第九頁 麺麭工房木ノ下 弐
クウヤは大量のパンを食い尽くし、大満足していた。その腹はパンパンに膨れていた。
腹の虫が落ち着いたクウヤは息子を凝視した。
まず思ったこと、イケメンだ。顔のパーツ一つ一つがかなり整っている。もし自分が女だったら、介抱された瞬間に恋に落ちていたかもしれないと思うほどだった。
顔だけでなく、声もかっこいい。落ち着いていて、とても大人な印象を受ける。
こんなにも落ち着いた雰囲気を出しているのであれば実年齢より高く見られても仕方がない、といった感想を大勢の人が持つだろう。
視線を向けられているような気がした息子はおそるおそるその方向を見た。クウヤがこちらを睨んでいる。
彼は些か恐怖を感じたが、そんなクウヤの顔を見てまだ重要な話をを聞いていないことを思い出した。
「そういやさ、なんでうちの前で倒れてたんだ?」
両親もそういえばというような表情を作る。
「えぇー、なんでだろ?パンが食べたくて、めっちゃ歩いてて……うーん……」
クウヤは考え込んでしまった。
息子は質問を変える。
「えっ。あっ、そうか……じゃあ、ぶっ倒れるまで何やってたんだ?」
「旅してました」
「旅⁉︎」
まただ。驚きの新事実を発見してしまった。
今日は驚いてばかりだ。
「旅って、冗談?……じゃ、なさそうだな」
言葉の途中でクウヤの顔をじっと観察した。
見た上でそう判断した。
「マジです」
回答者はにっこり笑っていた。
返答への反応に困る。
息子は自己紹介をしていなかったことを思い出した。
話題の転換にもなり丁度良い。
「あっ、そういや俺たち自己紹介してなかったな。俺はビゼー・アンダーウッド、よろしく」
「あっ、私はビゼーの母のエメです。こっちが夫のアドルフ」
「アドルフ・アンダーウッドです」
ビゼーに続いて両親も名乗った。
「ビゼーさん、エメさんに、アドルフさん、よろしくお願いします」
クウヤは一人一人と目を合わせながら名前を復唱した。
話題を変えたことで反応を有耶無耶にして、先の話題に戻る。
「俺と話すの敬語じゃなくていいよ。歳も近いんだし。んで、さっきの話に戻るけど。倒れてたのって旅の疲れなんじゃねぇの?」
彼に限らず多くの人にとって旅という言葉はピンとこない。
少ない知識と旅の大雑把なイメージから辿り着いた公式が、「遠くへ行く=疲れる」であった。
「そうかな?」
クウヤはさっそく敬語を解除した。とぼけた声である。
「そうとしか思えないけどな。そもそも、第一声が『パン食いたい』って絶対飢えてただろ?」
「ウエテタ?」
「?」
クウヤが語尾を上げていたので質問だということは理解できたが、どういう意図なのか全く理解できなかった。
ビゼーが難しそうな顔をしているとクウヤはもう一度聞いた。
「ウエテタって何?」
「あっ、言葉の意味?」
「そう」
「あぁ、えぇっと……腹、減ってただろって」
「あぁ〜、たしかにはらはへってた」
この時、ビゼーは思った。
(小学生と喋っているのか)
と。クウヤに対する自分の直感も広い意味では間違いではなかったのかもしれない。
そんなことを思いながらも会話を続ける。
「じゃあ栄養不足だったのかもしれないな。疲れも溜まってたんだろうし。元気そうで何よりだけど病院行かなくて平気なのか?」
「うん、だいじょうぶ。うまいパン食って元気になった」
最上級のお褒めの言葉に両親は喜色満面になった。ビゼーも嬉しかった。
「そりゃ良かった。にしても今時旅って、珍しいな。どこまで行くんだ?」
「なんかはなしがあっちいったりこっちいったりしてない?」
「そうか?」
「うん」
「それは……悪い」
「あやまんなくてもいいけどさ……まあ、行くとこはきまってない」
「えっ?どこも?」
「うん。とりあえずでっかいまちにいこうかなーとは思ってて。たまたまここに来た」
「そうだったのかじゃあここに何日滞在するとかも決まってないよな?」
「うん、ぜんぜん」
「どこに泊まるとかも?」
「うん」
この返事を聞いてビゼーは両親の方を見た。
なぜか二人揃って妙にニコニコしている。
そのことに若干の気持ち悪さを覚えたが、両親に提案した。
「ここにいる間家に泊めてやれないか?ホテルとかに泊まると金めっちゃかかるだろ?」
先ほどまで警察に保護してもらおうなどと考えていたことはすっかり忘れていた。
「えっ、そうなの?」
両親が返事するよりも前に、割り込むようにしてクウヤが反応した。
「あぁ、安くても一泊一万はするぞ」
バザーは答えた。
「マジかよー!」
旅人は落胆した。
それを見て、エメが優しく言った。
「そんな落ち込まないで。ウチに泊まってもらうのもいいよね。アドルフ!」
隣でアドルフが首を縦に二度動かした。
エメは続けて話す。
「でもどうしたの?ビゼー。さっきまで病院に行った方がいいみたいなこと言ってたのに」
「体調悪くない奴を病院に連れてってもしょうがない。それにうちのパン気に入ってくれたみたいだし」
ビゼーは理屈を並べた。
そんな息子の様子を見て母は一言。
「素直じゃないな〜」
小馬鹿にしたように言う。
ビゼーは渋面をつくった。ところが何も言わなかった。
エメはクウヤの方を見て話し始めた。
「みんなOKしてるからうちに泊まっていきな」
「えっ!いいんですか?ありがとうございます!」
クウヤは久しぶりに雨風を凌げる場所での生活に歓喜した。
あまりの喜びようにエメも嬉しくなる。
「そんなに喜んでもらえるなんて嬉しいよ。あんまりもてなせないかもだけどゆっくりしていってね!ただし、宿泊料として……」
「お袋、金取るのか!」
母の言葉を遮って、ビゼーは言い放った。
「人の話は最後まで聞きなさい!」
エメは咳払いをして、話を続けた。
「宿泊料として、ウチでアルバイトしてもらうっていうのはどう?もちろん、賄いとしてパンは食べ放題だし、お給料も出してあげる!」
「やります!」
クウヤは二つ返事で快諾した。
ビゼーは反発した。
「宿泊料の代わりに働かせるのに給料は出すのかよ!」
「当たり前でしょ!働かせてお金出さなかったら法律に引っかかるじゃない!」
「そこかよ!でも今、夏だしお客さんもそんな来ねぇじゃん。人手も足りてるだろ。そこで人件費かけるのはどうかと思う」
「暇だからこそじゃない!実は新商品でも開発しようかなと思ってて。それってよっぽど暇か、営業時間外じゃないとできないでしょ。だからクウヤくんにアルバイトしてもらえたら、その分私たちが商品開発する時間が稼げるってわけ。あとー、泊まるのに何もしないっていうのはねー」
「そっちが本音だな。まぁ……親父とお袋がいいならいいか……」
ビゼーは渋々納得した。
淡々と喋るエメの横でアドルフも頷いていた。
「お互いにウィンウィンだよねー!」
「ウィンウィンっすねー!オレ、いっしょうけんめいはたらきます。ここのパン、今まで食ったパンの中でダントツ一番うまかったし、また食べられるならなんでもやります」
「そんなこと言ってもらえるなんて嬉しい!よかったね、アドルフ〜」
アドルフも心なしか微笑んでいるように見える。
ここまで言ってエメは突然小声で話し始めた。
「そうだなー。お礼にクウヤくんには賄いもタダであげちゃおう。ホントは賄いってお金払わなきゃいけないんだけど内緒ね。誰にも言っちゃダメだよ」
「わかりました。ありがどうございます」
クウヤも囁くように返事した。
ここでビゼーは思った。
(賄い代チョロまかすなら給料もよくね?)
と。
逗留先が見つかったクウヤは安堵の表情で言葉を漏らした。
「よかったー!お金もためられてとまっていいなんてさいこうすぎます!」
「金持ってないのか?」
ビゼーが聞く。
「百万くらいはもってるよ。でもお金ってどんだけもっててもいいじゃん」
とクウヤが返事をする。
するとビゼーが次の言葉を発した。
「旅のことはよくわかんねぇけどさ。百万って普通なら随分な大金だけど、長旅するには心許ないよな。宿泊費や食費はもちろんだけど、移動距離もめちゃめちゃ多いんだろうから洋服とか靴だって定期的に替えなきゃいけないし。しかも行きだけじゃなくて帰りもあるよな。単純に行きと同じだけ費用がかかるとしたら、所持金が半分になったらそこで引き返す必要がある。だからざっくりでも計画立てとかないと、またどっかでぶっ倒れるぞ」
一気に色々と詰め込まれたのでクウヤは脳内の処理が追いつかなかった。言葉の意味を理解するにつれてこのままだとジリ貧なのでは、という漠然とした不安が少しずつこみ上げてきた。
やがてビゼーの言葉を最後まで噛み砕いた時、旅人は発狂した。
「まってよ!オレヤバくね⁈どうしよう!すぐ帰ったらメチャクチャ笑われるじゃん!」
アワアワしているとビゼーは優しく声をかけた。
「だ、大丈夫だろ。それはないと思うぞ。故郷の人たちもお前の挑戦を賞賛してくれるって、きっと。それにさ、金は増やせないものじゃないんだから、すぐに帰りたくなかったらどっかで稼げばいいんだよ。ウチからも給料出るんだし。まっ、この後のことは俺も一緒に考えてやるからさ。なっ、一旦落ち着け」
彼には優しく励ましてやることしかできなかった。
この後、クウヤが自分は本当に大丈夫なのかと何度もしつこく問いかけるので、ビゼーは問いかけられた回数の何倍も平気だという旨を伝えた。
何回も平気だと言われるとそれだけで平気な気がしてくる。単純で何よりである。日が暮れる頃には心も体も本調子に戻っていた。
クウヤは明日からアルバイトを開始するために仕事内容を少し教わり、接客指導等を受けた。
そうこうしているうちに夜になった。
クウヤとビゼーは同室で眠ることになった。
二人は寝る前に少しだけ話をした。ビゼーがクウヤの旅の話を聞きたいと言ったためである。
クウヤは旅をするに至った経緯とこれまでの旅路を掻い摘んで伝えた。
ビゼーはとても楽しそうに話を聞いていた。
出発前の話もすることになり、スカーレッドら、友人の話もした。
ビゼーはその話題をとても羨ましがっていた。
どうやらビゼーは同世代の人とほとんど喋ったことはなく、友達と呼べる人物は皆無らしい。
彼に同世代の友人がいなかった主な理由は二つある。一つは彼が幼少の頃から両親の仕事を毎日手伝っていたからである。ゆえに友人と一緒に遊ぶ時間はなかったのである。二つ目は、一つ目の理由にも関係するのだが、彼が学校に通っていなかったからである。
西暦一七三二三年時点。米国で学校に行くためには、保護者が所定の用紙に必要事項を記入して役所へ提出しなければならなかった。
イジメのような子供と子供のトラブル、クレームのような保護者と学校のトラブル、体罰のような子供と教師のトラブル。これらを減少ひいては撲滅させるための措置である。
九割以上の保護者は子供を学校へ通わせる選択をしているが、一定数学校へ通わせない選択をする家庭もあった。その際、子供の教育を受ける権利を保障するため、学校以外の代替手段を用いて子供に普通教育を受けさせなければならないという保護者に対する義務が発生する。
アンダーウッド家はビゼーを学校に行かせる選択をしなかった。
両親は、息子に人間関係の構築を学ばせる機会を失わせてしまったことを少なからず後悔していた。
ところが突然現れた同い年の旅人、クウヤによってビゼーにさせてあげたかったことを実現させることができた。
昼間、自分たちの息子が楽しそうに会話しているのを見て、とても嬉しくなったのだった。後悔の念が消えたわけではなかったが、少しだけ肩の荷を下ろすことができた。
ビゼー自身もなんとなく嬉しかった。今までの会話相手は己の両親の年齢と同じかそれ以上の常連客だけだった。学年では自身よりも下とはいえ、同い年の友人と話す楽しさを覚えていた。
クウヤも三週間ぶりの会話を楽しんだ。
もっと話をしたかったが、明日はバイト初日だから早く寝た方がいいとビゼーから提案された。
尤もだと思い従うことにした。
明日の朝は早い。二人は同じ部屋の中でそっと目を閉じた。
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