなかった。


 商店街を歩いているうちに望む物が定まった。麺またはパンだ。

 最後に食べた炭水化物は三週間前の昼食、好々爺に恵んでもらったおにぎりである。

 それ以来炭水化物は食べていない。

 したがってエネルギーが足りない。

 エネルギー補給のためになんとしてでも炭水化物を摂取したかった。

 コメでもいいができるだけ食べやすいものを求める。


 商店街にはいくつかパン屋があった。が、全て行列。今のクウヤは行列に耐えられる状態ではない。

 泣く泣くスルーした。

 ラーメンのいい匂いを感じることもあった。食欲をそそる香りによだれが滴る。喉から手が出るほど欲しかった。しかし行列。通り過ぎるしかなかった。今日に限って行列なのかいつもこうなのか、クウヤに分かるはずはなかったがつい考えてしまう。

 うどん屋やそば屋は見つけることができなかった。


 商店街を抜け、いかにも「街」な街並みを拝んだ。住宅ばかりで飲食店がない。

 しかしそれぞれの家から昼食の匂いが流れてくる。

 美味しそうな匂いを大量に吸い込んでしまい、我慢が困難になってくる。

 しかし空腹に耐え、歩みを進めることしか選択肢がなかった。


 あれから二十分は歩いただろうか。相変わらず住宅が建ち並んでいる。

 ラーメン店を過ぎてからラーメンの幻臭が旅人の鼻の中に充満している。空腹の向こう側にいざなってくる。これが一番厄介であった。

 幻臭を振り払うために水分補給でもしようかと顔を上げた。

 その時ついに発見した。

 看板だ。


看板「麺麭工房 木ノ下」


 その文字列は縦長長方形の看板に縦書きで二行に分かれていた。漢字は後半しか読めなかったが読めない文字の周辺に食パンのイラストが描かれている。

 クウヤはその店が何の店なのかなんとなく察した。

 視線を前方に戻す。看板の真下に列は……ない。確認すると同時に無意識に走り出していた。

 店舗入り口に案内が出ていた。


「準備中」


 千松のHP(ヒットポイント)はゼロになった。

次回 麺麭工房木ノ下 壱

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