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そして翌朝はぐっすり眠ったおかげで爽やかな目覚めだった。
豪胆にもほどがある。
広いベッドに寝転がったまま、留衣はうーんと天井を眺めて眉を顰める。
「夢じゃなかった」
どう見ても純和風の我が家ではありえない、シックな色合いの天井にベッドのふかふかとした寝心地。
気に入って着ていたパジャマ代わりの浴衣でもない。
もそもそと起き上がりベッドから這い出ると、閉まったままであるカーテンに近寄りそれを開けた。
そのまま窓も開けて、バルコニーがあったので外へと出る。
今は夏なのか太陽がさんさんと降り注ぎ、少し気温が高い。
留衣のいた日本では秋の始まりだったので、こんなに空は高くないはずだ。
「いま何時だろ」
部屋に戻ってきょろりと室内を見回すが、無駄な物を一切省いてある部屋は時計の類がない。
昨日通された部屋にはガラクタのようなものが大量に置いてあったのに、えらい違いだ。
とりあえず昨日の部屋に向かうことにしようと、念のため痛めた方の足を何度か踏みしめてみる。
痛みはほぼなかった。
一時的なものだったらしい。
よかったと思いながら、留衣は借りたシャツ姿のまま二階から一階へと降りた。
玄関ホールに差し掛かったところで、トゥーイが今まさにニーナの見送りで出かけようとしていた。
慌ててその姿に声をかける。
「おはようトゥーイさん」
留衣に気付いたトゥーイがこちらに向き直った。
その姿は昨日とは違って、紺色で詰襟のカッチリした上着に黒いズボン、腰には帯剣。
髪は昨日と同じように片側でゆるく編んである。
「おはようございます」
ぱたぱたと右足に包帯を巻いているまま、トゥーイに近寄る。
固定するように巻いているので若干歩きにくい。
外してくればよかったと思った。
「でかけるの?」
「仕事です」
端的に答えられ。
「仕事……」
思わず腰の剣へと目が行く。
そんな物が普通にある世界なのかと驚く。
案外物騒な世界なのかもしれない。
その視線に返答するように。
「私は魔法騎士団に所属していますから」
「きしだん」
耳慣れない言葉だ。
ならばトゥーイの服装はその騎士団の制服なのだろう。
「それとこれを準備しましたので、渡しておきます」
そう言って、トゥーイはズボンのポケットから赤い雫型の石がついたペンダントを留衣に差し出した。
その手は手首まで覆う黒い手袋をつけている。
昨日もつけていたものだ。
「これは?」
手のひらを向けると、その上にチャリと音を立ててペンダントを置かれた。
「魔力の移動を妨げるものです」
「魔力が奪われないってこと?」
こてんと首を傾げるとそうですと返答される。
「今は私も自分に魔力をが流れるのをある程度防ぐためにつけていますし、手袋もしていますが。まあ、念のため」
「手袋してたら大丈夫なの?」
簡単に防げるんだなと思っていると。
「ただの手袋じゃありません。特殊な魔道具ですから、他人の魔力をほとんど遮断できます」
「魔道具って?」
初めて聞く単語に疑問をぶつけると、あからさまに面倒くさそうな顔をされた。
そういえば仕事に行く直前だったと気づく。
「ニーナにでも聞いてください。ああそれと、食材が無いので朝食は我慢してください。あとで届けますから。それでは」
言うだけ言うとトゥーイはさっさと玄関の扉を開けて出て行ってしまった。
「食材が無いって、あの人は朝ご飯どうしたの」
呆然と呟く。
お世話になる身であるので贅沢も我儘も言わないが、食材が無いとはこれいかに。
「トゥーイ様は朝食をお取りになりません」
控えていたニーナが口を開いた言葉に、思わず眉をひそめる。
「体に悪っ」
「基本的に食事はコーヒーと携帯食料で済ませるので、食料は必要最低限しか備蓄していないのです」
淡々と無表情で答えるニーナに、騎士って体が資本なんじゃなかろうかと留衣は内心呆れた。
「えっと、さっき言っていた魔道具って?」
「魔力を込めた道具の事です。魔力を溜められる石に魔力を注ぎ、それを嵌め込んで使います」
「便利道具なんだ」
なんともアホな回答だが勘弁してほしい。
魔法のことなんて言われてもよくわからない。
本や映画などを楽しむような金銭の余裕はなかったし、たまに目にしたものもあったけれどファンタジーはあまり嗜んでこなかったのだ。
「はい。ただ石は貴重ですし石を嵌め込む技術も難しいので数は出回っていません」
「そんな貴重なもの持ってるなんてトゥーイさんて凄いんだね」
「トゥーイ様は魔道具の研究をしていますので」
「へえ」
研究ということは頭いいんだなあとのんきに思う。
トゥーイの出ていった玄関の方に視線をやると、くるると小さく腹が鳴った。
健全な体が軽い空腹を訴えてくるが、食材は無いと言われてしまったので何もしようがない。
よしよし鳴くなと腹部を撫でると。
「お茶なら出せますので昨日の部屋でお待ちください」
腹の足しにはならないだろうがありがたく頂戴しようと、留衣はニーナに促された昨日の部屋へと向かった。
いわゆる応接間にあたるのだろうかと思いながら、昨日の部屋へと足を踏み入れる。
とりあえず祖母の肖像画に挨拶しようと、暖炉の前に向かった。
暖かい色合いで描かれた肖像画は、祖母の優し気な雰囲気を見事に表現していると思う。
「おばあちゃん久しぶり、おはよう」
額縁の中の祖母は記憶にある姿と瓜二つだ。
優しくていつも面倒を見てくれた祖母の姿に、懐かしさが込み上げてくる。
「おばあちゃん、こんな所にいたんだね。まさかファンタジーな世界にいるなんて思ってなかったよ」
ついでに言えば自分もこんなところに来るなんて思っていなかったが。
「帰る方法わからないって言われちゃったし……」
しょぼんと肩を落とす。
「おばあちゃんも帰れなかったんだろうな」
でなければ、亡くなるまでここにいることはないのではないかと思う。
「来る時が来る時だったから、帰るのちょっと怖いけど」
なんせ襲われた瞬間にこっちへ来たのだ。
おそらく両親はすでに金を受け取っているから、夜這いなどされたのだろうと思う。
ある意味、ここへ来たのは幸運だったと思える。
昨夜のことを思い出して、ぶるりと肩を震わせた。
「失礼します」
扉がノックされて開くと、ニーナが昨日のようにワゴンを押して入ってきたので留衣は暖炉の前から離れてソファーに腰かけた。
ニーナによってお茶の準備がされるのを待ちながら。
「ねえ、ニーナさん。おばあちゃんにお世話になったってトゥーイさん言ってたけど、二人は仲よかったの?」
「存じ上げません。私が作られたのはフミ様が亡くなったあとになります」
言われて、そういえばニーナはトゥーイが魔法で作ったと言っていたのを思い出した。
表情がまったく変わらないのは、トゥーイが感情表現の機能をつけなかったからかもしれない。
「そっかあ」
飴色の紅茶が注がれたカップを目の前に置かれたので、少しでもカロリーを取ろうと砂糖とミルクを入れてかき混ぜる。
「とりあえず……することがないな」
ポツリとこぼす
ミルクが渦巻いて紅茶が色を変えていくのを見下ろしながら。
うーんと唸り声を上げる。
「ニーナさんはこれから何するの?」
「掃除して洗濯をします。使っていない部屋が多いので、定期的に掃除をする必要があるのです。それらを日ごとに行うのが私の仕事です」
淡々と答えるニーナに、それなら手伝えるなと思い。
「じゃあ手伝わせて、何もせずに置いてもらうのも気が引けるし」
「そういうわけにはまいりません」
即座に却下されてしまった。
「そう言わずに!このまま何もしないのも暇だし、一方的にお世話になるのも嫌なの」
お願いと両手を合わせると、ニーナは一瞬考えるように髪を揺らして。
「わかりました。トゥーイ様にはある程度自由にさせてかまわないと言われていますので」
「ありがとう!」
早速と立ち上がったところで、自分の服装を見下ろした。
トゥーイのシャツ一枚という姿だ。
「着替えってある?」
「ありません。食材と一緒に調達してくるとのお言葉です」
なるほど。
確かに一人暮らしのようなので、女物の服は無いだろう。
あったらあったでびっくりだ。
「じゃあこれでいっか。あ、包帯はもういいや」
動きやすいのでかまわないだろうと思い、邪魔くさかった包帯は外してしまう。
「靴とかある?なんでもいいんだけど」
留衣の言葉にニーナが思案すると。
「大きいかもしれませんが、室内履きがあります」
「じゃあそれ貸してもらえるかな?」
「承知いたしました」
そんなこんなで留衣はニーナについて回り、今日掃除に入る予定だった何部屋かの使っていないという客室を綺麗にしてまわる。
ついでに家中の窓も拭いた。
体を動かすのは嫌いではないし、つねに遊びに出かけて家にいない両親の代わりに家事をしていたので、苦ではない。
洗い場で洗濯を済ませると、洗濯籠にシーツなどを入れて庭へと出た。
張り巡らせたロープに洗濯物を干していく。
じわじわと気温が上がって来たので、数時間もすればすっかり乾くだろう。
パンパンと干したシーツを叩いていると。
「何をしているんです」
庭を出て門へ続く場所から、大きめの箱を抱えたトゥーイが現れた。
「おかえりなさい!」
元気よく笑って声をかけると、トゥーイは一瞬眉を上げたあと少しだけ目を細めた。
「おかえりなさいませ」
トゥーイがいるとわかるのか、何の前触れもなくニーナも外へ出てきて頭を下げる。
そのままトゥーイから箱を受け取った。
「洗濯をしろと言った覚えはありませんが」
「お世話になるんだし、暇だからニーナさんに手伝わせてもらったの」
トゥーイの言葉にあっけらかんと答える。
数舜、じっとトゥーイが留衣の顔を見つめたので何だろうと小首を傾げると。
「まあいいです。食料と服を持ってきました」
「わっ!ありがとう」
思わず手を叩いて喜んだ。
これで午後はひもじい思いをしなくて済む。
実は定期的に腹の虫が騒いでいるのだ。
「では私はこれで」
くるりと背中を向けたトゥーイに。
「あれ?仕事終わって帰ってきたんじゃないのね」
「昼休憩の時間に抜けてきただけです」
それだけ言うと、トゥーイはさっさと玄関ポーチの方へ行ってしまった。
「わざわざ来てくれたんだ」
ありがたいなと思いながら、あれと思う。
昼休憩でここに来たのならトゥーイは昼食を食べる時間はあったのだろうか。
ニーナが携帯食と言っていたので、それでさっさと済ませたのかもしれない。
体に悪すぎる。
一瞬眉根を寄せそうになったけれど、すでにトゥーイは行ってしまったので何も言いようがない。
仕方ないのでそれらをスルーして、昼食にありつくために洗濯物をテキパキと干していった。