第六十四頁 瀕死
ミロクは右手を前に出し、右肘あたりに左掌をあてた。
その状態から左手を右手の指先に向かってゆっくり撫で下ろした。
驚くべきことに右腕が剣に変化している。
(今まで能力使ってなかったのか!)
ビゼーは驚いた。
クウヤはおそらく能力全開で戦っていた。
そのクウヤを生気だけでいなしていたのだ。
二人の消耗具合は雲泥之差である。
気づかないふりをしていた不安が表面化した。
(想定以上に二人の間には実力差があるんじゃねぇか?)
一度考えてしまうと、マイナスの未来が津波のように押し寄せて、心の余裕を飲み込んでいった。
ロッド。ミクリ。アダン(バ)。仲間たちは皆何も言わなかったが、心中は彼らの表情が物語っていた。
ミロクサイドの見届人は前のめりだ。ハイエナのような目つきで戦いの行く末を眺めていた。
ジャックらは無表情で見守っている。
何を思っているのか見当もつかない。
元々何を考えているか分からない人間であるからそれは仕方のないことだ。
しかし見届け人の欄に名前を書いたのだからもう少し感情を込めて応援してもいいのではないか。クウヤに負けないでほしいと思っているのはビゼーたちと同じはずなのであるが、ビゼーにはジャックが勝敗とは別のことを考えている気がしていた。
クウヤは痛がりながらも二本足で立った。
その辛さは表情が物語っていた。
そんなクウヤにミロクは言う。
「これが私の能力。自分の腕を刃に変えられる。そのせいで長袖の服着て戦えないんだよね……まあここから出ないし、オシャレしても意味ないいんだけどさ。能力見せたけどこれでも私に勝てそう?」
「あたりまえだ!」
クウヤは堂々と宣言した。
「返事だけは立派だね」
「うるせえ!」
クウヤはミロクに突っ込んでいった。
ミロクは剣化した右腕をクウヤの剣に向けてぶつけた。
「うおっ……」
象や熊のような類の大型動物にのしかかられたかのような重さだった。
その衝撃の強さにクウヤは思わず後退してしまった。
バランスが崩れる。
その隙をミロクは見逃さなかった。
畳み掛けるように初撃に勝るとも劣らない威力の剣撃を浴びせ続けた。
銃でも撃っているかのようにクウヤの体に反動が加わる。
攻撃を受けると必ず押し込まれてしまう。
故に反撃に転じることができなかった。
最終的にはミロクは目で追うことができないスピードで、正確にクウヤの剣に攻撃を当てるようになった。
剣が立てる音だけがミロクの剣捌きを認識する唯一の情報だった。
上から下から横から突きに至るまで、クウヤの防御方向に合わせて最も受けやすい体勢を作らせるように攻め続けていた。
(守ってるっていうより守らされてるってかんじだ。クソッ!よゆーなかおしやがって!)
一発返したいところだが、それどころではない。
今は耐えるしかない。いつか隙は生まれる。
クウヤがそう思った時だった。
「ねえ。『このまま耐えてればいつか隙ができる』って考えてるでしょ?」
突然攻撃が止み、ミロクがクウヤに言った。
「——!んなわけ……ねえだろ!」
クウヤは動揺した。必死に隠そうとしたが、これでは十中八九ミロクに伝わってしまっている。
そのあたりのことについてはミロクは触れずに語った。
「最初に言ったよね?私が隙を見せたら彼ら(ミロク側の見届人ら)が私の首を奪りにくるって。忘れた?鶏さんに教えても無駄みたいだからヒントをあげる。私はあなたと戦ってる。私の意識は基本あなたに向けられてるの。そういう状況でも彼らは全く動かない。さてどういうことでしょう?その足りない脳味噌を必死に働かせて導きなさい!」
一方的に喋ると攻撃を再開した。
考えろと言っておきながら、考えさせる時間は与えなかった。
クウヤは再び防御に徹する。
攻撃しながらミロクが言う。
「そういうところだよ。さっき私が攻撃をやめた時どうして攻撃してこなかったの?攻撃が通る確率、今よりは高かったんじゃない?そういうチャンスを逃してたら一生私に勝てないよ」
クウヤはミロクの話を聞いて納得してしまった。
話など聞く必要はなかったのだ。後悔した。
「あっ!」
余計なことを考えているとクウヤの手から剣がすっぽ抜けた。
クウヤが右手の違和感を覚えた時には。自らの首の左側にミロクの剣化した腕がピタッとくっついていた。
首の冷感を認識した直後、後方で金属音が鳴った。
チャラ、チャラ、と音が聞こえた。
クウヤが離した剣が地面に転がり、その刃と柄が次々と床を打ったのだ。
「クウヤ!」
ビゼー、ロッド、アダン(バ)の声が城内に谺した。
反響が止むと城内を静謐が彩った。
時間が停止したかのようなミクロの変化もない空間。
この一瞬だけはまるで動画の一時停止中ような感覚だった。
再生ボタンが押されたようにミロクはクウヤに説く。
「剣士が剣を離すなんて……何しにきたの?くだらない言葉を真正面から受け止めて。気を取られて。結果この有様……情けない!考えなきゃいけないことと考えるべきでないことの区別もつかないの?あなたに私の言葉の意味を解釈する時間はあった?余裕があった?そもそもそれを考えることが最優先事項だった?……否。あなたが考えなきゃいけなかったこと。私の攻撃を防ぎ、その中で反撃を試みるための道筋。そこからの逆転の手立て。今戦ってる相手をいかにして倒すか。それ以外のことを考えてるからこうなった。決闘から意識を逸らすなんて……命を軽く見過ぎ。集中力がまるでない。疲れちゃってたの?飽きちゃってたの?命を差し出してる自覚はあった?私は死んで、自分は死なないって、勘違いしてるでしょ?話にならない!ちょっとでも動いてみなさい!死ぬよ?っていうか、本来だったらもうとっくに死んでるんだけど。それくらいは分かるよね?このまま痛みを感じさせないで殺しちゃうのは楽だけど……そうしないほうがいいよね?あまりに残念すぎる。期待外れも甚だしいから……徹底的に痛めつけて、その後で楽にしてあげる」
恐怖を感じる明確なタイミングも掴めないままクウヤの体は壁に打ち付けられていた。
重力に負けて腹面から落ちていく。
ミロクの右手の剣の刃でない部分で掬い上げるように叩かれたのだ。
クウヤの飛ばされた場所。その足元には彼の剣が転がっていた。
必死に右腕を伸ばして剣を握ろうとする。
その右腕にミロクは深い切り傷を入れた。
「あぁ〜〜っ……」
経験したことのないズキズキとした痛みが腕にしがみつく。
段々と切られた箇所が温まってきた。
「はあ……はっ……あぁ……」
溶岩のようにドロドロと血が溢れ、流れ、溜まっていく。
「——!」
反射的に視覚情報を絶った。
床とキスをする。
目を閉じて、床の温度を唇で感じた。
流血を見ていられなかったのも理由の一つだが、それ以上に怖かったのだ。
体から血液が抜けていく。それを目で捉えることが。
見ているだけで気が触れそうだった。
心臓の鼓動が血液の流出と結びつく。
——死。
刻一刻とそれとの距離が詰まるのを感じた。
アドレナリンも傷口から出ていってしまったのか、クウヤの殺意などとうに失せていた。
とにかく痛い、怖い。何もせずとも痛みが増していく。
痛みからなるべく逃げつつなんの思い入れもない床と濃密な時間を過ごす。
気を紛らわすことができるならなんでもよかった。
しかし恐怖は簡単には紛れない。
右腕を動かせなくなってしまった。肩を上げることも、無傷の拳を握ることすらも憚られる。
恐怖に体を震わせているとクウヤの後頭部が掴まれた。
そのまま押しつぶされる。
力が強い。鼻が砕けそうだった。歯も唇の裏側に食い込みそうだ。
数秒地面に顔を埋められた後、首を九十度右に回された。
顔面の痛みは緩和されたが、「アレ」が見えてしまった。
目をギュッと瞑った。絶対に見えないように顔のパーツを中央に寄せるようにした。
続いて右目辺りに指が二本当たった。親指と人差し指だろう。
指はそれぞれ反対方向に力が加えられ、固く閉じた眼を無理やり開けようとしてくる。
指の力に目の筋肉では抗い切れなかった。
再び見えてしまった。溢れ出る紅。
死と隣り合わせ。
アクション映画やドラマでよく聞くセリフが過った。
このセリフは紛い物ではなかったと今なら確信できる。
不意に上から声がした。
耳が上を向いているのでよく聞こえた。
「死ぬことから目を逸らすな!お前がなあなあで誤魔化してきたことだ!深く考えなかったことだ!灼きつけろ!その目に!その心に!死の恐怖とはこういうことだ!」
ミロクだ。
左手で頭を掴み、右手の指でクウヤの目を開いている。
クウヤが目を背けている間にミロクの右腕の剣は解除されていた。
クウヤには恐怖以外の感情の受容体がなくなっていた。
少し過呼吸気味になってきた。
息を吐く回数よりも吸う回数の方が多くなっている。
ミロクは頭を押さえつけていた左手を離し、代わりに背中を掴む。
そのままクウヤの体を引き上げると、クウヤをサンドバッグにした。
右手、右足、左足を使って暴行を加えていく。
いつしかクウヤの意識はなくなっていた。
しばらく経ってミロクはそのことに気づいた。
「あ〜あ、飛んじゃった……死んでは……ないか」
クウヤの心臓に耳を当てて生存を確認した。
左手を離し、クウヤをゴミのように捨てた。
「決闘は終わり!戦闘不能になっちゃった。悪いけど持って帰って!」
ビゼーらに向かって指示した。
ミクリは泣きじゃくっていた。
ビゼーはミクリを連れてきたことを後悔した。
はい、と返事をするとビゼーはクウヤの元に駆け寄り、おぶった。
城から出ようとするとミロクが呼び止めた。見ると細長い物を持っている。
「これも」
彼女は紅寒緋を丁寧に差し出した。
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